いつだって、帰り道を気にしていた
どこに行っても、不思議でも、自由でも、
いつだって、少しの不安で、佇んだり、していた
小さな頃は、家の中のいろんな場所が目印で、
押入れの奥から、トイレの壁から、
ブラウン管のテレビの裏から、
よくわからないような変な場所へ
旅立ってしまうことが偶にあった、気がする
原っぱを走って、
いばらを蹴散らして、
雪原で寝転んで、
自由だった、のかもしれない
それでも、空を飛ぶことはなかった
泳ぐこともしなかった
いつでも地に足が付いていた、ような
いつも最後には、来た道を戻る
雪原の足跡を辿って、
いばらの残骸を横切って、
原っぱで少し不安になって、
押入れから、トイレから、テレビの裏の埃から、
家に戻れて、安心して、布団に潜って、
そしてまた、目が覚めるだけ、どこまでも現実だった
僕は本当は、早く家に帰りたかった
いつもの布団じゃないと、
帰り方が分からなくなるから、どこにも行きたくない
たぶん、だからあの日、僕は泣いていたのか
作品データ
コメント数 : 7
P V 数 : 1032.7
お気に入り数: 0
投票数 : 1
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作成日時 2023-12-18
コメント日時 2024-01-27
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:1032.7
2024/11/21 23時38分03秒現在
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子供時代にある帰り道、学校からや友だちの家や遊びから、そこにあるノスタルジーがある作品に読めました。
0私も子供の頃は、時々空想の世界に入り込んでいましたが、否が応でも現実に引き戻されていましたので、いつも帰り道を気にしていたという感覚は新鮮です。 多分、私よりもずっと入り込み方が深かったのでしょう。 2連目の家の中のいろんな場所が目印(通り道?)となっているのが、ノスタルジックな感じで良いですね。 3連目の 「いつでも地に足が付いていた、ような」 というところと、最終連の 「僕は本当は、早く家に帰りたかった」 「だからあの日、僕は泣いていたのか」 というところに、自分自身への仄かな怖さが感じられます。 それを自覚したとき、少し自由が広がったのでしょうか。 そう考えると、少年期の成長を描いた詩のようにも思えます。
0コメントありがとうございます。 確かに、懐かしい気持ちに浸って書きましたし、ノスタルジーですね。
0コメントありがとうございます。 入り込み方が深かったのかどうかは、どうでしょうか… 帰り道が心配で気にしている、ある意味私は深いところへ中々行けない性分だったのかもしれません… でも、入り込んでるからこそ不安になると考えれば、仰る通りなのかもしれませんね。 生きていると、改めて自覚することばかりですね。その自覚をする度に成長して、自由を広げられたらどれだけ良いことでしょうか。 そうして行けるようにしたいものです。
0旅立ってしまう、と言う表現に立ち止まります。勿論死ぬと言う意味ではないと思います。変な場所に旅立つ。何か示唆的でした。走って、空を飛ぶことはなかった。泳ぐこともしなかったと言うと、自由とは何かと考えさせられてしまいました。
0コメントありがとうございます。 最近、とある歌の、「帰る場所がなければどこにも行けない」というような歌詞を読んだことが、言ってしまえば今回の投稿のきっかけになります。 少なくとも私には、自由にも最終的な着地点が必要で、それが見えないと自由に身を任せられなかった。今はその頃よりは少しだけ、帰る術を覚えてしまっただけかなと思っています。 なんか訳分からんこと書いちゃったかもです。 とにかく読んでいただけて嬉しかったです。あ
0・何処か懐かしい気持ちになります、自分もこんな事あったような気がしてしまいました。 ・飛ぶことも、泳ぐことも、もしかしたら出来たのかも知れませんが、フリーダムってどうしたら良いか分からないし、どうなっちゃうか分からないので、だからフリーの範囲、地に足を付けるに留めていたのかなって。 ・あの時の自分はこうだったのかな?って自覚することで自由が広がったという〆にしんみり。
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