作品投稿掲示板 - B-REVIEW

さか たけお


投稿作品数: 17
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さか たけおの記録 ON_B-REVIEW・・・・

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夕暮れ

2024-10-14

追走

2024-09-02

不眠症

2024-08-10

2024-07-30

夜行

2024-06-19

その本は、

2024-05-25

盛夏の死

2024-05-14

2024-03-06

2024-03-03

2024-02-09

2024-02-01

2023-12-09

或る人

2023-12-02

多くは語らず、描写とメタファーを凝った文章。バベルの塔とのパラレルは一見、現実の描写を損なうはずであるが、そこがふしぎと床しく纏めあげられている。漢語が織り込まれ、水墨画に近い情緒を創っている。 (バベル)

2024-10-20

レトリックで濁さず、はっきりと言ってるところが、力強く、瑞々しい。具体性に欠けるのを私はあまり好まない質ですが、この作品はすらすらと読めました。 (父さん)

2024-09-21

私が思う悪い点を率直に言います。あまり、気づつかないでください。ごめんなさい。 まず、文体に統一感がない気がします。ひとたび、汲めども、壮麗、この身、これらは古めかしい書き言葉で、ぎゅっと、ちょっぴりオシャレ、これは話し言葉です。意図的に、そう書かれているかもしれませんが、そこにどういう効果があるのか、私は理解できませんでした。 続けて駄目だしをしますが、風景描写と、心理描写の配分があってないと思います。最初の夏蔭という設定が、締めと雰囲気に使われているだけで、あまり活きていないです。 さらに、この詩が誰に向けられて書かれているかも私にはわかりません。一見、好きな「あなた」にですが、そしたら、冒頭の一文に、「僕は」とかを付け足さないと、それを伝えているという意思がわかりません。誰にも伝えるつもりのない(読者のためだけに)言葉を頭の中だけで想像しているのなら、頭の外の描写に急に繋げると、読者は混乱してしまいます。 最後に、全体として感覚を刺激するような表現がないせいか、あまりに詰め込みすぎたせいか、私は文字を追うことだけに気を取られてしまいます。比喩を避けて即物的に描いて、余韻をつくり、その中に感情表現や比喩を嵌め込むような書き方を私ならします。 これはあくまでも私の意見で、私は割とオーソドックス、平凡な書き方をするので、私の慣れた枠からはずれている作品をみると、こうして講釈を垂れてしまいます。私は、いろいろ試してみて、結局は自分が読みたいものを書くのが一番だと思います。 長々と失礼いたしました。 (夏蔭 夢の序章)

2024-08-21

朗読で味わいたい、静謐な作品だと思いました。 まるで、自分も同じ経験をしたことがあるような。 そうだな、ちょっと違うかもしれないけど、子供の頃、大人になったら自分がどんな顔つきになるのか気になったな。けど大人になれば、もうとっくに忘れてる。 そんな思い出を掘り返しました。 (喫茶店)

2024-08-10

こういう率直な詩がときには読みたい。集団という刺々しい言葉のかわりに、これからは水槽と呼べば、気も楽になる。 (水槽)

2024-08-10

一行一行映像が浮かんできて、良いと思いました。言葉に無駄がなく、想像できる範囲の文章量だからこそ、現実では描けないような絵画が、読者の頭のなかで完成する。詩の特性をよく表している作品だと感じました。 (燃)

2024-08-10

訂正* 夜なのか、わらなかった→ 夜なのか、わからなかった (不眠症)

2024-08-10

面白かったです。表現が丁寧で、読ませる力がありました。 寡黙な男ってかっこいいですよね。何を考えているかは分からないのに、信念があるように思える。だからこそ、時々口にする言葉が、深く念頭に刻まれる。 (世間)

2024-08-01

コメントありがとうございます。 ご指摘の箇所については、どう書くか悩みました。解釈としては、次の二つが考えられると私は思っていて 「其れ」は最初と同じ、浦をさすのであれば、戻ってきたら、そこはまったく違った浦で、見覚えのない死骸がある。という意味で 「其れ」が直前に書かれている死骸の顔をさすのであれば、死骸がいつも新しいものにかわっている。という意味で、この場合は浦の風景そのものはかわっていなくてもよい。 最初書いたときは、後者の方を想定して、単に「顔」と書いていたんですが、前者は後者を兼ねていると思い、「其れ」にしました。どちらにしろ、音(息吹)は不変であるのに対して、何らかの視覚的要素(死骸)は毎度かわっているという意味です。 分かりにくくて、すみません。 この作品は、萩原朔太郎の「沼沢地方」という詩に触発されて、書いたものです。青空文庫のものを載せておきます。   沼澤地方    ula と呼べる女に 蛙どものむらがつてゐる さびしい沼澤地方をめぐりあるいた。 日は空に寒く どこでもぬかるみがじめじめした道につづいた。 わたしは獸のやうに靴をひきずり あるいは悲しげなる部落をたづねて だらしもなく 懶惰のおそろしい夢におぼれた。 ああ 浦! もうぼくたちの別れをつげよう あひびきの日の木小屋のほとりで おまへは恐れにちぢまり 猫の子のやうにふるへてゐた。 あの灰色の空の下で いつでも時計のやうに鳴つてゐる 浦! ふしぎなさびしい心臟よ。 ula ! ふたたび去りてまた逢ふ時もないのに。 あとは、以前翻訳として投稿したブロークの詩の影響もあるでしょう。 夜 街路 街灯 薬屋 無意味で仄かな光。 あと世紀の四半期暮らそうが── 全てこのまま。活路はない。 死ぬ──また振り出しに戻り 万事が昔のように反復される。 夜 水路にはまだ凍らぬ波紋 薬屋 街路 街灯。 (浦)

2024-07-30

1字一句同じネット記事はない。ただ、インプットとして、日本なんちゃら詩人会がなんちゃらと言っていることと、今までの記事の定番構成があれば、AIでも導き出せるようなことしか書かれていないということ。気づいていないかもしれませんが、なんちゃら会がなんちゃらと言っていることは、あくまで結果であって、それを批判したところで根本的な解決にはならない。木を見て、森を見ずということ。 AIのできることをやるのが、必ず悪いわけではない。しかし、影響力も、説得する術もなければ、ネットの片隅でコソコソしていても、どうにもならないのではないか、と私は言いたかった。本当に現状の日本に対する問題意識があるのであれば、自分が正しいというエゴを出したいだけでなければ、今からでも博士号とかとるか、YouTuberになるかして、とにかく名が売れるようにして、発信すればよい。そこまでやるのは難しいだろうけど。努力して第2の鈴木宗男になってください。今のままでコソコソやってるだけじゃ、読者は何も思うこと変わりません。自分の欲求を発散したいだけなら、今のままでもいいと思います。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

いつも驚きます。ちょうど、意図されたように、有名どころの方を引き合いに出してらっしゃる。彼らの言葉をそのまま喋ってるのに、歴史の知識がなんとか、と言っていることに違和感を私はおぼえる。 私の読解力の問題かもしれないが、この話題に関してのtakoyoさんの言葉には、新奇性も何も無いように思える。時々、良さげな事例を引っ張り出して、ほらそうだろ、と言ってるだけで、歴史を概観できているようには思えない。自分の好きな箇所だけを突き詰めているように、投稿を読むと、思う。ただ、これは私が見誤っているかもしれない。それほど歴史の知識があると仰るのであれば、プーチンのように論文でも書けばよい。このサイトに載せている場合じゃない。今のままでは、数多いネット記事の範疇を超えていない。 それでも知識があれば、事実を導き出せるかは、また別の問題。ノーベル医学賞をとった方で、晩年には疑似科学に傾倒していたという事例もある。思想に関しては、事実より曖昧だから、さらに厄介。 (ウクライナの真実)

2024-06-29

盛大すぎず、ちっぽけすぎない、ほどよい規模の逃避が表現されているのが、ささいな共感をよぶ。反復があったりして一見荒い文章ですが、流れの中では押し付けがましい感じがない。言葉選びが、水そのもの。 (夏至)

2024-06-21

ありがとうございます。 まだまだ深層までは、到達できていないと自分では思っています。そこはこれから、たくさん考え、書き、彫琢していく所存です。 (夜行)

2024-06-20

ありがとうございます。 私が詩を書いている理由は、詳しくは言いませんが、どこか邪念な気がします。だから、詩に対する疑念、私の気持ちが、この詩にこもっているのでしょう。 (夜行)

2024-06-20

Molloyさんは整ったきれいな文章を書かれますね。 私にとって、この詩の視点は、不思議で意外でした。私は自分の名前にほとんど執着がなかったので。明日、代わっても驚きはしないというほど。子供の頃から、ずっとそうでした。 ところで、ふと思いました。子どもの頃、自分を名前で呼ぶのは、女の子のほうが多かった気がします。なんとなく。だから、男性には、その感覚がわかりにくかったりするのでしょうか。 (なまえ)

2024-06-19

関わり方は様々。形式ばった所作に限らず、遊び心もあったほうがいい。目的はいずれ忘れられる。目的を失ったモノに、目的を与えるのは神ではなく個人の心である。心から飛び出して他人に押し付けると、傲慢となるが、心に溜めておけば、生きる喜びとなる。目的を見出せる処において、神は少々休んでいても構わない。 と、詩を読んで思いました。 (阿吽の狛犬)

2024-06-19

美しい解釈ありがとうございます。お褒めに預かり光栄です。 (その本は、)

2024-05-25

ご感想、ご指摘ありがとうございます。たしかにどう考えても、手掛かりですね。年齢的には老いてないのに、よくこういうタイプミス(理由のわからない間違い)をします。私は旧字体にこだわりがあったりして解りにくいと思いますが、間違いらしきものがあれば、ご指摘いただけますと幸いです。 (その本は、)

2024-05-25

お読み頂きありがとうございます。三上寛は知らなかったので、聴いてみたいと思います。美術館の話、プロテスタントソングの魅力を凝縮したような好い表現ですね。 (その本は、)

2024-05-25

とても感銘を受けました。こういう悲惨な道を通った人が身近にいて、見聞きされた方なのであれば、これからも書き続けていただければ幸いです。 (恵みのチョコレート)

2024-05-25

面白く読ませていただきましたが、発想が、、少しマンネリ化しているような気がします。それこそ岡林信康の「ガイコツの唄」がすでにあるので、そこをどう越えるかが課題だと、、、私が書くのであれば思うでしょう。 メロディーがつけば、「リバーサイドホテル」のような妖気な歌詞になるかもしれません。 (骸骨のディスコ)

2024-05-25

三島由紀夫の仮面の告白なんかでも似たような感覚を書いていました。戦時中でもそうでなくても、自己喪失に因る、死と、生に対する問、境界の曖昧性ってあるはず。自分も時々そう思ったりするので、互いに共有すると、楽になるってわけでもないですが、不思議ですよね。 (20歳までに死にたい)

2024-05-25

作品をお読みいただきありがとうございます。お寄せくださったコメントを深く頷きながら拝読しました。 死は不思議なもので、本人が明確な理由を持って逝くというのはとてもめずらしいことです。自害であっても、究極的に探れば偶然の不遇の連続が根本にあったりします。死は偶然。明確な理由があったとしても、それが後世の人々に理解されるかはまた別の問です。何かと社会は、故人を死に、誰が何が追い込んだかを追及したがります。おそらく、再びその"過ち"が社会で繰り返されないために。ですがこの場合、故人が試験紙として巨大な社会のいちデータとして使われ、捨てられているような気がしてやまないのです。内面が、死に関連するものも、そうでないものも、その故人を人間たらしめている。心情を言動に表さないのは当然で、記録が残っているのは稀です。知る術が限られているからこそ、民衆の妄想で故人の人物像をつくる。妄想が別人をつくる。結局死についての真実は知ることができないという考えを表現したかったというのは大いにあります。私がコメントを読んで正しい理解ができたのであれば、鷹枕可様の言葉を借りると、「社会の目に映る死は表象の塊であり、定義付けは不可能である。故人はいつまでも表象としてだけ、社会で生き続ける。」ということを私は考えています。 鷹枕可様の詳らかな解釈を何度も熟読して、学ばせていただきます。 (誤って作品へ送ってしまったので、再送しました。) (盛夏の死)

2024-05-19

作品をお読みいただきありがとうございます。お寄せくださったコメントを深く頷きながら拝読しました。 死は不思議なもので、本人が明確な理由を持って逝くというのはとてもめずらしいことです。自害であっても、究極的に探れば偶然の不遇の連続が根本にあったりします。死は偶然。明確な理由があったとしても、それが後世の人々に理解されるかはまた別の問です。何かと社会は、故人を死に、誰が何が追い込んだかを追及したがります。おそらく、再びその"過ち"が社会で繰り返されないために。ですがこの場合、故人が試験紙として巨大な社会のいちデータとして使われ、捨てられているような気がしてやまないのです。内面が、死に関連するものも、そうでないものも、その故人を人間たらしめている。心情を言動に表さないのは当然で、記録が残っているのは稀です。知る術が限られているからこそ、民衆の妄想で故人の人物像をつくる。妄想が別人をつくる。結局死についての真実は知ることができないという考えを表現したかったというのは大いにあります。私がコメントを読んで正しい理解ができたのであれば、鷹枕可様の言葉を借りると、「社会の目に映る死は表象の塊であり、定義付けは不可能である。故人はいつまでも表象としてだけ、社会で生き続ける。」ということを私は考えています。 鷹枕可様の詳らかな解釈を何度も熟読して、学ばせていただきます。 (盛夏の死)

2024-05-19

コメントありがとうございます。 うつくしい文章表現と言っていただいたのは、光栄です。 タイトルについてですが、私は殆どの場合、タイトルにはあまりこだわりがなく、できるだけ単純にしたいです。ですが、今回はある程度意味はあって、元々この物語の結末が着想されたのが、「夏の豪華な真盛の間には、われらはより深く死に動かされる。」(ボードレール「人工楽園」)という言葉からでした。恥ずかしながら、ボードレールの書き物自体は一冊も読んだことがなくて、これは三島由紀夫の「真夏の死」のエピグラフにありました。この短文から妄想をして、今回の作品を書きました。そこで、タイトルには発想の起点の面影を残したかったのであります。「真夏の死」や「人工楽園」とかをそのまま使うのは違うのかなと、「盛夏の死」にしました。今思い返せば、これでもあまりに直接的だったかもしれません。 (盛夏の死)

2024-05-19

お読みいただきありがとうございます。 最近、美やら死やら老いに関する逆説がてんこ盛りの「ドリアン・グレイの肖像」を読みまして、この作品はそこから影響を受けて書きました。 ワイルドが書いたこんな序文にとても惹かれました。 「すべて芸術は表面的であり、しかも象徴的である。表面より下に至らんとするものは、危険を覚悟すべきである。……有用なものを造ることは、その制作者がそのものを讃美しないかぎりにおいて赦される。無用なものを創ることは、本人がそれを熱烈に讃美するかぎりにおいて赦される。」(福田恆存訳、新潮文庫) 私は純粋な理系なので、現実世界では厳密に穴のない理論を組み立てていくべきだと考えならも、そのような手段には限界があると考えています。実際、とてもとても厳密な学問といえば、数学と物理、化学ぐらいでしょう。他は一種の曖昧な、証明しえない箇所を含んでいるように思えます(だからといってそれが無用とかつまらないとか言ってるわけではありません)。そのような曖昧さが全面的に肯定されるのは、芸術だと私は認識し、だから数式で表せない考えを書いてみようと時々思うんです。もちろん読者が興味を持たなければ、それは無用だという結論になります。ですが私にとってこの作品はとても切実な問題をはらんでいる気がします。科学という視座に立つと、私の書くもの全ては無価値です。 科学のように厳密性がないので私の作品は出来不出来の振幅が大きいです。時には多少読者に好まれる作品も現れますが、今回は失敗作であると考えてください。 (盛夏の死)

2024-05-15

人間を水滴として、それらが集まった社会を海として表現していると解釈しました。 子どもは百人集まったら、みんな違った興味を持ち、違った言葉遣いで、違った行動をとる。大人になると、みんなビジネス用語を知っていて、敬語を使って、黙って見守ってるだけ。でもそれは、人前ではそう見えるだけで、実は内に、奔放に、カッコよく生きてゆきたいって思いが秘められているのでしょうか。昔の写真を見て、過去の自分を顧みてみると、なんか勇気出てきたりしますよね。社会が無機質な水滴の流動に見える。過去の自分は今よりは明るく、活気よく生きていて、違った目で世界を見ていたのかな、とか考えたりしますよね。 この詩は憂鬱を表現していると思うのですが、読むと逆説的に、そういう妄想、思い込みに取り憑かれた私たちを批判してるようにも思えるんです。勇気を与えてくれる詩であると。 シンプルな言葉で、いくつかの絵を造り、上手に編みこんでいて、心地よく読めました。 私が好きな細野晴臣の「悲しみのラッキースター」に似てるなと勝手に思いました。 (水滴)

2024-05-14

硬質で心地よいテンポがあって、口に出して読みたい文章だと思いました。とてもおもしろかったです。 思想があまりに明瞭に表現されているため、詩よりもエッセイに近い気がしました。詩自体は最後の六行で、その他は詞書として後に書かれたと考えれば、古風な趣きがあって、それもまたよいです。 (花散る儚さは)

2024-04-02

「わかれない」は日本語としておかしいため、目についた。(私自身もしょっちゅう間違いをしていて、他人のことは言えないのだが。)口語として、作者が意図的に使ったというのも考えられるが、そうだとしても私はこの詩の世界感には合わないと思った。 私は基本的に細かい間違い(と感じるもの)に関しては寛容で、指摘することはないのだが、文章の雄渾さに心を引かれたため、その欠点だけがとても惜しく思えた。一票を投じる。 (埃まみれのフローリング)

2024-03-18

私には書けない清々しい文章ですね。後半は「僕」の妄想なのかなと解釈しました。誰しも共感できる場面をうまく捉えていると思います。官能には踏み込まない恋心を描いたことが、私の好みに合ったというのも重なり、投票させていただきました。 (甘夏)

2024-03-11

私の変質的で、つむじ曲がりな性格から、搾り出されたこの詩が、これほど教育的に、健全に、解釈されることが可能なのかと感動を覚えました。ありがとうございます。世の中、案外拠り所もあるものですね。 (穴)

2024-03-11

我々の生活でマンホールほど身近で、不気味なものは他にないと思います。マンホールだけで無限の想像が膨らんで、連想によって自分でも思いがけない筋立てが完成しました。マンホールが無ければ、この詩は生まれなかったはずです。 メルモsアラガイsさんの解釈には、また違った作品に広げることができそうな想像の種があり、感心しました。 (穴)

2024-03-11

私は誤読というのに、全く嫌悪感を抱いていません。むしろ、作品の雰囲気を感じ取って貰えれば、それだけで書いた甲斐はあったなと考えます。 私が過去に具体的な描写は曲げたくないと言ったのは、抽象的な表現と議論が(少なくとも書く側としては)嫌いという意味が大きかったです。しかし、時には実験も良いと、この作品は、一見全体をわかりにくくする暗喩を取り入れることで、感覚を刺激しようという試みでした。 (穴)

2024-03-11

確かに、巨人を語り手(これも私は意識していません)自身として書いているつもりはありませんでしたが、そう捉えることもできそうですね。とくに孤独さが伝わるという評価は嬉しいです。 (穴)

2024-03-11

素敵で過不足ない表現ですね。 (Nature)

2024-03-06

正常かどうかって、視点によって異なるだろうな、と。学生運動とかの話が浮かびました。運動に参加する人が正常なのか、参加しない人が正常なのかというのは当時の環境によって変わっていただろうけど、単なる多数決で決まるものではないですよね。 狂いたいという衝動を抑制しようとしている。でも、その狂っているというのも主観的な考え方で、結局狂人なのは本人か、それとも周りなのかというのは分からない。結局、人間は皆、どこか狂人であるという原理的な曖昧模糊とした壁に突き当たる。 (正常でなければ)

2024-03-06

ありがとうございます。戦争というのは、残酷ですがこういう文章を書いて、じっくり考えていくことで、解決していくと私は思っています。正しさ、正義というのは、わかりません。誰かを弁明したいわけでもありません。書きながら手当たりしだい探っているだけです。 (屍)

2024-03-04

大江健三郎の「奇妙な仕事」を彷彿とさせました。この短編では、主人公を含む大学生らが大量の野犬を撲殺するアルバイトに雇われ、生々しい描写が繰り広げられます。一つの解釈は、犬は、無気力になり政治への関心を失った大学生らを表しているというものでした。 この前置きと結びつけると、この詩での犬も、ある時代、ある年齢層、ある輪の人間の暗喩だと思いました。 足の不自由な犬というところから、障害者がつながってくる。すると、ゲージは、障害者施設。それを観賞する健康な人間。この温泉は、障害者を利用して、支援している風を装うメディアや企業の風刺であると捉えました。 面白い題材で、見事に的を射る暗喩だなと感銘を受けました。それこそ一篇の小説に拡げることもできそうですね。 (犬風呂)

2024-02-17

コメントありがとうございます。 痛みというのを我慢すれば、かわりになにかを得られるという感覚(望み)は時としてありますよね。偶発的に起こる事象に対して、神的存在を仮定し、自分を落ち着かせようとする。 (狼)

2024-02-11

コメントありがとうございます。 私は具体的な描写を書くことというのはこれからの作品でも曲げたくありません。ただ情報の出し方が六段目の前と後で、かなり違っていることが問題だとは自覚しています。自然に情報を入れ込むことができるようになれば、読み手もすんなり理解できるでしょう。そこを目指したいと思います。 (狼)

2024-02-11

一人ひとりにとっての「平和」と表現している時点で、もとの言葉の意味を曖昧にしているような気がするのです。平和という言葉を連呼するだけでは少なくとも私はモヤーっとしたイメージしか浮かびません。実写的な心落ち着く風景や、のどかな人々の生活を描くことが、平和を具現化していると私は思います。 「日常を描いた歌が、一番の反戦ソングだ」と確かフォークシンガーの高田渡が言っていました。彼の歌はどれを(一番有名な「自衛隊に入ろう」は一貫して皮肉っているので分かりにくいですが)聴いても落ち着きます。機会があれば聴いてみてください。 私はあなたの作風を否定しているわけではありませんが、より深い実写的な要素を取り入れて平和を考察してみることで、また違った良さを持つ作品ができると思います。 (戦争が終わらない)

2024-02-09

厳しいことを言います。平和という言葉をこの世のすべての争いに適用するのは粗雑だと思います。その上でなにかの論証をたてるのは、根底から間違っていると。「平和」という言葉はあまりに容易く、ビジネスでも、プロパガンダでも使われます。もっと詳細化した、ミクロな視点で考えなければならないと私も自分に時折釈きます。 (戦争が終わらない)

2024-02-06

私は物理に詳しくありませんが、エントロピーの話は第二法則ではないでしょうか(断定する自信はありません)。マクスウェルの悪魔というのも連想されました。情報を消去するときに、エントロピーが増大するとかなんとか。すると情報をとどめておくと、エントロピーは増大しないのでしょうか、、 (感情器官説)

2024-02-06

貴重なご意見ありがとうございます。 おっしゃるとおり語尾に対して私は苦手意識を持っています。改善しなければならないと常々思いながらも、下手に変えると、どうしてもしっくりきません。現段階では諦めて全部統一したほうが、少なくとも一貫した文体が得られて、下手ではなくなる。かといって上手でもない。腕を磨かない私の怠惰のあらわれでしょう。 (雨)

2024-02-03

ありがとうございます。 私は、最初からオチを知っているせいか、自分で読み返すとすごい退屈だったので、そういう評価は嬉しいです。 (雨)

2024-02-02

ありがとうございます。 演繹的。確かに私はスラスラと思考の分岐もせず書けました。最初の夕日のところまでは、私の実体験といいますか、私そのものなので、そこから発想を続けるというのは、意外と容易で、話の筋も必然的でした。 (雨)

2024-02-02

脈絡のない記憶が立て続けに思い出される瞬間を表現するということ、私はとても好きです。 シナプスの数は多いが、結局同じ思考、同じ悲しみ、同じものを探求して何も得られない。そういう無力感って確かにありますよね。 (しもしんめい)

2024-02-02

ひとひらの夢とは、花びらの夢のことだろうか。すでに散った花びらだと私は捉えた。寿命が長い星たちは、彼らを支える月の有難みや美しさをわからず、感謝もしない。明日にはしおれてしまう花びらには、月の美しさがわかる。花びらもそれまでは、気づかなかったのかもしれない。死ぬ間際に、どう世界が見えるのかという問いに対する一つの事例をこの詩は見せている気がした。 (銀色の月)

2024-02-02

好きな人を財産と呼んでいるのか、財産を好きな人と呼んでいるのか、何度読み返しても解らない。その効果を書き手は望んだのか。 投資で、全然うまくいかず、財産が消えていくともとれる(離れていくことが出来なかったが合わない気もするが)。 恋人を殺害したサイコパスの話とも考えられる。フラレて(終わりがやってきて)立腹し、殺害し、死体を財産と呼んでいる。でも何故かその死体に執着はなく、またね、で捨ててしまう。もっとぶっ飛んだことをしていてもおかしくないのに。 また、ペットや子供、自分より弱いものを《所有》しているのかもしれない。その視点から《所有物》が本当はどう自分を思っているか、他人に話すとき事実が捻じ曲げられている可能性もある。そうすると、トイプードルでも、ウーパールーパーでも、面倒を見ていた部下を当てはめられないわけでもない。 親が(変わりたいと願い)巣立ちする子供を財産と呼んているとは、少なくとも私にはそう思えない。そうだとしたらあまりにも残酷すぎる。 (財産は僕の好きな人)

2024-02-02

ありがとうございます。 射影幾何学では角が定義できないのでユークリッド幾何学とは言えませんが、非ユークリッド幾何学と聞くと、私はどうしても双曲幾何学を想像するので、そう呼ぶのもなー?!?とアマチュアなので自分でも正解が分かりません。 (雨)

2024-02-01

ありがとうございます。 ユリイカは未読ですが、宇宙についての科学的な考えを交えた文学作品だと聞いたことがあります。私はどちらかというと宇宙よりも、宇宙の数理モデルのようなものを表現しようとしました。そのため、厳密には時間も特殊相対性理論の考えでは流れが変わるので、詳しい人はあら捜しはいくらでもできると思います。 物理(特に宇宙)には、ロマンを感じる人は多少なりともいますが、数学に魅力を感じ、ただ無機質なものではなく、カタルシスを与えてくれるものだと考える人は少ないでしょう。知られていたとしても自然に応用され、説明しやすい数学、例えば黄金比やπといったものしかありません。それさえかなり美化され、虚偽であることが多いです。恐らく文学作品として厳密な数学を伝えようとしても、読む側がすぐに退屈になってしまいます。だがら、私は逃げ道として、レトリックに数学の概念を使ったのです。それでも読み返すとやはり退屈なので、その試みも失敗した気がします。 聖書の話は大変興味深かったです。オナンの罪といった半下ネタとして語られるものは有名で、そういうもっと価値のある話は忘れられる。皮肉ですね。 (雨)

2024-02-01

今もロシアの犯罪率は高いですが、調べてみると銃社会のアメリカよりは低かったです(ソ連はもっと高かったと思いますがそれでもアメリカほどではないと)。小学生がひとりで夕方まで遊んでいるところはよく目にします。たしかに夜は浮浪者やアルコール中毒者が多く出歩いているので、ガタイの良い兄ちゃんを連れたほうが安全です。 少なくともこれは私が住んでた大都市の話です。ロシアは地方と都市の格差が凄まじいので、恐らく今は整ったインフラがなく、警察の数も少ない地方のほうが危険だと思います(ネットで見つけた記事では、地方のほうが犯罪率が1.5倍とありました)。エセーニンが暮らしていた百年前は、村では知らない顔はないし、住民はもっと開放的だったので、何か危険があってもすぐ助けを求められた。一方、街では閉鎖的で、自分の利益のためにしか動かない人が多いです。犯罪率も多く、信頼関係も築きにくい。そのため詩のなかでも、街で暮らす人々の心を葉が一枚もない秋と表現しているのでしょう。 ここからは、私の何ら根拠もない憶測ですが、この凄まじい格差は、十九世紀末まで続いた厳しい農奴制に由来する気がします。あとは、地理的な問題で、あまりにも広いロシアを適切に統治できないというのも一つの理由でしょう。 ロシアの街の恐ろしさというのは、ゴーゴリの『外套』や、グリボエードフの『智慧の悲しみ』によく描かれています。大概、特に人間性という面では、今も二百年前も変わっていないと思います。機会があれば、是非読んでみてください。 プーチンの話ですが、彼がサンクトペテルブルクの役所で働いていたとき、自身が(単純にいうと)マフィアでいたときの関係性を活かして、犯罪者を取り締まるというよりは、裏金で和解するという手段をとっていました(本人は勿論のこと否定していますが)。だから結果的にプーチンの政治で危険が減ったというのは間違いではないのかもしれません。かわりに汚職問題が深刻化しましたが。 長々と失礼しました。 (不良少年の告白(セルゲイ・エセーニン))

2024-01-28

お読みいただきありがとうございます。 エセーニンの詩には度々、草木や動物があらわれ、彼の自然への愛情が感じられます。そしてその対比として彼が半生を過ごした街の恐ろしさが描かれています。彼は街で酒にひたる日々をおくり、相当苦しんでいました。残念ながら、彼自身は特殊な人間になってしまったことになります。 (不良少年の告白(セルゲイ・エセーニン))

2024-01-27

貴重なご意見、ありがとうございます。純粋な創作ではない作品の投稿にはためらいがありましたが、これからも翻訳の投稿を続けたいと考えています。まだまだ未熟ですが、読者の意見は翻訳能力向上の手助けとなります。 (不良少年の告白(セルゲイ・エセーニン))

2024-01-27

私は表面的な解釈しかできませんが、イマジンで歌われていることが実現できた世界を描写していると捉えました。将来の不安も、隠された事実もない、ただ様々な「今」を表現することで、歌詞にあるような「今日のために生きる人」を書き手は見せてくれていると思いました。 (ジョン・レノンは女だった)

2024-01-27

入り込んだ描写はないのに、情景が浮かび、読んでいて心地よかったです。うまく書いてやろうという作者の感情もみられない、しっかりとした起伏のない文章を書けていて、とても羨ましいです。 (女の未練)

2023-12-22

プロフィールを見ました。安部公房がお好きなんですね。私も間違っていなかったかもしれません。インスピレーションを受けて創作したとしても、私の評価は一寸たりとも変わりません。いわば、「壁〜Sカルマ氏の犯罪」と、ルイス・キャロルやカフカの作品をくらべる感じ、と言ったらわかりやすいでしょうか。 (神さん)

2023-12-16

大変感銘を受けました。この語り口は、慣れていない人がやると、よくわからない比喩や暗喩を不均一に並べて、失敗することが多いですが、この詩では一貫した雰囲気が不思議と伝わってきます。 あくまでも私の解釈ですが、この詩の神は世界に詩人や小説家を贈りだすことで間接的にすべての書物をつくる。だが詩人は他社から影響を受けること(欲情すること)、既存の模倣をすること(タヌキになること)をひどく嫌悪し、独自の創作を進めようと(書物を含む)外界を完全に断ち切り部屋に閉じこもる。 設定としてこの詩の書き手は、実際に天才と認められているのか、まだ見つかっていない才能なのか、あるいは勝手にそう決めつけているのか分からないが、言葉遣いをみると強がりが感じられる。またその曖昧さも設定であり、現実を目の当たりにさせているのかもしれない。 実社会にも文学、より広くは芸術、さらに学問に関係する人で絶対的存在の奉仕者である感覚を常日頃から持ち、またその感覚から脱しようとしているものがいる。この詩は神と、下劣なないしは素朴な言葉(セックス、おっちょこちょい、味噌汁、性病持ち)を並べ、尊いという共通概念を拭い去ることで、その逃げ道をつくっている。 もう一度いいますがあくまでも私の解釈なので、違ったらご指摘、あるいは黙殺してください。私はこのような詩、語り手と作品自体の関係を推測させたり、実社会で言うと問題になりそうな表現で共通認識を打破する詩は、文学の特質を存分に活かせている気がして、とても好きです。 ここからはこの作品にあまり関係ない話ですが、安部公房の「バベルの塔の狸」が思い出されました。この短編小説の主人公も詩人で狸になり、バベルの塔に棺桶で送られ、そこから脱出するという題名通りの話ですが、当時読んだときは意味をあまり理解できなかった覚えがあります。この詩を読んで、あの小説の上記で述べたような一つの解釈が自然と浮かびました。熊倉ミハイさんが想定していた読み方ではないかもしれませんが、それに関してもお礼を言いたいです。 (神さん)

2023-12-15

そうですね。私の詩では一つの集団の、《良い》旗を、その集団の考え方に近い視点から書いています。旗という概念自体は十分に書ききれてなかったと悔やんでます。もっと批判的な立場、旗が蛮行の象徴としてなりうることや、m.tasakiさんが仰る通り、孤立させ、苦しめることがあるのを表現できれば、もっと深い内容になったはずです。 (旗)

2023-12-10

日常を濃縮し、うんざりするほど繰り返される言葉をあげることで表現するという手法には感心しました。また、この中から抜け出せない、と。最小限の場面だけが与えられた世界を想像し、息苦しさも感じる。ささいな感動として朝の訪れが与えられている。その何気ない出来事に飢えた人間はどれほどすがりつくことだろう。 安部公房「砂の女」が連想されました。この小説では外界の自由が奪われても、内面の自由は生命力を発揮できるのだという主張を私は受け取りましたが、この詩はそれを否定している気がします。行間のあいだを飛び回ることしかできないとどんな自由も失われる、と。 私のゆがんだ捉え方かもしれません。全く違ったらすみません? (思いつき)

2023-12-09

長文の返信ありがとうございます。 失礼いたしました。私自身はまだまだ無知であり、無礼であります。私はおそらくあなたよりも若いのでありますから、大目に見てあげてください。 ①に関しては賛同します。 ②に関して。私はどちらの国にも行ったことがあります。そして両方の国の報道、人の話を聞きました(コメントに含まれる内容も何度も耳にしました)。その上で自分の考え方を形成しました。あなたを含め、誰かをその考え方に引き込むつもりはさらさらありません。ただし、このようなプラットフォームであなたが他人を自分の考え方に引き込むのに反対しているのです。とくに、不確かな情報を提示しながら、もったいぶって政治について語るのはやめましょう。 私は返信したことを後悔しています。(福まるさんのコメント欄で不適であるのは事実です。)この一連のコメントが削除されるのが、三者にとってもっともよい解決策である気がします。 この対立はここでとどめて起きましょう。これからも、福まるさんの作品も、takoyoさんの作品も読ませていただきます。 (このコメントも戯言であるか、ないかは御自分で判断してください。私は真剣に思っていることを書いただけです。このコメントになにか返信をくださっても私は答えるつもりはありません。ご容赦ください。) (向こう側の意見)

2023-12-04

この作品は世界情勢にあまり深い興味を持っていない市民的な目線から書かれているから、そういう無知をも表現しているかもしれません(深読みかもしれませんが)。 それとウクライナでの戦争は2014年のクリミア併合から続いています。これはウクライナでもРосійсько-українська війна(ロシアウクライナ戦争)と呼ばれています。 あなたの言葉こそ戯言のように思われます。まるで自己言及のパラドックスですね。 (向こう側の意見)

2023-12-04

ありがとうございます。 特定の史実が背景にあるということはないです。ムードは忠実に再現しようと努めました。(このムードと呼んでるものも特定の地域のものではないですが) (或る人)

2023-12-03

エヌ氏の遊園地ですね。(星新一に関しては全くの素人なので題を聞いたことがあるぐらいです) (或る人)

2023-12-03

お読みいただきありがとうございます。 その長編は未読で詳しいことは分かりませんが、村上春樹さんの自己喪失の描き方は巧みで、見習いたい点はたくさんあります。 (或る人)

2023-12-03

コメントありがとうございます。 自伝的ではないですが、戦争による不安定な情勢を想像して書いたのは確かです。 日本ではあまり知られていませんが、ソ連のロックシンガー、ヴィクトル・ツォイから影響を受けています。 「運命に好かれているのは他人の法律のもとで暮らす人だ」 という歌詞から着想を得て作りました。 あと意識したわけではないですが、結果としては映画ピンク・フロイド ザ・ウォール(やはり第二次世界大戦で父を失った少年が主人公である)に似た仕上がりになった気がします。 (或る人)

2023-12-02

「シュルレアリスム宣言」の自動記述の話を思い出しました。私は詳しくないですが、そのようなことにも興味を持っていそうだな、と作品を読んで思いました。(全然違ったらすみません) (素描)

2023-12-02