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山頭火痔集
四月七日 曇、憂鬱、倦怠、それでも途中行乞しつゝ歩いた、三里あまり来たら、案外早く降りだした、大降りである、痔もいたむので、見つかつた此宿へ飛び込む、楠久、天草屋 (種田山頭火「死を前にして歩く≪山頭火の本3≫」春陽堂書店) 痔のうしろすがたのしぐれてゆくか どうしようもない痔の私が歩いている 鉄鉢の中でも痔 またすぐに痔でさみしい 分け入つても分け入つてもきつい痔 ところで種田は薬売りの違星北斗と出合わなかったのだろうか。 違星北斗にはこんな歌がある。 われは北斗の星にして 千年ゆるがぬものなるを 君がこころの天つ日や あしたはひがし暮は西 あ、違った。これは生没年不詳 中国晋の時代の子夜姐さんの歌だ。 違星北斗はこっち。 ガッチャキの薬を売ったその金で 十一州を視察する俺 (ガッチャキ アイヌ語で「痔」) 昼飯も食わずに夜も尚歩く 売れない薬で旅する辛さ 世の中に薬は多くあるものを などガッチャキの薬売るらん ガッチャキの薬をつける術なりと 北斗の指は右に左に 売る俺も買う人も亦ガッチャキの 薬の色の赤き顔かな 売薬の行商人に化けて居る 俺の人相つく/″\と見る 「ガッチャキの薬如何」と人の居ない 峠で大きな声出して見る ガッチャキの薬屋さんのホヤホヤだ 吠えて呉れるな黒はよい犬 「ガッチャキの薬如何」と門に立てば せゝら笑って断られたり (青空文庫 違星北斗歌集) 裕福な実家から仕送りを受けて乞食にやつして(乞食に化けて)放浪 詩人を気取っていた山頭火と 放浪アイヌの痔薬売りとではその短歌の実の濃さがまるで違う。 山頭火は確かに巧く化けて名をなしたが見る人が見ればその歌のいや らしさにすぐ気づく。 そして見る人が見れば違星北斗の稚拙な歌の凄みに度肝を抜かれるのである。 ちゃんちゃん。♪
山頭火痔集 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1064.6
お気に入り数: 3
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-01-09
コメント日時 2024-01-24
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>分け入つても分け入つてもきつい痔 かどうかは別の話と致しましても。 違星北斗の歌集、及ばずながら初めて知り、拝読をさせて頂きました。 >行商がやたらにいやな今日の俺 >金がない事が気にはなっても >我ながら山男なる面を撫で >鏡を伏せて苦笑するなり >楽んで家に帰れば淋しさが >漲って居る貧乏な為だ >「アイヌ研究したら金になるか」と聞く人に >「金になるよ」とよく云ってやった >芸術の誇りも持たず宗教の >厳粛もないアイヌの見せ物 >単純な民族性を深刻に >マキリもて彫るアイヌの細工 >うっかりとアイヌ嘲り俺の前 >きまり悪気に言い直しする >淋しさを慰め合って湯の中に >浸れる友の赤い顔見る >勅題も今は悲しき極みなれ >昭和二年の淋しき正月 上記が、夙に気に入りました次第でございます。 佳い作物をご教唆下さり、允に有難うございます。 優劣は、難しいですね。山頭火には山頭火の丈高さがございますから。 詩は音楽か、情報か。その差異が跨り、蟠っている様にも思われます。
1鷹枕可さま コメントありがとうございます。 選んで下さった歌を改めて拝読し、なるほど 専門家といってはなんですが詩歌に熟達された方の 目線は違うなとハッとした次第です。 こちらこそいい勉強になります。 ※なぜかわたしの場合はイイネをつけられないようです。 システムのミスなのか。イイネに代えさせていただきます。
1違星北斗って人は初めて知ったな これ最後は照れてこんなんになったのが残念ですね いいラィティングなんで真面目にやったらどうですかね
0コメントありがたいのですが、 ひとつだけばらしてしまうと、 これ、痔=詩にかけてるんです。 痔の薬を売る行為を詩を売る行為と みてるんです。 おそらく当時も今も痔という病気は 医者にみせるのがなかなか恥ずかしい ところがあります。それって詩を 人にみせるときの恥ずかしさと かさなるようなところがある。 わたしは北斗がなぜ痔の薬などを 売って全国放浪したのか。 そこになにか熱く哀しいものを 感じるのです。 ちゃんとね、食うための仕事しな がらやむをえず放浪している。 そこが実家から仕送りを受けて 放浪を演じている山頭火とは違うんです。 インテリのいやらしい「やつし」文学なんかが 入り込む余地はないんです。 だから「痔集」という一種の非難が 出てきたのですよ。 インテリの愚劣な「やつし」嗜好への 揶揄です。いっておきますが わたしは生まれてから一度だって ものを書くときに不真面目に なったことなどないよ。 不真面目というのなら他にもいろいろ 仕込んであるものをちゃんと 読み切ってから文学ととして、どこが 不真面目か言って下さい。 AIでも書けるような扁平な詩ばかりが ネットに投稿される昨今、よどほわたし のほうが真面目にやってると思いますよ。 照れるところなどひとつもない。 人の作品は、もっと真面目に読みましょう。
1とても個人的な感想に寄ってしまいますが、 痔瘻になった経験があるので、古風な詩(といってしまうと失礼かもしれませんが)は苦手なのですが読ませていただきました。 コメント欄の「痔=詩」や「恥ずかしさ」の話も含めて、薬売りの文化や違星北斗に興味が湧きました。 確かに診察は恥ずかしい。あの短時間の触診だけだというのに、それがあるだけで予約の日に行く気が削がれる。おまけに私は痛みがある。 昔は今ほど衛生的な環境じゃないでしょうし、痔の患者たち皆に親身になれる医者は多くなかったのではと思うと、放浪薬売りの偉大さがひしひしと伝わってくる。 たとえ笑われても次へ次へと放浪する彼が過ぎ去った後、その土地で痔になった人は後悔するでしょう。なぜなら、痔は詩の冒頭にもあるように、痛むと本当に動けない。家に入り込んで留まるしかない。放浪する彼の後を追おうとしても追えない。 放浪し続けられるかどうか、という点においても、山頭火と北斗は明確な違いがあるなと思いました。
0あけましておめでとうございます。 山頭火句は まっすくな/道でさびしい、は五、七 ですが 炎天の/レールまっすぐ も、五、七 です。 鉄鉢の/中にも霰。 うしろすがたの/しぐれてゆくか は 七、七 ですね 生死の中の/雪ふりしきる 七、七 へうへうとして/水を味わう も、七、七。 こういう句もあります。 いつもひとりで/赤とんぼ で 七、五。 その、句を本来的な歌として 五、七、五、七、七、の音数律を基調として その中から、五、七のみ 又、挙句と呼ばれますが、七、七。 又、五 (七 五) 七 七 の、七五の音数のみを選択して文字を並べてゆく。 そうすると、誰にでも山頭火のように句を創る事は可能でして そういう事に気づいてからは、何やら私は山頭火が好きなのですけれど 知的好奇心、という点に於いて、感興に乏しいのはわかるのですね。 なんだ、山頭火というのは自由律俳句ではなくて 新たな、いいえ、それは意図的に音律を欠損させた形での 「定型」ではないか、という事で落ち着けるように思います。 そうしますと、全集を読んでいても、寧ろ、そういった「定型」ではない句を選ぼうと 目が動きます。 そういった意味で、わたくしの興味というのは今山頭火よりは、その 放哉の方にありますね。 しかし、この作品では放哉は取り上げられていませんので 余計な事は書かないように(笑)したいと思います。 今年も宜しくお願いします。
0コメント欄の「痔=詩」や「恥ずかしさ」の話も含めて、 薬売りの文化や違星北斗に興味が湧きました。 このご感想がとてもうれしいです。能登地震がきっかけで 能登を深く知りたいと思っていたところ、「能登」という のはアイヌ語が語源だという有力な説がありました。 また北陸の方は薬売りが有名です。そこからいろいろと想 像を広げているうちに知った歌人が異星北斗。そこから夢 想して出来た詩です。 お目をとめていただきありがとうございます。 ※なぜかわたしの場合はイイネをつけられないようです。 システムのミスなのか。イイネに代えさせていただきます。
1相変わらず何を仰りたいのかよくわからないのですが...... 放哉のことはむかし、研究までいかないまでもそうとう興味 をもって調べたことがあります。凄絶としかいいようのない 孤独な人生に見えましてあまりにもわたしに重なるところが あるので、たまらなくなって念頭から消しました。さらに強 烈な放浪歌人としては山崎方代がいます。両者ともかなり興 味をもって歌集や評伝など読みました。山崎方代は山頭火を バカにしてましたね。鼻にもかけず嘲笑してました。 ふつうは傲慢ととれるかもしれませんが方代の歌を読めば 納得できる深い洞察だと思われました。
1takoyoさんは大切なことを示唆して 下さってると感じました。 旅、また海外 と言うことで思うところは 資金援助があるにせよ やつしであり、 贅沢な宿が用意されていたかもしれないにしろ、 引きこもり生が 自室から社会に踏み出す一歩に似たものが あったのではないかと思います。 我が家、母語、母国が どれほどの揺りかごであったか 一人受ける雨風が冷たいかを肌身で知る 結果としての経験。 その意味でtakoyoさんの批判の方が (引きこもり生が自室から一歩も出ていないに等しく) 情報からであり想像だと思います。 また批評者自身の過去の生活者としての記憶が 他者の旅、人生を否定するとしたら それはただ寂しい。 takoyoさんがここに書かれた二者を ここに書かれた批判性でもって比較 一方を否定しようとするなら 批評者(takoyoさん)自身が 今現在 痔疾を煩い かつ無一文で交通手段なしの旅を続けた一生の後に 書くべきものではないでしょうか。 と言うニュアンスを私は こたつに暖まりながら書いています。 * 自分の条件において 揺りかごから一歩を踏み出す その経験を書き記す ことは かれにとって 意味があると思います。 かれにとって意味あることなら 他の一人にも。
0むかしラジオDJの人気のアイドルに 「レモンちゃん」と愛称された女性がいました。 今は髪ぼうぼうのおばあさんになっているあの 落合恵子です。まだ二十代の落合恵子がラジオで しきりに山頭火を語っていました。 わたしは文無しで東京を放浪して廃棄トラックの 荷台で寒い夜を明かしたこともあります。 放浪ってそんなかっこいいことじゃないのに なにかるんるん口調で、どう、かっこいいでしょ 山頭火やってるんですわたし、という語り口が やや不審でした。それで山頭火嫌いになったのかも。 でも椿さまが仰るとおり引きこもりからの 離脱という精神的な挑戦的意欲は評価すべきですね。 比較して軽重を語るのは よくないことかも知れません。 丁寧なご示唆を頂きとてもありがたく拝読 いたしました。ありがとうございます。
1※なぜかわたしの場合はイイネをつけられないようです。 システムのミスなのか。椿さま田中恭平さま これにてイイネに代えさせていただきます。
2二次コメント、お許し下さい。 >わたしは文無しで東京を放浪して廃棄トラックの >荷台で寒い夜を明かし このような箇所 わくわくしながら想像を膨らませています。 痛快娯楽活劇のような縦横無尽の詩文を 心待ちにしているのは私だけではないでしょう。 体験談も是非。 今回も作品を楽しんだくせに いちゃもん風になってしまってすみません。 ♢ ♢ ♢ 落合恵子さんは私より大分年長のかたですね。 私は団塊よりさらにいくつか下で 上の世代のパワーをなんじゃこれは と遠くから見ていました。 まあ一括老年で差し支えないと言いますか 光栄ですけれど。 落合さんの若い頃の美しいお姿と その後のヘアースタイルは何度か拝見しました。 あのスタイルは私の人生七不思議の一つで オズの魔法使いを思い出します。 あの当時レモンちゃんファンのお気持ちは いかばかりだったろうかと・・・。 あ、ハラスメントですか? 勿体ない!を含んだ残念表明ですからお許し下さい^^ ♢ ♢ ♢ 最初のコメントを書きながら 具体的な引きこもり生でなくても 誰にも一歩出なければならない心の部屋 があるのではと思いました。 私にもあり その正体はおぼろに見えてきたので これからが勝負かと思っています。 ありがとうございました。
1私は、親の稼ぎによって、引きこもり状態を続けました。病とはいえ、うしろめたいところが なかったわけはないのです。病を治して、今これから、正しく働こうとしています。 山頭火の詩は、読んだことがないのですが、そんな虚飾に満ちた生涯を送ったとしたら、 生きていてもつらいばかりだったろうと思います。一体その生は何だったのか。 自業自得という言葉さえ当てはまらない。偽善ですね。立ち直るきっかけのようなものはなかったのか。
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