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20201116
バスのベンチの片隅を私の居場所にしてもいいですか つつましくしていますので どうかここにこの身を置かせてください 私のような者の顔を見たら気分を害される でしょう うつむいて 静かにしていますから どうかここに、いさせてください 充電が切れた携帯電話 握りしめにぎりしめ わずかな小銭を何度も何度も数え 冷える肩をさすり、さすり、 このベンチを私の寝床にしてもいいでしょうか 横にはなりませんキャリーケースが 私の枕です 寝息もおさえ静かに眠ります 遅くまで仕事をして帰る人達の足音を聞いています、あの人達がすこやかであることを 祈ります だからここで寝かせてください 本当は体が痛くて 地面に横になって眠りたい 本当はお腹が空いて コンビニのおにぎりを盗みたい 本当は大声で泣き喚き助けを呼びたい でもそれをすると、それをすると 人間ではなくなりますから 私はベンチに座っていたいのです しあわせを感じること一つだけ お日さんが眩しい静かな朝です そんな日は、そんな日は私は顔を 上げるのです 私は顔を上げるのです
20201116 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2839.3
お気に入り数: 2
投票数 : 13
ポイント数 : 14
作成日時 2021-11-16
コメント日時 2021-12-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 5 | 5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 6 | 6 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2 | 2 |
総合ポイント | 14 | 14 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2.5 | 2.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3 | 3 |
エンタメ | 0.5 | 0.5 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 7 | 7 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
- とにかく居場所がない (s.t)
>私のような者の顔を見たら気分を害される >でしょう 「でしょう」の改行による作品冒頭のイントロデュースとしての効果が出てる。 >遅くまで仕事をして帰る人達の足音を聞いています、あの人達がすこやかであることを >祈ります 三連目のこの改行も作品全体のリズムの造りに効いている。 >そんな日は、そんな日は私は顔を >上げるのです 四連・五連目には(おそらく)あえて改行の技巧を入れず、六連目に引用部の改行を入れられ、これを更に上げている効果が結末の「上げるのです」と同一にされている。すごく、効果のある改行の使い方であり、且つささやかな感じ、技巧の誠実さを感じます。技巧と全体の構造(四連目に作中話者の内面の大きな振幅さを集中させられているあたり)にも丁寧なものを感じました。詩文は内容よりも技巧であり、作者の内面は技巧に現れ、内容への共感よりも技巧への共感を読者が持ってこそ、文字言語による表現作品の楽しみ方ではなかろうかと、そういった個人的な気持ちもあり、技巧へのコメントとさせていただきました。タイトルも2021ではなくて、2020という過去にされているところも、「今の気持ち」的な軽薄さを消されていて。
1なつのあゆみさま。 作品素晴らしかったです。 横にならず、バスのベンチの隅っこにいさせて下さいとは、なんて健気なんだろうと。 涙が止まりませんでした。 強さのある弱い女性。 とても、、、。 素敵な方なのだと思いました。 良い作品で、あまり言葉が出てきません。お許し下さい。 わたしもこんな詩が書けるようになりたいと素直に思いました。 けれど、わたしはきっと人間にはいつまでもなれないのだということに気付かされました。 少し休みます。 反省を込めて、、、。
2これ、ほーむれす女性がばす停で殺された事件が元ねたですよね。殺された女性の気持ちになりきって書く、ということは、詩人の平田俊子さんも前になさって居たと思います。しかし、平田さんの詩は嫌で無かったのですが、私はこの詩に対しては不快感を覚えてしまいました。とても安易な詩に感じたからです。死者をねたに安易な詩を書いて、自分に注目を集めたいだけでは無いかと。だとしたら、死者に対する酷い冒涜であると思いました。しかし、翻って、権威の書いた詩、巧い詩であれば許容し、安易な詩と思えば冒涜だと感じてしまう、自分の感性にも疑問を抱きました。詩の出来不出来に関わらず、死を悼む気持ちに貴賤は無いはず。死者をねたにして自分に注目を集めたいだけでは無いかという疑問を書きましたが、どうか、そうした気持ちで書かれたもので無いことを願って居ます。厳しめこめですみません。
3白犬さんへ そう思われる方も居るだろうと予想はしておりました。 私はこの事件を知って欲しくて書きました。コロナ禍であまりにも無惨で酷い悲劇でした。 わたしの勝手な詩で故人を冒涜しないようには気をつけましたが、不快感を持たれたなら、わたしもまだまだこれからだと反省いたします。 私は悲しみや怒り、悲劇を詩として記録する者になりたいのです。 この詩は去年書いたのですが、今年、命日にこのサイトに初めて投稿しました。 私の詩に批判は受けても、どうか事件を知って欲しいと願いをこめてコメントを終えます。
0純粋に知って欲しくて、と言うのであれば、詩という形を取らなくても良いのでは無いかと思います。また、詩という形で悲劇を記録する者になりたいと仰られるのであれば、本当に、詩の内容が全く足りて無いと感じました。他者の死をもちーふにする以上、安易な詩を書くのは、書き手にその気が無いとしても、冒涜であると私は感じます。厳しいことを言うようですが、本気なら、頑張ってください。6連目は少し良いと思いました。
0あ➰っ。何か今、頭がどうにかなりそうと思っている私には、心を落ち着かせて、冷静な自分を取り戻す作用が有りました。 しょぼい感想で申し訳ないですが、文章が澄み渡っている。読んで良かったです。
1こちらの詩について実際に起きた事件を題材にしていながら、配慮に欠けたところがあると投稿してから思うことあり、こちらのコメントにて失礼します。この詩は追悼を願いながら書きましたが被害者の女性への心情の一方的な思い込み形式であることを反省いたします。一度投稿した詩はここではどうやら消せないようなので、その点も含めまして、よりいっそう丁寧な作品を心がけます。ご不快な思いをさせて申し訳ございませんでした。
1本作品のタイトルではわからなかったのですが、本文冒頭の一文を見て事件について書かれた作品かなと。個人的に思うところもあり私もこの出来事についてなにか作品をと思いながら時間が過ぎてしまいましたね。昨日に作品を何度も目を通してみましたが。 現実の事象、そして被害者の存在、圧倒的に非対称ななかで暴力により閉じられてしまった痛ましい生と。私が男であり加害者の男の側から見ていたものや意識、行政等による管理と排斥の実態など。いろいろなことが絡まり重さを感じますし、また、表現においての倫理をめぐるこちら側の意識も問われるのだろうと。東日本大震災の際にも同様のことがよく取り上げられたことなども思いました。こうした一々そのものも独りよがりのエゴにすぎないのでしょうけど。 平田さんという方はたしか低反発枕草子などの方でしたか。死者の立場から詩作品をというのは初めて知りましたが、そうしたことを試みられていてその影響もあっての本作品なんですね。ジャーナリスティックな視点を含ませることでしょうか。死(者)も自然死や事故死や犯罪死等ありますが。これまでにあまり積極的には扱われ ることがなかったものだったりするのかなと。わかりませんが。 本作品の印象は心に即して書かれたものかなと思いましたし、同時に弱い立場にある日本に暮らすひとりの人が生きるためにさらに頭を下げ社会に乞う、寝床を探し横たわり。そうした所作の一々に問そのものが含まれているようにも思いました。女性であること、オリンピックを推し進めていた国、コロナによる失職…。NHKなどが女性の半生を取り上げた特集番組を放送しましたが、世代的な意識の違いもあるのかもしれませんが、セーフティネットのあり方などを含め考えさせるようです。
2先ほど打ちましたコメントについて。 平田さんの影響云々としましたが、これはおそらく違うようですね。失礼しました。 追記になりますが。 高度経済の世からバブル以後を夢を生き夢に破れ。挫折もありながら歩み続けていた人の残る余生をまたひとりしっかりと自分を生きていたいという、ささやかな想いが人や社会にでなく朝の陽の光に捧げられた祈りのような詩文に崇高が込められた作品と思いました。人間ではなくなりますからという一文とともに残酷な響きを与える重みを含みつつですか。路上に生きざるをえない人を取り上げた詩作品自体は珍しいものではないだろうと思いますが。
1冒頭からホームレスのひとを思い起こさせます。片隅にじっとして徹底的と呼びたいくらい卑屈になっているホームレスか。どうしてそういう見方になるんだろう。 いろいろな事情があってやむなくホームレス生活をせざるをえなくなった人がほとんどだと思うんです。でメンタリストなんちゃらが「ホームレスなんていない方がいいよね」とか言って炎上した時も、ホームレスのひとにも人権があるもんね、って言いながら、実際にホームレスのひとを見ると「いやだわー」とぼやいている人が周りにいました。だから、うわべでは「人権が」と言っていても「嫌だ」と思っている人は一定数いると思います。 で、ホームレス生活をしているひとはそれを知っているから、自分にも事情があるんだけど、そういうのはうっちゃってできるだけ目立たないようにしている部分はあると思うんです。要はホームレス生活をしている人が卑屈なんじゃなくて、ホームレスというものに対する社会の目が彼らに目立たないような態度を強いてるとも言えるんです。 だけど麒麟というお笑いコンビの片方(川島じゃない方)がホームレス生活をしていた時期があって、のちに「ホームレス中学生」という本を書いた。これが結構話題になったこともありました。要はね、ホームレス生活をしている人が必ずしも卑屈な生き方をしているわけではないということです。 で、ここまでホームレスのひとを卑屈に描いているというのは、「社会一般としては迷惑だと思われている、だから大人しくしてなきゃならない」という見方が最初にあるんじゃないかと思えるんです。一見同情的にホームレスのひとの側に立っているように読めるけど、実際は社会一般的な見方に沿って作中主体が設定されているよね、って話です。 もちろんこれは詩であって現実ではないから、こういう作品があってもいいとは思います。だけど逆に言えば作品だからこそ現実ではそうは見えないとしても人間らしいところをもっと出してよかったんじゃないかと思います。 具体的には、 >本当は体が痛くて >地面に横になって眠りたい >本当はお腹が空いて >コンビニのおにぎりを盗みたい >本当は大声で泣き喚き助けを呼びたい に対して、 >でもそれをすると、それをすると >人間ではなくなりますから >私はベンチに座っていたいのです と続くのですが、世間の目を気にしてありきたりなイメージに合わせて生きていた存在が、《それをすると/人間ではなくなる》のではなくて、それをするときにはじめて人間らしさが表れてくるんじゃないかということです。
1いいですね。
0私はあんまり優しく無い性格なので。。。しかし、東京に住んで居た時に、2度、女性のほーむれすを見たことあるのですが、彼女らの纏っていた本当に深い絶望の気配のようなものを、この詩からは到底感じられなかったのです。私自身、結構生に行き詰まりながらやって来たのですが、本当に酷い状況に立たされた時、人はこのようにつらつらと思考するだろうか?と。その辺の違和感もあり、安い「共感」と作者本人との「同一化」によって書かれた詩なのかなて感じてしまったのです。確かに、穿った、意地悪な読み方だったかもですね。安易な詩という私の印象は今も変わっていませんが。でも、作者さんは私と違い、優しい人なのかもしれませんね。私のこめが不快だったとのことで、すまそです。
1気づいたら自分の居場所がどんどん狭く、小さく、頼りなくなってしまう ということはあるのだろうと思います。 バスのベンチでなかったとしても、 マンガ喫茶の個室、自室、いじめの教室、、 >コンビニのおにぎりを盗みたい >本当は大声で泣き喚き助けを呼びたい >でもそれをすると、それをすると >人間ではなくなりますから 人間ではなくなる、とありますが、 本当に生きたいなら、それをしなければいけないのかもしれません。 むしろすることが人間なのかもしれないと思いました。 もっと前のあらゆる段階で、自己主張をしたり、 助けを求めたりできないと、 人間ではないものに近づいていってしまうのかもしれない、 と感じました。 つらく厳しい作品でしたが、 自分も自分の居場所がどんどん狭く、小さくなってしまう側なので、 自戒をこめて感想を書かせていただきました。
0よい詩だとおもいました。
0問題は、現実にその当事者が実在していたにも関らず、作者様の想像に由って、物言得ぬ侭、亡くなられた当事者の声を代弁なされた処に在るのかもしれません。 たとえば。御作を、若しホームレスの方々に読んでいただけたならば。御作の価値が明瞭となるかもしれません、ね。 寝食の心配も在らず、生活に窮してもいらっしゃらない(憶測ですが)目線に拠って画かれた、外圧的矯正としての「人間らしさ」、 悍ましく、只管に(失礼ですが)不気味な、或る品格へと方向づけられた作為が垣間見え、私には、受け容れられませんでした。 叶うならば、社会規律の価値観に捕らわれない、美談‐理想像へと上書きをされていらっしゃらない、「人間」を拝読させて頂きたく、存じます。 詩の担うべき仕事と、意味について。立ち止る契機をいただきました事に、感謝を述べさせていただきたくもあるのですが。
1握りしめやそれをするとやそんな日はの繰り返しがリズムを作りこの詩の核に及ぶ効果があると思いました。訴えや祈りの様に思える詩なのですが、バスのベンチと言う一番初めの提示から、場所の占有に対する執着ではなくて、謙虚な要望、それを叶えるために丁寧に主張や内容を積み上げて行って居ると言う感じがしました。
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