はるのつき - B-REVIEW
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ことば

ことばという幻想

純粋な疑問が織りなす美しさ。答えを探す途中に見た景色。

花骸

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。



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はるのつき    

ムーン・プリズム・パワーメイクアップ! へんしぃーん! 水星、金星、火星、木星が、 らららきらきららん配置されたこの変身ブローチで 「死せるわたし」月野うさぎは、セーラームーンになれるの。 うさぎを買ってくれた飼い主さん、きょうも、うさぎの桃色のお部屋にようこそ ミニスカのセーラー服ぬぎぬぎして、 さあ、きょうも、おふろ、ちゃっぷり、いっしょはいろ。 はいろ。 伝説の聖杯で、大きな、大きな、おせなか、ながして。 ディープ・アクアミラーに映り込むわたしと飼い主さんのまぐわう姿。 よがって、よがって、むぅーん とわいらいと ふらっしゅ 落としても、落としても、とれなにゃい、うさぎのこのケガレ、 むーんてぃあらぶーめらん!! ほらら、浄化。されたでしょおう? きっと、これ、どうってことない。 桃色スペードベッドの下に潜り込んでいるすぺーすそーど、あのナイフでいつだって、うさぎ、君の手首開き裂くこともできるりゅし、 桃色ハートクローゼットの奥にしまってある、さいれんスぐれいぷ、あの鎖鎌で、さくり、この詩セカイ、死世界、変革! さえもいつもできるのだから。 えへへ。 きのこの山の気球に乗っている、聖ヴァレンタイン星人に裏切られたわたしという死せる物体、イコール美少女戦士セーラームーン。 ――「死せるわたし」うさぎのママは、セーラーマーズだった若い時分の輝かしい栄光を忘れられない、とでも呟く様に、ロングストレートの髪を切らないね―― いつかうさぎが、この殻だを脱皮して、本物のうさぎになった時、 うさぎの希望となるはずのこの地球を守っている だけれど読書ばかりしているタキシード仮面さまのうるわしかぐわしけだかし音波声が 泣き虫耳の中に更新されて入ってきたよ。 こずみっくぱわぁ。 ママが火星を守りながら、 ――ヘアサロンminx表参道で毎月二万円近くも手入れにつぎ込む、 長いつやつやの紫の髪の毛は、なんというかホラー映画みたいで「死せるわたし」はちょっと恐いとクライシス思うけど、―― タキシード仮面さま……。   赤いミニスカートのセーラー服を着こんだ、うさぎ自慢の美しいセーラーマーズママ。 ママが長い髪を梳かす姿、 道徳公園の薄汚れたタコのあのすべり台、イコール生前のうさぎのパパにも、 言えない、吐き出せない気持ちを 惑星の牢獄でペルシア絨毯を紡ぐ少女のように「死せるわたし」うさぎには見えて、ちょっぴり哀しく思っちゃうんだ。 あ、ママのその気持ちは、ぼわっ、と、何かを発した。 はっしたー。 ママのそのぼわっ、は、 巨大な泥コップむげんの中に うさぎ島周辺の海を丸ごと入れて、 赤と緑のしましまストローで荒く混ぜたみたいなまだらな色に小さく発色して、 ママが座る、 子宮がアレンジされた無花果状花序の三面鏡の近くの ドル紙幣と円紙幣のフローリングに降って、 ぽぉん と少しだけ弾んで、ゆるり、ゆるりと昇ってゆく。 ――ママの色は、Sugarbunniesが吐息をかけた天井を越えて、このゴッホで構築された実存マンションを越え通り、永遠のコッペパンの空へと向かう。 で、 膝を丸めてしゃがんできのこの山箱船気球から眺めている「死せるわたし」うさぎは、お母さんの色、ジャージ鰐みたいな色だなぁと何となく無い心で思い、もげてしまった無い首を少し傾げてみる。 生きせる国の神、Cinnamorollの侍女アネモネ星のナースが ――-薬の時間――を「死せるわたし」に告げにきた時、 空に浮かぶ頃には、この色もっと澄んだ色になるといいな、とも、「死せるわたし」はきのこの山の箱舟気球の中で思う。 そして、「死せるわたし」の死体の中にうまっているティンカーベルお地蔵様に、架空の母に、これからもどうか穏やかな色をお与えくださいと祈るのです。 ママ、ママ、一度でいいから抱いてと涙を流しながら―― わたしは美少女戦死せーらーむうんです。


はるのつき ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 34
P V 数 : 1123.8
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2017-04-24
コメント日時 2017-05-08
項目全期間(2025/04/06現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
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音韻00
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閲覧指数:1123.8
2025/04/06 09時51分28秒現在
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    作品に書かれた推薦文

はるのつき コメントセクション

コメント数(32)
kaz.
(2017-04-24)

月の物語と言えば「月に代わってお仕置きよ!」のセーラームーン。お仕置きする月は「憑き」であり、憑依を連想させるが、ここでは母が月=憑きであり、架空の母に「穏やかな色をお与えください」と思う。こうして詩語は死後となり、物語は決着を迎えるが、それは戦死となる。主人公が闘うのは、己が母だろうか。それとも、平塚らいてふの言うところの「太陽」だろうか。ここでは「母になる」という主題が展開されていると私は解釈したが、その解釈さえも泥コップの中に回収されてしまう。うさぎの周辺の海、月の海とは、かの三島由紀夫が『豊穣の海』と呼んだものであり、そこには豊穣さと虚無さが入り混じっている。そんな風に読みました。

0
ni_ka
(2017-04-25)

幻の投稿にコメントしてくださったもとこさん はじめまして、ありがとうございます。 いろいろ鋭くてどぎまぎします。 こんな問題作を2作もタイトル違いで投稿してよいのでしょうか。 春って、「幼心に芽生えた清純なあこがれから、いわゆる大人の世界の大人の関係にいたるまでを含む、男女間の情愛、情欲のすべて」を含む言葉なんだそうですよね。 それはともかくネット詩の詐欺師とは、なんて素敵なラビリンス。

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ni_ka
(2017-04-25)

こちらのはるのつきにコメントしてくださったkaz. さん ありがとうございます。 憑き物完全にありますね、こわいこわい詩です。 ご指摘のように虚無ですよね、ほんと虚無。 kaz.さんの多様な解釈こそ豊穣です。

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ni_ka
(2017-04-25)

花緒さん。はじめまして。こんばんはです。 ちょっとだけタイトルを変えてなぜ同じ内容を投稿したのか……(戸惑わせて申し訳ありません) お手数おかけいたしました。ありがとうございます!

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ni_ka
(2017-04-25)

花緒さん 違う作品か同じ作品かを決めるのもキュレーションです。キュレーターの花緒さんにおまかせでございます

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もとこ
(2017-04-25)

えーと、作者の芸術的意図はともかく、この場のルールとして私がコメントした方が削除されたので、あらためてコメントを残しておきますね 小さなお友達のための大人気アニメと、大きなお友達のための便乗風俗の関係性を鋭く突いた問題作であります。その昔、「新世紀エヴァンゲリオン」が最初の大ブームになった頃に「綾波始めました」というイメクラの看板が登場したそうであります。それに対する「冷やし中華じゃねぇんだから」というアニメ関連書籍上のツッコミを私は今でも憶えているのですが、大きな友達はやっぱり「求めるもの」が小さなお友達とは違うのでありましょう。 それはともかく、「きのこの山の気球に乗っている、聖ヴァレンタイン星人に裏切られたわたしという死せる物体、イコール美少女戦士セーラームーン」という一説から私が連想したのは、「偉大なるロックンロールの詐欺師」ことマルコム・マクラーレンであります。そう、この詩の作者こそ「偉大なるネット詩の詐欺師」と言えるのではないでしょうか(単なる思いつきで何ら根拠はありません(予防線

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ni_ka
(2017-04-25)

花緒さん 例えば違うタイトルで同じものを並列するというConceptual artだった場合、制作の意図を説明するのは無粋以外のなにものでもないのでご説明はいたしません。 このサイトは「キュレーション」という言葉を多用していらっしゃるけれども、編集と差異がわからないので実験してみたのかもしれません。それが本当なのか謎ですが。 結果的に花緒さんとのリレーショナルになって1作品が削られたということでオッケーだと思っています。

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ni_ka
(2017-04-25)

もとこさん 改めてありがとうございます。

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kaz.
(2017-04-25)

これは、サイトコンセプトをキュレーションにしたところに落とし穴があったかもしれませんね。投稿の二重性は偶然性に依拠したオートマティズム的詩法とも言えるし、ウォーホルが試みているような現代アート的なコンテクストでそれを解釈することもたやすい。マナーがあるが故にそれを侵犯するというアート的な観点を取ることも可能だ。あと引き合いに出すとすれば、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『ドン・キホーテの作者、ピエール・メナール』は、同一作品の他者による複製の作成をテーマにしているから、その意味で読み解くことも可能かもしれない。 もちろんサーバーを圧迫する行為であるとして訴求する(法律的な意味ではなく、むしろ実践的な意味合いに近い)ことも可能ではあろうが、私としては、こういう実験的な試みを評価しない訳にはいかないなあ。《声》という観点から考えたときに、鏡像に映らない《声》は他者であって、その意味ではどちらにも違うコメントが付いて、鏡像段階の破れが生じたという解釈もできる。その意味では、本人納得しているようだからいいとして、私の詩誌の方で点が付いた方と付いてない方の両方を掲載することで妥協してはどうでしょうか。

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白犬
(2017-04-25)

こんにちは。今授業をバックレて、感想を書いてますw 私は詩を書き始めてまだ間もなく、詩界隈のことも疎いのですが、ni_kaさんは有名な方なのですね。やはり、ざっと読み言葉の流れに惹き付ける力があり、とても巧い作品だと思いました。セーラームーンが題材となっており、最初あの「月野うさぎ」が全く違う境遇に陥っているパラレル物かと思ったのですが(そうも読めるのですが)、むしろ母の権威性と女性性に逆らえず、また、そうした環境に産み落とされ、売春を余儀なくされている少女の物語とも読めました。彼女(死せるわたし)は、美少女戦士セーラームーンの物語に自らをなぞらえることで、殆ど「死せる物体」である自らを、生の方向へ変換してる、という印象を持ちました。(変身物などには疎いのですが、きっとああしたジャンルにはそういう側面があるのでしょう、「終わってる」日常を生き抜かねばいけない平均からまたは下?の少女たちの変身願望を満たし、夢と希望を与えてくれる、的な)(疎いので違ったらすみません) セーラーマーズが母親になっていたり、まだ見ぬ?タキシード仮面を夢見ているのも、少女が妄想し当て嵌めている、セーラームーンを使った創作である、としたら納得が行く(繰り返しますが、もちろん、そうでなくあの月野うさぎ本人であるとも読める) このような前提に立って、例えば、全く同じような作品を2つ投稿しているのは、こうした少女、また、そのような思考の仕方はこの世界に、大量生産されたマネキンのように転がってる、ことを示したかったのではと、勝手に解釈しました(たぶんとんでも読解)それこそ単なる大量生産されるスープの缶をアートにしてしまったアンディ・ウォーホルのように(これまた疎いので、間違ってたらすみません) (また、現代アート的なやり口だとは思うのですが、運営の方々が怒るのも当然だとも思いました…) ただ、この詩は少女らしく瑞々しい発想、表現、聡明さが随所に滲むので、それをマネキンのように幾つも世界に転がっているもの、として読むと、なんだか食い合わせが悪く、その気持ち悪さが気持ち良かったです。 「詩」という個人の感性、感覚を最大限に重視するものと、大量生産化された世界。しかし個人の感性なんて果たして…?など、深読みですが色々想像が膨らみました。 抽象的な表現やゴッホなどが出てくる部分は私には少し難しかったので、また読み直して解釈してみます。 説明的な感想になりましたが、それらに囚われない少女的で嘘っぽくて真実らしい、魅力的な語り口の作品でした。ni_kaさんの次の作品も読んでみたいなと思いました。

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白犬
(2017-04-25)

追記 本文の過激さ、技巧の巧みさにそぐわぬ「はるのつき」というタイトルからは、置かれた過酷な環境のなかで、儚く淡い、少女の命、運命のようなものを感じました。内容の巧さなどに目を奪われ、見逃すところだった…。。

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ni_ka
(2017-04-25)

kaz. さん、ありがとうございます。 仮におっしゃるように「投稿の二重性は偶然性に依拠したオートマティズム的詩法」だとすれば、ひとつの作品が削除されるという割れた月のような現在の状況は面白いですよね。満ちていない月もいいものです。

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ni_ka
(2017-04-25)

花緒さん、ありがとうございます。 わたしとkaz.さんは違う作家ですので一緒くたに批判されてもちょっと困ります。 それはともかくですね。批評性をサイトで謳っていらっしゃいますが、当然作家だけでなく、サイト側やキュレータ側も批評にさらされるものだと思いますよ。キュレーターも作家同様常に試されているのだととわたしは思います。 キュレーションに関してもう少し定義やコンセプト等もうすこし煮詰めるとよいのかなぁと大変余計な御世話ですが思いました。 ((なんだかごめんんさいね))

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ni_ka
(2017-04-25)

りさん、はじめまして。ありがとうございます。 キラキラしたエメラルドみたいなご感想嬉しいです。 わたしの作品の本質のひとつに、他者のノイズを含むというようなところがあります。 ですからこの流れを楽しんでいただけたのはとてもありがたいです。

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グエン・グエン
(2017-04-25)

キュレーションの方法として、作者に確認をとらずに削除したのであれば、キュレーター側の展示責任が問われると思います。 作品に関しての感想はあとで(ここでなければ別所で)書かせて頂きたいと思いますが、 花緒さんの一方的な非難や対応はこの投稿掲示板において発起人の責任ある行動として捉えてよろしいのでしょうか。 新しく投稿しようと思いこの場を訪れたのですが、どうやらここは自分にとって適正な場ではないと、ni_kaさんとのやり取りをみて思いました。 私が過去に投稿した作品も消去して、私のアカウントも消去して頂けると助かります。 ni_kaさんに於かれましては、批評の場でこのような私信めいた物を書いてしまいましたことをお詫びいたします。申し訳ありません。

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ni_ka
(2017-04-25)

グエン・グエンさん はじめまして。ありがとうございます。 グエン・グエンさんのコメントは、現代美術で今問題になっている作品撤去問題と重なり、非常に今クリティカルな問題提起なのではないかなと思います。

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ni_ka
(2017-04-25)

白犬さん、はじめまして、ありがとうございます。 白犬さんの力の入った読解を拝読してとってもわくわくうきうきしています。 授業さぼってまで……(笑) ひとつひとつ解釈が面白くて、こういう白犬さんのような営みがわたしも好きなのでとても共感もしました。 現代詩や現代アートの醍醐味のひとつとして、作品の読解がありますよね。 楽しいです。タイトルも「春の月」とせず「はつのつき」「はるのつき・・」にしてよかったなぁと白犬さんのご感想を拝読してしみじみ。

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渡辺八畳
(2017-04-25)

コンセプチュアルアートって便利な言葉だよなと最近思う。なんでもないものだとしても口さえ上手けりゃアートになってしまう。 ni_ka氏は「はるのつき」の点有りと点無しをコンセプチュアルアートだとは明言していないので決定づけることはできないが、仮にこれがそうだとして、んじゃあ作品として本当に面白いの? という疑問が残る。コンセプチュアルアートに属するものだとしたって、そこに質の上下はあるのだから無条件に高評価されるなんてことは無い。コンセプチュアルアートだったとしても他者はそこに芸術性なんて感じられないほど低質なもので、だから花緒氏はコンセプチュアルアートだと思わずに削除したってこともありえるだろう。 花緒氏に削除されるまえにちらっと見ただけではあるが、点有りと点無しの関係性に軟膏のよう付けられた理論以上のものは私は感じなかった。kaz.氏の読み解きが「オートマティズム的」や「ウォーホルが試みているような」などという曖昧な言葉ばかりで構築されたものでなく、対象を明確に指し示す言葉によってそれが書かれていたらまた違かったかもしれないが、現実はそうでないことが点有り点無しの空虚さをかえって証明している。(対して白犬氏のは私的にはちょっと面白いなとは思う) 禅問答めいたものをありがたがるのはやめましょうよ。本当に本当に心に染み入っているなら別にいいけど、こういったものを評価する人は真に作品を理解してそれをしているのだろうかと疑問に思う。理解者のスタンスをとって賢ぶりたいだけじゃないだろうか。 徒然草の第二百三十六段 に「丹波に出雲といふ所あり」という小話がある。(http://roudokus.com/tsurezure/236.html) 背中合わせな狛犬に勝手に感動している上人は芸術が分かっていて、子供のいたずらだといって元に戻していった神官はもののわからぬ愚者だ、なんてことがあるだろうか。 それとは別の観点で述べれば、花緒氏の削除は仮に芸術的な視点からは愚行だったとしても管理者の視点から見たとすれば正統性のあるものだ。誤投稿と判断したから削除した、そこに何も悪いところは無い。やはりni_ka氏の投稿は常識目で見りゃあ誤投稿にしか見えない。それが意図的なものだとしたら只々管理者の手を煩わせただけになる。芸術だったら人に迷惑かけていいのか。芸術家である以前に我々は社会生物であって、それを無視した行動は決して褒められたものではないだろう。 つまりはそういう観点で述べれば、ni_ka氏の行動は芸術的視点からは○社会的視点からは×。花緒氏の行動は芸術的視点からは×、社会的視点からは○。投稿者は芸術面に終始してても良かろうと、キュレーターは場を治めなくてはいけないのでそうはいかない。花緒氏の行動は一方で間違いで一方で正しいものだとしたら、そんな集中砲火を食らうもんじゃないだろう。 あとそもそも、点有り点無しでの表現はここですべきものだったのだろうか。例え良い作品であっても発表場所を違えば正当な評価をもらえない。そりゃ当然のことだ。荒らしまがいに見られてまでB-REVIEWで発表すべき作品だったのだろうかと再考すべきだろう。 ただ、前述のようni_ka氏はコンセプチュアルアートだと明言はしていないので、はじめは単なる投稿ミスだったの(氏のツイートでも「詩を二重投稿して荒らしのようになってしまう自分ばかだなぁ」とあるし)を後から愉快犯的にコンセプチュアルアートだと匂わせているだけかもしれない。そっちのほうが迷惑だな。 点有りと点無しの関係性でない、テキスト自体へのコメントはとりあえず今はしない。

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渡辺八畳
(2017-04-25)

追伸 漫画家の篠房六郎氏のツイートを引用する 「そもそもウォーホールとかのポップアートは、1960年代当時に今現在進行している大量生産、消費社会においては人々が求める絵画なんて、コピペ程度で充分で用が足りるぜ、って示したのが「新しかった」訳だけども、50年以上たった今となってはそんなの当然になってしまって、何の新鮮味も無い訳で」(http://twilog.org/sino6/month-1107) たとえウォーホル的なむにゃむにゃが点有り点無しにはあったとしても、そもそもウォーホル自体がもう古いよねって。 人類史から見て、ポップアート以降大きな芸術革命が起きてないし、そろそろそれが欲しい頃だ。 みんながやっている前衛はもはや前衛でない。 ではさて、次は誰が未だ何人も思いついていない芸術様式を発明するだろうか。

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グエン・グエン
(2017-04-25)

この作品の感想を書かせて頂きたいと思います。 物語に登場する事柄を立体的に2重構造化して、俯瞰ではなく、並行の視点から透過して見ている気分にさせられる、とても興味深い詩的試みをなさっているな、と感じました。 カニエ・ナハさんが装丁された冊子に、同じ文言を透ける紙をつかって、黒のインクと青のインクでそれぞれ印刷し、重ね合わせて、詩篇のゆらぎを、印刷のズレを以て表現した作品があります。(下手な説明で申し訳ない)それを思い出しました。 この作品単体でもその効果はあるのですが、消された作品(「、」の位置が違うもの)を並べた時にも、面白い効果が現れるんだなぁと気づきました。 詩の投稿掲示板ですから、コメントの付き方によって当然、作品の位置のズレが生じます。その作品間に挟まれる全く別の作品という物理的な距離(時間といった方が適切でしょうか?)に一種の差延効果を生み出し、二重構造というよりn乗構造の効果を齎すことが出来るのではないか、という変な期待を持ちました。 当然、この感想は拙い詩作者でかつ拙い詩読者の私個人の身勝手な読み方ですが、詩投稿掲示板だからこそ出来る面白い試みと感じました。 発起人の方が管理者として、その行為を過ち、あるいは迷惑行為だと断ずるのは、作者の投稿意図を確認してからでも遅くなかったと思います。 実際、消された方の作品にコメントを書かれた方がいらっしゃるのに、消すという行為を独断で行ったのならば、詩作者だけでなく、批評者への配慮を怠った行動だと考えます。 詩、あるいはアートは受け手が何を感じたか、が問題視されるべきです。 その自由を脅かすような発言 >単なるミスとしか感受できないでしょう は、管理者というより一読者の感想であり、 >馬鹿にするような行為は慎んでいただきたい、という印象です。 というのが、管理者、あるいは発起人の総意であるのであれば、とても悲しいことです。 文学極道のように「程度の低いものは消す」ことを明示していない場で、このようなことが発生するのは自由な創作やキュレーションに対して、どういう視点で接するか、という観点が足りないのではないかと危惧します。 わたしはこの作品を楽しみました。ふたつ投稿されている段階で読んで、その演出効果に驚きました。 掲示板でそういった試みを行うことは、たしかに危険ではありますが、 今回の一番の問題点はその線引を「独断」で行い、「独断」で「勝手に削除」したことに対し「謝罪なく」一方的に管理者であり発起人である花緒さんが、「作者」を責めたことにあると考えます。 とても残念だと感じました。

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ni_ka
(2017-04-25)

祝儀敷さん、はじめまして、ありがとうございます。 ひとつ整理すべきなのは、すべて祝儀敷さんのご意見として語るべきで、花緒さんの代弁はしないほうがよいという点です。 花緒さんへのレスポンスでも書いたのだけれども、全員違う書き手で独立しています。党派性のようなものはない(と信じている)し誤解が広がるだけだと思うからです。 もう一点、個人的には作品に辛辣な意見はありがたいのですが、感想をしてくださった方をdisるのはちょっとなしかなぁと思いました。 ポップアート以降の表現は当たり前に表現者たちに模索されていて、わたしも表現したり、 AR詩含むネット詩論なども慶応大学や日本ペンクラブや新宿眼科画廊で講演したことあるので、ぜひ今度機会があればアクセスしてみてくださると嬉しいです。 それはそうと、こういう表現は嫌いな人と好きな人にわかれますよね、とってもよくわかります。たくさん書いてくださってどうもありがとうございます。

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まりも
(2017-04-25)

ちょっとだけ変えて投稿して、運営側がどう対応するか見てみよう、違いを見定められるか、確かめてやろう、という意図であったのか、僅かな差異を持つ作品を二点並べて、その微妙なずれ具合というのか、ハウリング効果のようなものを楽しんでもらおう、という意図であったのか、どちらであったのか、よくわからないのですが・・・レスのやり取りを見ている限りでは、祝儀敷さんの「ni_ka氏はコンセプチュアルアートだと明言はしていないので、はじめは単なる投稿ミスだったの(氏のツイートでも「詩を二重投稿して荒らしのようになってしまう自分ばかだなぁ」とあるし)を後から愉快犯的にコンセプチュアルアートだと匂わせているだけかもしれない。」と述べておられる意見に、私も同感です。 1月に2作品まで、これは「ルール」で決まっていることですね。投稿間隔を一週間以上開けるのが望ましい、というのは、1つの作品を皆でじっくり鑑賞したり批評し合ったりする時間を取る為に推奨していることで・・・つまりは、作者の自主性に任されている部分です。他の人達が感覚を開けて投稿している中で、明言せずに連続投稿すれば、ミス投稿だと判断される可能性が高まります。 連続投稿することによって、ミス投稿だとして、片方が消される。その偶然性までをも想定していたのであれば、消されたことを非難することは出来ないでしょう、偶発的に消されるという「出来事」そのものが、「作品」に含まれるわけですから。 ミス投稿だと判断される可能性を想定していなかった、としたら、それは、差異を見つけ出すことができるか、挑戦してやろう、という意識の現れだ、と判断されてもやむを得ないのではないか、と思います。 どうしても、ここで2者を見比べてほしい、という意図があるなら、1作品の中で、まったく同じような(でも、少しだけ異なる)作品を2つ並べる形で投稿する方がよいでしょうね。連続投稿した時点では2作は並んでいますが、レスの付き方によって、自然にばらけて表示されることになる。そうすると、単に二作品を連続投稿した、というに過ぎなくなってしまいますから。 通常はカタカナで表記される言葉を平仮名で表記することによって、湿潤さやまとわりつくような質感が現れる・・・そのことに気付かされる作品でしたが、冒頭の、やわらかいハイテンション、とでも言うような部分が過剰過ぎるように思いました。 「いつかうさぎが、この殻だを脱皮して、本物のうさぎになった時、」少し引き締まった印象で現れるこの行から後、母と娘の葛藤が描かれるであろう部分に、焦点を当てていくべきところを迂回しているように感じます。 「生きせる国の神」死せる、と対応させたかったのかもしれませんが、ここは文法的には「生けるうさぎの国」「生ける者の国」ではないのかな・・・。 オンナであり続けようとし、母となってくれることのなかったことへの寂しさや憤りを「架空の母に、」訴えようとしている作品、と読みたいのですが、あまりにも砂糖菓子のような装飾的な言葉が過剰なので、焦点がぼやけてしまうように感じました。アニメ作品のモチーフは、濃度の差こそあれ、それ自体が様々なニュアンスやストーリー性を孕んでいます。意味や物語性の強い言葉をたくさん使い過ぎると、盛り込み過ぎ、という印象を作品に与える事にもなると思いました。

0
まりも
(2017-04-25)

感覚を開けて⇒間隔をあけて 考え考え書いていたら、ミスを見落としました。すみません。

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もとこ
(2017-04-25)

ni_kaさんとグエン・グエンさんへ 現時点では掲示板利用者が投稿する前に気付く場所へ明記されていませんが、投稿に関するルールは、 <<発起人からの告知/連絡>> という書き込みやTwitterなどで何度かアナウンスされています。ほぼ同時期に2作品を投稿したり、作品の削除を要求すること自体が推奨されていません。投稿者は常に掲示板に張りついている訳ではないので分からないと思いますが、ni_kaさんの投稿と同様のパターンでの二重投稿や、作者からの修正や削除の要求はこれまで何度も繰り返されてきて、そのたびに管理者が対応してきました。 B-REVIEWに限らず、こういう商業目的でないサイトはお金も手間もかかります。誰かがお金を出し、時間と労力を提供することで成り立っています。私たち利用者は、管理サイドの方たちの作った場で作品を発表させてもらっている立場です。ですから、彼らのルールに従うのは最も基本的なマナーだと考えます。私自身、せっかく書き込んだコメントが削除される結果となりましたが、Netnews時代から様々なアクシデントやトラブルを経験しているので、自分が書き込んだものはすべてローカルに保存しているので問題はないです。このことでサイト管理者を責めるつもりはありませんし、そんな権利はないと考えています。 もちろん創作活動は自由であるべきですが、それは法律や特定の場のルールを無視しても良いという意味ではありません。今回の措置にどうしても納得がいかないのであれば、ご自分で何でもありの投稿サイトを立ち上げた方が良いです。そもそもB-REVIEW自体が他のサイトのポリシーに納得できず、自分たちの理想とする場を作るという目的で立ち上げられたものです。そして今回の投稿は、B-REVIEWのルールではアウトだったということです。

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るるりら
(2017-04-26)

詩作品については、私は ちょっと苦手なことをモチーフとしておられるのでノーコメントとさせていただきます。 類似二作品投稿についてですが、いち読者としてシステムエラーか 誤って二度投稿してしまわれていると思っていましたので、管理の方によって 作品の どちらかが削除されるのを待ってレスがいれられるべきと感じました。 なぜなら、二作品があるということは コメント欄も二つあるのですから 複数の参加者が きぶんでどちらかを選択し レスをつけると、あとで 合評が閲覧しにくくなると思ったからです。 その後 花緒さんによって、一方が削除が行われたので 円滑になったと感じました。 花緒さんが ni_kaさんに 別の作品の場合は再投稿をとおっしゃていましたが、 ni_kaさんは再投稿をなさらないとのことでしたので、私は一読者として  ni_kaさんは良い判断をされたなあと思っていました。 類似する作品だが別作品であったようですが、コメント欄は 一つのほうが円滑だったに違いないと感じます。あたらしいチャレンジは好ましいことですが、レスをする人のことの考慮という意味でも、花緒さんの判断によって、円滑な議論がなされたと感じています。花緒さんにおつかれさまでしたを、言わせていただきます。

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kaz.
(2017-04-26)

私見ですが、「私はコンセプチュアルアートをやっています」という主張自体、野暮なことではないでしょうか。それは、「私は前衛をやっています」という主張をすることと同じです。それが、ni_kaさんが自分のやっていることをコンセプチュアルアートとして主張しない理由であって、また同時に削除を甘んじて受け入れた理由なのだと思います。これほど多くの人が、ルール違反だの何だの言って、作品を注視することから離れてしまったのは、この掲示板のキュレーションのコンセプトが十分に練られていないためではないでしょうか。そもそも、点があるかないかしか差異がなくとも、それによって差異が存在するのであれば、内容的に差異がなくても、それは別個の作品として捉えるべきと、私がキュレーターなら考えます。誰が悪いとかそう言うことは、ここで言い争うべきではないでしょう。そしてまた、そのことこそが、優れた書き手であったグエン・グエンさんが去ってしまう理由なのだと思います。

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百均
(2017-04-26)

そうだなぁ、この議論については、僕は正直不毛だと思ってるし、ぶっちゃけ下らないと思ってるので、取り敢えずストップかけます。返答も無し。これは僕の権限です。(一応責任者です)対応が遅れた事については申し訳ありません。これでも就活生でして、明日締切のエントリーシートに追われている身です。ってか皆仕事とかしながらやってるので、そういうのも加味して、もっと皆さん同士で優しくなっていただきたいと思います。この議論で誰も幸せになってないと思うので、まぁそうだなぁ、僕からすれば「不毛」という結論でこの場は締めさせていただきたい。個人的にはお互いの気持ちの部分、文字の上だとすれ違う事も多いと思うんですが、ちょっとだけ大事に思ってください。(そういう書き込みも多々あると思っていますので、いつも思うんですがこういうすれ違いはかなしいです。ほんとに。基本皆さんの事、僕は信じてますからね) 作品の読解についてとかは書き込んでくださってOKですが、それ以外はちょっと控えて下さい。 理由については、後ほど雑談板の方に書きますので、そこで以降は議論して頂ければ幸いです。

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百均
(2017-04-26)

作品の読解とかになると、まぁ、あれか、なんか面倒になるのかな…まぁ正確には「当該スレッド上に投稿された1作品から読み取れる物」という表現にしておきます。ここまで書いても何いってんのか分からんっていう人は僕に連絡ください。以上

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グエン・グエン
(2017-04-26)

花緒さんに申し上げます。 発起人として、主催の一人として、キュレーターの一人として、作者の意向とその芸術性にその労を裂けないのであれば、発起人その他役職を降りるべきだと思います。 堂々と労を主張するのは怠惰だと思います。 ここに作品を提供するあらゆる作者への冒涜だと思いますし、かつ、著作権の侵害だと思います。 著作権は重視されるべきです。 個人の労を以て、その遵守の破棄を明言するならば、はっきり言ってその職務の全てを放棄すべきだと考えます。 今回の貴兄(お好きな人称ですよね?)の行動および判断は、とても社会人としても受け付けられるものではありません。どうして「削除して申し訳ありませんでした」の一言すら言えないのですか? その後で、理由を言えば済むことでしたのに。 謝罪のない不誠実さがこの掲示板の発起人の総意であるならば、まるで安倍政権のようですね。 ただ一言、申しあげて、この場を去ります。 貴兄なき、BーREVIWのさらなる発展と成長を、とみに願います。 追伸 私がキュレーターなら思潮社なり、土曜日術出版販売なり、青土社なりにここの特集を依頼します。 詩は読まれている人口自体が少ないのです。 少ない人口をターゲットに収めつつ、あらたなターゲットを誘致する。 営業の基本です。 御大層で初期から達成できない空虚な理想(あるいは妄言)を語るよりも、それを達成すべき行動こそが人をひきつけ、ムーブメントを生み出すと信じています。 老婆心ながら。

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百均
(2017-04-26)

俺たちだって裏で色々動いてんだよね。投稿者のためにさ。 次レス書いた奴はイエロー出します。いや、あれだな、レッド出します。続きはフォーラムから飛んで雑談板でやってください。 以上。

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百均
(2017-05-08)

 セーラームーンが多分援助交際みたいな事を始める所から、月野うさぎとしての私、セーラームーンとしての私みたいな所に援助交際っていうか売春かな、のイメージを絡めていく事でキャラクターの二面性っていうのを読者に意識させる作りで、そこら辺がある種暴力的であると思います。セーラームーン好きな人にとってはちょっとムッとすると思います。(これはよくも悪くもっていう感じですかね。ブラックジョークたり得ている感じはするし、多分皆案外使ってる感じもします。皆がよく知ってるイメージや、最後の「戦死」に掛けて行くには必要なパーツである事は間違いないと思います。)  個人的に読めなかったのはママとパパが出てくるシーンから、という感じでしょうか。そこから向こう先のコッペパンや、ペルシャ絨毯など、少しだけ語のイメージに託したかのような展開が後半から始まっていく、所からこの作品自体にも二面ある、という感じがするのですが、、、なんとなく読めず。なんか僕自身が本作を読むために必要な素養が欠けているのかもしれません。という感じが強くします。誰かと一緒に読んでみたい作品ですね。  

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朝顔
(2017-05-08)

読ませる作品だなぁと思いました。一見。ちょっとまだ読み切れていない面があるので、なんとも言えないのですが、 要するに、いつまでも昔のアニメーションの夢に浸っているママの代わりに、わたし自身はどんどん死んでいくというお話しですよね。 筆者の方は世代的におそらくかなり若いのでしょうね。 ちなみに、これ以上コメントしますとまた荒れるかとも思いましたが、 思潮社とかドヨビ云々と言っている方は、何か勘違いしてらっしゃる気がします。そういう提言は、そもそもフォーラムまたは仮掲示板にすればよいことでもある訳ですが、 わたし自身は、既成の権威に倚りかかりながら、ここビーレビューで作品を読めと言われても戸惑うだけなので。キツくてすみませんでした。

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