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砂の道
六個の黒目と 十本の足 高低差のある猫背がふたつ 老人と老犬は かわらず年老いて とくべつ 仲よくもなく わるくもなく 短い雑草は 白髪の髭のような つまった氷の棘に覆われていた とても歩きにくそうなこと以外は とくだんの変化もない 16:05 傷ついた水晶体のような ひとりと いっぴきが のめり込む痛々しさのなかに あたたかく屈折した光をとじこめている 老人のすりきれた帽子からは マホガニーの薫りが漂う まるでフランスの投票所からきた人のように 海のむこうのパイプを咥えた船乗りが 白髪の髭をなぜながら 沖をめざす となりに佇む ショートカットのわたしの外耳を 汐風が宙ぶらりんにしてゆく夢 ふり返ると 老人がたちどまり 後ろをふり返った ふり返った老人をみて 老犬もふり返り 顎をあげて 遠くをみるような 故郷を嗅ぐようなしぐさをする わたし、老人、老犬が からだを過去へ捻り まだあたたかさの残る舌に身をゆだねる 自分たちが こぼしてきた砂を さも、其処にあるように ながめたあと ポケットをさぐる 砂時計は わずか これまでも 誰もしらない随所で そうしてきたように ある意味ささいな ある意味で重要な ひらかれた秘めごと わたしの心臓をさしあげるごと 少し潤んだ目をして 烏の滑空をみていた 海の空を烏はきるの 老人のたれた耳を 老犬のせいめいせんを 夜の波がてらす 悲しみをかなしいというあてもなく 少年だった日から 仔犬だった日から 連れだって歩いている ひとりと いっぴき わたしという現在を通りすぎ 小さくなってゆく後ろ姿に 砂の道はつづいてゆく
砂の道 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 846.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-01-12
コメント日時 2018-02-06
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
静かで、美しい詩だと感じました。さらさらと時が流れていく感じがとても好きです。
0ミックスが練られていると感じます。それは、小説の筋を整えるのと同じことなのではないかと思いますが、 とにかく連ごとに違うその自由な文体のミックスが面白く、そして同時に一つのまとまった意味がとれる、 そこが、非常にうまくて面白いと思いました。 内容について。老人と犬とわたしという人物みなが、活かされていて、味わい深いです。 砂の道という、象徴的なものが、テーマとして重要な意味を持っていると思いますが、生命と砂という 客観的な描き方をしてあるのが、試みとして僕には大胆だと思いました。とてもいい詩だと感じました。 新しさ、という見方をしてみれば、こういった設定が、作品と分かちがたくあるのが、技術ですし、 その思いの深さ、切実さが、心のようすを味わうことができるようにされていると思います。
0二回くらい読み直して素敵な詩だとおもいました。三つ目の段落とかとても好きです。 そして謎のある詩ですね。老人と犬が通り過ぎていった、「わたしという現在」とか、ミステリアスです。
0私は詩の批評を書くのが苦手なのですが、この詩に関していえば、16:05という数字や、わたしという現在という過去の意味などを勘案して、総合的に判断するならば、この詩は《時間性》の詩であって、それを生き写しにした存在に相違ないと思う。とても良くできていて、ただチャかシズムの作風とはちょっと違うので、これはこれでまた大切にしたい詩でした。
0さしみさま、黒髪さま、白井草介さま、kaz.さま お読みいただき、コメントをありがとうございます。 ふと、窓から見えた老犬と老人の頼りない散歩は、数日おいて同じ時間にくり返されており、この一人と一匹はいったい誰に見守られているんだろう、と思いました。 全体が霞んでいて、いまにも消え入りそうで、とても詩的な画でした。 それを見守るわたしの思考も、どこか遠いところを彷徨いはじめていて、時間と場所を移しながら旅をして、最終的には、自分の部屋に戻っていました。 そのような時間の流れを引き延ばした時間の流れとともに描いてみました。 とても嬉しい感想を、ありがとうございます。
0〈六個の黒目と/十本の足〉 目がふたつの三固体、四つ足が二固体、二本足が一個体、ということでしょうか。 〈短い雑草は/白髪の髭のような/つまった氷の棘に覆われていた〉霜の降りた寒さの描写のようでもあり、老いと、その老いがもたらす〈痛み〉を重ねているようでもあり。 〈傷ついた水晶体のような/ひとりと いっぴきが/のめり込む痛々しさのなかに/あたたかく屈折した光をとじこめている〉みつめあう老人と老犬、その瞳に移り込む両者の人生/犬生。傷、というイメージと痛みのイメージを重ねつつ、そこに温かさをみる。 〈老人のすりきれた帽子からは/マホガニーの薫りが漂う/まるでフランスの投票所からきた人のように〉かなり凝った描写で、老人のオシャレなムードを捉える、「上手さ」と「技巧」のとりわけ際立った比喩。 〈 ショートカットのわたしの外耳を/ 汐風が宙ぶらりんにしてゆく夢〉語り手(人間)の夢想、老人も大海に漕ぎ出すような人生を夢見ていた時代(若さ)があった、ということへの感傷、でしょうか。 〈自分たちが こぼしてきた砂を/さも、其処にあるように 〉記憶(生きて来た時間)を砂時計の砂にたとえて視覚化する。とりこぼしてきた記憶へ、夢想を馳せる、シーンと言えばいいのかもしれないですが・・・少し、技巧が先走っている感もありました。 〈ひらかれた秘めごと/わたしの心臓をさしあげるごと〉脚韻的な響きを意識しているのかもしれませんが、わたしの心臓をさしあげる、という切迫感というのか、必然性のようなものが感じられないので、なんとなく大仰な比喩に見えてしまいます。 〈老人のたれた耳を/老犬のせいめいせんを/夜の波がてらす〉老人、老犬、そして〈わたし〉の意識が、お互いを見つめ合う視線がからみあうように、瞳に移り込むように、相互に意識が入れ替わり、混ざり合うような感覚を覚える、面白いシーン。面白いけれども、夜の波、という夢想の中に回収しているので、意識の混交という面白さではなく、美しい夢想、に留まってしまった感もあり。 〈わたし〉がみかけた、老人と老犬の「見えない」時間。積み重ねられた記憶、相互の歴史への感傷・・・が呼び覚ました感興から引き出された作品だと思いましたが、うまさ、技巧が、若干先走っている感もあり・・・。 私自身の課題とするところでもあります。読者の驚きや、謎へと結びつけつつ、ユニークな表現を探して行く事と、置き換えの効かない、これしかない、という表現を比喩で探し求める事、比喩を技巧や装飾とせず、必然として探し求めていくこと・・・伝えるために、どうしても必要、である表現を求める事。自戒も込めて、若干、辛口になってしまいましたが、記したいと思います。
0まりもさま お読みいただき、コメントをありがとうございます。 この詩は数年前に書いたもので、このような表現を好んで書いていた時期でもありました。 胸を突かれた光景に、湧き出る言葉を連ねていったものですから、まりもさんの仰る通り、大袈裟であったり、技巧の先走りがあったりと、見苦しい点も多々あります。 ただ、いまのわたしには書けない気がして、少しでも読んでいただけたら嬉しいなあと思い、投稿させていただきました。 ありがとうございました。
0移り込む→映りこむ、です。
0くつずりさん そうだったんですね。 数年前だとすると、むしろ今の方が、感情に即して自然な発露としての描写が生まれているのかもしれませんね。 ささやかな感動を、どこまでクローズアップしていくのか、デフォルメしていくのか・・・難しいけれど、面白いところですね。ご返信ありがとうございました。
0まりもさま 「感情に即して自然な発露としての描写」 大切なこと、教えていただくことが沢山あって、とても嬉しく思います。 ありがとうございました。
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