09.07.1890 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

ことば

ことばという幻想

純粋な疑問が織りなす美しさ。答えを探す途中に見た景色。

花骸

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。



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09.07.1890    

私の乗った列車は 街並みから解かれ 暢気に口笛を吹きながら 夏の麦畑に踏み入った。 陽炎はすべてを取り巻いていた。 麦の穂一本一本を 遠くにちらつく麦藁帽子を 車輪とレールの間隙を 神経質に震える乗客の指先まで その気怠い油のような空気に浸していた。 コンバイン*がのそのそと動いている。 向こうの丘にある民家の漆喰が光っている。 木立の下で農夫が休憩をとっている。 畦道で子どもたちがはしゃいでいる。 個々の事象は陽炎の油のなかで まるで壺の具材のように 浮いては、押しだされて、泡に呑まれる。 私は嘔吐した。 「苦痛である。旅はいつも苦痛である」 どこかの乗客がもだえている。 それはだが、私の声のようでもある。 「なぜ街から出たのだろう。なぜそんな愚かなまねをする」 しかし、つづいて感激の声がする。 「なんだ、この光景は、 なんだ、この心強さは」 錆びた線路が先で大きく湾曲している。 空間とも呼びがたい 半ば溶けた金箔のような目前のミラージュを レールは洒洒落落と引き裂いた。 「なんて勇ましい毀損であろうか」 釈放された罪人のような昂りで 私は窓を上げ 胸いっぱいに空気を吸った。 熱い喉につかえるその油を 私は幾度も呑み込んだ。 窓から吹き込む風に 隣に坐っている老婆はおじけている。 それでも私は外に身を乗り出し 各瞬間のこの畦道の幾何学的な遠近に そこを歩く人々や 麦穂に隠れている虫たちに あるいはどこかに埋められた馬の死体に それと空に浮く巨大な琥珀に 私は叫んだ。 「すばらしい日だ。 万物はそのすばらしい時間を送っている。 ああ、ここにおいて私の存在がどれだけ異質か。 このすばらしい景色にねじれた詩作は無意味であろう。 私は消されるべきである。 この完璧な景色に詩人はいらないのだ」 麦畑にいた人々は 子どもも、若人も、老いた農夫も 皆一瞬こちらを振り向いた。 その顔の暖かい笑みは 麦畑とおなじように 陽に照り、輝いていた。 しかし私の胴が窓から抜け 線路に向かって落下しはじめたころには 人も、のそのそ動くコンバインも、姿を消していた。 琥珀は一気に冷えて、真珠の月になった。 地につくと 車輪が私の首を切断した。 転がった私の頭が見たのは 麦畑の奥地へゆく泥道が 三つの方向に分かれている岐路であった。 その上の薄暗い空を 残影のように 鴉たちが飛び交っていた。 (*訳注:1890年代のヨーロッパにおいてコンバインは普及していなかったため、後の改竄と思われる)


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09.07.1890 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 1
P V 数 : 276.9
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2025-04-08
コメント日時 2025-04-08
#現代詩
項目全期間(2025/04/24現在)投稿後10日間
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閲覧指数:276.9
2025/04/24 07時29分18秒現在
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    作品に書かれた推薦文

09.07.1890 コメントセクション

コメント数(1)
レモン
レモン
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(2025-04-08)

最初はアメリカの光景のように思えました。 晴れた日ののどかな光景だと。 >私は嘔吐した。 この1文より後は、心象風景に思えます。 真理を得て感激する様子が伝わってきます。 ただ、それは長く続かない。 名残惜しそうな様子が伝わって参ります。 詩作の過程でしょうか? 「これを書きたい!」と思っても、 それは形を変えてしまいます。 いえ、単純に、 昼が夜になった印象です。 孤独。 世界と1体になってたのに、 切り離されて、寒々とした感じ。 タイトルに「1890年」とあるので、 古き良き時代のオマージュなのだと思いました。 ありがとうございます。

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