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音信
中学三年生でした。 C組担当はあなたでした。 快活 であり どこか自信過剰 または昔気質の 白衣姿をした 小さな体躯からほとばしる声 鼈甲眼鏡 の分厚いレンズの向こう側 団栗眼をしばたかせる 定年を控えていたでしょうか 校内をスリッパを履き歩く 口紅 アイシャドーをうすくひいた 物理を教えるベテラン教師 でしたね。 先生、あのとき、 春が来たことを伝えると、 あなたは予想を裏切られたか、 驚かれましたね。 唖然とされて、 わたしを見つめていました。 出来の悪いわたしを見つめていました。 運 偶然 プライド ユメ 実力 努力 キボウ アコガレ 意地 であり、 でない、 ような、 わたしは学びました。 歳月が流れ、 思い出をたずさえ。 その後、 御健在でしょうか。 卒業以来、 お会いすることなく。 先生、教室で 放課後 生徒が窓をながめています。
音信 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 890.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-01-01
コメント日時 2018-02-04
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
その生徒が振り返って、春がきたことを伝えたのか、と 二読目でわかりました。 (読み終わったところから詩が広がり続けます。) わかる前に、ひとつひとつのことばが、 自分自身が先生に伝えたくて出来なかった幾つものじかんの言葉と逢うように かるくむねにおちて。 「わたしは学びました。」というところに、ふいに泣けてしまうような。 どんなに平易に書いても陳腐にならない何か技が湯煙さんにあるようで、 大好きな詩「花」をまた思い出しました。
0学校の先生というのは不思議な存在ですね。 「私たちは、一生を箱庭で暮らすようなものだから」と、いつだったか教師が呟いていたのを思い出しました。 生徒だった人間も歳を重ねていきます。 記憶に引っかかり続ける言葉や行動から、「大人の」「先生の」という権威づけが薄れていって、ただ「あの人の」にまで近づいてきたとき、 やっと、それについて言語化したり、意思表示したりする能力が自分に備わったことに気が付きます。 もはや音信は途絶え、箱庭で止まった時は、はるかに遠いのに。 多くの人々が、先生との、宙ぶらりんのまま決着できない思いを、記憶のどこかに持ち歩いているのかもな、と思いました。
0・fiorinaさんありがとうございます。なぜ伝えることができなかったか? と思いますね。なかなか状況が理解できないからかと思いますが。 時がまたそうしたことを含め様々に思い返してくる感じがします。私は学びました は、あざといかもしれませんが(笑。 ・仲程さんありがとうございます。春については始まりやざわつきのような変調と言いますか、そんな感じがありますね。具体的に示してはいませんが、同時に含むものかとは思いますね。先生の言葉や、あるいは誰かの笑顔が痛いほどに突き刺さるような、そのようなことをまた詩として発露することの貴重さはやはりあるかと、そんなことも思いますね。
0言葉の区切り方が、記憶をひとつひとつ確かめていくような、流されないように、こらえながら辿っていくようなリズムがあって・・・思い出したくない、何らかの葛藤と闘いながら想起する営みについて、考えさせられました。 春とは、なんだろう・・・お前など、決して受からない、と(おそらくは未婚の)女性教師に罵倒されていた主人公が、希望の学校に受かった報告をしに行ったのか(女性教師を見返すような気持ちと共に)あるいは、恋人なんて一生見つからない、と、これまた暴言を吐かれた主人公が、恋人ができたことを伝えたときの反応か。 語り手が男性か女性か明示されていないので、女子高での教師と生徒との葛藤とも読めるし・・・共学であるなら、男子学生から恋の告白、と無理くりですが、読めないこともないな、と思いつつ・・・ このような形で、ゆっくり、じっくり、記憶の中に再生されるような出会いが、幸福であるのか不幸であるのか、わからないけれども・・・思い出す、という行為の中に、詩情の巣があるような気がしました。
0・緑川七十七さん。ありがとうございます。学校の先生、教師のつぶやき、譫言のような一言、そうしたものがありましたね。箱庭ですか……うむ。 あれはなんだったのか、どうするのが良かったのか。本当はどのようなことを思っていたのか……。様々に思い返す、そうした出来事の一つになりますが。今更ながらにこのようなことをふと考えますよ先生と、御本人を前にして語る、 どんな表情なり感想なりが返ってくるのか。そうした期待を持っていたり。宙ぶらりんにあるもの。先生方のほうがそうしたものを多く抱えておられているんでしょうね。そんな気がしますが。 ・まりもさん。ありがとうございます。区切りについてはやりすぎ感が出過ぎているのかもしれませんが、そうですか、ないまぜの記憶を確かめつつ。そんな意識があったのかもしれません。 春とは・・・のうちの一つになりますね。特に他意があるわけではありませんが、今更ながらにふと先生に訊ねてみたい、そんな出来のうちの一つとして記憶に燻り続けているようです。懐かしくまた思い返されます。
0年の近い先生とベテランの先生の違いってなんだろうみたいな事を考えた時に、年が離れているという事ですよね。その間に色々な変化があるのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。多分定年近い先生なので、多分色々な生徒を見てきたと思うんですよね。そういう立場の先生は良く自分は色々な生徒を見て来たのでこういう生徒だったらこういう風に成功したり、失敗したりするみたいな事を言うのかなぁと思います。というか僕の先生がそういう感じでした。特に高校の先生なんか多かったですね。 そういう所から外れていくイレギュラーな生徒っていうのが、多分語り手だった。それは人間が年を取るという経験だけでは到達できないものを、自分から何十年も年の離れた若い人間が、先取りしてしまう瞬間があるという事だと思います。 >先生、教室で >放課後 >生徒が窓をながめています。 語り手は回想する形で(その年齢は明かされませんから読み手の方で設定するしかないのですが、また、もしくは湯煙さんを想像してそこに当て嵌めて読むという形で読んでもいいかもしれません)思い出しますが、その最後の帰結として生徒を置く事によって、多分先生が生徒に対して思っているイメージの当て嵌め方から外れていく子供達も一定数いるのだという所にまで想像の幅を広げています。 それは「放課後」という学校本来の役割、社会のルールを学ぶ場所としての役割を終えた学校の時間に、窓を眺めるというある種の無駄ですよね。放課後になったら普通は帰る訳ですが、その子は帰らずにわざわざ放課後に窓の外を眺める事によって、外れるんですね。その時間にきっとその子は学校で授業を受けているのかもしれません。
0百均@B-REVIEW ONさん?でよろしいでしょうか? ありがとうございます。遅くなりました。 ジェネレーション・・・、はまた異なるのか言わないのかなあと。なるほど。考察ですね。先取りしてしまう瞬間ですか。面白いです。年を重ねた方はやはり経験なりプライドがあるでしょうから、そうしたところから物事や他者を観たり感じたりすることは仕方がないのかもしれませんが、経験値で測れない、掴みとることのできない、そうした外界の流れといいますか、変化を理解することが難しくなるのかもしれません。 そうですね。生徒に対するステロタイプなイメージといいますか十把一絡げといいますか、そのような扱い方への違和を表明するものになりますかね。言葉になりにくい、そうした性質を持つものであったんだろうかという、今伝えるならばどのようにしてどのような形になるだろうと。そうしたことを思います。ただやはり先生や放課後や窓といった語句を安易に置きすぎたかと。その点がまずかったかなと。居残りを課されたような気がします、はい ^^;
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