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今日も、ちいろはめでたく赤
傷口が言ったことが酷いんだ 「いくら悲しい君でも血の色は派手なんだよ」ってね 平日も黒が似合う人達は赤い服着て肌纏う だから、肌に二色のボールペンが浮き出るんだ それなのに、ヘモグロビンは「明日、虹になるんだ」と言った 願いが叶いました技術のごり押しで そして時代は平成の次、切腹すれば七色の液体 リストカットなんて物足りない 首つるなんて勿体無い 交通事故なんて柄じゃない でも、いつかあの色を忘れるだろう いや、忘れているわけじゃない 元々が七色だったんだ マンモスだって、原始人だって、神だって 紫色の悲しみを 紺色の絶望を 青色の哀愁を 緑色の優しさを 黄色の希望を 橙色の眩しさを 赤色の闘争を 持っていて失くしてしまった だから、手首が言ったのさ 「赤色が派手すぎる」って だから、血脈は言うのさ 「闘争と哀愁しかないんだよ」って リストカットした 今日も、ちいろはめでたく赤
今日も、ちいろはめでたく赤 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1164.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-03-13
コメント日時 2017-04-19
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
3月の二作目になります。
0>肌に二色のボールペンが浮き出るんだ ここが面白い。動脈と静脈という風に理解すると、仕込まれた幾つかの比喩がほどけていく感じがします。 >紫色の悲しみを >紺色の絶望を >青色の哀愁を >緑色の優しさを >黄色の希望を >橙色の眩しさを >赤色の闘争を >持っていて失くしてしまった >だから、手首が言ったのさ >「赤色が派手すぎる」って >だから、血脈は言うのさ >「闘争と哀愁しかないんだよ」って >リストカットした今日 >も、ちいろはめでたく赤 虹の色から来る、性質みたいな物を人間に符号させていくと、人間の持っている色というのは赤と青だね、みたいな所に繋げていくという発想が面白い。リストカットみたいな所に絡めていくと、多分リストカットには浅く静脈しか切れない場合と、深く切ってしまう場合と二つあると思うんですが、そういう所に絡めていくと、また違う作品の顔が見えてくると思いました。とととさんの作品は勝負しようとしてる、気概が伝わってくるような、見せ場を持たせた作品が多くてそこが好きです。
0ごくさりげない一行目・・・に油断すると、良い意味で裏切られる。 平日も黒・・・喪服/フォーマル(型にはまった、形骸化した)/地味 な人たちが、 〈赤い服着て肌纏う〉語感やリズムがいいのに、赤(アンデルセンの赤い靴とか、古いかもしれないけれどコミュニストたちとか、華やかな祝着、赤子、命の色)の多義性の中に迷い、しかも「肌纏う」という不思議な用法・・・自分の意思で身に着けるのではなく、肌が勝手に纏う、感じ。 だから、という接続詞は、散文的になるから避ける、というのが「定番」ですが、この詩の場合、語り手にとっては「当たり前」「当然」の論理であるにも関わらず、読み手にとっては「以外」「想定外」「新鮮」な論理なので、上手く活かされた接続詞だと思いました。 虹色が七色の伏線となり、物足りない、勿体ない、と言葉遊びのような軽さに逃がしながら自死願望(裏返された生への渇望)を述べ立てて、〈マンモスだって~失くしてしまった〉という、ユーモラスでありながら、人類普遍の感情のところにまで持って行くスケールの大きさ。 人間が人間らしさを失ってしまった現代、その現代に生きる生き辛さをリストカット、という「抵抗手段」「闘争手段」でしか表明できない・・・そんな若者の心情を代弁しているように思いました。 テンポの良さ、ユーモアや軽さの配合具合、堅固に全体を固めるのではなく、あえて隙間というのか、息抜き場所を用意しているような全体の作り、無駄のない詩行など、技術力の高さも印象に残りました。
0花緒さんへ ーーーーーーーーーーー 今回は難解な部分を全て排除してわかりやすく書こうというコンセプトで書きました。おそらく私の難解なところは私自身しかわからない部分があり、また矛盾があったのかもしれません。 最後のタイトルですが、本来タイトルにしようと思っていたフレーズが最後のフレーズと見事被ってしまったことが原因です。 百均さんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーー 実はと言いますとこの二色ボールペンのくだりは私はあまり言葉として自分は最後まで納得のいかない部分がありました。 なぜなら、二色のボールペンはあまり存在しないのでここでは三色ボールペンという形で「黒を無くした三色ボールペン」という書き方をしようと思ったのですがその上の文 >平日も黒が似合う人達は赤い服着て肌纏う ここで黒を使っているので重複を避けたいという意味でしぶしぶ二色ボールペンという意味を使っていました。血脈==ボールペンの思い付きはボールペンで手首に傷がついた時出ました。 >=「虹の色から来る、性質みたいな物を人間に符号させていくと、人間の持っている色というのは赤と青だね、みたいな所に繋げていくという発想が面白い。」 ここの発想は二色ボールペン(赤と青)と七色を書いた後、じゃあ面白そうだからここでこの二つの意味を繋げてみようという思いで書きました。 まりもさんへ ーーーーーーーーーーーーー {平日も黒・・・喪服/フォーマル(型にはまった、形骸化した)/地味 な人たちが、 〈赤い服着て肌纏う〉語感やリズムがいいのに、赤(アンデルセンの赤い靴とか、古いかもしれないけれどコミュニストたちとか、華やかな祝着、赤子、命の色)の多義性の中に迷い、しかも「肌纏う」という不思議な用法・・・自分の意思で身に着けるのではなく、肌が勝手に纏う、感じ} 平日の黒はまさに喪服(スーツ)です。この場合の赤はまさにその通りでして、肌纏うという部分は赤を着ているのに肌で纏い隠している人間の不思議を理解していただけたら嬉しいという意味でこのような書き方になりました。 {だから、という接続詞は、散文的になるから避ける、というのが「定番」ですが、この詩の場合、語り手にとっては「当たり前」「当然」の論理であるにも関わらず、読み手にとっては「以外」「想定外」「新鮮」な論理なので、上手く活かされた接続詞だと思いました。} この論につきましては嬉しい限りでありまして、私が「だから、」を入れた理由は「語り口調を意識したかった」からです。この詩は文よりかは読む声を意識したもので、ある意味「常識的安定した殺人ウイルス」と似ているようで全く違う点は音読する文なのか、黙読する文なのかという部分です。 {虹色が七色の伏線となり、物足りない、勿体ない、と言葉遊びのような軽さに逃がしながら自死願望(裏返された生への渇望)を述べ立てて、〈マンモスだって~失くしてしまった〉という、ユーモラスでありながら、人類普遍の感情のところにまで持って行くスケールの大きさ。} この七色の血を書くときは生を意識しながらおちゃめに書こうと意識して書いていたので、そのとおりでして、「マンモス~」の下りは私がよく好きで用いる。マンモス(今回で二回目の出演となります。) マンモスをよく用いるのは子供も知っていて、かつ、本物は見たことがないからです。 {テンポの良さ、ユーモアや軽さの配合具合、堅固に全体を固めるのではなく、あえて隙間というのか、息抜き場所を用意しているような全体の作り、無駄のない詩行など、技術力の高さも印象に残りました。} 私はいつも詩に対して心がけていることは「おもちゃ箱のように、お子様ランチのような、サーカス」のようにお茶目にかつ、読者にどう楽しませようか、どのように盛り込もうか、どう面白くしてやろうかということを考えています。しかし、そのようなことをしてしまうと、自分のポエトリーを失ってしまう可能性が高いのですが、自分は読者にわくわくすることがポエトリーと思っているので仕方がありませんが、そのような性質です。 でも、まりもさんがそのように思っていただいて私は嬉しく思います。 ですが、残念ながら今回で擬人化の詩を一旦止めます。また詩のスタイルを変更して、飽きがないものが作りたいので新たな挑戦をしてみたいと思います。
0はじめまして、 まず 単刀直入に感想をば、「清々としました。おみごと 鮮やかです。」 鮮明です。 【今日も、ちいろはめでたく赤】 という題名ですが、【血色】ではなく【ちいろ】 ちひろという人名がありますが、それに近い印象を 個人的には持ちました。 肌に二色のボールペンという表現から、動脈と静脈の循環器系の模型のような図が浮かびました。 きっつきつの厳しい心情をのりこえるには ポップなデフォルメと クリアーな切り返しが必要かもしれません。 心に虹をまといたいものだと、思えました。 にぶい心情吐露の作品が ネット詩には多くあります。 わたしの場合は読者として読んでいるだけなのに 詩の持つ負の印象に気分が めいってしまうこともありますので、 わたしはこの詩を 常備薬のように メモさせていただこうと思います。 私にとって この詩は お薬のような詩です。ありがとうございました。
0田中恭平さんの「石の眼」へのコメントでも書きましたが、「血は赤いもの」というお約束に対して「エヴァ」の「BLOOD TYPE:BLUE」や、その元ネタである「ブルークリスマス」における「青い血」は、「人でないもの」の象徴として扱われていました。ところがこの作品では、いきなり「原始、血は七色であった」と書かれています。まさに平塚らいてうもびっくりであります。 七色の血にそれぞれ込められた意味の解説は、「Aは黒、Eは白、Iは赤……」と主張したランボーの「母音」を連想させます。ただ、ランボー君に比べてこの詩における色の意味付けは、いささか平凡すぎる気がします。「赤色の憂鬱」とか「青色の情熱」みたいに、読者のイメージを裏切る乱暴な展開の方が面白かった気がします。ランボーだけに。最後のオチは、なかなか上手いと思いました。
0るるりらさんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーーー {【今日も、ちいろはめでたく赤】 という題名ですが、【血色】ではなく【ちいろ】 ちひろという人名がありますが、それに近い印象を 個人的には持ちました。 } {血色}と書くと「けっしょく」と読みこの題目事態がダメになってしまうため、このように(ちいろ)と表記させていただきました。 {わたしはこの詩を 常備薬のように メモさせていただこうと思います。 私にとって この詩は お薬のような詩です。ありがとうございました。} ありがとうございます。別のサイトですが、よく私の詩を携帯プレイヤーに入れて持ち歩きたいと言われたことがあります。衝撃的な詩ではなく、ふとまた読んでほしい詩をこれからも頑張ってみたいと思います。 もとこさんへ ーーーーーーーーーーー {田中恭平さんの「石の眼」へのコメントでも書きましたが、「血は赤いもの」というお約束に対して「エヴァ」の「BLOOD TYPE:BLUE」や、その元ネタである「ブルークリスマス」における「青い血」は、「人でないもの」の象徴として扱われていました。ところがこの作品では、いきなり「原始、血は七色であった」と書かれています。まさに平塚らいてうもびっくりであります。} 七色に至った理由は なぜ殺人が暗いものなのか なぜ血が出ることが悲しいことなのか という部分に至り、1色だからという答えで書きました。確かに無茶苦茶な発想なのかもしれません。 {七色の血にそれぞれ込められた意味の解説は、「Aは黒、Eは白、Iは赤……」と主張したランボーの「母音」を連想させます。ただ、ランボー君に比べてこの詩における色の意味付けは、いささか平凡すぎる気がします。「赤色の憂鬱」とか「青色の情熱」みたいに、読者のイメージを裏切る乱暴な展開の方が面白かった気がします。} あー、そうですね。そこは平凡過ぎたといいますか、逆に臆病になっていたのかもしれません。というのも一般読者が理解できるのか言わば大衆が理解できるかという部分で書きました。 センスで言えばここは平凡になりますね。 ここで裏切ると大丈夫かなという部分が中途半端な結果になっていたのかもしれません。
0「いくら悲しい君でも血の色は派手」というセリフを逆説的に捉えると、悲しくない誰で出会っても血の色は派手なのでしょう。そして、感情や内面がどうあろうと、血の色は常に派手であるということが自然の摂理として成り立っていることを想わされます。 洋服は肌を纏うものです。「肌に二色のボールペンが浮き出る」というのは画像的にみると、二色のボールペンが本体であって、纏われる側の肌が纏う側へと役割が異動させられているのでしょう。さらに言えば、「悲しい君」の悲しさもまた、君の内面にあるので、それもまた肌や服や、ましてやこの作品で言えば、表に出てくる血によって覆い隠されてしまうのでしょう。 他の方も言及されているとおり、二色のボールペン=動脈(赤、闘争)・静脈(青、哀愁)を表現しているのだと感じましたが、そこに新たに解釈を付け加えます。リストカットしたことによって、いずれかの脈から結果としては「ちいろ」=赤=闘争しか表に出てくるのでしかないのです。だが、動脈と静脈は役割が別であって、決して交わることはないとわかりながらも、誰にだってその二つを肌の中に纏っているものです。静脈も動脈も肌の下にあることを知っていながらも、実際にそれがどのようになって存在しているのかを確認することは難しいでしょう。ここで、想像力を働かせるならば、動脈と静脈が繋がっている心臓や肺はその二つが混ざっている地点であり、そこでは赤と青が混ざっている、つまり、紫の状態になっているのではないでしょうか。 手首ももちろん大事な体の一部ですが、決して目で見ることのできない体の最も大事な部分である心臓や肺には紫、つまり、悲しみが存在しているように思えます。ただ、その悲しみだって、目で見ることはできませんが、それが冒頭の「悲しい君でも」というところに繋がってくるのではないでしょうか。
0とととさん。こんにちは。 そして初めまして。 塚本と申します。 すごいですね!読み易いです! そして、掴みやすいというか、感覚として、捉えやすい!(それが正しい捉え方なのかどうかはわからないけれども) まず、こういう、堅苦しくない話し方というか口調というか、そういうものが私的にはツボでした。 そしてですね、 〉リストカットした という突然の報告のようなものがですね、七色の血のイメージをしてるところに突然入って来てですね、あ、となるわけなんです。 私は理論的に物事を捉えることが非常に苦手なので、整然とした批評というものをすることはできないのですが、これはイメージとしてはですね、かなり炸裂されています! いいものを読ませてくださって、ありがとうございました!
0手首くんの 切られた血の色は 流れ☆のような✨
0なかたつさんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー {他の方も言及されているとおり、二色のボールペン=動脈(赤、闘争)・静脈(青、哀愁)を表現しているのだと感じましたが、そこに新たに解釈を付け加えます。リストカットしたことによって、いずれかの脈から結果としては「ちいろ」=赤=闘争しか表に出てくるのでしかないのです。} この新しい解釈には度肝を抜かれました。私がこの作品を書いている時は、その領域までは考えていなかったです。しかし、それは悪い点だろうか…批評を行うことにより、書いた本人が気が付かなかった解釈が生まれることは「批評を使った反射魔法」なのかもしれない。 {ここで、想像力を働かせるならば、動脈と静脈が繋がっている心臓や肺はその二つが混ざっている地点であり、そこでは赤と青が混ざっている、つまり、紫の状態になっているのではないでしょうか。} この批評をいただきまして、ありがとうございます。 この批評から私はこの作品を書き直すことに決めました。 変な話ですがこの作品に書いた私が魅力を感じ、また、一からやり直したいと思います。心臓と肺の部分も新たな解釈を付けて進化していきたい。 塚本一期さんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この作品を読んでいただき、また、賞賛していただきありがとうございます。 今後も頑張って詩作を行いますので、よろしくお願いします。
0三浦果実さんへ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 朝
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