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冬の、夜のことだった。一頭の子牛が生まれた。名前はまだなかった。母牛は小柄で、初産ではなかったが、安産でもなかった。なぜか?それは、その子牛が双子であったからだった。予定日よりも一週間ほども早く生まれた子供は、まだ未熟児だった。 実を言えば、わたしたち畜主は、牛の双子というものをよくは思っていない。母体に負担が大きいし、子供は大きくはなれないし、何より男女の双子が生まれてくる可能性があるからだ。牛の血液キメラ、男女で生まれてきた子供のことを、フリーマーチン、と呼ぶ。この個体に、生殖能力はない。臍帯を通して、ホルモンと遺伝子が混ざり合って生まれてくるのは、男でも女でもない、そう、子供を産めなければならない酪農においては殊更価値の低い個体だった。そういうのは、言い方は悪いが二束三文で売りに出される。そして、ひっそりと、スーパーに並ぶ。わたしたちは、それを知っていた。 幸いと言うべきか、その子供たちは女女の双子だった。小さな体を震わせながら、懸命に息をする子牛たちには、商品価値があった。その日は、厳しい故郷の冬の中でも、特に寒い日だった。マイナス十度を下回るほどに、普段はあたたかな牛たちの体温が充満する牛舎の中も冷え切っていた。わたしたちは牛舎の中の小さな囲いに、子牛たちを入れた。こういう時のために馬で言う馬着、ダウンコートのようなものがあって、二頭いるうちの一頭は元気にしていたから、ぐってりとしているもう一頭にそれを着せて、その日はわたしたちも眠りについた。 そして朝が来る。例にもれず寒さの厳しい朝だった。ぱりぱりと赤くなった頬を抱え、牛舎につくと、そこにはあの元気だった子牛が、小さく縮こまって、震えることもできずにじっとしていた。それはかろうじて息をしている、とでも言えるような状態だった。一応湯たんぽを置いていったのだが、それもきんきんに冷え切っていて、体温を与えるどころか奪うような状態だった。わたしたちは急いでお湯の入ったペットボトルなんかを体にくっつけて回復を図ったが、体の芯まで完全に冷え切ってしまった子牛の身体には、焼け石に水、と言った感じだった。 酪農の仕事は、搾乳だけではない。牛の食べ残しを掃除したり、食べ散らかしを片づけたり、食べなければ乳は出ないから、とにかく餌と排泄物周りのことをして、そうしてやっと搾乳が始まる。箒で餌の通路を掃いていた時、二十秒くらいだろうか、細く、高く、んめええ、という声がした。うちではヤギも羊も飼っていないから、可能性があるとしたら、あの子牛たちだけだった。見に行くと、低体温症になっていた子牛が鳴いていた。上を向いて、一生懸命に、ただ鳴いていた。そうしてピタリ、と声が止まって、それから二十分ほどした後、ふっと瞳から光が消え、深く息を吐き、ぶるり、と身を震わせるとそれきり、それは物になった。子牛は死んだ。 あれは、断末魔だったのだろう、と思う。閉じられもせず、開かれた目のまま静止してしまった子牛の瞼を、手袋を外した冷え切った指先でそっと閉じた。それがやさしさからだったのか、濡れたままガラス球になってしまったそれに私の姿が映りこむのが、耐えられなかったからなのか、今になってはわからない。けれど、あの、ぬるくぐんにゃりとしたまだ細やかな被毛の感触を、わたしは一生、忘れることはできないだろう。 残された、コートを着たままの子牛が、わたしのことをじっと見ていた。そっと手を近づけると、あまりにも弱い力でちゅう、と指に吸い付いて、この子を育てなければいけないのだ、と思った。わたしの担当する仕事は子牛の哺育だった。生まれてから半日経っても立ち上がることすらできないその子牛の世話は、ただ世話をするだけではどうにもならない、と思ったから、わたしはひとつ、タブーを破ることにした。 わたしは、その牛に、「ベベ」という名前を付けた。フランス語で赤ちゃん。シンプルで、飾りっ気も願いも何もない名前だった。わたしたちは牛という命をお金に変換して生きているから、一頭に心を傾けすぎるのは、あまり好ましくはないことだ、と言われている。それでも、わたしはこの子牛を生かさねばならないと、死んだ牛などいくつも見てきているのになぜだか思ってしまったから、わたしは持てる愛すべてをこの子につぎ込んでしまう覚悟の表れとして、子牛に名前を付けた。 ベベは小さい子牛だった。五十キロもないわたしが、軽々、とは言わずとも抱き上げてしまえるくらいには、軽くて、その上おとなしい牛だった。普通の子牛は、産まれた時点でもう私より重いというのに。きっと、生きる力、というものが強くはなかったのだろう、と思う。哺乳瓶の乳首をかませてから一分くらいしてようやっと乳が飲めたし、一頭分を飲み切ることもできなかったうえに三十分かかった。けれどもそれにめげずに二週間ほど根気よく乳を飲ませ続けると、欲求というものがわいてきたようだった。ベベは普通の牛が生まれてすぐ立てるようになるのにもかかわらずそうなるまで一週間近くかかったが、いざ立てて、歩けるようになるとわたしにものすごくなついた。追いかけて、すり寄って、手を舐めて、囲いの中に入れば迷わず飛びついてくるほどだった。わたしも事あるごとにベベを抱きしめ、撫で、本人がわかるかどうかは別として、大好きだよ、と声をかけた。わたしはそのことを後悔しない。決して、後悔しない。 よい乳牛を育てるためには、愛された経験がなくてはならない。愛された牛はいい牛に育つ、だから牛を愛して育てなさい。わたしにそう言ったのは誰だったか、もう忘れてしまったが、今でも心に焼き付いている。牛、特に大型のホルスタイン種ともなると個体によっては700キログラムを超える。そんなものを人間がホイホイと制御できるわけもないのだ。それに牛は人間より皮膚が厚くて痛みに鈍いうえに骨が太くて厚くて硬いので、人間の力で全力で殴ったとしても、肩を軽くポン、と叩かれたくらいにしか感じない。そんなのが子牛の内に人間に暴力を振るわれた経験があって怯えて暴れるような個体に成長してしまったら、こちらとしてはもう手が付けられない。だから、人間に対して、なつくまで行かないまでも、触らせてくれるくらいの、個体がいい。そのためには、子牛の内に、思い切り愛して育てるしか、ないのだ。 そうして思い切り甘やかして育てるうちに乳離れも進み、ベベは運動場に移った。一週間後に生まれた子牛よりも一回り以上も小さい体で、時折いじめられながらもベベは楽しそうに駆け回っていた。そうして、角切りの日が、やってきた。 牛は角が生えてくる。牛の愛情表現に頭突きというものがあり、伸びた状態でそれを人間にかまされると内臓に刺さって本当に死んでしまうので、それに牛同士も普通に喧嘩をするから危ないので、角を切る。鹿の角は、時期が来るとポロン、と取れるが、牛はそうはいかないし、何より神経と血管が通っている。切り口をそのままにしておけばうじが沸いてしまう。だから、切ってすぐ、傷口に焼き鏝を当てる。こうして細胞の芽を焼き切っておかないと、また角が生えてくる。切っているわたしたちだってこんなものがすごく痛いであろうことはよくわかっているので殊更丁寧に、念入りに鏝で焼きつぶす。こんな思い、二回も三回もさせてよいものでは、決してない。焼き鏝を牛に当てると、暫く牛はじたばたと暴れる。そしてある瞬間、ふっとおとなしくなる。痛みを感じる神経が死に切ったからだ。そうすると牛は自由になる。大体の牛が人間なんか嫌いだ、と一目散に走ってゆくのだが、たまに、こちらから離れない牛がいる。どうしたの、と傷口を避けて撫でてやると、控えめに、おずおずと、手を舐めてくることさえある。わたしにはわからない。わたしたちは打算に満ちた愛しか与えてはいないのに。どうしてこの子たちは、こんなにも、愛してくれるのか。真実は愛ではないが、愛には時に真実が潜んでいる。わたしはなにを返せるだろうか。 そしてベベの角切りが終わった後、わたしは放牧場に行った。こないだろう、と思ってベベ、と呼ぶとベベは走ってこちらに近づいてきて、またわたしの手に頭をこすりつけた。あえて人間の言葉に例えることはしない。それはベベに誠実ではない。ただ、ベベが私を好きでいるということだけが、証明されただけだ。べべの頭の上にある焼け焦げた生々しい傷を、じっと見ていることしかできなかった。 わたしの故郷には、共同経営の広い高原の牧場がある。生まれて一年ほど経った若牛たちは、身体機能の向上、足腰を強くするためにそこに放牧される。ベベにもその時が来た。放牧されてからしばらくして、健康診断に行くと、そこにはベベがいた。もう一年もたって、体重は三百キロ台くらいに達していた。それでもベベは、小柄で、少し少女じみた面持ちを残した牛だった。ベベ、と呼ぶとまたこっちに来て、丸い瞳で私のことをじいっと、見つめた。それにどんな感情が乗っていたのか、わたしにはわからない。同種の人と人でさえ分かりあえないのに、わたしが牛の感情なんて理解できる理由もなかった。けれど、心のどこかで、嫌いになってくれたらいいのに、と思った。作業は流れるように進む。虫よけと薬を打って、ベベが解放されると、わたしのほうを見て、そして草原の奥へと走っていった。この時に、ベベはわたしの手を離れたのだ、と思った。 ベベは大人になった。そしてベベは乳牛だから、子供を産まなければならなかった。子供がいなければ、乳は出ない。あまりにも当たり前のことだ。酪農という仕事の半分以上は、この繁殖なのだと思う。だがべべにはなかなか種がつかなかった。未熟児で生まれてきたからなのだろうか、ベベは卵巣嚢腫がなかなか治らなかった。普通なら種のつかない乳牛など、即刻売りに出してしまうものだけれど、祖母が、この牛は孫のわたしが大事にしているから、と残してくれたらしかった。だからあらゆる手を使ってベベの子供ができるように、試した。何をしたかは言わないでおくが、紆余曲折あって、べべには子供ができた。それから十か月がたったころ、わたしはベベの子供を取り上げた。母に似たかわいい顔の、これまた少し虚弱な黒毛和牛とのハーフだった。この子はなかなか乳をのんでくれない子で、わたしはとても苦労した。けれどもベベとは違う色の被毛に覆われていても、くりくりとした目は幼いころのべべそっくりで、この子も一人前になったんだなあ、と思った。後悔はない。 わたしたちは生きている限り、何かを貪っている。それは動物に限らず、すべてを。わたしはそれに懺悔しない。その重みにつぶれない。ただ願うことがあれば、わたしは土になりたい。いつかわたしの粉々になった骨が、ひとつの白い砂粒になるのを、夢見ている。 そして今、べべは五歳になった。普通乳牛というものは、四歳から五歳で肉になる。ベベはもう長生きなほうだ。けれど、べべの腹には子供がいる。それが幸いかはわからないが、べべはたくさん乳が出る上に乳質がよかった。そして乳房炎にもならなかった。乳房炎に関しては本当に幸いなことだ。わたしは乳房に穴が開いてそこから膿が流れ出してきた牛を見たことがある。けれどもう来年、六歳がタイムリミットだろう。べべは、来年きっと、車に乗る。そのことはベベがこのように生まれてきた以上あまりにも当たり前のことだ。だからどうこう言わない。 この間久しぶりにべべに会った。いまは酪農から離れているから、一年ぶりくらいだった。わたしはベベを顔で見分けられるから、牛舎にいるこの子に近づいて、そっとべべ、と声をかけた。するとベベはこっちを向いた。そうしてそのまま手を伸ばすと、べべは避けることもなく撫でさせてくれた。どうしてこんなにも、お前は人を好きでいてくれるんだろう。ただ、ちっぽけなわがままがあるとするなら、わたしの可愛いべべが車に乗るその時に、そっとべべの好きな、おでこを撫でてあげたい。わたしがべべに返せることはほとんどないけれど、最期の瞬間になけなしの愛を、託したい。それさえ叶えばいい。 わたしは、生き物を食べることをやめない。食べる事のために生まれた命は、皆歪められた命だ。そしてその責任を取る最大の方法が、食べてやることなのだと、思う。それに根拠はない。ただ、あの日私に向けられたまなざしに、真摯でだけ、ありたい。
bebe ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2106.9
お気に入り数: 3
投票数 : 9
ポイント数 : 48
作成日時 2022-12-10
コメント日時 2023-01-12
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 23 | 23 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 11 | 11 |
エンタメ | 2 | 2 |
技巧 | 7 | 7 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 5 | 5 |
総合ポイント | 48 | 48 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 7.7 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3.7 | 1 |
エンタメ | 0.7 | 1 |
技巧 | 2.3 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1.7 | 2 |
総合 | 16 | 9 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
とても良いものを読ませていただきました。 ありがとうございます。
1なんも言えなくなるくらいよかったです。
1そうですか。
0この作品を読み、その内容に相応の感動を覚え、しかしなんだかなにかが足りない気がしていた。なんだかなにか。「作品に」というよりは「自分の中に」そしてその後に一輪車さ……じゃなかった室町礼さんのコメントを読んで、いや構成や意図に対してのくだりはすげー難癖だなあと思ったんだけど、たしかに「責任」とはいったい何なのだろうとは思う。「ひとりひとりが食材となった動植物へ、それを育ててくれた方々へ、感謝の心を忘れないように」という考えかたは現代社会では圧倒的で、そこに異を唱えたらそれこそ大勢の人たちから白い目で見られるだろう。しかし、まじのがちでよくよく考えると、果たして消費者の「責任」とは一体なんなのだろうとは思う。 あ、ちなみに誤解されないよう前置きとして語らせていただくが、こんな疑問を提起している僕自身は、米粒一つすら絶対に残さないことを信条としている。それは「感謝」というよりは、残すことが「かわいそう」でできないからだ。僕は子供の時分、装飾で顔の描いてある料理は「かわいそう」だから食べられないと、ちょくちょくギャン泣きするナヨボーイであった。いまでも覚えている。ひな祭りの日、薄焼き卵の羽織りをめした雛人形型の手作り寿司。目の前のお皿に並んで座るそいつの、ちいさなうずらの卵に描かれた顔と、僕の目が見つめ合っている。そうしたらもうどうしたって食べることができなくて、ナヨボーイである僕は、いつまでもとっておいて欲しいと泣いて懇願し出すのだ。……うん。まあ、で、そんな僕だけど今現在は食べる。食べるようにしている。単純に、残された料理を僕以外の誰かが、あとでこっそり食べるさまを想像する力がついてしまったのだ。 前置きが長い。ともかく、これで僕が消費を軽んじているマンではないことは伝わったと思う。というわけでこんどこそ考えたい。「責任」ってなんなんだ? そりゃ感謝しないよりはしてるほうがいい気はする。なにがいいかってまあそんな奴らで溢れていたほうが平和だし、そういう気持ちで配慮しながら働いてくれている農家の方の努力によって僕たちの罪悪感は減っているんだし。でも消費について考えに考えて結論として「感謝はしない」というところに至った人を否定することはできない気がする。それは僕が「なぜ感謝をするのか」という疑問に対して、単純な結論を出す前に、まだまだ考え足りていないな、と、自分の中で感じているからだと思う。「責任」わからん。責任を感じることが尊いのか、そうでないのか、尊いが自分の中の判断基準になっていいのか。 考えてもやっぱりまだわからない。わからないが、考えているあいだも残すことなく食べることはやめない。ご飯を残すと他でもない僕自身が傷つくからだ。僕はまだ、自分のことしか考えていない。
0酪農を牧場をまたいで7年、肉牛を1年9カ月世話している現役牧場従業員です。 ホルスタインを世話していた時の空気感を思い出しました。 肉牛はまた少し違うんですよね。 そして本気で牛と向き合っていたんだなと端端に感じます。 人間の都合で殺してしまう訳ですけど、生きている内はせめて全ての牛が幸せであってほしいです。 >そしてその責任を取る最大の方法が、食べてやることなのだと、思う。 この箇所は自分としては理解できます。 最後を看取るに近い事だと思うので。 野生では生きていけない形に乳牛も肉牛も改良されてしまいました。 この家畜は人間が滅んだら間違いなく共倒れです。 せめて人間の活動の中で精いっぱい幸せにするのが責任かと。 よって産まれてきた牛を命懸けで健康を保たせ苦痛なく幸せにして、死んで肉となった牛を食べるのもまた、責任だと個人的には思っています。 生きとし生けるものが幸せでありますように。 たとえ人間の欺瞞、偽善でも。
2ゼンメツさんの作品とか偽善で欺瞞じゃないですか。いや、いうまでもなく三浦果実なんて偽善だし、いや、私の場合は偽善と欺瞞そのものになりたいんですよね。つまりはですね、その偽善と欺瞞に自覚的なのか無自覚なのかが問われると思うんですよね。この作品は自覚していると思うんですよ。いや、もちろん根拠ないですよ。でも比較対象として、ゼンメツさんの作品が「無自覚」だとしたら、(めっちゃ失礼ですが >わたしはひとつ、タブーを破ることにした。 >ただ願うことがあれば、わたしは土になりたい。 自覚的にこの作品、読めるんですよね。 自分でいうのもあれですけど、三浦果実ってかなり偽善と欺瞞に満ちている人間なんで、文書読むとすぐに判るんですよ。偽善と欺瞞の真偽は。
0すみません、ちょっと追記したいことが。 ゼンメツさんの作品とか、敢えて武田地球さんの作品も挙げますけど、作品そのものよりもその作品を「無自覚に」好評することのコメントの存在こそがなんか嫌な感じってありますよね。もてはやされればされるほど、偽善的に欺瞞的に作品がなってゆく。
0この間、久しぶりに牛肉を食べたのですが、すっっっごく美味かったです。豚肉も美味いのですが、牛肉はやはり高いだけであって、美味しいです。牛乳も美味しく頂いています。人間で、本当に、良かったぁぁ!と思います。美味しいお牛さんを提供してくださって、本当にありがとうございます。わたしの妻もこどもも喜んで食べています。ステーキが食べたくなりました。ステーキはやはりとっておきの記念日に食べると最高ですね! 罪悪感を覚えてしまうのは何故でしょうか。私も、高校生の時は罪悪感から肉が食べられなかったです。ベジタリアンでした。野菜なら罪悪感を覚えないのか、という矛盾に悩まされたこともあります。 罪悪感を覚えてしまうのは、自分でその牛と戦って殺したわけじゃないからと結論づけました。そう結論づけたのは、とにかく何でもいいから、やはり肉が食べたかったのです。 しかし、本質的だと思います。500円とか600円払えば、スーパーとかで安い牛肉は買えます。もしも、自分で牛と戦ってとかだったら、自分の命を懸けることになります。自分がやられるか、やるか、どっちかの世界で生きてれば、罪悪感なんていちいち覚えないだろうし、ある意味、罪悪感とは安全と幸福の証明なんじゃないかなとも。 海賊だって、本当はやりたくてやっているわけじゃないですし、罪悪感とか言っていたらキリがないのです。戦争だって、罪悪感とか気にしていたら自分の命が奪われてしまいます。 私も、安全である程度幸福な家庭を築き、さっきなんかチーズフォンデュを食べてきました。ウインナーとブロッコリーが美味かったです。 私はもう30なので、ちっとも胸に響きませんでした。高校生の時に読んでいれば、思い詰めていたと思います。
0しかし、罪悪感を呼び起こさせてやろうという魂胆でもって作られた作品ではなく、ただ個人の実感を素直に綴られたのでしょう。私も、お牛さんのお世話とかしていたら、しかも名前まで付けてしまったなら、私みたいな生きていいのかどうかも分からないひ弱な人間なら、耐えられなくなります。ストレスMAXです。自分には絶対に出来ない仕事です。本当にありがとうございます。
0>でも比較対象として、ゼンメツさんの作品が「無自覚」だとしたら、(めっちゃ失礼ですが いやすげーわかりますよ。僕とか三浦くんさんはクズ(って言い方が正しいかは置いといて)だから、あえて自覚とかしないんですよ。クズって反社会的なんじゃなく、無自覚に偽善で、無自覚に欺瞞なんですね。 >その作品を「無自覚に」好評することのコメントの存在 僕は嫌われる勇気がほんとないんで(かといって好かれてるとも思ってないですけど)、ぶっちゃけそこに関しては昔から思ってました。だから自作につくレスが「ムカつくけど良かった」とか「内容は嫌いだけど上手い」とか、そういった内容のものだと内心物凄くホッとしちゃうんですよね。 自覚無自覚ってでも、それ自体は本質的に場に影響しないんですよね。なんだかんだ考えたところで消費自体は減りませんし。だから家畜に悪いから食べないって人よりは食べるけど感謝はする。って落とし所としてはベターとしか言いようがない。こんなこと言ってますけど僕自身は感謝の気持ちに溢れてるわけで、いやほんと、僕はこの世界が僕みたいなやつで溢れたらいまより平和になるって信じてますもんね。
1ベベはつい最近、子供を産みました。このご時世に珍しく、随分と高値で売れたそうです。この文章は私のために書かれたものです。ただわたしが生きてゆくために、書いたものです。べべは今も、私が牧場に訪れると、濡れた鼻を手に擦り付けて来ます。
2作者像からいけば、あきら@ちゃーこ氏は薄い人というか、作品のみで出てきてた人だと思うんですよね。こういうおぢさんのコメントもウザがられてると思う。その作者の文脈からしても本作の極私的な随筆は好感の持てるものだと思われるんですよね。ゼンメツさんへのレスと作品評がごっちゃになっていて、紛らわしいですけど、ゼンメツさんの示される「作者はだいきらいだけれどもこの作品は良い」という評こそが最もネット詩らしいですよね。ゼンメツさんのお示しに同意です。煽りっぽいコメントを入れてよかったです。欺瞞で落着出来ました。イメージ戦略が大事。
0詩とは関係ないのですが、最近の角川俳句賞受賞者には牛の飼育現場で働いて居るのか、飼育体験があっただけなのかもしれませんが、牛の飼育現場を詠んだものがあったのを覚えています。興味深く読めた読み物と言うだけではなくて、詩へと突き抜けて行く、雰囲気があったと思います。牛の異性の双子の弱点や、肉になる運命、乳牛として役目。二匹とも雌の双子であることから来る安堵感、しかし脆弱性と言う問題点。酪農と言う観点から見ても、面白い読み物だと思いました。
1この作品はドラマティックすぎず、情感を込めすぎず、かと言ってドラスティックでもない、バランスが取れている、というか取っている作品だと思いました。風景と、時折、挟まれる作者の心情、全てが「ちょうど良い」です。じわりと、染みる作品でした。ありがとうございました。
0この作品はドラマティックすぎず、情感を込めすぎず、かと言ってドラスティックでもない、バランスが取れている、というか取っている作品だと思いました。風景と、時折、挟まれる作者の心情、全てが「ちょうど良い」です。じわりと、染みる作品でした。ありがとうございました。
1読むたびに、心が震えて 何の涙か自分でもよくわからない涙があふれてきます。 真摯な思いが、詰まっていると感じました。 素晴らしい作品をありがとうございます。
1これはわたしにとってきっと、書かれなければならないものでした。だから書きました。実のところ、これはまだ完成していません。そしてその時は、決して遠いものでは無いでしょう。
1再コメントになりますが、やはり、酪農と言うリアル、乳牛と言うリアル、生き物の命にも人間の都合から来る優劣と言うよりは有無言わさぬ適不適の現実など、現実の厳しさがこの詩を、浮上させたのかもしれません。
1現実が厳しいことを突きつけたいという意志を持って書かれたものではないです。けれどもだからこそ、強制力なく読んでくださった方が多いのかもしれない、と思います。
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