なにごともかんがえて、みたこともなく
やっぱりどこも空のあいだでしかなく
すくなくも 入りにいやしいでいる
すんだような みづのいろ
まあ馬鹿もやすみやすみひたすら馬鹿で良い
あらたしいことがあらまたる
無為のようすや気の毒だったりして、ね
――むこう側にあるものはみえるのか)
ある場所でくらしをする(電車は空いている
私は交通手段で、足そのものが散らかって
、腹は空いている)水筒に貸してやった
、珈琲(なかなか出られない込み入った未知
匂わせることになる。憎たらしい。みづ
不釣り合いにおおきい泥濘にしずんだ
きをん。脆弱な彷徨が羨ましく、
こういうものだ。という境目にモノは生じて
織り込まれてみて、(生きていける ゆける
なかば晴れた日に拝草香の四畳
発症を観察する甲板としては遅く
晴れわたる直感としては甘く海
万物のはじめとおわり)褪せるために汗を描く
紫の態度は胡蝶して伝わることでしょう
並べられた幼さや 浅ましくひかり
古い靑を考えるときに 手入れしないで
赤らめるイロ 疎ましくかぜ
くうきよりちかい場所じゃ相手をかるくみて
液体と粉状のものを手を取り合って)置いた
鳥獣を呼び寄せて祀るのか、転んだロがひらく
手をたたいてリズムに合わせ しぶきが食べたがる
吹き込んだ雨に、うっかり落としたみたいで微睡む
聖骸に付着していたものも中間で、ライカに頼み
名は刃だと切除したひなたは頭上に触ってくる
織地のサラサを片方 ひきたてるばかし、狡い
白い石のような 澄んだ虫の音に滲みる一色で
葉や茎は、このにおいは、透きとおるにはどうにも
手続きを怠り無邪気と殺める配分がなにやら悪酔いして
滞留する百鬼夜行は 妙薬でもあるのか
まぶしそうに押し黙る 暁光を重ねるみぎわに
なんだろ既視感あったけど何か読んだ気がしたのどけど新作よねー(何か何かばかり言ってますが)何かあれですね、気のせいかもしれんけど少し作風とゆーか姿勢とゆーか変わったよーなないよーな…何がどーで何処が変わったとは断言出来ないが…そーですねー息吹きとゆーか呼吸ですね、呼吸は感じますかね…あとほんの少しだけ血のかよってるなーと(意味や解釈を掬うのはやめました)わざと誤字が真似したくなるけどやめておきます火傷しますよね…後半に具体的なイメージをかためすぎて散漫になってる感はしましたけど、そーゆーのも含めてのAOISMですからねー
1一読の印象として、何とか忙しなく、いや、ある程度お歳を召されているはずだろう?笑、と思われる方なのに忙しない語りを書き込んでおられるな。という印象も二度読んでみればその印象もがらりと変化しました。というのも、わたしにこの死生観が乗り移ってしまったからでしょうね。 技術的にもいろいろな仕掛けが施してある。 まずタイトルに置かれた「シアンの墓守」というシアンの意味。カタカナで読めば普通シアン化合物を意味してしまう。色は藍紫色(青緑色)生き物にとっては毒性を帯びた有害物質ですね。そしてもうひとつの意味(思案)考える。このような仕掛けが(ダブルミーニング)あちらこちらに点在されていますね。(あらたしいこと~きをん~みづ~ひなたは~)終わりの~(みぎわに)敢えて平仮名にされている。ということはひとつの固定された意味として捉えてほしくない。という作者の思案もあるのでしょう。 冒頭の入りから~みづのいろ。までは非常に澄み切った心情に置かれています。それが、まあ馬鹿もやすみやすみひたすら馬鹿で良いあらたしいことが~の五行から七行目までは語り手の人格が突然変化してしまう。 これは何を示唆しているのかな?と考えてしまう。そうこの詩は考えることで改めて考えるという行為を示唆に含むのだ。だった。 というのも実はこの詩は死生観を巡るようにいきつもどりつ帰省して読めてくるのです。ですので、本当のはじまりはーむこう側にあるものはみえるのか)これが冒頭のはじまりになるのではないかと。そうして~鳥獣を呼び寄せて祀るのか、~暁光を重ねるみぎわに。で、終わりではなく、まあ馬鹿もやすみやすみひたすら馬鹿で良いあらたしい~の突然現れて空気感を打ち破る必然性のもとに帰るのです。それから冒頭に後戻りする。なので、この作りの本当の終わりは、なにごともかんがえて~すんだような、みづのいろ。だと、わたしの屍はそのようにして土の中に眠る御霊と還っていくわけですが、この解釈はどうでしょうか? 「シアンの墓守」テーマを自らの魂を自らにして語らせるという、その死生観にあるのでは、と読んでみた次第ですが、これも大笑いの誤読のうち。人生とは読みにして読みの如くに非ず。行く先などわからない。 いやあ、AOI氏。素晴らしい作りですね。久々に手応えのある読み物を拝見いたしました。まあ、その難解さ故に好き嫌いはあるにしても、わたしは一級の賛辞を与えたい。 .
1電車という言葉が不似合いな詩だと思いました。
1こんばんは。 そうですね… 達観するのはまだ早いのでは? と思います。 ありがとうございます。
1たのしんでいただけたのでしょーか。コメントありがとうございます! >なんだろ既視感あったけど何か読んだ気がしたのどけど新作よねー n素材のツギハギです。三ヶ月前に書きました、ええ、落選作ですぜ >気のせいかもしれんけど少し作風とゆーか姿勢とゆーか変わったよーな いや、コレが自分の得意作風ですけどね。三明十種さんは最近この場にきたから知らんかそうだよな、ここ最近はそういうの書いてないから。 >わざと誤字が真似したくなるけど 早々使い方間違えると、律儀に指摘されちゃうから難しいですよねー >後半に具体的なイメージをかためすぎて散漫になってる Bにだしたのは(行間と空白をおいたけど)元に近いので、現フォに出したものは(title:すんだような みづのいろ)落選したあとにいじったので、順番をいれかえた記憶があるゾ☆
1コメントありがとうございます。思案/シアン=あお。水の空の色、に対して、澄んだ/済んだ イメージで書きました。水、も、見ずでもいいかなと、漢字を開くとだいぶ、そういう仕掛けができるので、楽しんで書いてますけど。まあそういう読み手さんのきもちでどこが引っかかって、なにが感じられるのか。受け取り方として見解が違う、そういうタイプの詩。 現フォでアラガイさんにもらったコメントを読んで、引っ掛かりをどこに持ってくるのか、再度悩みましたけど、結局最初に書いた形にもどしました。やはりtitleのあり方、重要性、ですかね、再度確認したようにおもいます。 こうしてハマって読んでくれるととても嬉しがる(ヤッター!)自分は手癖で書いたものが一番まともなんだろうけど、やっぱり自分の思想が無駄にのるので、好き嫌いも難解さもある。でもこうして、きちんと読解いただいて、ひとつの見解を導いてもらえると、嬉しいし、有り難いことです。まあ伸びしろは掴みたいので、色々書いてますけど、できることは失わないように、鍛錬して精進したいとおもって、もがいてます。自分がぶっ飛んで変なのはもう理解したので、若い子の感性に引っ張られて、まだまだ楽しみたいものです、詩作を。
1田中宏輔さんコメントありがとうございます。たしかにそこが電車だと固定されてしまうので、空席の浮力に委ねるていどがよかったのかもしれません。でなければことさら強く意味を置くか。お教えいただきありがとうございます
1>すんだような みづのいろ この部分に、一瞬の静寂に似た何かを感じたような気がする。 一行開けて、そこにどこか透き通った色の景色を描いたからだろうか。 あと、今作を見ていて思ったのは、不思議とひらがなが多いということ。 最初の三行もそうだし、『くうきよりちかい』とか『しぶき』とか……普通の詩人がこれをやれば、「ああ、どうせ変換を忘れたんだろうな」と思うけれど、AOIさんのことだから絶対に何かの意図をもってしてやったのだろうという確信はある。 ※確信があるだけで、それが具体的に何なのかがわからないのだけど。
1コメントありがとうございます。んー達観なんでしょうかねえ、諦めでしょうかねえ。まあ、コレは詩だから、創作で、話者はそうだってことで。着せている、騙している、言い聞かせているような。そういうもの。でしょうきっとね
1およみくださりありがとうございます。すんだようなみづのいろ。の感じ方に関しては現フォのほうはだいぶイメージ変わると思うのです。コレに関してはすんだようなみづのいろの中になにをみるか。みたいな気持ちで組んだ気がします。 そのなかのひとつとして漢字のひらきについてですが、日本語が持つ、それぞれの文字のイメージというものが自分の中であって、使い分けたりします。ひらがなは柔こく、漢字は硬い。カナは浮く。とか。ひらがなでぜんぶかくと、流れるように読まれ。漢字が多いとブレスも頭の中で誘発されるので、一語一語がしっかりと存在する、言葉自体の強さみたいなものが、しっかり立たされる、だから最近は結構ひらいたりします。これも感覚なのでマイルールですが。この詩はとにかく言っていることがお硬いんですね。漢字で全部書いたら意味を取ろうとするし、言葉から逃れられなくなる、そういったイメージをもったので。配分は考えました
1これは過去作でも見られるんですが、AOIさんは空想の世界から帰ってきたあとの現実の世界(時差ボケのような、空想気分が抜けない感覚で見る現実)をよく描くなぁと思いました。 コメント欄でも言っているように、澄んでいるように見えた「みづ」の色を、もう一度見つめ直す追憶のような詩です。あらゆる濁りを経過した上で澄み渡ったのだと、再認識するような。段落が下りている連はその記憶たちなのかなと思いました。 「くらし」が始まり、「なかなか出られない込み入った未知」の世界に踏み出す。そこでは「不釣り合いにおおきい泥濘にしず」むこともあり、「脆弱な彷徨」を余儀なくされる。「こういうものだ」と折り合いをつけて生きていくと、「甘く海」にたどり着く。それは、「万物のはじめとおわり」から「赤らめる」、「手を取り合って」などの言葉から、愛に触れていっているイメージを持ちます。 最終連、現実に戻ってるような、戻ってないような感覚。ここが一番読むのが難しいですね。祀りとか、聖骸とか、手続きとか、なんとも厳かな雰囲気。ものすごく、個人的な感覚ですが、みづの色の濁りを思い出していくことが危険=「シアン(思案)」で、それ以上は入り込むなよと、墓守に空想の世界から締め出されたような、そういうのも感じました。 面白い詩です。
1おもしろいいただきました(∩´∀`)∩ワーイ 丁寧な読みありがとうございます。 段さげしてあるところは、――むこう側にあるものはみえるのか。から始まりますが、「むこう側にある、ものはみえる」のか「むこう側に、あるものはみえる」有る者でも或る物でもいいかなと「すんだようなみづのいろ」もそうですね、そういった徹底した曖昧ぶりですが。 記憶としてみていくのがやはり墓守として紐づく。とあれば――これは「シアン」の墓守であるから、読み手さんがそれぞれ空白をみてなにを知っていたのか、考えること。それ自体にあたるのかなと思っていました。 ですから、ミハイさんのばあい生死感ではなく、積み重ねていく感情や時が、愛と結びついていった。というところでしょうか。 みづは染み込むもので、潤いで根源もあるけど。泥濘や濁流であれば危険なものですが。ミハイさんのいう「それ以上は入り込むなよと、墓守に空想の世界から締め出されたような、」というのは、作者自身をさらけ出してしまっているのかなと、そういう読みは考えなかったんで、ちょ、まって(;´Д`)ハァハァと裸にされたようで焦っていますw 自分の中に芯は持っているけど読み手に委ねたいからでしょうか、曖昧なものになってしまうのは。どうやらきっかりとしたものは書けないみたいで。嘘はつけないものです。詩というものは正直で、困ります。
1フェチというか、言葉そのものを愛しているんだなぁと、そのような偏愛が伝わります。
1フェチというか、言葉そのものを愛しているんだなぁと、そのような偏愛が伝わります。
1「言葉そのものを愛している」と問われたら憎んでいると答えますけど。好きですよ、言葉の万能じゃないところが。言葉なんて胡散臭さしかないですけどね。受け取り方次第で、どうにでも変わってしまうじゃないですか。だからそれが偏愛になるのかなと思われます。ある側面において。
2誇張を胡蝶で言って居たり。紫の態度とはどんな態度だろうかといろいろ考えさせられました。最後の11行の固まりが印象的で、ライカに頼みは矢張り写真の事だろうか、無邪気に殺める配分にと言う表現に立ち止まったり、白い石は何を意味して居るのだろうかと考えさせられました。
0コレ数ヶ月前に書いたものだから今だったら、胡蝶だの紫だの、そういうベタな言葉は選ばない気がします。だったらストレートに書くかなと、皆さんからコメントいただいては考え直すきっかけになります。ライカはお察しのとおり写真です。後半詰め込んでるのは、、重く置くにはそのほうがいいのかなと考えた結果です。何かしら立ち止まって考え、コメントいただけるそのことが、毎回ありがたくおもっています。感謝
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