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まいまいつむりのまいこちゃん
まなざしはこころからのささやかなプレゼントである。ぼくは、もう、最果ての土地まできてしまったのか。見渡すかぎり、ひとがひとで溢れる街もあった。反対に、死が射しこむような森のおくの森まで、ひとりでいったこともある。波にまぎれてひとりぼっちの孤独を洗いながそうとしたこと。スーパーマーケットの暴走カートから逃れるために、チョコが積まれてある棚に激突し、板チョコが粉々になってしまったこと。 きょう街のはずれでみつけた、落ちてあったカタツムリの殻には、なぜか、七色の絵の具で彩色されているものがあった。ひとつ、ひとつ、数えながら足を運んでゆく。通りすぎる車の列は、いつでも礼儀正しくおもえる。掃除機のパワー弱で吸いこまれているように、どこかとおくのゴミの宇宙へとトンネルからきえてゆく。 カタツムリの殻を数えつつ、おもわず、ぼくは宇宙について考えてしまう。闇は、やみとお遊びするの。深みにおちて泳ごうよ。泳ぎつつ耳のおくのかなしみの渦にのみこまれてしまおうよ。 錆びついた闇のなかで蠢くケダモノにでもなったような気分で、ぼくは、なおもカタツムリの殻を数えている。目をあげると耳鼻眼科があった。看板には、たちくらみ、めまい、たちつむり、等、ございましたら、お気軽に。と、書かれてあった。 七色のカタツムリの殻は、びっしりとその病院の自動ドアに貼りつけられていて、ぼくは、なにげなくドアを開けてしまった。自動ドアがひらくとカタツムリの殻は、ポツリ、ポツリ、と、地面に落下し、どこかいぢらしくおもえたので、ぼくは、はじめてカタツムリの殻に手を伸ばそうとした。そのとき、「 やめておきなよ、 」と、声がした。 受付の看護婦は更につよい口調でいう、「 カタツムリの殻をさわっちゃいけないよ、それは、ただのカラーコンタクトなのさ。あなたはみたことありませんか。近ごろデビューした、まいまいつむりのまいこちゃん、という歌手のプロモーションヴィデオで、かのじょが目にカタツムリの殻をつけて、激しくヴギを踊っているところを。若いおんなのこたちがその姿に憧れるさまに目をつけた、あぶらとり紙の会社がカタツムリの殻風のコンタクトレンズを発売したのさ。けれども、ね、装着したひとの具合がわるくなる症状がつぎつぎとあらわれてね、発売中止となってしまったの。なぜなら、なましびれ、なまめまい、なまくらみ、そんなヌルッとした症状がでて、コンタクトを装着しつづけると、誰もかれもがカタツムリのようにウネウネとした動きをはじめて、それがおとこたちに受けるものだから、アダルト関係のヴィデオの素人女史は、かならずそれを装着するように指導されていて、それゆえ道徳的な教えをうけねばならない女学生たちは、コンタクトレンズの使用を学校で禁止されてしまった。そして、その騒動のあと、まいまいつむりのまいこちゃんがどうなったかというと、かのじょは次のプロモーションヴィデオで、カタツムリ並みにめだま飛びでるコンタクトレンズというものを装着していて、激しくルンバを踊っていたといいます。つまり、そのコンタクトは使用済みの大人用ゴム風船のようなものなのです。ふれない方が身のためよ。ビョーキになりたいの? 」 ぼくは、( ぁの、ぇと、その、すみません、診察にきた訳ではないのです、 )と、答えるので、せいいっぱいだった。なぜなら、看護婦の目には、あきらかに例のコンタクトレンズが装着されていたから。 ぼくは、いまの気持ちに気づかれないように、ムラムラときびすを返そうとした。そのとき、看護婦に、「 あなた、とても、かわいいわよ、 」と、耳元で囁かれた。ぼくは赤くなる想いと暴力的な青さがいっしょになって、幼いくらいの声で、( 失礼します、 )といった。しかし、自動ドアのそとに散乱している七色のカタツムリの殻をみていると、居てもたっても居られなくなり、( ぁの、 )といいつつ、ふりかえると、病院はちいさなラヴホテルになっていた。ふと、腕に重さをかんじる。 隣りをみると、さきほどの看護婦がいて、カタツムリの殻のまなざしで、なおも、ぼくをみつめてくる。「 ぁはん、醒めちゃったの、 」かのじょはちっとも驚かずに、ふふ、とワラッて、それから、その手に塩の瓶がにぎられているのに、ぼくは気づく。 その瞬間、カタツムリのようにジメジメとした想いで、ちいさくなってゆく自分の姿にも、やっと気づいた。
まいまいつむりのまいこちゃん ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1084.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-03-01
コメント日時 2017-03-15
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
カタツムリ=雨=虹=七色 カタツムリ=三半規管=めまい 連想ゲームが楽しい冒頭から物語は格調高く進むのかと思いきや、いきなりエロティックな大人のふいんき(なぜか変換できない)へと移行していきます。「まいまいつむりのまいこちゃん」というタイトルは「ざわざわ森のがんこちゃん」を連想させますが、この詩もがんこちゃんの世界設定並みにブラックです。最後に語り手が塩によってシオシオのパーになってしまうあたりは、ブースカだけでなく「ウルトラQ」のナメゴンも含めた円谷特撮作品に対するオマージュなのであろうと、昭和生まれのおじさんは作者の意図を半ば無視しながら強引な解釈をするのでありました。 「赤くなる想い」と「暴力的な青さ」という表現は、七色の殻という設定なら「暴力的な紫」の方が良かった気もしますが、そんな重箱の隅も「幼いくらいの声で、( 失礼します、 )」の前にはつつく意味すら失われてしまいます。個性という最も重要な要素のひとつにおいて、この詩は成功していると思うのであります。
0面白いファンタジーとして読ませていただきました。 看護婦の「語り」というのか、「説明」が、ちょっとくどいかな、という印象はありましたが・・・あえて文字をぎっしりと詰めて、音声と化した言葉の群れが通り過ぎていくような感覚を受けるので、構成としては成功しているのかな、と・・・でもやっぱり、ぱみゅぱみゅ的な歌手、を設定して持ち込んでいるところと、尖がって渦を巻いて、人をにらみつけているようでありながら、視線が定まらない、そんな「視線」のイメージと、双方を論理で結び付けようとしているところに・・・少し「盛り込み過ぎ」の印象を持ちました。 小説であれば・・・一章では「まいこちゃん」のことを描き、二章では憧れて真似をして挫折していく(夢破れて)体調を崩していく女の子たちのことを描き、三章でその女の子たちが獲物をねらうように「ぼく」に迫って来る・・・そして、消滅させてしまう、そんな恐怖と陶酔とないまぜになったような状況を描く、ということも可能なのかな、と思いました。 この長さで収めるなら、そして「詩」として、曖昧さや不思議さをあえて残すなら(セザンヌの絵の、塗り残し、みたいに)看護婦の「説明」を、このカタツムリはカラーコンタクトである、これを付けると「なましびれ、なまめまい、なまくらみ、」が訪れて、とろけるような感覚を得られる・・・という程度にしておいて、後は看護婦が妖艶に迫って来る、そのまなざしの魅惑と恐怖、反発と誘惑、そんな相反する感情を同時に感じさせるような、そんな読後感を残す・・・なんていうのも面白いかもしれない、と思いました。あくまでも、一案、ですが。 (もちろん、このようにしなさい、とか、そういう意味では、ないですから!)
0きらるびさん、コメントありがとうございました。 散文に見えるけれど、実は韻文ですね。イメージとリズム、そして音韻が割合とゆったりした波に乗って流れています。美しい太極拳をみているような。 エロチックだけれど、肉体的ではないですね。転がっていく物語も、起承転結の構造体ではなく、採譜できない謎の旋律のようです。 > その瞬間、カタツムリのようにジメジメとした想いで、ちいさくなってゆく自分の姿にも、やっと気づいた。 というこの部分はちょっとありがちなオチになってしまっているように思えます。律儀に話を落とさなくてもいいのではないかな、と思います。
0個人的な解釈として 私が思うに性と苦を覚えたての少年が社会エロの深みに入りそうな瞬間を詩で表現したと判断しました。 はじまりは少年の苦悩と痛み、自暴自棄に囚われ 中盤から社会のアダルトのエーテルを嗅ぎ 終盤は現実に戻しながらも再度誘う場面 七色=官能的な毒 カタツムリの殻=捨てられたセックス コンタクト=避妊具 カラーがついているのは陳家な流行りものと感じました(カラーがつくのはおそらく昔の何でもカラーにすればよいという風潮) ここから判断するに私の感想としてはもっと踏み込んで見てもよいかなと思いました 「その手に塩の瓶がにぎられているのに」ここが勿体無いと感じた 折角、塩の瓶の存在から続けられる詩があるのにそれを書かないのはあえてなのか、もどかしい いや、それがむしろ良いのかもしれない。私の感想としては以上です
0もとこさん もとこさんのご感想には、いつも勇気をもらっています。ウルトラQ、父の影響で、子どもの頃、よくビデオで鑑賞していました。いままで、ナメゴンという怪獣のことをわすれていましたが、フト、そうか、わたしは無意識にも円谷特撮作品の影響も受けていたのか、と、ふしぎと納得いたしました。そうですね、7色の殻、というのなら、紫にしてもよかったかもしれません。しかし、なんだか「暴力的な青」というものに、若気の至りのようなふいんき(こちらもなぜか変換できない
0まりもさん ありがとうございます。いつも、丁寧に作品を読んでいただけて、とても嬉しくかんじています。わたしも詩としてはすこし、くどいとはおもいました。作中の会話文は、できるだけ抑えた表現で、みじかくまとめるのがよいのかも、しれません。主人公の朦朧とした意識を表現できれば、とおもいましたが、もうすこし、説明をおさえた言葉で、あらわすべきでもありました。まりもさんのご意見をいただけて、わたしはいつでも目が覚めます。詩の書きかたをかえるのは、なかなか勇気のいることです。けれども、この合評に参加して、良い方向へとすすんでゆけているような、気がします。ひとつきに1作でも、この場所へ発表できれば、と、考えています。まいこちゃんという歌手は、ぱみゅぱみゅ風でもあり、わたしとしては、ニナハーゲンのような、すこしデンジャラスな愛らしさのある、歌手としてとらえています。うれしいご感想、ありがとうございました!
0Migikataさん ご感想、ありがとうございます。わたしはどうしても、オチをつけたがる性質であるようなのですね。もうすこし、音の余韻のように、こころへと吸い込まれてゆくような、それでいて、鳴りやむことのしらない、いびつな詩の残響というものを表現してゆければ、とおもいました。どちらかといいますと、この作品は詩ではなく、幻想文学だと考えています。ショートショートの投稿も可能、ということでしたので。けれども、たとえ、小説であれ、詩的な表現というものができましたなら、それほど、しあわせなことって、ありませんよね。詩でも小説でもなくやや音楽にちかい、語りかける言葉の奥にひそむ、作者の感情。そこまで、かんじとっていただけるような、作品へと、希望をもって、えがいてゆきたいものです。ときに、くじけそうになりますが、多くの詩人さんの作品を鑑賞するのは、とてもたのしみなのです。ご感想、とてもうれしいです
0奏熊とととさん はじめまして。わたしはどうやら、この作品を「ねじ式」という漫画のように、仕上げたかったようなのです。けれども、つげ義春のあの傑作漫画を模すのは、どうしても、力不足でありまして、モチーフだけ、やんわりと、オマージュを捧げたしだいです。興味深い解釈を、どうも、ありがとうございます。わたしは、ユングやフロイト、ほかの学問にもうとく、多くを語ることができずに、無意識のまま、表現することしか、できませんので、こうして、奏熊とととさんや、ほかのみなさまのご感想、および、ご意見をきくことによって、学ぶことがたくさんあります。このサイトで特によいことは、詩人さんのなまの声が、とても真面目な発言であふれているところです。だれも、中途半端なんかぢゃなく、まともに、詩を受けいれる覚悟と、すべてを受けいれた表現力で、詩をおかきになられている。わたしは、ネット詩にも未来をみました。ミライのカケラをすこしずつ、繋げてゆきましょう。ありがとうございます。
0>闇は、やみとお遊びするの。 この一言が凄く良くて、病院がちいさなラヴホテルに変わる瞬間でしょうか。そういった「闇」が「やみ」に開かれていくような感覚。それが「かたつむり」という一つの存在であり比喩であり、それから粘性をもった性と絡み合いながら話が展開していく。そういういう意味でこの作品の持つ音、という感性の持つねじ式の雰囲気が絶妙なラインをたたき出している。。。感じがしますが、ここまで大げさな感じではないかもしれません。 なんというか、いい意味で、評価に困る作品…凄く難しい。つまりこの作品はもっと短くエッセンスを絞り出した物が読みたいという気持ちと、このままでもいいよね。という所のゆらぎがあります。時間があれば、本腰入れて読んでみたい作品です。
0色々、詩的な方法論や技術についても批評できるとは思うのですが、なによりもこの作品を読んでいて感じたのは、その滑らかな喉越しでした。 音声に出して読んでみると明確なのですが、前回の作に続いてこの作品も、とても音の響きがいい。 きらるびさんは、とても(詩的に)耳のよい方なのだなぁと、感じました。 拙い感想で、申し訳ありません。技術的な部分、思想的な部分は他の方におまかせして、ただ、朗読させて頂いた時の感動をお伝えしたかったのです。 ありがとうございます。
0このぼくは実に好奇心旺盛であり、それがぼくをぼくたらしめているのでしょう。ぼくはおそらくいろんな街を見てきており、それだけでなく、森のおくの森までいったことがあります。それも一人で。ただ、ひとりぼっちの孤独を洗いながそうとしているので、ひとりぼっちであることをいろいろなこと=未知に出会うことで紛らわしています。 その好奇心が、七色のカタツムリの殻=未知との出会いを引き寄せたのでしょう。そして、つい宇宙について考えてしまうのも、その未知への期待から考えてしまうように思えます。宇宙に行くことや見ることはできません。だから、考えるしかないのです。 たとえ、目の前に耳鼻眼科があったとしても、ぼくは未知を期待してついつい足を運んでしまいます。受付の看護婦が述べていることは、いろいろな事象が散りばめられています。カタツムリの殻が、歌手=遠い存在が使い始めたこと、若いおんなのこたちから憧れのものであること、道徳的な教えを受ける女学生には禁止されていること。ただ単に興味を惹かれて数え始めたカタツムリの殻にそんなエピソードがあったとは、もちろん想定していなかったぼくはつい身じろいでしまいます。 期待を越えたであろう未知との出会いにいざ遭遇してしまうと、ぼくは委縮してしまったわけです。「まなざしはこころからのささやかなプレゼントである。」という冒頭は、初見だと、何だか温かい言葉であるように思えたのですが、結末まで読んでからまた冒頭に戻ると、この言葉の意味合いが違って思えてきます。このぼくに問いかけてみたいです。 「今となっては、まなざしがあなたにとってささやかなプレゼントですか?プレゼントには有難迷惑もあるかもしれませんね」なんて。
0初体験を読者の皆さんは良い思い出として持っているだろうか。僕はもう、あれから30年が過ぎた。あの、4つ年上の女子大生は、その後、立派な美術教師になられたのかな。ということを読んで思った、きらるびさん投稿2作目『まいまいつむりのまいこちゃん 』。たしかに、病院って少しエロティックな雰囲気がありますよね。不謹慎だけれども。 本作へのコメントを私は、投稿3作目『発熱の雨』を読んだ後に書いていますが、作者:きらるびさんの作品に漂うような愛はマボロシのようで、とても儚い。その愛は、仄暗い系男子が奥底に持っている消えそうで消えない炎を抱擁して、そして、ひと息で消してしまう風のようだ。 読者の皆さんは『発熱の雨』と併せて読むと更に楽しめるかもしれない。
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