Land Scape Goat - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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Land Scape Goat    

わたしの背に 連綿とつづく原野 そこに暮らしていた 一匹の仔兎が 今夜 死にました 、 という あざやかな寓話を 包帯にくるんで 玄関の扉に 吊るしておきます けれども街には 乾いた三角点が 散乱しているから 誰もが尾鰭の手入れに夢中で わたしはひとり 兎を追悼する 準備にかかりました 兎を、弔う 兎を弔う兎を、弔う 兎を弔う兎を弔う兎を、弔う 兎を弔う兎を弔う兎を弔う兎を、弔う わたしの背に 連綿とつづく原野 そこに暮らしていた 一匹の仔兎が 今夜 死にました * 骨のない魚を のみこんでいくネオン 空中庭園のうえから たくさんの神話が 飛びおりてしまった というひとつの神話を 空中庭園のうえから 突き落としたのだけれど ひとつも 血は流れませんでした (そのとき (兎の死骸は (神話を (肯定できなかった 神話と、 そうでないものが 入り混じって 忘れられた幽霊たちは 清潔な比喩を 夜空に点らせていきます * 兎の死骸がわたしに問いかける 散華の花言葉を知っていますか 答えられるはずがないなぜならわたしは自分の尻尾を追いかけている最中で 指先から葉脈を追っていくとやがて深い海溝に辿り着いた 夜闇が信号機を運んでくるのではなく点滅を繰り返す黄信号が夜を運んでくるのだから 影絵で遊ぶ手が失われたから夜は薄暗いのかもしれないと呟く右手に絡まる影が兎の死骸をぐわりと攫っていったとき街には三角点が散乱し 空中庭園のうえから飛びおりていくひとつひとつの清潔な比喩が骨のない魚の鰓を手入れするのだとして だとしたら、 もしも、 仮に、 と 神話を 量産する わたしが ひとつの 神話 だとしたら、 ただひとつの変貌が わたしの手ではおこなえない ナイル青の 審判を 待つ 誕生 兎が死ぬ世界にいる わたしの誕生 兎が死ぬことのない世界にいる わたしの誕生 あらゆる 病理というものを 内包した 神話を 空中庭園から 突き落とすわたしは 青く燃えあがる アスファルトのうえに 突き落とされたかった どうせ血は流れない * わたしの背に 連綿とつづく原野 そこに暮らしていた 一匹の仔兎が 今夜 死にました 、 という あざやかな寓話を 包帯にくるんで 玄関の扉に 吊るしておきます けれども街には 水没のはじまりを 告げる鐘の音が響き 人々は そもそも 兎が うまれることのなかった世界に 黙祷を捧げていたので わたしはひとり 兎を追悼する 準備にかかりました 兎を、弔う 兎を弔うわたしの誕生を、祝う 兎を弔うわたしを祝うわたしを、弔う 兎を弔うわたしを祝うわたしを弔うわたしの誕生を、祝う わたしの背に 連綿とつづく原野 そこに暮らしていた 一匹の仔兎が 今夜 死にました 、 という ひとつの間違い 約束を啄む 巨大な世界樹に わたしは 愛犬と同じ名前を付けてやる ポチ ほら ポチ わたしは犬など 飼ってはいないのだけれど  


Land Scape Goat ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 9
P V 数 : 998.8
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2017-04-29
コメント日時 2017-05-10
項目全期間(2024/11/21現在)投稿後10日間
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前衛性00
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2024/11/21 23時29分04秒現在
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    作品に書かれた推薦文

Land Scape Goat コメントセクション

コメント数(9)
三浦果実
(2017-04-30)

夢の中の夢が描かれているのでしょうか。インセプション。確か、あの映画は回転するコマを夢か現実かの判断に使用していた。本作『Land Scape Goat 』は文字通り三角点が夢と現実の判別するベンチマーク。土木工事に従事した経験があるものは、よくわかると思う。まず測量はベンチマークから開始する。幻想的、神話的に思われる本作のランド・スケープ。しかし、正確な基準として三角点があることによって、夢と現実が回転する特異な世界になっている。読者の皆さんもお気づきだと思うけれども、その夢と現実、あるいは、夢の中の夢が回転する描写が一番出ているくだりが、空中庭園における落下する神話の場面。最後に、飼っていないポチによって現実の世界に戻っているところまで、完璧な構造がある作品だと思う。 紅月さん、毎度投稿有難う御座います。

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三浦果実
(2017-04-30)

訂正:すみません。最後の文が誤りでした。 飼っていない犬が登場することによって、更に夢なのか現実なのかを不確定にしているところが素晴らしい。

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浅井康浩
(2017-04-30)

>わたしの背に 連綿とつづく原野 そこに暮らしていた 一匹の仔兎が 今夜 死にました という形をした基本領域があって、同じようなフレーズの基本領域で作品中が埋まってゆく。 >わたしはひとり 兎を追悼する 準備にかかりました という相似の言葉を置くことで、前後にリズムがばらまかれて主旋律をなす。 そのあとに寓話、神話という対象操作を施して、はじまりにおいて一つの領域ができると同時に、それに対称操作を加えて生まれたリズムが作品の領域の全面を覆い尽くす。 このような傾向は紅月さんに特徴的なものだけど、この「死にました」「準備にかかりました」っていう作品そのものを貫く丁寧な言葉遣いとはいうのを何度も繰り返すことは、繰り返すことでエモーションが増幅される、というメリットはあるんだけれど、かっちり決まったフォルムを持っているので、クリシェに陥ってしまいやすい。 そのために、 >兎を、弔う 兎を弔う みたいなノイズ的なものを挿入している、とは単純に思えないんだけれど、そこらへんはどうなのでしょう。 いやいや、クリシェに陥ったとしてもあくまで丁寧なトーンで何度も倦まずに >連綿とつづく原野 と最後まで駆け抜けてますよね、っていうのもひとつだし、丁寧語などで作品のリズムの基調をなしてゆくとそれにひきずられながら最後までオートマチックにかけてしまう、というリピートしつづけるリズムにがっちり拘束されながらも、クリシェに陥らないための表現をどのようにするのか、というのも注目していたいところだと思います。 だが、単純にリズムの問題に還元できないと思うのは、 >「寓話」「追悼」「神話」「世界」 など、その言葉の空虚さを補填する操作をしていないことなんですよね。 もちろん、「寓話」「神話」そのもののメタ感を出す、っていうのもそうなんだけど、この空虚さっていうのが、メタ感を高めるためでなく、時間軸が直線的に流れていないために引き起こされる空虚さに由来するもの、とも捉えることができて、 >わたしの背に 連綿とつづく原野 そこに暮らしていた 一匹の仔兎が 今夜 死にました、という あざやかな寓話 が何度も反復されるのは、リズムだけでなく、 >もしも、 仮に、 と 神話を 量産する わたしが ひとつの 神話 だとしたら >そもそも 兎が うまれることのなかった世界 とあからさまに描かれているように、物語が入れ子状に配置された、直線的時系列を持つことのない、かつ「信頼できない語り手」によって、無限に反復される「健忘症」としての「寓話」をめぐる「空虚さ」というように読めてしまう。はたしてそれはどのようなことを指すのか。というのも、 >兎が死ぬ世界にいる わたしの誕生 兎が死ぬことのない世界にいる わたしの誕生 という「境界」の空間において、境界そのものが多元的なアイデンティティを内包する可能性を秘めていることに言及することなく >人々は そもそも 兎が うまれることのなかった世界に 黙祷を捧げていた わたしはひとり 兎を追悼する というように「境界」周辺の言説の摩擦が「寓話」「神話」の定義を超える可能性そのものが検討されていないし、そもそもその必要性さえないように書かれている。つまり「寓話」そのものが無限にループしてゆくことが前提となっている。それってリピートしつづけるリズムに「寓話」そのものが嵌まり込んでいるようで、リズムと寓話の予定調和が永遠と続く事態になりはしないだろうか。いや、それはべつにいいのだけれど、寓話、あるいは神話そのものの「転移」あるいは変遷を、完成されることない「寓話」の生産のプロセスとしてとらえてみること、そしてその契機を背反する「世界」に見る可能性もあったのではないか、と思うと、このような作品の別の可能性が見えてきて自分は面白く感じる。

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まりも
(2017-05-02)

サメは軟骨魚類だったなあ、と思い、骨の無い魚、これは鮫と読んでも面白いかもしれない、と勝手に考え・・・鮫のことを、古代日本では鰐、と読んでいたなあ、と思い・・・稲葉の白兎、鰐。古代神話の世界が、時代性を剥奪されて、ロンド形式の構造の中に散りばめられている、その質感を考えながら・・・利口ぶっているけれど騙されて、ひどい目にあって殺される(死ぬ)「うさぎ」的な人々と、黙って使役されることによって、むしろ生き残る部類の「さめ」的な人々のイメージを抱きました。「さめ」的な人々は、「うさぎ」的な人々の死を、悼むことすらしない(気づかない、から)。うさぎって、なんだか、詩人たちの暗喩みたいだな、と思いつつ・・・

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黒髪
(2017-05-02)

踊りのような印象を持ちます。というのは、言葉が、意味をもたらすという以上に、書くこと自体のテクニック、また心の出し方、 みたいなものが、他者の間で踊って見せるというような行為としての詩ということを強く感じたから。 筆者は、尖ったナイフで、論理を突き刺す、つまり、論理を常に意識しながら、それを突き詰めることで裏切ってしまう、 論理の向こうがこの詩では見える、といった特徴を感じました。特別なある事情を抱えてしまっているのかどうかはわかりませんが、 この表現自体を叫ぶという、恐ろしく困難な詩業をなしておられるところが、すごいなと思います。

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双葉月ありあ
(2017-05-03)

絵本みたいだなあ、と、おもいました それから個人的に 清潔な比喩 という表現がとても好きです。清潔な比喩。すてきだ。

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紅月
(2017-05-03)

三浦さん、こんばんは。 ここb-reviewではどうやら空前のループ詩ブームが到来しているとのことで、拙作のなかだと比較的ループ詩と呼べそうな(定義がわからないのでなんともいえない)作品を投稿してみたのですが、今になってあらためて読み直してみるとなんだかそうでもないような気もしてきました。安易な「胡蝶の夢」になっていなければよいのですが。 >土木工事に従事した経験があるものは、よくわかると思う。まず測量はベンチマークから開始する。 ベンチマークという表現は面白いなあと思いました。完璧な構造であるかどうかはともかく、音読した際のリズムは読みやすくて自分でも結構気に入っています。こちらこそ、お読みいただきありがとうございました。 浅井さん、こんばんは。お久しぶりです。 >基本領域があって、同じようなフレーズの基本領域で作品中が埋まってゆく。 >相似の言葉を置くことで、前後にリズムがばらまかれて主旋律をなす。 >そのあとに寓話、神話という対象操作を施して、はじまりにおいて一つの領域ができると同時に、それに対称操作を加えて生まれたリズムが作品の領域の全面を覆い尽くす。 >このような傾向は紅月さんに特徴的なものだけど、この「死にました」「準備にかかりました」っていう作品そのものを貫く丁寧な言葉遣いとはいうのを何度も繰り返すことは、繰り返すことでエモーションが増幅される、というメリットはあるんだけれど、かっちり決まったフォルムを持っているので、クリシェに陥ってしまいやすい。 この作品は過去の作品でして、今の自分がこの作品について語るとどうしても推測が混じってしまうのですが、おそらく世界性を語りや「寓話」「神話」といった詩句でエポケーとして吊り下げておいて、浅井さんの言葉を借りるならばクリシェに陥ってしまう領域というものを、 >兎を、弔う 兎を弔う というズームアウトで何層にも重ねていくことが狙いだったのだと思います。そしてその行為自体すらもクリシェに陥ってしまうということに語り手としてはある程度自覚的であり、大筋は、 >「信頼できない語り手」によって、無限に反復される「健忘症」としての「寓話」をめぐる「空虚さ」 と浅井さんが指摘してくださったとおりだと思います。この「信頼できない語り手」というのはおそらく私の詩作の根幹に横たわっているものですね。書かれた時点で詩句が帯びる「作為性」の暴力を強引に従えるくらい強度のある作品を書きたいと思っているのですがなかなか辿り着けない。逆に諦念まがいの姑息な手つきばかりが小慣れてしまって、つくづく楽をする技術ばかり上達したなあと思わずにはいられません。 >寓話、あるいは神話そのものの「転移」あるいは変遷を、完成されることない「寓話」の生産のプロセスとしてとらえてみること、そしてその契機を背反する「世界」に見る可能性もあったのではないか そのあたりの別の回路を最終聯でうまく提示したいなあと考えていたのですが、どうやら上手く機能していないみたいです。 完結した予定調和というものもそれはそれで作品足りえるとは思いますが、やはり私は水の流れを見守るより流れのなかに手を突っ込んで掻き乱すほうが性に合っているような気がします。もっと挑戦的な作品が書きたいですね。 浅井さんの批評を再びいただけたこと、とても嬉しいです。ありがとうございました。 まりもさん、こんばんは。 私は兎というモティーフが好きでよく拙作に登場させるのですが(大抵碌な目に合わない)、生き物としての兎が好きというよりは、創作や伝承で好き勝手にキャラクタライズされた「兎」が好きなんですよね。因幡の白兎も最後まで嘘を突き通せばよかったのにうっかり口を滑らせて皮を剥ぎ取られるなんてなんだか憎めないやつだなあ、と。そして古事記に登場する鰐は実際のところ鮫の仲間だったみたいですね。鮫といえば、このあいだディズニーのファインディング・ドリーを友人が借りてきたので一緒に観たのですが、ジンベエザメの女の子がやたらかわいかったのを覚えています(それしか覚えていないとも言います)。お読みいただきありがとうございました。 黒髪さん、こんばんは。 >踊りのような印象を持ちます。 踊りというものもひとつの表現方法ですよね。人が何かを表現するためには必ずしも文字を使う必要はなくて、踊ってみたり歌ってみたり絵を描いてみたり、科学だってひとつの表現であるともいえるでしょう。そしてそのなかで詩という表現方法を選んだ以上、詩というかたちでなければ表現しえないものを表現していかなければならないなあと思っています。まあ、なかなかうまくいかないのですが。 >筆者は、尖ったナイフで、論理を突き刺す、つまり、論理を常に意識しながら、それを突き詰めることで裏切ってしまう、 書き手が言葉を裏切るのでしょうか。むしろ言葉のほうが勝手に書き手を裏切るものだと思っています。そして裏切られるうちに、だんだんこちらも言葉を信頼できなくなってくる。これまでどのように言葉とうまく付き合ってきたのかをすっかり忘れてしまったのでした。もう少しお互いに譲歩できたらよいのですが。お読みいただきありがとうございました。 双葉月ありあさん、こんばんは。 こんばんは、と書きましたが、気がついたらおはようございますになっていました。外が明るい。おはようございます。 >絵本みたいだなあ、と、おもいました >それから個人的に 清潔な比喩 という表現がとても好きです。清潔な比喩。すてきだ。 嬉しいです、ありがとう。

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百均
(2017-05-10)

 僕が飼った事のあるペットは金魚で、その金魚を飼う水槽がなかったらペットボトルの中に入れてたんですけど、やっぱりすぐ死んじゃって、その時初めて命の喪失、というか根源的な恐怖を感じた覚えがあります。それは小さい頃に自分の祖父が死んだ時とは全く違う感情で、、、今は、例えば、「生殺与奪の権利」という言葉を使って説明出来るかもしれないけれども、高校三年生の自分にはそれがわかりませんでした。あの時僕は初めて命を自分の手で殺した実感があって、そのまま金魚のしたいが浮かんだペットボトルを机の下に隠しました。二週間後に親に見つかって捨ててこいと言われた時に、僕は多分初めて弔いみたいな事をしたのですけど、本作を読んで思うのは、僕は弔いなんかしてなかった。勝手に金魚に対して一方的な贖罪の念を傲慢にも抱いて投影していただけだったなぁ…ということを今おもいました。  …紅月さんの過去作を読んでいると、僕は自分の過去を常に追体験させられるような気分になります。あの時抱いていた感情がさっきあった事のように思われる。それがいつも普通に暮らしている時にふと昔の思い出を思い出して全身かきむしりたくなる時とは違って少しだけ、勝手に救われた気になるんですよね。それが、僕にとっての紅月さんの過去作を、今読んでいる理由だったりします。あの日、あの時、に思った事がここには明瞭な比喩によって綴られているというのか。本作を読めば何かわかるかも知れないという小さな期待です。。。という事を言って仕方ないので、以降は自分なりに内容について触れていきたい。多分、浅井さんのレスで僕のいいたい事は大方回収されてしまったような気がしているのですが。  仔兎はかわいいし、多分色々な生き物から一方的に蹂躙されてしまう生き物だと思います。そういう存在に生まれることの意味ってなんだろうね? みたいな事を全体から感じます。兎はなんで生まれてなんで死んで、語り手は弔うのか。という事。その舞台が設定されるのが一群目。という感じ。 1 人の死を悲しみいたんで、遺族におくやみを言う。「遺族を―・う」 2 死者の霊を慰めるために追善供養を営む。「先祖の霊を―・う」  弔いの意味は大きく二つあるけど、語り手がここで「弔う」事にどれだけの意味があるのだろうか、という疑念が膨れ上がっていくのが最初のリフレインだと僕は思います。 >兎が死ぬ世界にいる >わたしの誕生 >兎が死ぬことのない世界にいる >わたしの誕生  兎は生まれる事がなければ、死ぬ事はなかったし、死ぬという事のない世界に生まれればきっと生まれる事もなかった。死ぬという事はここでは「病理」とあるように、多分苦しみながら死んでいったのかなと思うのですが、生まれなければこんな目に会う事はなかった。死のない世界に生まれればこんな辛い目にあわなくてもよかったのに。みたいな感じでしょうか。しかし、兎が生まれて、死ななければ、私はこうして兎を弔うという行為に対して目を向ける事はなく、そこから意味を抽出する事なんかなかった。だから、兎を弔う事によって、それを表現する事によってそこから意味を見出す事が出来たわたしを「祝う」 >兎を、弔う >兎を弔うわたしの誕生を、祝う >兎を弔うわたしを祝うわたしを、弔う >兎を弔うわたしを祝うわたしを弔うわたしの誕生を、祝う  という風にずれていく。こじれてしまう。ただ、兎を弔うというだけの事が >兎の死骸がわたしに問いかける 散華の花言葉を知っていますか 答えられるはずがないなぜならわたしは自分の尻尾を追いかけている最中で >指先から葉脈を追っていくとやがて深い海溝に辿り着いた 夜闇が信号機を運んでくるのではなく点滅を繰り返す黄信号が夜を運んでくるのだから >影絵で遊ぶ手が失われたから夜は薄暗いのかもしれないと呟く右手に絡まる影が兎の死骸をぐわりと攫っていったとき街には三角点が散乱し >空中庭園のうえから飛びおりていくひとつひとつの清潔な比喩が骨のない魚の鰓を手入れするのだとして  まるでこの終わらない一行のように、生きているわたしの首を絞め続ける。 >わたしの背に >連綿とつづく原野 >そこに暮らしていた >一匹の仔兎が >今夜 >死にました >、 >という >ひとつの間違い  そして、兎が死んだという事を間違いにして忘れようとしてしまう。見なかった事にしてしまう。それは「弔う」という事が死を忘れるという行為であるという事。それは弔う側の一方的な事情であって、弔われる方の事情ではないという事を思わされます。そして、兎は言葉を持たないから、本当は何をどう思っているのかなんて死んでからじゃ伝えようがない。兎と人間の関係には最初から大きな溝があるのです。 >約束を啄む >巨大な世界樹に >わたしは >愛犬と同じ名前を付けてやる >ポチ >ほら ポチ >わたしは犬など >飼ってはいないのだけれど  犬に名前を付ける、名前を付けるという行為によって、多分近づけようとするんですけど、そんな事やったってしょうがない。という感じがします。多分また兎が死んだ時のような事になってしまうでしょうから、多分世界樹を犬に見立てたのは、樹は自分が死ぬまで生きているからだと思います。世界樹を弔う必要なんかどこにもないから。兎の代わりにしてしまったのかなとかおもいました。   

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紅月
(2017-05-10)

hyakkinnさん、おはようございます。 私は幼い頃から生き物が好きで、ずっとペットを飼うことに憧れていたんですけど、私の家庭環境はちょっと特殊で、中学を卒業するまでは学校に通う以外ネットもゲームもテレビも漫画もない自室にほぼ軟禁状態、もちろん自分で自由に使えるようなお金なんて持っていなかったので、幼い私にとってはペット飼育なんて夢のまた夢でした。高校入学の際にまあ色々親族ぐるみで揉めまして、なんとかお年玉だけは私が直接もらえるようになったので、その限られた金額の中でもなんとか飼育できそうな小さな手乗り文鳥を買ったんですよ。羽根の色は灰を被ってるみたいでとてつもなく地味だったけれど、籠を開けるたびに肩に飛んできてとてもかわいかった。鳥ってこんなに懐くんだなって。で、私は理系学科に入学したのでかねてより興味のあった生物にすっかり傾倒してたんですが、ある時生物の研修で東京まで行くことになりまして、一週間帰ってこれないので仕方がないから家族に頭下げて文鳥の世話を頼んだんですね。それでまあ、研修に行って、帰ってきたら文鳥が籠の端で丸まって冷たくなってたんですよ。冬だったんですけどね、部屋の中だと煩いから玄関に放置してたんですって。もうね、生きてきたなかであんなに我を忘れたのははじめてじゃないかってくらい頭にきてね、こいつら全員ここで刺し殺してやるとか思ったりもしたのですが、すこしずつ怒りが醒めてきてから、よくよく冷静になって考えてみると、生活が安定してない、自分のお金で生きてすらいないくせに生き物を飼育しようとした私の浅はかさがこの文鳥を殺したんじゃないかって、だんだんそんな風に思えてきてなんかたまらなくなってね、もう二度と生き物なんて飼わないようにしようって思ったんです。可愛いとか、うつくしいとか、そういった感情や言葉はある意味おぞましい暴力に他ならないのではないか。私は今こうしてhyakkinnさんに長ったらしく自分語りをしているわけだけれども、それはあの時庭に埋めた文鳥の死骸を掘りおこしては吊るし上げるような冒涜にあたるのではないかとね、そんなことを悶々と考えてしまったりするんですよね。この詩ももしかしたらそういう虚しさを謳わんとしているのかもしれません。 紅月さんの過去作を読んでいると、僕は自分の過去を常に追体験させられるような気分になります。 新しいサイトに過去作を投稿するというのもどうなんだろうなとは思ったのですが、この作品は自分でもわりと気に入っている作品で、この場ではどう読まれるのかということが気になったので投稿してみました。救われた気分になると言っていただけて本当に嬉しい。書き手に共感してほしかったり、読み手に面白いものを読ませたいというよりは、救いたいし救われたい、そのために私は詩を書き続けているのだと思います。丁寧なコメントどうもありがとうございました。

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