作品投稿掲示板 - B-REVIEW

takoyo


投稿作品数: 13
総コメント数: 91
今月は0作品にコメントを付与しました。
プロフィール
記録
プロフィールはありません

takoyoの記録 ON_B-REVIEW・・・・

精力的初コメント送信者

作品への初コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

精力的レッサー(月毎)

月毎コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数
✖0 ✖1 ✖3

精力的B-Reviewer

総合コメント数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

優良投稿者

投稿作品数バッジ(くわしく)
獲得バッジ数

林芙美子の「放浪記」一年に一回以上も読み 返すほど大好きな小説ですが何度読んでも飽きない。 とくに木賃宿に集まる異形の人たちの描写は秀逸。 もし、語り手があれをバイブルにしているとすれば凄い と思う。どういう人物なんでしょうね、わたしは酒も タバコもやらないしギャンブルもキャバレーも行かない 面白みのない堅物ですが。だれか波乱な生き様の人へ あてた作品のようにもみえる。 (酔いどれは真実を吐くが誰も気にしない)

2024-03-11

おもしろい。 ၈ は”の”でしょうね。ᡄ は”い”だとわかる。 ᛪ は”な”だ。 タイトルは「幸せですか?....」かな。 その他、ていねいに読めば助詞がわかって 通読できるのでしょうけど、それより 文様絵画的に美しい。 暇があれば助詞の解読に挑戦してみたいと おもいます。 それにしてもママゴトサイトには勿体ない。( ´∀` ) ※イイネしたいのですが私の場合なぜか それが出来なくされています。 これをイイネと個人的に大賞候補に推す コメントであるとお受け取り下さい。 (Ⴑ௧?ㄝテ"௧ŋ?Ⴑ⨧)

2024-03-04

  さらに写真の犬がケアンテリアだとか   チャウチャウだとかも   (映像を)   脳内で翻訳された【ことば】で認識します。   特に日本語は、   ――映像を――   より正確に【ことば】に翻訳します   そもそも言語の持っているイメージの喚起力は、   逆から見ても然りなワケで、   ボクが言っているのはつまりそーゆーことです 失礼ながら思わず吹き出しました。 じゃあ尋ねるけど「時間」という言葉に映像があるでしょうか。笑 「観念」という言葉に映像あるのかな?  「精神」という言葉に映像あるのかな?  逆も真なりというのなら「時間が表通りから家の中に入ってきた」 という表現を映像でいますぐに表現してほしいものです。 そんなものすぐに出来るわけがないんですよ。 でも詩ならすぐに表現できる。そのまんま「時間が表通りから家の 中に入ってきた」と書けばいい。 意味は、それまで平穏に生活していた一家がひょっとして借金を抱 えて返済の時間に追われだしたのかもしれない。 その微妙な心の、居心地の変化をそのように詩では表現できる。 そういうことは、言葉ならすぐに表現可能だ。 しかし映像ではそうはいかない。笑 できないんです映像じゃ。 言葉というのはこのように〈意味〉と〈像〉の二つを持っている。 atsuchan69さんは言葉の機能の基本も押さえていない。 それでよくもまあ詩が書けるものだ。言葉と映像なんて大風呂敷広 げて講釈できるものだと思う。(失礼) わたしがイカイカ氏を小馬鹿にしていたのはこういう言語と映像の 違いの基本の初歩すらわきまえてなかったからです。 そして現フォの朝から晩まで進歩もなく似たような詩ばかり飽きも せず投稿している人たちにうんざりするのもそこです。 詩がなんであるか、言葉がなんであるかちっともわかっていない。 それから、えーっと、言葉というのは人それぞれの固有の〈時間〉 を持っていますよね。 モーパッサンの「女の一生」という本を3時間で読んでも女の一生 を体験した気持ちになれるのはそのためです。 それから言葉は固有の〈空間〉も、持っている。〈空間〉というより 〈関係性〉といってもいいかもしれませんけどね。ある人の例えば 「愛」という言葉はその人独自の広がりのなかにある。 「空」とか「海」という言葉なんかも固有の関係性のなかにある。 ほら、寺山修司の例の短歌。   海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり これがそうですよ。 これをもし映像で表現したら陳腐でしょ。はは。これもまた言語にしか 表現できない世界のひとつです。 言語と映像の違いをもっと沢山、山のように示し、講釈を垂れることは 出来ますがわたしはatsuchan69さんのような可能性のある芸術家に こういうことを是非わかってほしいのです。言葉というのはそんなあー た、簡単なものじゃないし すぐに映像と交換可能なそんな生易しいものじゃないということを。 全然別のものであるということを知ってほしい。 atsuchan69さんはもっと弾けると思うのです。    (◆詩を開放しない老害どもへ)

2024-02-19

懐の深いatsuchan69さんだから安心してこんな返信が できるのですが不快に思われたらご容赦。    また映像は、    (人が見る映像は)    じつは    ことばによって    組み立てられている    つまり、    ことばと映像は    けして    別のものでは    ありません えーーどうすればこんな曖昧で漠然とした、うわごとのような デタラメがいえるのか.....想像を絶するひどさだね。笑    映像は(中略)   じつはことばによって組み立てられている これって要するに映画はシナリオをもとに撮られている ってことをいってるだけでしょ? シナリオから与えられるのはストーリーだけで映像は与えら れていないどころか、シナリオは映像を与えてはいけないの です。ことばが映像を与えることができないからこそむしろ 逆に映画は映像をつくることができるのです。 たとえばシナリオにこう書いてあるとしましょう。  ●スネ夫、家を出る このト書きをもとに映像を組み立てるのは監督の想像力です。 想像力次第では数千、数万の「家の出かた」が想定されます。 次にシナリオにこういうセリフが書いてあるとしましょう。  ●スネ夫、妻をみて  「バカ」 この場合、怒気も荒く「バカ」というか、愚かなミスをした相手 をやさしくたしなめるように小さく「バカ」というか、呆れ顔で 「バカ」と短くいうかそれを決めるのは監督です。監督の美意識 や物語への想念が役者に対してどのような発話の仕方をするか要 求していく。 映画はことばによって組み立てられてなんかいないのです。シナ リオはストーリー(物語の成り立ち、骨組み)を構成するだけです。 ことばが映像として曖昧な自由さをもつからこそシナリオが可能 だし、それをもとに監督は映像を奔放に創造できるのです。   何が言いたいかわからない   それはたくさんの勘違いに因ります 現フォに対するわたしの見方はわたしの主観だけど、あなたの書 いたものに対するわたしの批判はちっとも勘違いじゃないですよ。 あなたは「ことば」についても「映像」についても基本の基本す らわかっていない。それはイカイカ氏と同じだ。    ボクのカチンと来るのは、    ──使いまわしされたことば──    これに尽きる 手垢のついたことばはだれだって新味を感じないのはあたりまえ でしょ。この程度のことをいうためにわざわざこんな意味不明の とんちんかんな批評詩?を書いたのですか。 詩の初心者は必ずアニメチックに「きみ」を使いたがる。でもこ れは老害とは関係ないですよ。感性の問題です。わたしはどれほ どそれらしく書かれていても「きみ」が出てくるともうそこから 先は読まない。なぜ「きみ」が嫌いかを語ると途方もなく長い文 章になるので今はそれを論じないですが、いずれにせよこんなこ とをいうのに老害うんぬんはないでしょ。笑   老害の詩人は、   たくさんのことばを殺しながら、   今日も深い穴を掘る   それは何のための穴かというと   詩という人の想いを埋める   暗くて冷たい虚無の穴だ それは老害じゃなくたんに感性がまだ成熟していないだけなんで すけどね。それよりまずはちゃんと言葉がもつ意味と像と音楽性 について深く考えることをお勧めしますね。 中途半端で曖昧な「感じ」だけで済ますのではなくちゃんと言語 と映像についての見識を自分のものにすることが大事な気がします。 (◆詩を開放しない老害どもへ)

2024-02-19

えー、糾弾された老害から一言いわせていただくと まず、何が言いたいのかちんぷんかんぷん。 まず映像表現と言語表現をいっしょにしていることが 間違っている。 全然べつの次元、ステージ、分野のはなしなのにそれ をいっしょにしているのは、どちらについてもよく分か っていないからだとしかおもえない。 そういえばここに常連投稿されていたイカイカ氏もよく そんなことを言っていた。 理路を示してそうじゃないのだよと分かりやすく説明 してやっても人の話を聞けるだけの聡明さがなかった。 得意満面に書いている以下の文言、詩のつもりなのだろう けど  ざわめく甲殻類のあてどない足音が  夕映えの瞳に句読点を並べ、  愛はさらに不毛の愛の渇きに藻搔く  おまえはエウロパの海のように  丸く、地下を転がるタコ焼きだった ちっとも面白くないし、詩になってない。 こんなものより吐白氏の詩の「継接ぎ」のほうが万 倍おもしろい。 上のもどき雑文がなぜダメかと言うと本人がいう ように一見「継接ぎ」のように見えて、全部実は 順接だからですよ。次の文言がちゃんと跳んでない からあたりまえに予測できる。 甲殻類といえばとうぜんエビなんかも入る。エビと いえば足がいくつもあって海だ。海といえば夕映えの 海だ。そしてエビといえばタコ。ぜーーーんぶ あたり前にだれでも想像できる非常にワンパタの 面白くもなんともない一見だけ跳んでるように 見える詩だ。こんなもの現フォ以外、どこに出しても だれも相手にしない。 わたしも現フォのトップ10の一番上になったこと あるけど、まったく恥ずかしかった。あんなところで トップ10に入るなんて辱められているに等しい。 ある男がある特定の仲間によっていつもイイネされて、 トップ10の常連になっている。そういう場所だ。 だからあまり投稿しなくなった。 あんなところでちっとばかりイイネがついてトップ 10になったからっていい気になってはいけない、むしろ ぜんぜんダメだと思った。 (中にはたまにいいものもあるし田中宏輔氏の詩は別 格だけどね) ほんとうに何か詩についてわかっているならまず 詩の〈老害〉とは何か、詩の〈開放〉とは何かはっきりさせ てから語らないと。ばくぜんとした「感じ」だけで 書いているからこんなちんぷんかんんぷんで幼稚な 文章になる。詩の「老害」といえばこれこそがその 老害としか思えないのだが。 ほんとうに謙虚になって一から出なおされてはどうか。 (◆詩を開放しない老害どもへ)

2024-02-19

ちょっと長くなるので批評文として投稿しました。 (拡大図のとなり)

2024-02-18

だから「書き手」と書いてるだろ? フィクションであると仮定した上で「語り手」 の考え方を批判していることもわからないかな。 それからこういう問題は今、喫緊の問題であっ てたとえば「役に立たない老人は自決しろ」 なんていう思想がテレビで敷衍されているだろ? そういう問題をどうやって「楽しめ」るんだ? あまりふざけたこというなよ。 読み手の自由な読解を制限するなら最初から 社会問題を抱えた作品の投稿などするな。 なにが「多様性」だ。ぜんぜん多様性を認め られる性格じゃないじゃないか。 もっとまじめにやれ。 (多様性の時代)

2024-02-15

どんな生き方をしようと自由だし、世の中の 役に立たない存在であろうと一向に構わない。 そもそも役に立たないからダメだということ はない。役に立たなくてもいいことは一杯あ る。役に立たない存在は失せろ。そういう思 想は優生思想だ。そして今の世の中は優生思 想が満ち溢れている。 この書き手の唯一の間違いは「世間一般」を 批判してロボット扱いしていることだ。 これは裏返しの優生思想と変わらない。自分 が自由に生きてるなら「世間一般」も自由と して認めなければそれまでの語りが全部ウソ になる。......つまり この書き手は、じつは「おれはおまえらより ずっと上等の人間だ。おれは偉いんだ」と腹 の中で思っていることがばれている。書き手 が自律的な存在であろうとするのなら「世間 一般」などという概念=他者を誹謗するよう なことをいうものじゃない。哀れな自分を認 めたいなら哀れでない他者も認めることだ。 自分の哀れさなどが他者を批判する根拠にな るわけがない。 (多様性の時代)

2024-02-15

※前回言い忘れたのですが運営のミスかどうか わたしは「いいね」などが付けられません。 評価もしたいのですがそれもできません。 これがイイネの代わりになっております。ご容赦。 (33回転)

2024-02-14

昔は芸能雑誌などを買うと ぺらぺらのソノシートが付録でつ いておりそれを壊れかけの簡素な レコードプレーヤーで聴いたこと がある。レコード針をそっと盤面 に置くときの一瞬の緊張が忘れら れない。 (33回転)

2024-02-14

蜜柑色の素粒子......はっとしました。蜜柑色の 素粒子で出来た世界ってどんなのでしょうね。 何か永遠を感じる瞬間をカシャッと切り撮った ようなインスタ映えのする詩。悪くないですね。 最近若い人たちが可能性のある詩をどんどん 投稿されるのでなんかうれしい。 (爛漫)

2024-02-11

めちゃくちゃいいですね。 全体から感じるものはいかにも若々し く潔い──風のような爽やかさです。 しかしきれいに書きますね。 見習いたい。 あ、批評を望まれていたのですね。 しかし分析だの解説だのってつまら なくないですか? そんなもの読んでも大して進歩しな いような気がするんですけどね。 素朴な感想が一番純粋に作者をゆす ぶるとわたしは思っています。 これだけのものが書ければ自分で ジャイロを自動修正していけ るはずです。 (自画像)

2024-02-09

「八正道」......ですか。 凄い修行道なんですね。ただ...... 「八正道」もいいけどわたしは逆立ちして天ぷら を食うことをおすすめします。 これは確実に涅槃への近道ですよ。ちょっとむつか しいですけどね、 「八正道」よりも手軽で、しかも早く涅槃に到達 できます。えーっと、3分くらいかな。 それからおならをして(3連発が必要です) ケツの穴からガスが出た瞬間火をつけるのです。 このときの爆発、 これがまた最高に人を涅槃にいざないますね。 「八正道」よりわたしのお勧めです。 真面目な話です。 親鸞の説く「横超」(おうちょう)という概念は そういうことです。 横超、すなわち横に超える。そのままで何の修行も なく、どんな人でもすっと涅槃の奥義に達する。 そういうこと多分知らないのでしょうけど。 まあ気長にそのなんだっけ「八正道」......ですか。 気の済むまでやってください。陰ながら応援して います。 (平和という戦争)

2024-02-07

こういう話を聞いたことがあるでしょう。 宮崎県に「日章学園九州国際高等学校」という学校があり そこの生徒は中国人生徒167名に対し日本人生徒16名です。 本来わたしたちの税金から払われる私学助成金は税金を納めて きた日本人のためにあるはずですが、政府はこの中国人生徒たちの ために学費の免除や、手当として一人月14万円を支給している。 日本の高校なのに卒業式には中国国家歌が流される。 どうしてこうなってしまったのか。 この理由を"構造的"に知ることが今の世界に戦争が決して無くならない 根本的な事情を知ることになると思うのです。 日章学園の沿革を見ると昭和31年に宮崎高等実業学校としてスター トしています。これは戦後のベビーブームに乗って山のように大学 高校などが乱立した時期と重なっているわけです。 ところが少子化が進み日章学園だけではなく全国の高校大学で入学する 生徒や学生の数が減った。生徒は減ってもしかし高校や大学の校舎や 教員はそのまま存在している。 日章学園というシステムは、生徒が減っても存続するためにどのような 方法を用いても生徒を獲得しなければならない。 そこで中国から生徒を迎えたわけです。これは別に日章学園だけの問題 ではなく全国の高校や大学で現在そういうことが切実な問題として 生じているのです。 これと同じことが欧米の軍需産業にも起きています。 第一次世界大戦により世界中で軍需産業が勃興したわけですがこの時期 アメリカでは国内労働力の25%が軍需関連産業に従事するようになった ともいわれています。 これにより米国の経済は活況を呈したわけですが大戦が終結するとたち まち景気は減速します。失業者が巷にあふれ工場は閉鎖されます。 第二次世界大戦の勃発によって米国経済は息を吹き返したわけですが 同時に資本主義システム自体が「戦争」の存在なくして存続しえないほ どになってしまったわけです。 日章学園ではないですが巨大な資本が投下された軍需産業はあらゆる 分野に下請けや研究者を持ちその就業者は家族も入れれば膨大な人口 になる。この人たちも食っていかなければならない。 そこであらゆる無理やおかしさや非人道を受け入れても戦争を求める。 つまり戦争は今や巨大寡占資本にとって必需のものになっているのです。 「戦争反対」という庶民大衆の願いは貴重なものですが、このような 分析をしている暇のない日常生活に追われている方ばかりです。 だからせめて詩や批評に関わるものはこういった根源的な矛盾をまずは 明らかにしてそれから偉そうなことをいってくれよと思うのです。 ウクライナ戦争は明らかにゼレンスキーと欧米巨大寡占資本とが組んで 生み出したものです。 この戦争で欧米軍需産業とその大株主である巨大寡占資本は天文学的な 大儲けをしています。 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/74498 ロシアとウクライナ両国はこういった巨大寡占資本の謀略にはまった犠牲者であるといえるでしょう。それはこれまでの両国の歴史を学べばわかることですが、今、ここでは割愛します。 そこで黒髪さんの冒頭の疑問の答えに移りますが、日本の主要メディアは巨大寡占資本の下請けである米主要新聞社やテレビの言説をそのままコピーして流しているのが現状です。 そして米主要メディアはほぼすべて巨大寡占資本によって牛耳られていますからウクライナ戦争の本質や真実など書けるわけがなく むしろいつものようにデマ、フェイク、ウソを平然と垂れ流しているのです。 わたしが書いたように1970年代前後はそうでもありませんでした。 朝日もNHKも米を批判することができた。でも今はそうはいきません。そこまで資本主義社会が煮詰まってしまったということでしょう。 大きな問題は、詩人や批評家や思想家が自己欺瞞に陥って、朝日やNHKを いまだ信奉し、日本現代詩人会に至ってはウクライナ戦争の構造を一ミリも理解できずマスゴミのデマ報道をそのまま信じてプーチンを非難する看板をwebの冒頭に掲げていることです。 これほど愚昧で滑稽なことはない。いまプーチンを批判するということはそのまま巨大寡占資本がウクライナ戦争を勃発させるために使ったプロバガンダを再生産することであって両国の戦争犠牲者を悼むなら、プーチンではなく大儲けを企んだ欧米の巨大資本を非難すべきなのです。ところが日本の愚劣で狂った詩人たちは巨大寡占資本の側について同じ土俵からプーチンを非難している。 これが果たして詩人といえるのか。愚劣の極み、狂気の沙汰です。 こんな連中が作り出す詩とはいったい何のなのか? ばかばかしくてお話にならない。 そもそも日本の新聞テレビが垂れ流すようにもしプーチンが独裁者で頭が狂っているのなら、あるいは領土的野心のかたまりなら、 どうしてウクライナ戦争以後、中東地域とその周辺の各国──サウジアラビアからイランからイラクそれからアフリカ諸国に至る小さな国々がロシアのもとに駆けつけたのか?  ウクライナ戦争の本質をわかっているからどの国も米国を見限ったのです。危なすぎるわけです。いつ戦争を起こされるかわかりゃしない。 そこでもっとも民主的な思想を持ち信頼できるプーチンのもとに「グローバルサウス」と呼ばれる新興・途上国の団体に参加するという形で逃げ込んだのです。 どこに盗賊や強盗のもとに逃げ込む弱い人たちがいます? ウクライナ戦争の本質を見抜いた弱小国が次々にプーチンのもとに駆け込んだのはそれなりの理由があるはずです。 これまで米国一辺倒だったサウジアラビアも米国を捨ててプーチンのもとに走っています。 かれらはウサギです。弱いから大きな耳をもっている。それが情報です。日本の腐りきったメディアや詩人、思想家とは違ってちゃんとした情報をもとに国家の存亡をかけて動いているのです。 それがプーチンを選んでいる。戦争を仕掛けることしか知らない米資本をほんとうに危ないと見切った。このことから目をそらせちゃいけないと思いますね。 なぜかというと今、ウクライナ戦争において米資本を批判しないで愚かな詩人会のようにプーチンを批判していたら 次は日本人がロシアと戦争させられるハメになることは目に見えているからです。岸田クソメガネが最近、憲法改正をいい出している。そして米国際金融資本の走狗である上川という髪ぼうぼうのキ●●イのようなババアが突然、亡霊のように次期総理候補として浮かび上がってきた。 このようなことに詩人が加担している。それが今の現状です (平和という戦争)

2024-02-07

失礼ながら作品に刺激されて極私的な時間論を開陳させていただき たいのですが わたしは〈時間〉というものは自然には無いと思っています。これは 常識に照らしてもあたりまえのことですよね? 見えないものは存在しない。これは当然のことです。 ガスとか空気とかは見えないけど計測できますからこれはモノです。 つまり存在するものとは具体的なモノだけです。 究極的にいうなれば分子とか原子とか素粒子ということになります。 では私たちが〈時間〉と呼ぶものは一体何かといえばこのモノの 変化を認知して、私たち人間がその変化の過程を「数字や言葉」で言い 表したものです。それが〈時間〉です。 これをもっと本質的にいうならば時間とは私たちの意識のことです。 だから人によって時間感覚は伸びたり縮んだりするのです。 時間が個人の中で伸びたり縮んだりするのはそれが意識=観念の 生成物だからです。 精密にいうならば〈時間〉とはモノとモノの関係性を意識化した 人間の幻想(観念)です。 動物はモノとモノの関係性は即時的に判断できますが、その関係性 を観念化できない。つまり意識化できないのです。 だから観念化できない動物には永遠の現在しかありません。過去も 未来も意識にはない、つまり時間がないのです。 もし動物がモノとモノの変化つまり関係性を意識化して〈時間〉と いう観念を生成できればその動物は人間と同じになります。 おそらくこのような時間の捉え方は世界広しといえど私だけなのかも 知れませんが多分それほど間違っているとは思っていません。  >時間は無内容のまま隆起し  >あたかも何者かの倨傲によるかのようだ これは〈時間〉への哲学的記述ではなく明らかにノスタルジーによる 過去への望郷的な眼差しでしょう。 タイトルの「時間の内容」とはあなたの〈意識〉の内容です。 ただそれだけのことに過ぎないとしてもそれを〈時間〉という関係性 に繋げたことが詩的な感興を呼んだのだと思います。 この作品や記述内容は 黒髪さんがいうような〈時間〉への哲学的な記述ではありません。 もっと情緒的な想念が〈時間〉をそれほど深く考えることなく ノルタルジアの代償として身辺に呼び寄せたのだと思っています。 (時間の内容)

2024-02-06

いつも思うんですけど他人事のように上からだれかに言ってるね。 あなたが自分でも言っているように自分自身の問題なんでしょ? ならばあなたご自身がまずは自分を諫めていりゃいいんですよ。 戦争なんか望む人は先進国の寡占資本しかいないわけだから それを非難してりゃいいんです。 大衆庶民が戦争など望んでいるはずもない。ましてそういう生活 者が宇宙を語ることとは何の関係もない。 あなたや黒髪氏にいつも感じるのは、自分をなにか 特別にわかった人間のように棚上げしてそこから誰かを見下して 語るその態度です。 そんな人間はちっとも偉くもなんともないですよ? あなた同様、それだけはいっておきます。 (戦争が終わらない)

2024-02-06

黒髪さん あなたは資料をもとに間違いを指摘してくれといった。 だから具体的な資料をお示しした。 そうすると今度は「私の良心」に従った考えだから 引き下がれないという。 自分が不利になると簡単に最初の約束を反故にして議論を そこで断ち、新しいゴールをこしらえる。 不誠実もはなはだしいのですがそれにしても あなたの良心が文献的事実を改ざんできるわけないでしょ。 ご自分がなにを言ってるか自覚してますか? 支離滅裂なこの会話、これを狂気というのですよ? そもそも『歎異抄』を読んだというのならそこにどう 書いてあります? 「専修念仏」と書いてありませんか? 「専修念仏」の意味わかりますか? 寺院も仏像も経文も否定して南無阿弥陀仏の称名だけが 大事だということを簡単に示しているのです。 その四文字をさまざまな機会を通して親鸞は具体的なエピソード で信徒に語っています。 書物だけではなく、晩年の生き方にもそれは現れている。 弟の京都の家に下宿し、三畳ほどの部屋に称名を書いた 紙でけで過ごしている。 専修念仏の意味は字義通りであって 小中学生にもわかる簡単なはなしですよ? GPT-4にたずねたという告白には笑ったがあなたは親鸞が 直接書いた書物よりGPT-4を信じているの? あなたの良心というのはGPT-4よりも劣るのですか? これでは歎異抄をほんとうに読んだとはとても信じられません。 歎異抄のどこを読んだの? あのさあ、あなたのように不誠実な人が他力の意味も知らない で「他力本願でいこう」 なんてデタラメな詩を書いてもいっこうに構わないですが、 (自分が何か悟った覚者のように振る舞いたいのでしょうけど) そういう人が運営に関与していることはビーレビの恥になりま せんか? 蛾兆ボルカあたりからちょっと批判されたらミミズが穴に もぐるように恐縮し、分かりもしないのにあの恫喝おばさん の批評?に盲目的にひれふすくせに、内心侮蔑している 相手だとバカにして一歩も引き下がらないのは滑稽でしょう。 あなたのそういう人を選別して態度を変える卑しい心の流れ を直視することから人生初めてはどうです? 自分がどれほど愚かで無知で差別的であるか、そこをちゃんと 対象化できもしない人間が「良心」などと語る資格はない。 (ブツ)

2024-02-06

もう返事しないつもりでしたが問われていることにはお応えしておきます。 黒髪さんの問い1. そんなに私は間違っていますか? 親鸞氏の思想を、どの書物、文献から、 読み取ったのか、それを提起いただかないと、わかりません。 ●お答え コメントの中で『歎異抄』も読んでないのですか? と問うているはずです。 また『歎異抄』についての厳密な論証である『歎異抄論註』も読んでいないのですか? と問うています。さらに『歎異抄』の親鸞思想を極限まで問うた『最後の親鸞』も読んでいないのですか? と問うていたはずです。当然、これらを読む前提として浄土宗の基本経典である浄土三部作 「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」は読んでいる上でのことです。 さらに親鸞の仏教思想というよりは親鸞の仏教理解の書というべき『教行信証』は浄土三部作と 合わせて読んでいることを前提としているのはもちろんのはなしです。 黒髪さんの問い2. あなたの主観と私の主観では、事実を証明することは難しい。そもそも、 事実というのは、学問的に、資料から判断されるものです。 ●お答え ですから具体的な資料や書物、経典の名前を挙げているじゃないないですか。 それをもとに親鸞が仏像や寺院や教団を否定していたといってるじゃないですか。 どこがわたしの主観なんですか。あなたが具体的に書物に当たればすぐわかることです。 薄っぺらい『歎異抄』一冊も読まないで、いや、そもそも浄土三部作や『教行信証』も 読まないでいったい黒髪さんは何を根拠にわたしの指摘が主観であると判断するのです? まず本を読むこと。親鸞の思想も仏陀の思想もすべて書物、言葉を通して後世に伝えられたのです。 それを読まずして他人の仏教史なんかいくら読んでもそれはただの雑学です。 まず仏陀や親鸞ら本人が口伝した物や書いたものに直接当たって読むことです。 黒髪さんの問い3 あなたは人の誤まりをそんなに指摘して一体何を目的にしているんですか? しかも、私は全く誤まっていません。 ●答え 仏陀は口伝しかしておりませんから当人が書いたものとは言えませんが親鸞は自分で さまざまな書物をあらわしています。それを読んだ上で「私は全く誤っていません」という のならともかく、読みもしないでそれはないでしょう。 それから「私は全く誤っていません」じゃなく「私はまだ読んでいませんからあなたの指摘が 事実かどうか今のところ判断できません」と言うべきじゃないでしょうか? 人間にとって一番大事なのはそういう謙虚さです。それがないあなたがやたら仏教だの愛だの正義 だのということばを振り回すことに実はずっと眉をひそめてきました。 これがわたしがあなたに注意を促したことの理由のひとつです。わかっていただけましたか? それともどこまでいっても「私は誤らない」人間だという妄疾を抱えてこれからも やっていかれますか? 架空のネット空間だけでは幾らでも聖人を気取れますが 大事なことは身体性をもった自己がちゃんと他人に対して謙虚になれるかどうかだと わたしは思うのです。誤らない人間などこの世に一人としていませんよ。 *仏教というものを何か知のペンダントのように振り回す人をみても内心笑っ て済ませてきたのですが、今回だけはあまりにひどい詩なのでたまらず 間違いだけを指摘させていただいたものです。他意はありません。 (ブツ)

2024-02-05

うーん。ほんとうに困った方ですね。 よく考えないで思いつきで次から次へとその思いつきを 表面的に語っていくから、何から何まで大雑把で、 議論の糸口も、ほんとうに共感できる話の端緒もつか めない。 本来ならあなたの不誠実な反論に付き合うことはこれ でやめるべきですが、運営関係者だからあえて言及 しておきます。 あのですね、 わたしは仏教全般の話をしていたのではなく、あくまで あなたの詩にある「絶対他力でいこう」ということに 関して親鸞理解や仏教理解が曖昧で間違っているよと注意 を促しただけです。 その話を丁寧にすればするほど、黒髪さんはまったく別 の話にすり抜けていく。 煩悩具足の凡夫であるという自覚のどこが「自らを貶める ような非常識な教え」になるのか、びっくりするような ことを仰る。(どうやら黒髪さんは親鸞の「悪人正機説」 とごっちゃにして語っているようですが、わたしは親鸞の 「悪人正機説」にはいっさい触れてはいません) 仏教に限らずキリスト教でも自分が神に対して煩悩だら けの無力な人間であるという自覚から信仰が生じます。 それを自らを貶めるような非常識な教えという のは突拍子もない意見ですがあなたの自由だから それを否定はしません。 わたしはあくまでも真宗の一般教義としてあなたのそれは 事実ではないこと指摘しただけです。 そしてあなたの信仰の態度はあなたの自由だけど親鸞が 語りもしないこと、親鸞の思想でもないことをまるで 事実のように語ることへ注意を促したのです。 それがご理解頂けないようですのでこれにて失礼します。 (ブツ)

2024-02-05

うーん、今どきこれほど切実に真摯に重層的な心の襞をひとつひとつ仔細に直視して書く方がいるとは思いもしませんでした。トップ10という仕組が嫌であまり投稿しませんが現代詩フォーラムに「吟醸」というイイネがあります。わたしには「吟醸」の意味がわかりませんでした。しかしこの作品のたっぷりと熟成された言葉の厚みはまさに「吟醸」だなと思いました。ただわたしのような素人の手慰み野郎にはなかなかに手に余る作品でちゃんと読めたかというと正直心もとないのですが。 (鏡明の交廃)

2024-02-05

うーん、困った方ですね。 「絶対他力」と言いながら『歎異抄』一つ読んでないのですか。 それなら当然『歎異抄論註』も『最後の親鸞』も読んでない のでしょうね。中村さんのそれは三十年いやもっと昔に読み 終えています。仏教史というのは信仰とは関係のない話ですよ。 個人的な仏教思想の深化とも関係がない。ただの仏教知識です。 「絶対他力」というのは凡夫に還ることです。煩悩まみれの無知 無能の凡夫を自覚も出来ないでどうして仏に帰依できます? そんなことも理解できないで「絶対他力でいこう」なんて 書いていたのですか? 今になってあなたのコメントに蛾兆ボルカ氏が呆気にとられたのが よくわかります。 日頃、真理だの正義だの愛だのと大仰に語る人に限ってダメだと いうことのいい見本にしかみえなかったのじゃないかな。 知りもしないし分かりもしないことをさも知ったかぶって語る ことはわたしにもよくあることですから非難はしませんが。 しかしもっと人間は、とくに仏教を、しかも「他力」を語る ならもう少し身を低くして教えを乞うべきでは? と思い ますけどね。 (ブツ)

2024-02-04

純粋な詩の初期形式ははじめこうだったんだろなと 思いました。 (独り言)

2024-02-04

よくは理解できませんでしたがとにかく なんか凄いぞこれはという気持ちがしました。 (それは散歩)

2024-02-04

「絶対他力」という教義は大乗仏教観から 発展させた親鸞独特の仏教思想ですが 親鸞の教えにはあなたのいう冒頭の 仏像はありません。明確に仏像を否定して います。また親鸞は寺院も否定していま すから当然、教団も否定しています。 現在の浄土真宗各派は親鸞思想を裏切った 中興の祖、蓮如が教義を政治的に改編し 通俗化した仏教思想によって成り立っています。 もちろんそんな基本的なことを知らない 真宗理解でも構わないのですが......一言 ご指摘させていただきます。 えーとしつこいようですが、 他にも たとえば「菩薩」というのは厳密には仏 じゃないのです。 菩薩というのは仏ではなく「如来=仏」になる ことを目標にして、修行を積んでいる途中の 「修行者」のことをいいます。 全体に仏教全般についてあやふやな通説や常識 にもとづいて書いておられる ようですが、わたしはハチャメチャなことを 書いていますけれど、基本だけは押さえて いるように心がけています。 どうか黒髪さまも当サイトの運営者として 事実関係にもう少し丁寧な姿勢であることをお願い 申し上げます。 (ブツ)

2024-02-04

詳しく内容を理解できたかわかりませんが ここまですっ飛んでいると気持ちいいものです。 (Drawing Rose)

2024-02-04

ありがとう! ( 公衆便所引きこもり)

2024-02-04

●この作品は、【詩】というジャンルだけでなく寿司文化にも大きく寄与している。 ↑ 対象作品の意欲や発想のすばらしさを評価しての上での感想ですが、それじゃあ、あまりにも 寿司文化も詩の世界も安っぽくとらえすぎじゃないでしょうか。 きつい言い方かもしれませんがネット投稿板を「ままごと」の世界にするのならそれでもいい ですが。 わたしは寿司を握ったことはないですが、あの詩のネタの半分くらいの魚介は京都の割烹料理 店の下働きをしていたときにさばいたことがあります。 例えばトビウオなんか、「飛魚」として出てきますが驚くほどおいしいものです。 また海での生態なんかはまさしく海を飛ぶ魚にふさわしい飛距離があります。 もう鳥と言ってもいいんじゃないかとすら思えますしね。 さばくときの手触りはガラスの屑ような感じで独特です。ウロコが他の魚より透明で光沢があ りジャラジャラしてるからかもしれませんが。 そういったネタの数々をあのように書かれているのには少し違和感を持ちました。 もうちょっと座ってじっくり言葉を吟味してもよかったのじゃないかな。発想はいいのですか ら。 寿司文化も詩もそんな浅いものじゃないと思います。でもまあ、ネットではそういうことで 通用するかもしれませんが。 「寿司」というタイトルならシャリにも言及してほしかったしね。 もちろんあの詩の意欲や発想のすばらしさを評価しての上での発言です。何度もいいま すけどね。「罵倒家」などと罵倒ばあさんから言われたくないですから。 詩として評価するなら、うーん、取って付けたようなラストは書かないほうがよかったと思います。 ああ、また「罵倒家」といわれるんだろうな。そうじゃないんだけどね。ネット投稿板 と詩を愛しているから出てくる発言なんですけど。そんな安ぽいものにする発言にだけは どうしても一言いいたくなりましたのでね。 (レタスさんの「寿司」を読んで)

2024-01-23

明治時代の写真は撮るのに8時間かかったそう です。改良されても30分。 さて、夕陽が落ちるまでの露光時間で撮った彼女。 わずか一フレームとはいえさまざまな残像が 語り手に残ったのでしょうね。 短くても奥行きのある詩だと思います。 (帰り道)

2024-01-22

わたしもこれは個人的な経験から 胸にくるものがありました。 もうちょっと削除と展開があっても いいのじゃないかと思いました。 (降車専用)

2024-01-18

お読み下さりありがとうございます。 断定的なご指摘なので論理の経路がよく掴めない ません 申し訳ありません。 (愛よりもやさしく)

2024-01-18

お読み下さりありがとうございます。 この詩を昔なぜ書いたのかまだ思い出せないのですが...... ドラマチックともいえるコメントを読んでいる うちになんとなく仰るようなことだったのかと 思われてきました。 一度和歌山の山のほうにある辺鄙な飲み屋街に 迷い込んだことがあります。 「まごころ」という看板の居酒屋がひそむように 灯をともしていて、 看板に惹かれて入ると、田舎のおばさん一人という 自宅をちょっと改造したようなお店でした。 ビールとつまみだけ頼んで1万円近くぼったくられた んです。......でもそれが「まごころ」だったのかと思って、 又そのお店に飲みにいったことがあります。 よくわからないんですけどね自分の気持ちが。 愛でも恋でもまごころでもいいのですけど なんかそんな立派でも壮大なものでもなく ちょっと違うものじゃないかというような気が しないでもないそういう気持ちがあったのかも しれません。 (愛よりもやさしく)

2024-01-18

椿、鷹枕可各位さまへ なぜかイイネがつけられないので これをもってイイネの代わりとさせていただきます。 ありがとうございました。 (愛よりもやさしく)

2024-01-18

お読み下さりありがとうございます。 手練れの目利きに なにか過分に評価していただき正直 尻がこそばゆいです。 愛という言葉へ過剰反応をしてしまったかな と少し反省しております。 (愛よりもやさしく)

2024-01-18

お読み下さりありがとうございます。 明治期にキリスト教が入ってきてloveという 単語に中国語の「愛」をあてたと聞いています。 中国語の「愛」にはもともと"偏執"という意味 があり語源的にあまりいい言葉じゃないのです。 日本には「まごころ」という言葉がありますが わたしは「愛」より「まごころ」という言葉が 好きなんです。 ハンナ・アーレントがという人が いますが彼女の語る愛というのはキリストとの関係性で あって汎神的な愛ではない。つまり「愛」というのは 日本的な「まごころ」とは違って非常に選別的で エゴイスティックなものなんです。 だからガザのような悲劇も起きるとわたしは考えて います。 そういう殺戮の源になるようなものがひそむ「愛」ではなく 日本的な「まごころ」、汎神的なやさしさ、そういう ものが今必要なんじゃないかと思っていた矢先、 なにか批評的な投稿をしたかったのですが それをすると「罵倒家」と糾弾されかねない。 そこで昔の書き物を探していたらこんなものを書いていたな というのがあり投稿しました。 いまでは何でこんなものを書いたのかよくわからないのですが とにかく自分で書いておきながらタイトルが気にいって 投稿させて頂きました。 (愛よりもやさしく)

2024-01-18

肉体だけじゃだめかしら。というセリフを 思い出しました。 (腐敗する私)

2024-01-13

愚鈍なわたしのことだから 失恋のことかとも思ったがなるほど 深いものがあったのかも知れませんね。 (おやおや氏「葬儀、地球の」を読んで)

2024-01-13

タラレバ たとえ北極や南極あるいは遠い星の彼方へ 逃れて人が一人であろうとしても世界は 一人では生きさせてくれないかもしれませんね。 それはともかくまるで漂白されていくような 透明で純な独白であったとおもいます。 (タラレバ)

2024-01-13

※なぜかわたしの場合はイイネをつけられないようです。 システムのミスなのか。椿さま田中恭平さま これにてイイネに代えさせていただきます。 (山頭火痔集)

2024-01-12

むかしラジオDJの人気のアイドルに 「レモンちゃん」と愛称された女性がいました。 今は髪ぼうぼうのおばあさんになっているあの 落合恵子です。まだ二十代の落合恵子がラジオで しきりに山頭火を語っていました。 わたしは文無しで東京を放浪して廃棄トラックの 荷台で寒い夜を明かしたこともあります。 放浪ってそんなかっこいいことじゃないのに なにかるんるん口調で、どう、かっこいいでしょ 山頭火やってるんですわたし、という語り口が やや不審でした。それで山頭火嫌いになったのかも。 でも椿さまが仰るとおり引きこもりからの 離脱という精神的な挑戦的意欲は評価すべきですね。 比較して軽重を語るのは よくないことかも知れません。 丁寧なご示唆を頂きとてもありがたく拝読 いたしました。ありがとうございます。 (山頭火痔集)

2024-01-12

相変わらず何を仰りたいのかよくわからないのですが...... 放哉のことはむかし、研究までいかないまでもそうとう興味 をもって調べたことがあります。凄絶としかいいようのない 孤独な人生に見えましてあまりにもわたしに重なるところが あるので、たまらなくなって念頭から消しました。さらに強 烈な放浪歌人としては山崎方代がいます。両者ともかなり興 味をもって歌集や評伝など読みました。山崎方代は山頭火を バカにしてましたね。鼻にもかけず嘲笑してました。 ふつうは傲慢ととれるかもしれませんが方代の歌を読めば 納得できる深い洞察だと思われました。 (山頭火痔集)

2024-01-11

コメント欄の「痔=詩」や「恥ずかしさ」の話も含めて、 薬売りの文化や違星北斗に興味が湧きました。 このご感想がとてもうれしいです。能登地震がきっかけで 能登を深く知りたいと思っていたところ、「能登」という のはアイヌ語が語源だという有力な説がありました。 また北陸の方は薬売りが有名です。そこからいろいろと想 像を広げているうちに知った歌人が異星北斗。そこから夢 想して出来た詩です。 お目をとめていただきありがとうございます。 ※なぜかわたしの場合はイイネをつけられないようです。 システムのミスなのか。イイネに代えさせていただきます。 (山頭火痔集)

2024-01-11

コメントありがたいのですが、 ひとつだけばらしてしまうと、 これ、痔=詩にかけてるんです。 痔の薬を売る行為を詩を売る行為と みてるんです。 おそらく当時も今も痔という病気は 医者にみせるのがなかなか恥ずかしい ところがあります。それって詩を 人にみせるときの恥ずかしさと かさなるようなところがある。 わたしは北斗がなぜ痔の薬などを 売って全国放浪したのか。 そこになにか熱く哀しいものを 感じるのです。 ちゃんとね、食うための仕事しな がらやむをえず放浪している。 そこが実家から仕送りを受けて 放浪を演じている山頭火とは違うんです。 インテリのいやらしい「やつし」文学なんかが 入り込む余地はないんです。 だから「痔集」という一種の非難が 出てきたのですよ。 インテリの愚劣な「やつし」嗜好への 揶揄です。いっておきますが わたしは生まれてから一度だって ものを書くときに不真面目に なったことなどないよ。 不真面目というのなら他にもいろいろ 仕込んであるものをちゃんと 読み切ってから文学ととして、どこが 不真面目か言って下さい。 AIでも書けるような扁平な詩ばかりが ネットに投稿される昨今、よどほわたし のほうが真面目にやってると思いますよ。 照れるところなどひとつもない。 人の作品は、もっと真面目に読みましょう。 (山頭火痔集)

2024-01-11

鷹枕可さま コメントありがとうございます。 選んで下さった歌を改めて拝読し、なるほど 専門家といってはなんですが詩歌に熟達された方の 目線は違うなとハッとした次第です。 こちらこそいい勉強になります。 ※なぜかわたしの場合はイイネをつけられないようです。 システムのミスなのか。イイネに代えさせていただきます。 (山頭火痔集)

2024-01-10

悪くない。 まず第一章。 冒頭の廃棄処理工場の挿話のイメージはいまの世界イメージと重なる。ところ どころ聖書に出てきても違和感のない印象的な一節がありました。   目に映る風景は汚く、耳に入る言葉は美しい。   私は初めて海を見る。海という言葉が何を意味するか知り、そして海は   私から言葉を奪う。 こういうセリフは小手先の詩技術や知識や頭脳からだけでは決して出てこない ほんとうの詩のことばだと言えるかもしれない。 たとえばわたしたちは子どものころ「愛」という言葉を記憶して辞書的に理解し、 成長して大人になって「愛」という言葉をリアルに知る。そしてそれにのめり こんではじめて「愛」という言葉の深奥が握りしめた手から逃げていく。 これが言葉というものだ。この投稿作品に散りばめられたフレーズは、 人生に苦しみ悩んだものからしか絞り出されない詩的乾坤であると言えるものなら 言ってみたい。 二章、三章は平準的だがそれなりに詩的な雰囲気をもっていると個人的には感じた。 クリスマスプレゼントなのかな? 全体的にこれまでの投稿とは少し違う。 (廃棄処理工場の向こうに神の国がある/極限の思考の果て/いつからかお前は消えた)

2023-12-24

直裁で的確な感想ありがとうございます。 難題山積みの世の中ですが深い霧の中で 確かなものを見失わないように歩を進め たいと願っております (プーチンの世紀)

2023-12-24

ていねいなコメントありがとうございます。 キャベツに卵を混ぜて焼くほうのやり方、 今度じっくりやってみようとおもいます。 (プーチンの世紀)

2023-12-24

ていねいなコメントありがとうございます。 キャベツに卵を混ぜて焼くやり方、 今度やってみようとおもいます。 (プーチンの世紀)

2023-12-24

ラストから五行目の   二口目で思い出してお湯を沸かす という表現が気になった。 どうして二口目なんだろう?  一口目でもなければ三口目でもない。 どうして作者は二口目と書いたのか。 もしこれが時間の量を意図していたのだ とすれば残念ですが、 わたしにとってこの詩はかなり 平準なものになってしまう。 どうでもええやないですか。細かい。 そういう非難もあるかもしれないけど これが詩という文学上の表現なら やっぱり気になる。 そういうものは冒頭からありまして   花が欲しくなった の「欲しくなる」というのはどういうことか? 気になる。 ふつは花を「欲しくなる」とはいわない。 これはどういうことなのだろうかと考える。 それから三行目の   黄色とピンクの花 これも不思議な表現だ。黄色とピンクの花なんて ランタナくらいしか思いつかない。 非常にきれいな花だけど野にあるからきれいで 花屋ではふつう売ってないと思うのだ。 そうではなく色としての黄色とピンクを求めて いたのならそこにはその意味があるはずだが なにげに書いたのだとすれば “二口目”と同じく詩としてはかなり平準なものになる。   花売りが川に花を落として乙姫に贈る童話があった という挿話も気になった。 これはかなり意味深な挿話なのだが、作者はなにを 伝えたかったのか? なにげにふと思いついたのというのなら残念ながら “二口目”と同じく詩としてはかなり平準なものになる。   一人部屋に帰り という一行も気になった。 一人で出かけたのだから一人で帰るのは当たり前だが どうしてそこを強調したのか? どんな意味があるのか。 なにげにふと思いついたのというのなら残念ながら “二口目”と同じく詩としてはかなり平準なものになる。 こうなるとすべてがシュールに思えてくる。 どうしてアールグレイでなければいけないのか、 どうして紅茶の湯気程度で睫毛が濡れるのか? etc そしてラスト、   花だけが本物のようだ という表現の時制。なぜかここだけが突然現在進行形の 文法になっているのだ! 発想は悪くない。半世紀前にもそういう発想の歌が大ヒ ットしている。 『恋人もいないのに』 https://www.youtube.com/watch?v=REnxNAFeBPA 歌謡曲のフォークソングとはいえこの歌の歌詞は意味深 だから解釈は容易ではない。 下手な現代詩よりよほど深い。 この詩も解釈が容易でない気がしているがそれはまた別 の意味で。 でもまあ発想と雰囲気はいいとは思いますけどね。 (花束)

2023-12-20

「天才詩人」などというハンドルがすでにし て批評になっているから、憶測するに本人は 詩から見放されていることを自覚しているのか もしれない。 ところどころに気の利いた表現がある。 また日本語の起承転結にそぐわない意図的に 脱線した文体がある。 作者はそれがサリンジャーのような あるいはその亜流の村上春樹のような あるいはカミュのような気の利いた散文が つくりだす言葉の風景と思想を じぶんもまたつくりだしているだろうと 感じているように見える。 それは悪いわけではない。 ただ、 自分探しというのは意識の虚構なのだが その虚構に幻惑されて旅などまでやらかすと 実際の現実の人や街との意識の上のずれが 起きる。 それは当然であって流れ着いた先が戦場で あろうと天国であろうと大都市であろうが 最果ての凍土の村であろうが人というのは 流れ者とは違ってそこで生活しているのだ。 単純な生という営みを黙々と続けている。 たとえば90歳の老父を70歳の息子が 看護しているかもしれない。二人共黙って 自分たちの生を引き受けている。そういう なまの生の存在に何処へ行っても遭遇するとき、 自分探しなどというふざけた旅人がいる 場所などないから つまり、結局は交わり得ないものが交差する ときのなんともいえない空漠感に出会しかない。 だから片足の男が帽子を差し入れてもその 肩越しに印象的な風景をみるしかないのだ。 人間はウソを拒絶するが風景なら流れ者のウソを 許容する。 なまの人間など、どこへ行ったところでみな “親が死んでも米を研ぐ”人たちばかりなのだ。 書き手というか作者は自分がやってきたこと の愚かさにもう気づいているのかあるいは 気づくことは"自分"の破滅になるから気づけない のかは知らない。 迂遠になにか社会政治意識の断片が配置されて いるがそれは正直ぶんがくとしてどうでもいいことで それはちゃんと別枠で書けばいいことだとおもう。 いずれにせよ最後は142857B 2007 という出発点── 間違いの出発点に戻っていつまでもあがいている。 いや、ぎりぎり、それもまた文学なのかもしれない。 同じことを何十年も繰り返し書いて だれかがいつか解読して「おまえは間違っている」 とはっきりいってもらいたいのかもしれない。 でもわたしにそんなことをいう義理はない。 当人も意識の上ではそんなことはないと思っている だろう。 だから黙っているべきなのだが、そういう”行為 としての詩”というものもあるのだなと思い感想 さなどせてもらった。 (142857B 2007)

2023-12-18

最初の一行が日本語としてつまずいた。 つまり作者はあまり真面目に何か詩を書くこともない のじゃないかと思った。 今のこの時代、 知に偏ったものは空疎な感を 免れない。 コメントを含め なにかを衒うようなある意味 幼稚な人間性のいちめんをみた気がした。 詩はそういうものからそろそろ離脱すべ きときに来ていると思うのだが。 (神さん)

2023-12-16

タイトルがいい。 はじまりもいい。 いつの時代でも 人が人ゆえに受難する生の一面を 一貫して描いているようにみえ.....る 。 (アスファルト上、どこにもいけないお前へ)

2023-12-16

あ。あらら。台風一過って感じだ。 自分で憎悪と罵倒を持ち込んでおきながら自分で対立はやめろ、コメントは わたしのも含めて全部削除しろ.......ですか。 うーーん。ずいぶん身勝手な方ですね。というかいつも 自分の気持しか眼中にないんですかね。そう簡単にコメントを消されても困る。 一生懸命、作品にもあなたにも返事をしているんです。戦争つまり人の命に関わる ことだからあえて、リアルをみるように福まるさんに注意をうながしたのです。 相手に相談もせず削除しろって、他者の気持ちも思いやれない人が、 どんな正確な情報をもとに人様の話を不正確な情報だと決め付けているのか 聴かずともわかるような気がします。 まるでブルドーザーのような乱暴さだ。わたしの投稿読んでやるということですが そういうあなたにわたしの作品は別に読んでもらわなくてもいいですよ。 とってつけたように言われても気持ち悪いだけです。今後はいっさい 関わらないで下さい。余談ですが、 こういうやり方で気に入らない人間のコメントを削除するようなことをもし 運営があたりまえにするならば、わたしはそういいうことはやめておいたほうが いいと個人的に思いますね。 (向こう側の意見)

2023-12-04

まあ、まあ落ち着きませう。 そう息せき切って戯言だとか自己言及のパラパラだ っけ、そういうなんとかだと罵倒しなくとも静かに話 せばわかることです。 まず。あなたは福まるさんに失礼ですよ。 わたしは無知な表現だとはいってない。意識の問題を 指摘したんです。 えーとね、落ち着いたらわたしのコメントちゃんと 読んで下さいね。2014年のクリミア独立については 何も言及してません。はい。 わたしが指摘したのは ①目下世界で起きている戦争は2つじゃないこと。 これ、わかりますね?  ②ロシアのウクライナ侵攻は米民主党ネオコン政権が 仕掛けたものでロシアはそれに対抗して軍事作戦を 決行しただけという指摘です。 すぐに「日本が先に攻撃した」「ロシアが先に侵略し た」「ハマスが先にテロった」という底の浅い発言を する愚か者がいるがいつの場合も「先に仕掛けた」の は欧米グローバリストです。仕掛けられたら応戦する。 これ、あたりまえのことです。 それ以前のロシアとウクライナの歴史は多分わたしは あなた以上にはちゃんと資料も読んでるし膨大な近・ 現代の歴史も承知しています。まさか、何もしらない でウクライナ問題に首をつっこむほどそんなバカじゃ ないですよ。 あなたと違って西側の情報だけで判断もしてないしね。 いきなり戯言だの自己言及だのと品のない罵倒をする のはマナー上よくない。まずはそういう下品でみっと もない憎悪感情を制御できる人間になってください。 知識や知能よりも人間てのはそういうことが大事です。 でないと静かに話もできない。 指折り、いや骨折り、ご苦労さま。 (向こう側の意見)

2023-12-04

いちおう今現在、世界で起きている戦争は2つではなく スーダンでも4月から激しい戦争がつづいています。 重要な地域でないことと人種偏見からだれも関心をもたない。 それがわたしたちのもっとも卑劣で勝手で欺瞞的なところです。 ユダヤ人やウクライナ人だと大騒ぎするくせにスーダンには 目もくれない。 福丸さんのいう2つの戦争と同じくスーダンのも代理戦争ですが ロシアとウクライナのものは戦争ではなく侵攻。つまり特別軍 事作戦です。 戦争ならロシアがイスラエルのようにキエフに無差別なミサイル攻撃 をかけてとっくに終わっています。 プーチンが一般住民を殺さないように地を這うように忍耐的 な地上作戦を遂行しているから2年もかかっているのです。 仕掛けたのは米民主党政権です。仕掛けられたから応戦したのが ロシアです。ロシアが先に侵略しただの何だのというのは詭弁です。 それからガザの悲惨な無差別殺戮。これも仕掛けたのは米民主党 政権です。仕掛けられたのがハマスです。先にハマスがテロ行為を 起こしたというのは西側の詭弁です。仕掛けられたから応戦したのです。 この戦争の目的はガザ沖のガス田です。つまりイスラエルによる パレスチナからのエネルギー収奪戦争です。 https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_93576/ これは戦争前からもう欧米の巨大企業を集めて分け前の相談がなさ れていました。 幽霊だの神様だのが出てくる場合じゃないのです。テレビ新聞の タワゴトを信用しないでじぶんの眼でしっかりと世界の情報を 集めて世界認識をもつことが今の時代ではもっとも大事なことです。 (向こう側の意見)

2023-12-03

フィリピン?でしょうか。 如何にも昭和的な濃厚な情緒がにじみでている。 これはこれでいいのでしょうけど、個人的な好みとしては こういうものを抑えて、ふつうに書かれておられた さりげない文章からにじみ出る詩の結晶といっては大げさですが そのようなものが好みです。 (Human lost)

2023-12-03

失礼しました。他の投稿作品への感想を 間違って書いてしまいました。 申し訳ありません。 (『優しい』ウソ/“Gentle” lie)

2023-12-02

いい雰囲気の独白だと思います。もう少し間を詰めても いいんじゃないかな。 (感情)

2023-12-02

いい雰囲気の独白だと思います。もう少し間を詰めても いいんじゃないかな。 (『優しい』ウソ/“Gentle” lie)

2023-12-02

こんな返事を返されるならスルーしてもらったほう がよかった。 わたしも詩歌の書き手としてはここに投稿される方 々の技量を見下したのだから不遜な態度で返されて も当然かもしれませんが、しかし 前の投稿でも三人でさんざんコメント欄を蹴り散ら かして挨拶も謝罪もなく消えたが、 蛾兆とかいう尊大な男にはあれだけ卑屈に平身低頭 する。いくらままごととはいえ運営の片割れなら、 もう少し真面目にやってほしいね。 ま、いろいろ病気を抱えているようだから仕方ないが。 (非─詩のベタである、生活描写)

2023-12-02

 「写生」は眼前にあるものの、そのままを書  けば句になる歌になるという教えであるけれ  ども 詩歌でいう「写生」というのはそういう意味じゃないよ うな気がします。すくなくとも正岡子規や斎藤茂吉が考 えていた「写生」とはかなり違うのじゃないかな。 おそらくぼくらがよく小学生のころやったような校外で の図画の授業を思い出して、あれを「写生」だと考え、 そう語っているのでしょうけど、あれだって「眼前にあ るものをそのままを描いて」いるのじゃない。このあた りは実は大人より子どものほうが「写生」というものを 自然天然にわきまえているような気がする。 大人は画用紙に縁がないと思っている。つまりキャンパ スを無限の空間と想定しそこにどう世界を描くかを考え る。だけど小学校初年程度に成長した子どもたちは純粋 というか、単純で曇りがないというか、ちゃんと四方の 縁が見えている。画用紙の四方の限界を知っている。 だから子どもにとって写生は「眼前にあるものをそのま ま描く」ことじゃなく、まずは構図を決めることからは じめる。だから画用紙を縦にするか横にするかで散々悩 んでいる姿をよく目にする。ダイナミズムをとるか平穏 さをとるかの選択が無意識に決定される。 そして樹なら樹を描くとき子どもたちは樹を描いている のではない。 樹に向かって樹を描くのはある程度世界観や常識が固ま った大人であり、実はそれが”写生”を妨げる。 子ども達は樹ではなく抽象的な線や色や形を描いており 結果として樹になっていると考えていると見たほうがい い。だから必ずしも樹を上から下へと描かない。真下か ら段々上に描いていく子もいる。しかしこんなことはも う頭の固まった大人には無理だ。しかしわたしが知って いる詩人ならそれを言語を使って容易に成し遂げる人も いる。(ネットでは見かけないが詩誌寄稿の詩人にいる) これを写生というならば、写生とは「眼前にあるものを そのままを書く」ことではなく、むしろ生の感覚や精神 そのままで限定された空域に眼前を掴み取ることである といえるような気がする。  ネット詩に日々触れていく中で、その技巧を  凝らした詩の方が「ベタ」であって、この  「夜の散歩」という作品は寧ろ、「非ベタ」  に読める。 長いあいだネット詩見てますけど技巧をこらした作品な んて千に一つもなく、また、たまにあっても一切理解さ れずに無視されてるのが実情です。いかにも詩誌なんか に掲載されている「それらしき現代詩」よく見かけます がわたしにいわせればそれこそが「ベタ」?の ように個人的には見えるのです。ですからこの対象作品 もわたしからすればそういった「ベタ」詩の類のバリエ ーションひとつなんですけどね。 それから対象作品を「写生」とか「生活」とかいいますが それなら批評などいらないわけです。 『夜の散歩』も一連は「飲めないから」という理由で散歩 しており。二連は「便秘薬が切れたから」買いに行き、 三連目はスニーカーが「合わない」といって嘆き、 四連目は「足が痛い」「カッコ悪い」と愚痴をいい、 五連目では私には「詩情がない」と居直り、追記では 何かが「消えている」。 つまり何らかの欠損の感覚が書き手を「夜の散歩」? へと誘い出している。 缶ビール、便秘薬、スニーカー。坂道、アニメという 小道具にも書き手の無意識が反映している。そういうものを わたしたちのような詩の読めない凡愚に示して解体してもらえる のが批評というものではないかと思うのですが最近の投稿 をとりあげた様々な批評文は批評どころか作文にすらなって いないものが多かった。 小中学生の作文より味気ないし独創性も感性もないものが 連続して批評として投稿されて、かなり参ってしまった。 小説と詩の違いのひとつは写生についての見解で個人的意見 を書いていますが、 この投稿サイトに投稿される詩のほとんどは詩ではなく ただの文章です。わたしの詩”もどき”を含めてね。 現代詩フォーラムのようなあんな糞サイトを真似ることは ないけども まずは詩をどうやって書くか、書けるかそこがこのサイトの 大事な節目じゃないでしょうかね。 (非─詩のベタである、生活描写)

2023-11-30

一部表現だけとりあげてまことに申し訳ない のですが   蜜柑のような 薄明かり   白い棺と わたしとを 照らしている この描写にはっとしました。 童話のような色彩。すばらしいです。 (出棺前夜)

2023-11-20

鷹枕可さんの 「呪詛の形式を兼ね備えている詩」という観点は おもしろい見方ですね。 いや、あらためて鷹枕可さんの直感の鋭さ感性のこ まやかさに畏れ慄いています。 この詩の投稿者は某投稿板に句読点や濁点に関する 考えを書いており この文章はその論考の中で句読点のない文章の一例 として書かれたものです。 運営の一員の方であり優秀な書き手なのでみなさん ご承知だとおもいます。 それで句読点に関する考えをコメントしたのですが どうやらわたし一人が空気を読めず 溺れてしまったように見えましたので急いで抜き手を 切って戻ってきました。 芸術作品(表現)としてみた場合、呪詛というものが こめられていると(視点をかえて)眺めてみればなるほど と鷹枕可さんのご指摘には教えられるものがある。 ここ最近のさまざまな動きをウォッチしていたものとして いちいちあてはまりそうなことがあるからです。 「呪詛」とは何か、呪いとは何か、ちょっと長くなるので これ以上は書きませんが、興味がわいてきました。 (溺れる)

2023-11-19

日本語にはもともと読点「、」はなかったらしい。 源氏物語原本なんかみても読点「、」がなく必要な場合は改行している。 私的にはそれが本来的な日本語の文章にぴったりな気がする。 たとえば   青森で収穫された美味しそうな赤いリンゴ という場合は上記のように形容句の長い順番に並べると 読点「、」はいらないような感じがする。 これをもし   赤い美味しそうな青森で収穫されたリンゴ のように形容詞句の短い順に書くと「美味しそうな青森」で 収穫されたリンゴというヘンな読みが生じるので仕方なく読点「、」を使って   赤い、美味しそうな、青森で収穫されたリンゴ と書くことで正確を期するしかなかったのではないか。 しかしほんとうは原則①形容句の長い順に並べることで 読点「、」の必要はなくなるような気がする。 やたら読点「、」が多い文章というのはこの原則を忘れた 人が書くからそうなるのじゃないか。知らんけど。 余談ですが「当用漢字」というのは占領軍が日本を占領している 「当面のあいだ」仮に「用いる」漢字という意味で日本政府に 押し付けたものらしい。 だから「当用」というのだそうだ。 ところがこのカスカスの当用漢字が未だにもとに戻っていない。 だから日本の優美で優雅な日本文の世界は損なわれたままだ。 戦後80年そろそろ漢字を元に戻していい頃だ、というような ことを感じた。 (溺れる)

2023-11-18

世代間の対立はさけてほしいね。 わたしも全面同意です。 (言いたいこと)

2023-11-15

冒頭モダンな感じがしたけどやはり 生活者の深味のある言葉が散見できて なかなかにけっこうでした。 (旅人)

2023-11-14

お読み下さりありがとうございます。 世界観をもつ大人の詩人から拙作に 講評をいただいてたいへんありがたいです。 (アサヒ記者)

2023-11-14

“幽霊”とはいい比喩ですし それを使った描き方も悪くない。 (幽霊たちの砂浜)

2023-11-12

土石流が、来そうに思える。 (雨に巻き込まれるとき)

2023-11-08

風、だな。 アジでもないし内省でもない思想でもない風のようにただ言葉が吹き抜ける、そういう一文が通過点として必要なときがあるような気がする。 (命を道具としてだけでなく、目的とせよ)

2023-11-08

そこを耐えて卒業して、 輝く勲章っていってのけるのはいいですね。 (中学校を卒業するということ)

2023-11-08

呪詛? (Ceremony)

2023-11-08

たこ公園というのがいい (a poem)

2023-11-08

うまくいえないけどこれを読んで「わかる」と呟いた。 (ベッドの中)

2023-11-08

なるほど。 でも、おれは生きている。 (「蚊」)

2023-11-08

ハ からですね。わかりました。 (ハ)

2023-11-08

ラスト、おもわず 「うん」とうなづいていました。 (黒猫)

2023-11-04

失ったものに迫る息遣いを感じた。 (幻影)

2023-11-04

回転扉をくぐってビルに入ったみたいな感じです。 (まみれ)

2023-11-04

ラストは一見ありがちな境地の表明だけど 「エリンギ」が効いているのでそうは感じなかった。 (エリンギのバター醤油ガーリックソテー)

2023-11-04

いいっすねえ。 人生の達人だから書けるハッとする 絶妙に味のある詩句がちらばっている。 (人生 楽ありゃ)

2023-11-04

改めて読んでみたのですがCeremony氏の発言は憶測と勘ぐりだけを もとにする発言ですね。どこにも何の根拠も証拠もない。 あ、それぜんぜんきみの間違いだよといいたいところが一杯ある。 それより、そういう憶測と妄想と勘ぐりにもとづいてわたしについて の処分を話し合っているあなたがた。それも人の投稿作品の場所で。 どういう権利や資格のもとにやってるの? 「-」氏もね、ここを辞めようが何しようがわたしの投稿の場所で 発言してどうしたいの? わたしが知らなければならないことでしょうか? 辞めたければかってに辞めればいいのに人さまの投稿した作品コメント欄で 宣言することでしょうか。 わたしの処分は運営でまだ決まっていないのに、三人とも自らここの規則を破って わたしに一言の断りもなく土足で入り込んで作品をそっちのけで処分を話し合って お邪魔しましたもいわず去っていった。何様のつもりですか? この一事からしてもあなた方がここでわたしを裁く権利なんかない。 田中氏はCeremony氏や「ー」氏にフォーラムに移動するよう注意もできなかった。 いまだに唖然としています。 (元祖詩畜いかいか)

2023-11-02

むつかしい問題なので時間をかけて読んだのですが...... URLの続きの小説に入ると語り手の記憶が妄想なのか事実なのか わからなくなって、ある意味、不気味になてきました。 しかしこの小説の勘所はそこにあるのではなく今の精神医療の 闇の部分にあると読めばそれなりの価値のある文章じゃないかと 思います。 (陰謀大河小説「赤十字conspiracy」衝撃のノンフィクション!)

2023-11-02

芸のない堅苦しい釈明になりますが、えー まず「いかいか」というハンドルについてですがこのハンドルは確かに5年ほど前にCeremony氏がこのサイトで使っている。しかしその後は「Ceremony」やほかの名で投稿しているので「いかいか」というハンドルは目下ないと考えます。まさか幾つものハンドルが同時有効とも思われない。またハンドルを離れた「いかいか」がネット上で登録商標されているとも思えない。だってこの「いかいか」は子どもを意味することばとして辞書にもあるからです。 https://www.google.com/search?q=%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%84%E3%81%8B+%E6%84%8F%E5%91%B3&rlz=1C1TKQJ_jaJP1068JP1068&oq=%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%84%E3%81%8B%E3%80%80%E6%84%8F%E5%91%B3&gs_lcrp=EgZjaHJvbWUyCAgAEEUYHhg5MgsIARAAGAQYJRiABDIICAIQABgEGB4yCggDEAAYBBgPGB4yCggEEAAYBBgFGB4yCggFEAAYBBgFGB4yBggGEEUYPNIBCDMzODlqMGo3qAIAsAIA&sourceid=chrome&ie=UTF-8 デジタル大辞泉 「いかいか」の意味・読み・例文・類語 [副]《「いがいが」とも》赤ん坊が泣くさま。 また、その声。 おぎゃあおぎゃあ。 わたしは最初この詩を「元祖詩畜いがいが」にするつもりだった。分かる人は分かっていると思うがこれは人気マンガ『社畜!修羅コーサク』のパロディである。そしてこの『社畜!修羅コーサク』は人気マンガ『島耕作』のパロディである。『島耕作』の作者弘兼憲史は苦笑いしてこのマンガを黙認しているという。 辞書を引けばわかるが「いがいが」とは子どものことである。 わたしは「社畜」があるのなら「詩畜」もあると思いそして詩に埋没する子どものように純な存在「社畜いがいが」が大人の世界とどう関わるのかを書こうと思った。そこで「いがいが」が出てきた。「いがいが」とは「こども」のことで優先的には「いかいか」という表記でもある。「いがいが」ではちょっと語呂が悪い。そこで「いかいか」にした。人のハンドルを使っただのなんだのといわれてもわたしはそんなことは斟酌しない。「いかいか」氏のハンドルは「異化」から出ているのだろうがこちらは「子ども」である。そして「いかいか」ではなく「元祖詩畜いかいか」全部でひとつのタイトルなのです。ほんとうは投稿作品の裏話などしたくなかった。だれかのいうとおりそれはせっかくの作り話の世界をしらけさせる。しかし運営の「あやめ」さんを煽って「荒らし」よばわりしたユーザー?がそれが完膚なきまでに論破されて通じないとなると「いかいか」という語彙が入っているからと難癖をつけてこちらまで攻撃をはじめた。仕方なく説明をしておく。 (元祖詩畜いかいか)

2023-11-02

つまらん。 文極時代の洗練された感性が微塵も残っていない。 だからこんな連中と組んだのだろうけど もう干からびたのだから無理に書いても悲惨な・・・・ (靴を履き、物語をポケットに、ポエムを歩く)

2023-10-30

みんなここがよくなればと願ってコメントしているんだから きみのいう「派」なんかないよ。 あるとすれば「良くなってほしい」派ばかりだ。 そもそもきみは書いているように投稿さえできればどうでもいいんだろ? そんなきみが「派」をわけて「分断を煽る」ことは違うじゃないか。 それから できることがないことをわざわざコメントしなくても結構だよ。 おれをみろこんなに覚めてるぜってか。( ´∀` ) わかったからすこし黙ってろ。 (第8期運営方針)

2023-09-06

あなたのこれが捨て垢だってことはみなさん周知のことだ。 じぶんで他者を攻撃する荒らし行為をあちこちでやっておいて明確な 根拠を示せとはこれまたお笑いですよ。 某匿名投稿者のコメント欄では根拠もなく某氏に「セカンドレイプ」などという 誹謗中傷を書き込んで悦に入っていたがもうそういうみっともない憎悪感情は捨てなさい。 インテリジェンスといわれて悦に入って突然難解な用語を使いだすお笑いな方だから いってもきかないと思うが大人として恥ずかしいよ。いずれ京大卒を自慢したいのだろうから はは。好きにやればいいよとも思うけど。いや恥ずかしい荒らしだ。 (森おじさん - Creative Writing)

2023-09-04

ことあらば必ず旦那をほのめかす。 よほどこわもてのお方なのだろうね。 お手柔らかにお願いしますよ。 ほんとうは そのこわもてに支配されているのでしょうが。 頭隠して尻隠さずだ。 くわばらくわばらだ。 (ビーレビがハッキングされた件について)

2023-08-26

あなたが小心者で自分に自信がないことは いちいち投稿者を誹謗中傷する前置きなしには投稿できないことや ちょっと批判されると金切り声の悲鳴をあげることで みなさんご承知だろうと思うんです。 もうさあやめましょうよその虚勢。みていてこちらがつらい。 もっと精神的に成長しなければ詩にもなんにもならないとおうけどね。 (カード発行してくださいよ。)

2023-07-22

想像力と語彙の豊かさを感じた。 (四方山話)

2023-06-09

むつかしい問題ですね。わたしが教えていただきたい。 (悪ってなんやろね)

2023-06-09

 御読み下さった皆さまへ 現運営沙一氏が吐露されたように 「責任感よりも個人的な心情を優先してい」るという態度に不審を覚えたから このような表明文を投稿させていただいたのですが (そのような方が運営する投稿サイトへ)詩や文章を投稿することがあっても その投稿文についてだれかと議論することは御免こうむらせていただきます。 理由はいわなくとも皆さまよくご承知だとおもいます。 誰かさんのように一方的にイエローカードを食らう可能性があるからです。 沙一氏が運営にいるあいだは わたしの文に批判や反論のある方はたとえ身勝手な妄想であろうと何であろうと いっさい反論しませんからどうぞご自由に。   (沙一氏の早期退陣を求めます)

2023-02-16