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線
私はひとつの点なのだから 大した意味など持たない けれど 終極点には なりたく ない 後ろに背負う 無数の点の ひとつとなって きえてゆきたい 私は生きているのだから 新しい 点を 刻まなければ 与えられた すべての ものは 繋ぐためのもの それだけのもの 私は 子供を 産むのだから 女として 生きてゆくんだ 卵子 が 人 に なったなら 私を縊り殺して欲しい やっと途中になれたのだから 後ろに続く 無数の点は 真っ黒焦げの しゃれこうべ 私が殺した母のどくろは おつかれさま、とかたかた鳴った いきるもののうしろには 点しかあってはいけないの いとしい子供にそっと告げ 鈍色の鉈を手渡した 眠いなあ
線 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1629.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-04-23
コメント日時 2018-04-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
あきらさん、久しぶりの投稿ありがとうございます。作風が激変したんじゃないかと、念のため過去の投稿作品を読み返してみたんです。難しく複雑な感が増したんじゃなかろうか、良く言えば深化してるのかなあと思いました。例えば過去作の『情けない人』では、「あゝ、雨は嫌いだ」と、語り手の心情表現が明らかにストレスであり、それが負の感情表現であっても直球ストレートの大胆さがあって読む方としては心地よく、あきらさんの作品の魅力の大きな部分を占めていたように思う。一方新作では、語り手の心情が難解に表現されている。私を「点」と表現し込められているメタファーはとても重たい。重たく懐に入ってくるシュートボールみたいに。 結語のつぶやきが、イージーなようでいて、過去作から読んできた私のような読者にとっては、安堵感を与えてくれていて、あっ深い泥沼にハマっていくのは避けようとされているんだって思った。
0すみません、間違えました。 ストレス→ストレート
0大学のサークルで現代詩やってるんですけど、現代詩というものにすがるというか、お高く止まってらっしゃる方々いらっしゃいましたので、まあ書かずにはいられまいと現代詩らしく自分なりに書いてみた次第になります。 わたしらしくないなとはおもうんですよね
0点が集まって線が出来ると言う観点からいうと、この詩での点や線は何だろうと思いました。私は一つの点、やっと途中になれたなどの表現から個人と社会などの図式的な視点、子を産むことによって個が人類と言う類に溶け込んで行く、プロセス、途中の気怠い感じ、詩的昇華が見られると思いました。でも母の髑髏とか縊り殺してほしいなどのホラー色的な表現は別の思考を要求するなあとも思いました。
0おはようございます。 「眠いなー」で終えておられる詩文に「おはようさんです」ってよ。 毒にも薬にもならない言葉という言い方がありますが、たいていの毒は、患者の状態や調合によって薬になることが多いです。私にとっては、詩文にある「どくろのかたかた」は、良い薬でした。 実は わたしには、るるりらというハンドルネームの他に 「点子」という名前があります。点って自由です。どこへでも行ける。だから 私は点子と名乗ることがあります。 私は 私の詩では自分の親を殺したことはありません。でも実生活の心根の奥深くでは 殺すほどの激しい感情で母親と向き合っていたことが多々あります。社会からみたら、「自立」と映っていたはずです。けど、実際には醜い感情が私にはありました。 でも 私をつくってくれた人ですから どうあがいても私の中に生きているんです。不死なんです。だからこそ、心の中で なんども殺せたのだと 今は思ってます。 わたし(るるりら)は、人の子の親でもあるんですよ。でも わたしって点子だし。我が子にも 点の素敵さを、こころの中で これからはもっと告げていこうと思いました。 点であることは、自由を示す鈍色の鉈だと思います。 きっと その舵で 母と子は自由になれます。 そして もしも我が子が私をたまに思い出してくれたら、私って真っ黒い人ですが、それでも一粒の点でしかない骸骨ぽい人として、ちょっとは愛らしい感じで カタカタとカスタネットみたいに笑ってみようと思います。 目の醒めました。良作を拝見できました。ありがとうございます。
0すごく戦略的な詩の運びだなぁと考えさせられました。 人が命に意味を見出そうとすること自体を提示されているような感覚です。 強い言葉もただ強いだけで使われていないのは勉強になります。おもしろかったです。
01、2連目は、若干、観念的かなぁ(それこそ、大学サークルの現代詩同好会などでは、優等生的、と言われるかな、的な)感覚があったのですが、三連目から、非常に面白い。 池井昌樹さんのリズムに(現代詩作家のなかでは)近いものがあると思いますが、連の最後での鮮やかな覆しかた、これがなんとも爽快ですね。 単に意味で引っくり返しているのではなく、グサッと刺さる鋭さを持って反転してくる。 最後の一行があるかないかで、また、かなり変わってくるようにも思いますが、この一行が置かれて・・・既に死者となった地点からの語りでもある(その事を想像してみた次元からの語りも含めて)ような気がしました。
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