お巡りさんが一人
鳩の死骸を見下ろしていた
誰かが通報でもしたのだろうか
それとも偶然通りかかったのだろうか
お巡りさんはずっと鳩を見下ろしていた
これは四、五年前にバスから見た光景
どこへ行くためにどのバスに乗っていたのか覚えていないが
あまりなじみのない街だった気がする
だから余計にその光景が記憶に焼きついたのかもしれない
その後お巡りさんが
鳩の死骸をどのように処理したのかは知らない
人知れず消えていくものがある
交番で行方不明者の張り紙を見ている
胸の内をざりざりと粗い砂粒が
擦れるようにして
吐き出される鳩の死骸
名前 当時の年齢 顔写真
どれひとつ私と結びつくものがない
張り紙を
丁寧に読む
いつかこの張り紙がはずされた時
何も覚えていなくても
張り紙がなくなったことを
一羽の鳩の死骸のように
ちゃんと記憶に留めるために
作品データ
コメント数 : 22
P V 数 : 2001.7
お気に入り数: 1
投票数 : 5
ポイント数 : 90
作成日時 2023-06-12
コメント日時 2023-07-03
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/23現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 30 | 30 |
前衛性 | 10 | 10 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 20 | 20 |
音韻 | 10 | 10 |
構成 | 20 | 20 |
総合ポイント | 90 | 90 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 30 | 30 |
前衛性 | 10 | 10 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 20 | 20 |
音韻 | 10 | 10 |
構成 | 20 | 20 |
総合 | 90 | 90 |
閲覧指数:2001.7
2024/11/23 18時53分57秒現在
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こんにちは。 今回も実体験をもとにした詩のようですね。 前回は埋めた犬の毛、今回は鳩の死骸、そして行方不明者の張り紙。 共通するのは消えてしまった命ですね。 この世界にはそんなふうに消えてゆく命が数えきれぬほどあるのに、日常の雑事に紛れて誰にも顧みられない。 そのことに気づいたときの感覚が、 「胸の内をざりざりと粗い砂粒が 擦れるようにして 吐き出される鳩の死骸」 ということなのでしょう。 もしかしたらその根底には、もし自分が消え去っても世界は何も変わらず動いてゆくことへの、強い違和感があるのかもしれません。 その感覚を知ってしまったが故に、たとえ自分と何の関係もなくても、記憶に留めるため、交番の張り紙を丁寧に読んだ、そんなふうに受けとりました。 消えゆくものへの強い感受性を感じさせる詩です。
1砂がざりざりするところが素敵ですね 上手い感じです 海軍中将 でもあれやねホントにあったことだと思うんだけど そういうのってなんがリアル感があってよいですね そのリアル感はどこから来るんだろうって疑問に思います
1鳩の亡骸のその後、行方不明者のその後のほか、お巡りさんの心情が気になりました。
1ありがとうございます。 そうなんです、消えてしまっても世界は続いていくんですよね。そしたら、誰かが心に一欠片でも残しておかないとって思うのです。
0ありがとうございます。砂がざりざりのところを素敵と言ってもらえて嬉しいです。実体験を書いたのでリアル感ある作品になっていたようで安心しました。リアル感、確かにどこから来るのでしょう。
0何でもない物なのに、なぜかずっと心に残っているものってありますよね。 生きているうちに、時間の経過とともに、脳がうまく処理をして僕らは上手にいろんなものを忘れていきます。人生を進めていく上で関係のない、覚えておいてもしょうがないことから順に。 けれども、なぜか覚えていることがある。どうして覚えているのだろう? そこに詩情というか、書く必然性みたいなものを僕は感じたりします。 行方不明者の張り紙はずっと心に残り続けるものになるのでしょうか。入間さんが数年後覚えているか忘れているか、気になりますね。 ありがとうございました。
3ありがとうございます。そうですね、作者としても気になるところではあります。
1ありがとうございます。行方不明者の張り紙も1羽の鳩の死骸を忘れないのも、なにか祈りのようなものが自分のなかにあるのかもしれません。
1最初と最後の鳩の死骸と、吐き出された鳩の死骸は性質が異なるもののように感じました。鳩の死骸というワードに作者さんが、何を込めたかったのかなという事が気になりました。 と、いうような事を考えつつも素直にいい詩だなと思いました。 メッセージ性の強さと詩的表現のバランスが良いんだと感じます。
1ありがとうございます。なぜか覚えている取り留めのない記憶を頼りにいつも書いています。数年後たとえ忘れたとしてもまた別の形で別の意味を伴って戻ってくる気がしています。
0こちらの作品、ずっとずっと色々と考えさせられる作品でした。あー、よい詩だったなぁ、とかじゃなく、ずっともやもやと、でも、それが心地よくずっと胸に残る印象です。 カラスの死骸だったら何となく、存在感大きくて。 鳩だったら、素通りしてしまうであろうわたしを想像し ゾッとしました。 >ずっと鳩を見下ろしていた ここに色々想像するものがありました。おそらく、何の思い入れも無いのに、見ている。その鳩とは初対面だろうに、見ている。 行方不明者と鳩が重なって見えます。行方不明者の関係者にとっては、本人と結び付きの強いものですが、他人からしたら、鳩に近いのかもしれません。 一時期、裁判所の近くに勤めていたころ、朝、職場に行く前に裁判所の掲示板を眺めるのが日課になっていました。 「失踪宣告」の張り紙です。あー、どんな思いで、家族はこれを申請したのだろう、たとえば、認知症で夜中にいなくなっちゃう方もいるし、夜逃げした社長さんなのかな。色々と考えます。 ドラマの見すぎかもしれませんが、行方不明者の捜索って、なかなか警察に協力されないって聞いたことがあって。 家庭でね、普通に笑顔だったお母さんが、急にいなくなって、家族みんなで、事故に遭ったのかもしれない、事件に巻き込まれたのかもしれないって、思って探すんだけど 結局お母さんは、自分の意思で家を出たのだそうで。スナックとかで別名名乗って働いてた、とか。そういうこと結構あるらしいんです。 第二連、三連をみて、そんなお母さんみたいなものが、重なりました。 家族の方にとっては、お母さんは笑顔で幸せそうにみえたけど、ほんとうは、お母さん自身は >胸の内をざりざりと粗い砂粒が >擦れるようにして >吐き出される鳩の死骸 だったんじゃないかって そこまで考えたとき、何となく最終連が、わたしにとっては、あっさりした印象でした。 だれもざりざりと粗い砂粒に気づかないまま、というか、あまり深く考えることを避けなきゃ、生きていけないから、 >張り紙がなくなったことを >一羽の鳩の死骸のように >ちゃんと記憶に留めるために うん。そうですね。やっぱり、生きていくためには、この終わりかたがいいのかもしれない。じゃなきゃ、自分も鳩の死骸になっちゃう。
ありがとうございます。いい詩といってもらえて嬉しいです。鳩の死骸と行方不明者の張り紙を重ねていたのだと思います。
0ありがとうございます。自分と繋がりがないからこそそこに物語を感じてしまう面はあります。だからこそ、あっさりと終わらざるを得なかったのです。鳩の死骸も行方不明者も自分にはどうしても不可侵な領域だと思っています。
0鳩の死骸を見ているお巡りさん 読んでて最後まで自然に読めました。 僕の感想です。 当たって作者の意図とは違っているかと思いますが、 考えてみたくなります。 鳩の死骸を自転車に乗ったおやじがみていたら、子供がみていたら、猫がみていたら 鳩の死骸をみた私は記憶に残るだろうか そんなことを考えてしまいます。 鳩の死骸をみた居心地の悪さは、お巡りさんの姿がいっそう強くさせてしまいます。 死骸は処理されるという生々しいさ それはお巡りさんがわかりやすく想像される。 死骸は生々しいが、そこに触れなくては不愉快さは続く。いつかは終わるかもしれないが、それは人間の生活には耐えられない。 だから処理をする。それが掟というのかもしれません。 しかし、すべて処理されるだろうか、鳩の死骸はそのままにカラスに啄まれて食べられたりしないか、わからない。 分からないまま死骸があった。 それをお巡りさんがみていた その景色にどこか 安心感を感じる。 個人的な感想です。
1ありがとうございます。まさしくお巡りさんが見ていたからこそ記憶に残った映像だと思っています。生きている以上いつかは死にますし、死んだ以上は遺体、死骸としての最期が待っていますね。様々な想像を膨らませた上で安心感を感じて貰えたことを嬉しく思います。
0過去あるいは現在を非日常、非現実までに異化して高めようとする意思が欲しいところである。
1記憶というものは、厄介だと思います。思い出したいものほどこぼれ落ち、忘れたいものほど、心に残ってしまう……。そんな天邪鬼な性質を鳩の死骸と表現する作者様のセンスは大変素晴らしいと感じ取りました。素敵な作品をありがとうございます。
1ありがとうございます。非日常への異化。確かにもう少し飛躍が必要なのかもしれませんね。
0鳩の死骸、見ないですね。
1ありがとうございます。 記憶ってホント厄介なんですが なぜか忘れられないことには何かしら意味があると思っています。
1ありがとうございます。まあ、頻繁に見るものでは無いですね。
0鳥の死骸は保健所が処分するものかもしれませんが、別にお巡りさんが、出て来てもあまりおやっとは思いませんでした。しかし鳩の死骸とは象徴的です。リアルなハトの死骸は衛生上の問題や、動物愛護法などの法律的な問題から、しかるべき機関に電話して処置を委ねるべきなのでしょうが、この詩ではそう言った現実的な展開には興味がなさそうです。第1連では結構、描写があるのですが、お巡りさんと鳩の死骸と通報した誰か?(出て来ませんが)、まあ、私(この詩作者)と言う登場人物なのでしょうが、2連目では回想で有る事が明かされる。3連目での人知れず消えて行くもの。これだってリアルには、人為的処分、鴉による食害などがあるのかもしれませんが、あまり気にせずたんたんと詩が進むのが印象的でした。3,4連目で出て来る張り紙も印象的で、行方不明者の、と限定して居るとは言えまるで自分のものであるかのような解釈も可能かなと、ふと思いちょっとぞっとしました。
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