海はひとりに限る - B-REVIEW
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海はひとりに限る    

さうら さうら 凪はさうらと膨らみ 水母の花も打ち寄せる ペルハムブルーな唇 海はひとりに限る 熟れた陽光 巻き貝に潜まる とんかとんとん、とかとんと 身体に染みつく船大工 スペクトラム 光芒沿いに舟を見た あげ場のレールを枕とし ひねもすぬらり、ぬらり哉 どうりでわたしは 欄干に似ている なけなしのきぼうならきのう 賽銭箱にくれてやった シルト スコリア この隆線を果てまで辿り、人は 宵の明星へと渡るのだと聞く 先ゆく友よ。 生まれ変わりなど信じちゃいないが ぱ しゃんと生えるさうら 五千百と一瞬の さうら


海はひとりに限る ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 11
P V 数 : 2887.8
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 26

作成日時 2018-06-06
コメント日時 2018-07-19
項目全期間(2025/04/06現在)投稿後10日間
叙情性53
前衛性00
可読性77
エンタメ11
技巧65
音韻65
構成11
総合ポイント2622
 平均値  中央値 
叙情性2.52.5
前衛性00
可読性3.53.5
 エンタメ0.50.5
技巧33
音韻33
構成0.50.5
総合1313
閲覧指数:2887.8
2025/04/06 14時19分49秒現在
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    作品に書かれた推薦文

海はひとりに限る コメントセクション

コメント数(11)
かるべまさひろ
(2018-06-11)

なにか、砂浜というより、(城ヶ島のような)少し地形に特徴のある海岸のようなイメージがわきました。 と思ったら、与謝蕪村は京都や兵庫の方で「春の海…」の句を読んだのですね。 「五千百」が印象的な数字ですが、 「さうら」の語感が澄み渡っていて、「海」感が眼前に迫ってきました。

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社町 迅
(2018-06-11)

詩を読んでいたら海辺を散歩しているような気分になりました。

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次郎
(2018-06-12)

情緒の在り方を具体的なアイテムに乗せるというのは、独りよがりになりがちで案外難しいというのが個人的に悩ましくしている部分のですが、こちらの作品はそうした嚥下のしずらさを読み手に感じさせず、煌めきを落とさない物使いをされており、おおっと目を見張りました。ほんの僅かに惜しいのは、最後に生き返りという「亡くなったこと」を易しく教えてくれてしまっている所でしょうか。恐らくそうなのであろう、という匂いを愉しみたい詩ですので、平易な言葉は入らずとも十分素晴らしい作品である…と思います。

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斉藤木馬
(2018-06-14)

かるべまさひろさま コメントありがとうございました。 おっしゃる通り、とある海岸段丘にある港の外れ、というイメージにレイヤーを重ねています。 蕪村のオマージュもそのひとつと読んでいただければ幸いです。 思い描いていた「海」の姿を読み解いてもらえたような気がしました。 ありがとうございます。

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斉藤木馬
(2018-06-14)

社町 迅さま コメントありがとうございます。 私は海岸を歩くことが多いですね。 波音に身を任せていると、いろいろなことが思い浮かんできます。

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斉藤木馬
(2018-06-14)

仲程さま 返詩をいただいたのは、これが初めての経験です。 >(ように見えた) >(ように聞こえた) この()のなかにレジリエンスを見い出しました。 拙作語り手の、今を生きながらもどこか取り残されたままの心を解放してもらえた気がします。 仮のタイトルは『五千百と一回目のゆうべ』というものでした。 ほんとうに感謝します。

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斉藤木馬
(2018-06-14)

次郎さま もったいないお言葉をありがとうございます。 該当の箇所ですが、最後に死生観を語らせることで「さうら」という言葉を生かしたいという意図がありました。 徐々に心情の揺らぎを見せ、その振れ幅が大きくなったところで「ぱ しゃん」と真っ直ぐに落とす。 毛筆で平仮名の「わ」を書くようなイメージでしょうか。 ですのでご指摘を受けて見直すならば「友」ですね。 これは作品よりも我を通したと反省すべき点かもしれません。

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まりも
(2018-07-03)

さうら、さうら・・・のリフレインが、そーら、そーら、という呼び声にも聞こえてきますし、さ浦、あるいは さ裏、にも見えて来る(接頭辞のさ、ですね) 「シルト」「スコリア」これは地学や地質学の術語なのかもしれませんが、響きの美しい言葉ですね。宮沢賢治の「蛋白石」のような独特の質感とアクセントを与えているように思いました。 「なけなしのきぼう」もくれてやった、という捨て鉢な感じもありつつ、それを賽銭箱に入れる、という部分に、かすかに、それでも祈る、祈りたい、祈らせてくれ、というような思いが込められているようにも思いました。 海岸、亡き友を偲ぶ、一人で歩く。すべてはいつか砂に、土になる、巻貝(中身は朽ちて、砂のような泥のような灰色のものが流れ出す)のイメージが醸し出す、堂々巡りの行き止まりの感じ、とかとんとん、の音が醸し出す、復興の槌音・・・と結びつけてしまうのは良くないですね。(震災からは7年経過しているけれど、5100日は経っていないし・・・) 調べというのか、言葉の調子が美しく流れ過ぎてしまうような、そこに少し不安を感じてしまうところもあるのですが、良い作品だと思いました。

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斉藤木馬
(2018-07-08)

まりもさま いつも丁寧に読み解いていただきありがとうございます。 拙作は三浦半島南部の海岸段丘地帯が舞台です。幾重にも重なり模様となるシルト岩、スコリア質の凝灰岩のように「さうら」という言葉にも多元的な意味合いを感じ取ってもらえたらと思いました。 >言葉の調子が美しく流れ過ぎてしまうような これは作中のアクセントと言いますか、今回に限らずメリハリの利いた躍動感が足りないと感じている部分でもあります。精進します。

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藤 一紀
(2018-07-17)

おはようございます。「さうら」という音のひびき、とても良いです。まりもさんも書かれていましたが、私も「そおら、そおら」とも聞こえるなと思いました。いずれにしても、響きとしても良いのですが、なんらかの映像を想起させる語のように感じました。いつも感じることなのですが、言葉のもつ音の魅力を引きだしているなあ、と。《ペルハムブルーな唇/海はひとりに限る》とか、あ、いや、あげればきりがないのでアレなので、やめておきます。とにかく響きだけでなく歯切れだとか、語と語の間に発生する呼吸とかも絶妙で、だからこそそれを装置として映像を膨らませたりするのかな、と思いました。《ぱ/しゃんと》の箇所、フリーフォールのような感じで(というのは、ガクンとなった瞬間「ぱ」みたいに口をあけてしまうので)、しかし、海面に跳ね上がった魚の翻りのようでもありました。そして、極々個人的なところでいえば、この一瞬に途方もない長さの時間の広がりを垣間見ることもあり、時としては自分がそのどこかにあったのではないかと錯覚することもある点で、時間感覚の伸縮(それに即して空間の広がりと戻り)を感じました。なんとも言いづらい切ない爽快感を覚えました。

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斉藤木馬
(2018-07-19)

藤一紀さま コメントありがとうございました。 「言葉のもつ音」ということに関して言えば、私は音読されることを前提に書いていますので嬉しいお言葉でした。 恥ずかしながら長いこと詞曲を書いておりましたので、その影響も大きいのだろうと思います。

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