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誰かが泣いている気がする
誰かが泣いている気がする ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 901.1
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-03-06
コメント日時 2025-04-02
項目 | 全期間(2025/04/04現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
初めまして。 最終連だけ、違和感を持ちました。 他の連は、美しく循環しているのに、 最終連だけ、循環せずに終わってる違和感。 これは、老年の人生の終わり(死)を思わせます。 閉めが良いです。 >スピーカを見つめて音を聴いている。 どういうことだろう? って、一生懸命考えると共に、 とても印象的で、セピア色の写真のようです。 ありがとうございます。
1投票し忘れました。
1コメントありがとうございます。 今作は枯葉が積もるように私のノートにうっすらと溜まった短い繊細な言葉たちを一篇の詩にまとめたものです。作業中、私の心はうち震えてしまって苦労しました。詩を完成させるのは大変なことです。自分では完成度はまあまあ可といったところですが、かと言ってどこを直せばいいか分からない。作中、月並みな言葉も多いですが、削れない。無意味な言葉は無いです。最後の言葉にも、込めた意味があるのですが、説明をすると、この詩が瓦解しそうで怖いのでやめておきます。
1そうですね。 無理に説明する必要は、ないと思います。^^
1終わりは必ず新しい。 はっとしました。
1真綿のような言葉で綴られていて、いつのまにかふわふわと読み耽っていました。特に印象に残った一文は、「スピーカを見つめて音を聴いている。」。でも、実際には音を聴いているようで聴いていないのかもと、勝手に想像しました。「誰かが泣いている気がする。さまざまに思い焦がれた過去を顧みて。」を、音を聴くのも忘れて(スピーカを見つめながら)反芻している、あるいは、誰かが泣いているような音から耳をそらすように、スピーカーをただ見つめているのかもしれません。全体的に確信というよりも、抽象をなぞるような書き方をされているので、霧のなかにいるような感じもしました。その感じが、あるいは作品の輪郭を多少掴みにくくしているのかもしれません。表題へと踏み込んでいく詩文を、もう少し書き足されても良かったのではないかと思います。
2音というものは必ず源を有していながらその末が明確ではないように思います。消えることもあり記憶に残ることもあり。いや、源さえはっきりしない場合もあるかもしれません。この作の主題は過去という源に耳を傾けることにありました。真綿とはっ! 詩的なコメントをどうもありがとうございました。
2>はっとしました。 小さくとも大切な驚きをどうもありがとうございました。
1若々しい思索の旅が、新鮮に思えました。スピーカーから出る音に、触れながらこうした思索を 行っていること自体が、詩的な時間及び生き方を持っていると思えます。時折、こうした 思索の時間を、自分は超えて生きていっているのだろうか、というように、私の過去を 振り返ったりします。高野悦子『ニ十歳の原点』を、熱い時代への追慕と共に読んだ ことを思い返します。
2作者さんのことは好意的に思っていて、と言うのは、哲学的なアプローチで、実際に生きて実際に感じたことを、装飾なく丁寧に綴られている、そのことを評価しています。 前、何か自由について、本を読んでいるとか私に言っていたような気がするのですが……ものすごく今更なんですが、当時言おうと思っていたんですが、自分が知的な雰囲気を纏うことを毛嫌いしていて言えなかったんですが、エーリッヒ・フロムなんかがオススメです……。
2身に余る評価、ありがとうございます。「自由」、これはもう長いこと私の読書のテーマです。ルソーはずっと読み続けると思います。それと並行して今、トクヴィルに取りかかろうというところです。エーリッヒ・フロム有名ですよね、読書プランに入れておきます。
2「誰か」の存在。サイレントマジョリティーではないと思うのですが「誰かが」とも言っている。過去が無用かどうかは、何が、だれが決定するのか。最後に出て来るスピーカーが印象的でした。
1思索、思索とまでは言わなくとも何かを思うということは、いつでもどんなものでも生き生きとしていて若々しいことだと思います。年齢に関係なく。年齢を超えて。高野悦子『ニ十歳の原点』を恥ずかしながら知らなかったので調べました。おお!
1書いた私にとっては「誰か」=「任意の人間」なのですが、読む方にとってはそんなに簡単なことではないのかもしれません。読む人はさまざまに思いを巡らす。今更ながら驚いています。サイレントマジョリティ。この意を込めたつもりはなかったのですが、なにごとかを決定する場合には、そういう種の人間「が」いるのかもしれません。
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