葡萄(巨峰)を吸っていたら
それは女の乳房だった
のに気付いたけれど
俺は少女の痩せた背骨に
ブラジャー(グンゼ)に
指を這わせ
赤いランプ(パナソニック)に灯をつけた
夜の手術室(御茶ノ水)にしのびこんで
胎児をコロソウカ
田舎(アルゼ)の教室の
オルガンを突く指
の女教師(恭子)は
俺の白い雲を引っ張り
空に横臥する
理科(物理Ⅱ)のノートに
君の声を聴く(よ)
俺はその人の記憶を
土には埋めない
のり子ちゃんは
図書館(国立)で
膨らんだものを頬張った
突きささったペットボトル(伊藤園)
午後三時に聴く
貴方の心音
喪失は在り続ける
記憶でも記録でもなく
サブカルチャとして
ところで俺は重さが欲しいと思って
真空パックされたサーモンの陳列された
鮮魚コーナーに来て
寝そべった貝魚類の
ビニールをあけた
温かい体の
一つ一つを
調理していく
スーパーマーケットをカゴに入れると
アントワープ中央駅へ
いたる
デ・カイセルライに面した入口をくぐり
脱がしたばかりのレトリックで
女は風邪をひき
男は客体を挿入することによって無名となる
剥がした傷口を
その瘡蓋を
ドストエフスキーという男に
小説で書かせた
それは主人公の不在を示す
一つの矢印に過ぎない
どこまでも一つの
矢印に過ぎない
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 1591.4
お気に入り数: 2
投票数 : 5
ポイント数 : 9
作成日時 2020-03-03
コメント日時 2020-04-01
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 1 | 0 |
前衛性 | 1 | 0 |
可読性 | 1 | 0 |
エンタメ | 2 | 1 |
技巧 | 2 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2 | 0 |
総合ポイント | 9 | 2 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0.5 | 0.5 |
前衛性 | 0.5 | 0.5 |
可読性 | 0.5 | 0.5 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 4.5 | 4.5 |
閲覧指数:1591.4
2024/11/21 23時35分24秒現在
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「現代詩」というと、このような作品がそれに近いのではないかなと思ったのが、目を通した後の初印象でした。解釈するには難解であるけれども、文字から立ちのぼる「感じ」には確かな存在感を感じるし、不思議な「進行感」もあるし、部分部分の表現は常人の手になるものではないと感じました。 >喪失は在り続ける >記憶でも記録でもなく こんなあたり、とても好きです。 他にも良いなと思う箇所は多くありますが。 全体として何を表現しているのかと考えてみると、「全体として表現していること」などなくてもいいのかなと思ったりもします。全体は全体のまま、受けとめればいいのかなと思ったりします。 いろいろな名詞やいろいろなシーンが書かれていますが、散らばらないで、しっかりとくっつき合って、一個の生き物のようになっているのがすばらしいと思いました。
0尾田さん、こんにちは。 三連目まで、底の割れたクールな隠喩が好きです。昔のロマンポルノに登場したようなシンボルが、日常のブランド名で裏打ちされて連続する格好よさ。四連。「伊藤園」にはぐっと来ました。 そうすると五連目のいかにも現代詩的な後処理が残念に思えます。五連目でわざわざ考えなくとも、詩句は四連目までで十分思考している、と思えるのです。「サブカルチャー」で外しても、一回嵌めてしまうといわゆる現代詩ふうのパターンから逃れられないのではないかと思います。言っていることはわかるけど。 「伊藤園」やり過ぎるとねじめ正一になっちゃうけど、カッコの中にポツンと出てくるところが、皮肉でも何でもなく、詩的だなと思います。
0尾田和彦という名前をみつけただけで、 僕なんかは読んでしまうわけで、 そこに露わになってる尾田さんの人間っていうやつがまたちゃんと在るんで、 毎度の久しぶりの登場を楽しんでます。 作品読んで元気に笑ってます。 僕なんかは。 尾田和彦って名前だけで読ませてしまって、更にそこに 不在の主人公 なんてフレーズを一筆書きみたいに無作に置けるって、詩人だと思う。 やっぱ、その知識やレトリックとか能力というか才能とかいう前に、 何書いても俺の言葉だし詩になるからっていう詩人でありたい。勉強になりました。
0◆南雲 安晴さん 「現代詩」の定義となると、できなくもないと思いますが、 詩を定義づけすることから、限りなく自由であることが、 現代詩的なフォーマットになるのではないでしょうか。 ですが、雰囲気だけ、わかるひとにはわかる、的な「枠組み」 の中で評価をうけるものは、ぼくはあまり好みません。 丁寧に読んでくださりありがとうございます。 ◆右肩さん ここで問題なのは、詩に興味がなくなってきた、という ことなんですが、右肩さんはぼくより一回りくらい年上 でなおかつ、堅実な(?)生活者であるにも関わらず、詩 を書き続けている。 詩はやっぱり満足したり、自分に対する見切りが行われた 時点で書けなくなるものだと思うのですが。 右肩さん、ありがとうございます。 詩友がいると、書き続けられるんですかねえ。 ◆みうらさんへ 濃厚なラブレターありがとうございます。 なんでしょう。人は一生をかけて、詩人としての自己を 完成させていくものなのしょう。 昔みたいに、自分は「ポエマー」だとは言いたくないで すねえ。
0非常に大人向けの詩のように思いました。グンゼ、やアルゼ、の意味はネットで調べれば直ぐに出てきますが、本作はそんな付け焼き刃の知識ではまるでイメージが追いつかない。追いつく方々をターゲットにしたかの如く、それらは括弧で括られている。抽象と具体が丁寧に織り交ざった作品に思います。 どこか性的な描写で括られているものの、大変オシャレに仕上がっています。オシャレな中に、パナソニックなどの生活感のある実像が浮かび上がる。実像は抽象と混濁し、まるで特殊な化学反応のようにオシャレでハイセンスな作品へ繋がっているのだと考えました。
0()に妙な客観性やシニカルさ?を感じて、 面白いと思いつつ構えて読んでいた自分がいました。 しかしそれはいい意味で裏切られた気がします。 その後の()無き世界が、より誠実な響きに感じられたというか、 客観と詩的、なんとも言葉にしがたい同一性?をもたらしたような、実に不思議な感覚でした。
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