哀しみの眼で詩を読む - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

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硬派な作品

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千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

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パパの日曜日

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終着点

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yasu.na

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夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

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たそがれに たれかある さくらのかおりがする

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言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

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羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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哀しみの眼で詩を読む    

哀しみの眼で 詩を読む 詩句のひとつひとつが 胸に突き刺さる その痛みは 己の力では生み出せぬ 美しきことばへの痛み 届かぬ高みへ 触れようと試みて落ちた 己の非力さ故に 私が生み出す拙い言葉は 己自身への棘となり 深くこの胸に突き刺さる その痛みは 何処へゆくのか カフェのディスプレイを 照らす明かりが 雑踏の中へと散るように 太古を歩いた恐竜の 数多遺された足跡が 地中深く埋もれるように 何の跡形も知られず 消えてゆくのか ある詩人はいう ことばとは けっして言葉にできない思いが ここにあると指すものだと ならばこの痛みを 拙い言葉に落とすこと 言葉にできぬ痛みが ここにあると指し示すこと それだけが 己自身の非力さへの せめてもの抗い 痛みに薄れようとする 己という存在への か細く儚い命綱 哀しみの眼で 詩を読む その哀しみは 決して忘れてはならない 寂寥に埋もれた心の色 明日へと己を繋ぐ 仄かな光


哀しみの眼で詩を読む ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 20
P V 数 : 1994.5
お気に入り数: 2
投票数   : 2
ポイント数 : 0

作成日時 2023-07-13
コメント日時 2023-08-19
#現代詩
項目全期間(2024/12/04現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
構成00
総合ポイント00
 平均値  中央値 
叙情性00
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 エンタメ00
技巧00
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閲覧指数:1994.5
2024/12/04 02時17分11秒現在
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    作品に書かれた推薦文

哀しみの眼で詩を読む コメントセクション

コメント数(20)
もじゃお
もじゃお
作品へ
(2023-07-13)

この詩は 拙い詩 なのかもしれません。 ただ、拙いと言うにはなんとも 力強く、静かな印象を受けました。 作者があなたでなければ 心に響かなかったかもしれませんから 評としては不正確なところがあるかもしれませんが そのように受け取りました^ ^

1
m.tasaki
もじゃおさんへ
(2023-07-13)

コメントをありがとうございます。 こういうタイプの詩は言わば「楽屋落ち」的で、詩を書く人にしかわからない、との批評を受けたことがあったのですが、このサイトならわかってくれる人がいるのではないかと思い、投稿してみました。 ある意味本筋から外れた詩なのかもしれませんが、 「ただ、拙いと言うにはなんとも  力強く、静かな印象を受けました。」 と受け取っていただき嬉しく思います。 ありがとうございました。

0
もじゃお
もじゃお
作品へ
(2023-07-13)

なるほど、楽屋落ちというのは正しい表現だと思います。 詩を批評する側からするとやるなら詩で語れ、わざわざ表に出すな、と言うことですよね。

1
ryinx
作品へ
(2023-07-13)

いま、感じられている事を描写されているのだと想う。 改行について、、 どのポイントで改行するか、詩の質に影響すると思う、  最終行の「仄かな光」 作品を照らし返す、反射光のようです。

1
m.tasaki
ryinxさんへ
(2023-07-13)

コメントをありがとうございます。 改行についてはいつも頭を悩ませます。 どこで改行すれば一番美しくなるか、一番読み手に伝わりやすいか、考えれば考えるほどわからなくなってくることがよくあります。 この詩については今見返してみると、少し連を分けすぎたかなと思い始めています。 言葉の表現だけでなく、このような点もまだまだ拙いです。 でも末尾の「仄かな光」を、作品を照らし返す反射光のよう、と受け取っていただき嬉しく思います。 ありがとうございました。

0
三浦果実
作品へ
(2023-07-13)

なんか、ブルースが感じられる作品。鎮魂歌ですよね。痛みってやっぱいろんな人が詩を書くきっかけとしてありますよね。たくさんの詩作品が痛みを読んでくれと欲している。昔から詩の投稿掲示板で読み専、コメ専に徹するのは苦役だと呼ばれている背景には、もう勘弁してよというぐらいに他人の痛みが刺してくるから、いや、刺してくるって比喩はちがう、なんというか、こう、言葉がどんよりと侵食してくる感じですよね。その侵食の波の一つ一つを、本作の言葉を借りていえば「指して」食い止める感じ。コメントを書いてゆく行為ってそうだと思う。鎮魂歌。

1
m.tasaki
三浦果実さんへ
(2023-07-13)

コメントをありがとうございます。 仰る通り、痛みが詩を書くきっかけとなった人は多いようですね。私もその内の一人です。 そのような多くの痛みへの鎮魂歌として、この詩を受け取っていただいたことは、正直なところ想定外でした。 この詩では、詩を書く側から感じたことを表したのですが、詩を書く側でなく、詩を読んでコメントを書く側から観ると、この詩は鎮魂歌なのですね。 コメントを書くこともある意味ひとつの痛みであるならば、そういった視点から何か新しい詩が書けそうな気がします。 新たな視点を提示していただき、ありがとうございました。

0
砂まみれ
砂まみれ
作品へ
(2023-07-14)

なんだか読んでて落ち着くなと。 こんな世界でこんなストンと言葉を置く事ができるのはtasakiさんだからなのでしょうね。わかりやすくて優しいと私は思いました。

1
m.tasaki
砂まみれさんへ
(2023-07-14)

コメントをありがとうございます。 読んでて落ち着くと仰っていただき嬉しく思います。 このような詩はここの雰囲気に合わないかもと少々不安でしたが、わかりやすくて優しいとのご感想をいただき、ホッとしております。 ありがとうございました。

0
白犬
作品へ
(2023-07-15)

ずっと実直にこめを書き続けてらっしゃる方だからこそ、書ける真っ直ぐな詩だなと(私も幾つかこめをいただいてるのに、いつも返せ無い屑でごめんなさい。。。こめいただくの、凄く嬉しく思ってます)痛みに薄れてしまいそうな己の存在を繋ぎとめるために言葉(それがこめであっても詩であっても)を紡ぐ行為、判るなと思いました。拙くても下手でも、私もそんな風に言葉を紡いでる気がします。それが明日に繋がるなら、とても良い。でもきっと、哀しみを忘れてはいけないんだろうな。

1
m.tasaki
白犬さんへ
(2023-07-15)

コメントをありがとうございます。 「痛みに薄れてしまいそうな己の存在を繋ぎとめるために言葉(それがこめであっても詩であっても)を紡ぐ行為」 そこに注目していただき、とても嬉しく思います。 この場を借りて一つお願いがあります。 コメントをもらったら返事をしていだだけませんでしょうか。 私も以前はコメントをもらって嬉しい反面、どう返事をしていいのかよくわからず、うまく返事ができませんでした。 でも、返事を書こうとすることが、語句を考え、言葉を紡いでゆくトレーニングにもなると思います。(それでもまだこの程度の詩しか書けていませんが・・・) ですから、まずは一行だけでもいいですから、どうかコメントへの返事を書くようにしてください。お願いします。

0
たわし
作品へ
(2023-07-16)

こんにちは。 こういう詩は好きです。草枕で読んだ、美しき極みの歌に悲しさの極みの思い籠るとぞ知れという句を思い出しました。

1
m.tasaki
たわしさんへ
(2023-07-16)

コメントをありがとうございます。 気に入っていただき、たいへん嬉しく思います。 また紹介していただいた歌はとても美しいですね。心に残ります。 ありがとうございました。

0
白犬
m.tasaki さんへ
(2023-07-17)

なるべく返したいとは思ってますが、絶対に、必ずと言われると、無理ですね。。。私はりあるがぎりぎりで余裕が無いのもあり、こめにれすすることが義務になれば、おそらくびれびゅに投稿しなくなると思います。また、自分のこめんとに必ずれすを求めるのもどうかなと。私は相手に自分の感想を伝えるのが第一で、お返事は来たら嬉しいな、位の気持ちでこめを入れるので。すたんすの違いだと思いますが、申し訳無い。。。 けれど、同時に、 >痛みに薄れようとする >己という存在への >か細く儚い命綱 そうした言葉達であるが故に、自分の思いを込めたものだからこそ、相手に反応して欲しいという気持ちも良く判ります。そうですよね。確約は出来ませんが、なるべく返すように努力します。有難う&すみませんです。

0
羽田恭
作品へ
(2023-07-17)

即興で返詩を。 哀しみの眼で 詩を詠む 釈迦よ その遺された言葉で 多くの御救いがありました 仏如し 先人たちよ この筆先は 貴方たちの力が宿ります 諸仏よ 願わくばお守りを 痛みを感じ痛みを思い それは筆に宿る それでもこの身は 不具合を出して 言葉にならない 書け 描け 足掻け 抗え 届かぬ高みへ 触れようと試みて落ちた 己の力を超えろ その痛みは 何処へ行く 逃がすな これは良い物なのだ 善き物になり得るのだ 誰も捕まえなかった 誰も見いだせなかった それにこの筆先は 追い付いた 我が仏性よ 雑念だらけの頭に宿る 仏よ 顕すべき 汚れた中の 素晴らしき物が 糞尿の中の 宝石同然の 輝きがあるのを 照らしたまえ 新たな仏性が ここに花開きうるのだ 表現できない世界に たどり着く事のできない領域に 行ってしまったとしても 釈迦は 諸仏は そこから帰ってきた 仏性よ 心よ なおも詠もう 善き物が 探せば まだまだあるのだ 哀しみの眼で 詩を詠む 見えた 仄かな 一筋の 光

0
m.tasaki
作品へ
(2023-07-17)

0
m.tasaki
羽田恭さんへ
(2023-07-17)

コメントをありがとうございます。 この詩の前半はどうやら、「言語道断、不立文字」を表しているように思えました。 そして8連目の 「糞尿の中の 宝石同然の  輝きがあるのを  照らしたまえ」 というところは、雲門禅師が弟子の僧からの「仏とは何か」と問いに一言「乾屎橛」と答えた、という話を連想させます。 それからその後の10連目 「表現できない世界に  たどり着く事のできない領域に  行ってしまったとしても  釈迦は 諸仏は  そこから帰ってきた」 というところは、十牛図の「入鄽垂手」を彷彿とさせます。 哀しみの眼で詩を読む痛みを、仏教の言葉に表せない最高の真理である「勝義諦」へと導くための贈り物だと見なす読み方は、全く想定外で、高い独創性を感じました。 思わぬ発見でした。 ありがとうございました。 (ミスタップで空白のコメントを送信してしまいました。すみません。)

1
羽田恭
作品へ
(2023-07-20)

実は仏教オタです。一人で勝手に仏教関係の本を読み漁っています。 とは言え大乗仏教にはそこまで詳しくなく、原始仏典を通読しています。 岩波文庫のスッタニパータ、ダンマパダ、ウダーナヴァルガは数えきれない程読み返しました。 前半部は今の自分の心情みたいなのを表しまして、「言語道断、不立文字」というのは考えていませんでした。 結果的に近づいていったみたいです。 8連目はどちらかというと、悟りとは泥の中から美しい蓮が咲くようなものという例えがサンユッタニカーヤ(相応部経典)かどこかにあったのを思い出し、日ごろ牛の糞をかき分けているのもありこのような表現になりました。 10連目はマハーパリッニパーナ(涅槃経)の釈迦が涅槃に入られる直前に段々と一度相当高い悟りの境地に至り、そこからまた段階を踏んで戻ってこられたのをイメージしました。 そういえば十牛図もそのような描写がありましたね。 この詩を読むとどうにも自分の作詩の姿勢と仏典を思い起してしまい、即興で書いてみました。 哀しみの眼で詩を読む痛み、というのは慈悲に繋がるように思います。 それなら悟りに通じる行いなのかもしれません。

1
m.tasaki
羽田恭さんへ
(2023-07-20)

コメントをありがとうございます。 仏教でも大乗ではなく原始仏教の方でしたか。失礼致しました。 大乗仏教の中でも禅宗は、比較的原始仏教に近い部分があるように思えますので、このような解釈になったのかもしれません。 ところで、筏の喩えはスッタニパータでしたっけ? 私はその教えが好きです。

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雪月統
雪月統
作品へ
(2023-08-19)

ただただ美しいです。 「決して忘れてはならない 寂寥に埋もれた心の色」 という、最後にそっと置かれたような、静的で美しいイメージが、印象的な絵画のようにして、この胸に迫ってきます。 それにしても、 「ことばとは けっして言葉にできない思いが ここにあると指すものだと」 この箇所にはハッとさせられました。それくらい真摯に、語り手の思いに向き合っているか?と襟元を正されるような思いがいたします。これはまた、言葉を読むときだけの話ではなく、言葉を紡ぐときにも当てはまるのでしょう。しかしまずは、人の書いたものをしっかり読むということを、あらためて意識したいと、そう思いました。

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