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鬱病
これまでに なんど 鬱病を発症し そして癒え さらにまた 発症して来たことか 軽い鬱病は 半年ほどで治まるが 重い鬱病となると 年を越しても 容易に治まらない わたしが初めて 鬱病を発症したのは 二十歳のときだが それから現在に至るまで(私は現在八十三歳だが) 半世紀をこえる年月を 繰り返し コノモノに 憑りつかれて来た その周期は ほぼ七八年で それも ある日突然やって来る 妙なのは いつも 発症時の症状が同じなのだ いきなり 海底とも 湖底ともつかない 水底に密閉される そのため 心身ともに閉塞状態となり 一挙に 日常生活から放擲されざるをえない その顕著な症状として まず歩くことが出来ない 平衡感覚が遣られているので 身体の中心をとることが出来ないのだ それどころか 立っていることすらままならない そのため 家の中では 柱や障子の桟をつかんで ようよう歩いていた それにも疲れると ときには 赤子のように 遅々として這いずり回っていた それにしても この発症が いつも決まって 水底に密閉されたわれ という状況から始まることは わたしには不可思議に思えた 恐らく それは わたしの何かが 意識的に抑圧されているからだろうと悟っていた というのも この時期 わたしは 無意識の働きというものの大切さを ようやく感じ始めていたからだ それに加えて この無意識というか 自ずからの働きというか それらこそが 逆に意識的な営為の過剰を抑え その真価を発揮させる 稀有の妙薬であることを直観した しかし 時すでに遅かったと見え わたしは鬱病を発症した 例の水底状況に困惑し あたふたと 近隣の病院(精神科)に駆け込んだ 診察室には 中年の女医がいて わたしにあれこれ病状を質問した後 にわかに世間の顔になって こう言った 「あなたは意志が弱いから、鬱病などに罹るのです」 それは 顔だけではなく 発音も音色もすべて一式 世間そのものだった わたしはとりつく暇を欠いて 為す術もなく あたふたと 病院を後にした 帰途 わたしは通りの脇のゴミ箱の存在に気づき 女医が処方してくれた薬のすべてを そこに捨てた もちろん 女医に対する反発もあったが わたしには新たな計画が誕生していた 翌朝 わたしはさっそくその計画の実行にとりかかった それは いつのことだか テレビの映像で見たもので 鬱病の患者が五六人 車座になって クラシック音楽を聴いていた わたしはそれを見て とっさに これは無意識の学習だと思った わたしも これにあやかろうというのである というのも わたしには この度の問題の核心は 意志や意識ではなく 無意識そのものであるように思われた 要するに わたしの無意識が充分に作動していないのだ もちろん 無意識に直接手を下すことは出来ないが 間接ならーーたとえば クラシックの音楽を シャワーのように浴びることは出来る それによって 無意識部分を揺らすことは出来る…… それが わたしの狙いだった 実行に移して 十日ほどたつと にわかに身体が揺れ 少しずつ 水底から身体が上昇するような気がした 無意識作動す などと言いながら わたしは見えないものに感謝した その頃 ふと目にした文章に 次のようなものがあった それは楽聖モーツアルトの手紙の一部で そこには こうしたためられていた 「私の音楽は、私の頭の中にはっきりと完成して表れ、私はそれ を聞き取り、書き写しているだけであり、それがどこからやって 来るのか、どうして現れるのか、 私には全く判らない」 恐らく これは 神が処方した薬のことを語っているのであろう わたしには これは別名無意識的覚醒という ひと際優れた薬の 効能書のように 思えたことだった
鬱病 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 260.4
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-08-06
コメント日時 2024-08-06
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>神が処方した薬のことを語っているのであろう わたしには これは別名無意識的覚醒という ひと際優れた薬の 効能書のように 思えたことだった ここが物語(語り)の終わりとして、すごく良いと思いました。わたしも無意識の領域について関心があるので、興味深く拝読しました。とてもここしばらく読んだ中で個人的にはベストでした。また、読ませてください。
0音楽の力、芸術の力は計り知れない。 精神の海底奥深くに沈んでいた者すら音楽の放つ感性によって引き揚げられるということが証明された詩だと思いました。
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