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エセ詩人
その男は詩人ではなかった 真の詩人とは似て非なる エセ詩人であった 何故なら その存在と詩が 分かちがたく 結びついてはいなかったから 存在の根底から 詩を書いてはいなかったから ただ 傷ついた己の心を癒やすため 砕かれた心を繋ぎ留めるため 詩に助けを求めただけだった その男にとって詩は 存在の目的ではなく 手段の一つにすぎなかった だから真の詩人には なり得なかった 真の哲学者は 考えようとして 考えるのではなく 考えなくてはいられないから 考えるのだという それと同じように 書こうとして 書くのではなく 書かなくてはいられないから 詩を書く者を 真の詩人と呼ぶならば やはりその男は 詩人ではなかった その男は 己は詩人であると 己自身を欺くことに 疲れきってしまった 苦しみから逃れようとして 伸ばした手が描くもの 描こうとするもの それもまた 「詩」と呼べるならば その心は いくらかでも安らぐのだろうが その確信は 決して持ち得なかった
エセ詩人 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1473.2
お気に入り数: 5
投票数 : 1
ポイント数 : 23
作成日時 2024-01-01
コメント日時 2024-01-06
項目 | 全期間(2024/10/31現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 8 | 8 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 6 | 6 |
総合ポイント | 23 | 23 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 8 | 8 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 6 | 6 |
総合 | 23 | 23 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
体調不良のため、しばらくお休みさせていただきます。
3こんにちは! 奥が深いなと思いました。詩人と呼べるのかどうかっていうところは主観と客観的に違うなと思います。自分は詩人だっ!って思えば詩人だから。誰かが決めてるわけじゃないしなと感じました。
0コメントをありがとうございます。 確かに主観的な詩人と客観的な詩人とは異なりますね。 自分が詩として書いたものが、他人から「こんなの詩じゃない」とみなされることもあるのですから。 そんなときはなかなか辛いです。
1詩人という言葉にこだわりがあるのですね。
1「己は詩人であると/己自身を欺くことに/疲れきってしまった」 人は自分に何者なのかという問いを立てながら生きていくものだと、私も思います。とても共感しました。 一つ、私が最近感じるのは、詩と自分の隔たりについて。美しい詩は詩人の手から産み出されたものである反面、その詩人から離れていくものだと、とある批評で読みました。 それはまるで、自分の中の他人と出逢うような感覚で、強いて言えば「処女の恋人」のようだと。 詩を書くなら、自分が理解しがたい詩を書くようになることも、また自分なのだと許容しなくてはならないのだなと思います。 それは、心の慰めや助けなどとは程遠い行為で、言葉そのもののリアルと向き合うことです。詩人はそう詩を書いていくべき存在だよな、と、この詩を通して改めて考えさせられました。
0コメントをありがとうございます。 「自分が理解しがたい詩を書くようになること」 「心の慰めや助けなどとは程遠い行為で、言葉そのもののリアルと向き合うこと」 そういったことがなかなかできない、その想いを 「己は詩人であると 己自身を欺くことに 疲れきってしまった」 というところに込めました。 真の詩人とは天性のものではないかと、そんなふうに感じています。
1最上の時にも最悪の時にも人は芸術を必要とする。 ゲーテ なんかこの言葉を思い出しましたね。 エセ詩人だとしても、芸術的な何かが欲しかったのかもしれません。 それはそうと、またしても妙な世界線にこの人を紛れ込ませてみますね。 いや、なんだかクロスさえて見たいのがありまして。 彼は、また何も書いてない紙に向かう。 一切の確信もなく、助けを求めるかのように。誰かを、自分を、欺くとしても。 何も書けないまま。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」 何故か背後に屈強な男たちがいた。 汗と泥で汚れた迷彩服に、重厚な装備を身に着け、肌が出ている部位にはべっとりと黒と緑と茶と黄色のドーランを塗り付け、それが煌々と光る眼球を目立たせている。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」 あの、何……? 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」 えーと。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」!!!!!!!!!!!!!」 するとレンジャー記章を配した紫の旗を突き出してきた。 え? と、思う間もなくつい手にした時。 身に着けている物が、彼らの者と一緒になった。 頭の鉄帽が早くも擦れ始め、戦闘靴はきつく、首から下げている小銃が食い込み、立つのもままならない程の背嚢が圧し掛かる。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」 戸惑っていると。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」!!!!!!!!!!!!!」 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」!!!!!!!!!!!!!」 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」!!!!!!!!!!!!!」 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」!!!!!!!!!!!!!」 絶叫する男たち。 そして教官、助教。 歴戦の戦士である彼らに胸ぐらを掴まれ、睨みと共に言われた。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」!!!!!!!!!!!!!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 歩調に合わせ、喉が潰れても声を挙げ続ける。 何も見えない真夜中の山中、少し前にはこんな事になるなんて思ってもない。 それでも引きずり込まれる様に彼らとただひたすら叫びながら、全身の痛みを堪える暇さえ与えられず、何処までも走り続ける。決して落としてはならないと本能が訴えるレンジャーの旗を手に握りしめながら。 暗闇の向こう。誰かいる。 「レンジャー!!」 教官の号令と共に、等間隔を見よう見まねで開き、直立姿勢でその誰かを前に整列する。 誰だ? 「レンジャー!」 すると彼らは全員の背嚢に明らかに重い石を入れ始めた。 ついでに砂が入った手りゅう弾に似せたペットボトルを背嚢のベルトに結び付ける。 そして、指を刺した。 「レンジャー!」 更に高い山の頂上を。 急斜面を滑りながら駆け続ける。自分のペースで足を運べない階段状の段差がこんなにキツイとは思わなかった。 それでも手を膝に乗せる訳にもいかない。 この旗を手にしているのだから。 「レンジャー!」 「レンジャー!」 「レンジャー!」 「レンジャー!」 後ろから彼らが押してくれ、幾分かは楽になる。 いや、それに頼る訳にはいかない。 屈強な彼らさえも限界が訪れているのだ。 「れ、レンジャー!!」 声を出し、進んでいく。 山頂にズダボロになって滑り込んでもそこはゴールじゃなかった。 水は持っていても飲めない。食料も持っていても食べられない。 死にかけた誰かのためのものだから。 固いアスファルト、極限の体力をゴリゴリ削っていく。 全身に掛かる重量は、何もかも追い詰めていく。 朝が明けていく。 何も見えなかった、本当に何も見えない闇の世界が、わずかづつ形態と色彩を取り戻していく。 アスリート以上の肉体のレンジャー訓練隊のみんなも、教官や助教ですら限界を超えているとわかりつつ、それでも走り続ける。 「1,1、2 レンジャー!」 声を出して。 目の前の風景が、慣れ親しんだ住宅街になっていく。 スタート地点となった家が見える。 そこにたどり着いた時。 「レンジャー!」 教官の号令と共に整列。 ただ、エセ詩人だった彼が一人立つその前に整列して。 「れ、れ…………レンジャー……」 レンジャーの旗を返納した。 彼は元の服装に戻った。 白い紙に虚無に向かっていたあの時の。 すると教官が迷彩柄の帽子を彼に、乱暴に被せつつ、叫ぶ。 「レンジャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 「1,1、2 レンジャー!」 レンジャ―訓練隊は号令と共に、走り去っていく。 体力も気力も限界何て言葉じゃ足りない状態なのに。 エセ詩人は涙ながらに直立不動、拙い挙手の敬礼をしたまま、見送った。 あのレンジャー訓練隊には、詩はない。 それどころか文学の欠片もない。 何かをやらなくてはいられないものは、果たしてあるのか。 酒と女と娯楽以外に。 ない。 あるのは体と心と使命感、義務感だけだ。 たった一晩、一緒に三途の川を渡る寸前まで走り続けてそれがわかった。 自らはエセ詩人なのだろう。 それでも体と心を持ち、何かの使命感、義務感に燃えるのならば、それはそれで価値があるのではなかろうか? 釈迦の言った言葉を思い出す。 「善い言葉のみを語れ」 自らはエセ詩人だとしても、自分とどこかの誰かにとって、例えばあのレンジャー部隊にとって善い言葉を語り続ければ、優れた何かにありえるのではないか。 使命感と義務感に燃えて。 迷彩帽を目深に被り、彼は家に。 そして、真っ白な紙に向かう。 目を閉じれば思い浮かぶ、あのレンジャー訓練隊を描き出す。
0真の詩人とエセ詩人と、難しい問題を提起した詩を書いて居ると思いました。魂の詩人、存在がにじみ出る詩人でしょうか真の詩人は。自分の中からエセ詩人を追放できるのならば気が楽なのかもしれません。
0コメントと返詩をありがとうございます。 釈迦の言った言葉を思い出す。 「善い言葉のみを語れ」 真の信心を持っているならば、そこから発せられる「善い言葉」はやはり、存在と深く結びついたものなのでしょうね。
0コメントをありがとうございます。 「魂の詩人」。 言うは易し成すは難しで、己の内のエセ詩人から逃れられる術が見つかりません。 残念です。
0この作品を読む限り私も詩人ではないですね。
0コメントをありがとうございます。 詩を書きながらも、自分は詩人ではないと感じている人は、どれほどいるのでしょう。
0コメントをありがとうございます。 詩を書きながらも、自分は詩人ではないと感じている人は、どれほどいるのでしょう。 (すみません。宛先を間違えたので二重の返信になってしまいました。)
0自分のこと詩人だと思ったこといちどもないですけど^^; 詩だと思ってかきたいだけで、文字書かされるだけですもん。つうか自分が詩人かどうかなんて肩書に囚われてもしょうがないでしょ。m.tasakiさんは毎日なにかしら書いてますか?書きたいと思いますか。書かされてしまいませんか? 下手だなと思っても変だなと思ってもアウトプットしないと何もみえないですからねえー、もじゃくちゃかんがえても、かんがえても答えが出ないときは、こうしてなにもかも文字にして置かないと、捨てるような気持で書き出さないと整理できない進まない気がします。わたしはですけどね。
0コメントをありがとうございます。 確かに「詩人」という肩書に固執し過ぎなのかもしれません。 アイデンティティーが不安定なのです。
0周りの人から「詩人」と呼ばれれば、その人は「詩人」と思います。自分で「詩人」を名乗っていようが「エセ詩人」を名乗っていようが、自分の意思とは関係なく、周りの人が「詩人」と言えば、その人は立派な「詩人」です。 m.tasakiさんは、詩人ですよ。
0コメントをありがとうございます。 私を詩人と仰っていただきありがとうございます。 仰るとおり、自分が何者であるかは他者によって決められるのかもしれませんね。
0それもまた 詩と呼びましょう そうでなければ 神々だけが遊んでいれば いいのだから ゆっくりお休みください^ ^
0こんばんは。 詩は書いたものが詩になるか?みたいなところはあると思います。 それはそれとして、もしある人が自分の心を癒やすために絵を描いたら、その人は絵描きと言えるんじゃないかな。 歌に救いを求めた人が歌う人になったら、歌手ではないでしょうか? 詩を書くことに何かを求めた人が、詩人じゃダメですか? いいように思うな。 詩人という呼称にはたぶんあまり意味はないと思うんですよね。 それと同時に詩人という肩書を求める気持ちもわかります(たぶん)。 自分の書いているものに自信がなかった時、やっぱりそういう肩書があったらなと思ったりもしました。 僕も他の人の詩を読んでいて、これって詩?と思うことはよくありますね。 ただそういうときって、これは詩じゃないと思ってるんじゃなくって、自分の書きたい詩はこれじゃないって思ってる気がするんですよね。 詩の定義って曖昧ですよね。 でも、言ってみれば、絵の定義も音楽の定義も、けっこうわからないんですよ。 詩って何?と言われても、うまく答えられないように、絵って何?、音楽って何?と言われてもうまく答えられないですよね。 だって、絵は絵だし、音楽は音楽だし。 だから、詩は詩なんじゃないかな。 ある種、素数みたいなもので、それ以上分析するより、それはそれとして受け入れた方がいいのかなと書いていて思いました。 書いたものが詩になるかどうか。 すぐ書いたものが詩になる人もいれば、書いたものが詩になるようになるまで時間のかかる人もいると思います。 大切なのは、無理なく書き続けることだと思うんですよ。 詩に惹かれる心があって、無理なく書き続ける日々があるなら、それはいつか自分で納得のいく詩作品になると思います。 最近、才能の伸び方も早熟や晩成があると思うようになってきて、早熟の場合は伸びるのも早いけど限界を迎えるのも早い、晩成は伸び切るのに時間はかかるけど伸びしろがたくさんある。 そんな風に思うんですよね。 才能の型がどうであれ、書き続けることが大切だと思うんですよ。 限界を超えるためにも、頂上まで到達するためにも。 そして書き続けるためには、休むことも大切だと思います。 時々書いて、時々休んで、そうやってずっと書き続けてたら、いつの間にか詩人になってるんじゃないかな。 そうな風に思います。 傷ついた心を癒やすのは大切ですよ。 心が癒やされないと、人ってなかなか前に進めないんですよね。 同じところをぐるぐるしちゃう。 それでも前に進むために詩を選んたのなら、それはやっぱり詩を好きな人だと思いますよ。
0本作品に綴られた感慨はある程度書き続けてきた人にしかなかなかわからないものなのかなと。 詩 だったと。詩が男なるものを書き綴っていたんだ、と。そうした解釈なり感想を持ちましたが。 思うところはありましたね。エセ とありますが、気づいたならばエセもクソもなく。やはり詩である、あったんだと。
0佳いのではないでしょうか。詩人でなくとも詩をしたため、歌人でなくとも歌をしたためるとも。 畢竟、社会的肩書の問題でございましょうから。詩人であるかどうかは。 書いても如何にもならぬ、とう状態の時に記述をした作品の方が味わいが有ったりも致しますのが、創作の面白い処でもございましょうから。 長い目を以て創作営為と向き合うことが肝要なのかもしれません。 追伸:連詩企画、且て参加をさせていただきましたが、非常に愉しく拝読させて頂いて居りました。 場を設けて下さるお方、批評等の裏方に徹して下さる御方は類稀でございますので、とても名残惜しい心持が致します。 此の場に良心の灯を燈し続けて下さりまして、允に有難うございました。 種々の心労もございましょう。今は只、自らを御労りに為られて、何時か復、必ず戻って来てくださいませ。 何時でもお待ちを致して居ります。 これまで、允に有難うございました。
0コメントをありがとうございます。 「そうでなければ 神々だけが遊んでいれば いいのだから」 そういう見方もあったのですね。 新たな視点をありがとうございました。
1コメントをありがとうございます。 「詩の定義って曖昧」 「ある種、素数みたいなもの」 なるほど、そういうものなのかもしれませんね。 お気遣いありがとうございました。
0コメントをありがとうございます。 「詩が男なるものを書き綴っていたんだ」 自分が詩を書くのではなく、自分が詩に書き綴られている。 言われてみれば、そんな気もします。 独自の解釈をありがとうございました。
1コメントをありがとうございます。 「良心の灯」と仰っていただき、たいへん嬉しく思います。 やはり肩書にこだわりすぎているのかもしれません。 体調が回復しましたら、また少しずつ投稿やコメントをさせていただこうかと思います。 お気遣いありがとうございました。
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