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望郷
「純粋って 残酷よね」 甲高い声が窓ガラスにぶつかって 午後の陽がコーヒーカップを照らしていた 細めた眼は懐かしい鋭角 私は窓辺の永遠に油断していた 純粋の何についてあなたは語っていたのだろうか そこにあったのはどんな時間だったのだろう ガラス戸に跳ね返った私の声が届いたとき かなしみが不意の怒りに 私は驚きを反抗に変え 不器用な怒りを見つめた この上ない平静さで あのころ私は 手折った夏草をぶんぶん振り回しながら ひるまずに突き進んでいった丘の道 尖った葉はきらきらと光の乱反射 不意に幾度もあなたに斬りつけた 愚かな者が勝利する若さの恥ずかしさよ それさえ 小さい生き物のように手の中に匿おうとして 海いくつ隔てて やさしさばかりが打ち寄せてくる
望郷 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 863.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-10-03
コメント日時 2017-10-27
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「純粋って 残酷よね」 冒頭のこの言葉を見て、原口統三の『二十歳のエチュード』を思い出していました。 「純潔という名のこの兇暴」という言葉と断片をノートに残し、 書いた詩は全て焼却。そして自死。 純粋さは振り返ってみれば、強烈な自我の裏返ったものではあるけれど、 見果てぬ世界への憧憬と旅立ちは、表現者への第一歩だったのかも知れません。 私の場合は、父親を早く亡くしたためか、生活者として自立することの希求が強く そのため、多くの大切な感情や童心を失った反面、生活や人間関係から得るものも大きかったように思います。 この詩を拝読し、そんな思いがヒシヒシと沸き起こってきました。 帰結部の「やさしさばかりが打ち寄せてくる」はすごくいいですね。 寄せ来る波には不純物もたくさん混じっているはずですが、 それさえも打ち消してくれる波の音を、静かに聴いていたい心境になりました。 評というより、個人的感慨を交えた感想になってしまいました。
0*白島さん、ありがとうございます! >原口統三の『二十歳のエチュード』を思い出していました。 >「純潔という名のこの兇暴」 上記は白島さんの「花の化石」に引用されていて、その存在を初めて知ったのですが、 「花の化石」は全編自分と重ねてしまう詩でした。 そういう場合、胸中でことばが渦巻いていても、コメントができなくなってしまうので、 詩の集いで白島さんが「花の化石」を朗読されたときも、何も言えず失礼しました。 拙詩「望郷」における冒頭の「純粋」はどういうものだったのか。 時に死へ追い詰めるほどのものだったのか。 そういうものを孕みつつも、背伸びして通俗的なところで言葉を発する人間に、 何か大切なものを伝えようとしていた人のかなしみ。 あのかなしみが純粋の意味だったのではと、後にその人の愛した音楽を聴いていて感じました。 今思うのは、「純粋」は歓びであり、死を超えさせるものではないか、 真の生活者こそが知っているものではないかと、言うことです。 追伸: 昨日からNHKのEテレで、 【常盤貴子の旅の手帖、2ndシーズンは「南仏の旅」】 が始まり、南仏の海、街並みがふんだんに紹介されています。 女優さんを初め、映像がとにかく素晴らしいです。 >それさえも打ち消してくれる波の音を、静かに聴いていたい心境になりました。 打ち寄せる波も、きっと映し出されると思います。 →https://cgi2.nhk.or.jp/gogaku/french/tv/ 放 送:水曜日(火曜深夜) 午前0:00~0:25 再放送:翌週 月曜日 午前6:00~6:25
0『「純粋って 残酷よね」 甲高い声が窓ガラスにぶつかって』 『尖った葉はきらきらと光の乱反射 不意に幾度もあなたに斬りつけた』 『海いくつ隔てて やさしさばかりが打ち寄せてくる』 すごく、すきです。自分の中にあった感覚や風景を、掘り返されたような。
0「純粋って 残酷よね」 書き始めの言葉に魅かれて読みました。 純粋の残酷性について、あれこれ考えさせられました。
0fiorinaさん こんにちは 恋人との言い争い・すれ違いから、自分の本質を考えているような詩。 特に純粋さについて、目の前の人を傷つけているモノはなんなのだろうと考えると、昔から自分にあるものであり、「手の中に匿おう」としてた大事なものだったりする。 近しい人との曲げられない部分の衝突を生々しくかけているなぁと思います。 最初のシーンでガラス・カップ・甲高い・窓を使って固い印象をつけているのが良いですね。作者の感じた情景が伝わります。「永遠の窓辺(良い表現ですね(^^))・平静さ」は純粋の象徴であり、「不器用・鋭角」であることは純粋とは言えず、純粋を残酷と言われる事によって相容れないことが強調される。 回想のシーンでは、「きらきら」とあるように大切にしたい気持ちと、「斬りつけた・愚か・恥ずかしさ」から現状にそぐわない一面があることの苦悩がうかがえます。また、「不意に」というところもすれ違いを良く表現していると思います。 最後は心情に回帰し、やさしさについて述べ、波として打ち寄せることの中から避けられない現状・対処であり、隔てていることから見えない相手の心が連想されました。 純粋の何についてあなたは語っていたのだろうか そこにあったのはどんな時間だったのだろう この部分については、よく読むと分からなくもないが、序盤で読んだ時には重たくリズムが損なわれる印象もありますね。 ですが全体として、内容が濃く・イメージしやすい詩でした! ありがとうございました。
0fiorinaさん、御作にコメントさせて頂きます。 若いころの自分と今の自分との対話のようで、惹きこまれました。傷つきながら、傷つけたものを匿ってしまう純粋さが憐れのような、それを強さを思っていた半分間違い。純粋が何か考えるより先に動けたことへの羨望と憧憬を感じました。
0〈手折った夏草をぶんぶん振り回しながら ひるまずに突き進んでいった丘の道 尖った葉はきらきらと光の乱反射 不意に幾度もあなたに斬りつけた〉 若さゆえの勢い、若さゆえの憤り、若さゆえの・・・と記しながら、若さって、なんだろう、と考えます。 恐れを知らない事、だろうか。ジークフリートは、恐れを知らない若者、という設定だった。 恐れげもなく、まっすぐに進んでいく、そのまなざしへの羨望が、冒頭の一言になったのではないか・・・ そんな思いで読みました。たぶん、「純粋って 残酷よね」と、聞かされる側、ではなく、言う側に、私が近い場所にいるから、かもしれません。 硬質な思惟の言葉が織り込まれているのに、全体にとても柔らかい。詩行の飛躍が適度で心地よかったです。 恥ずかしさ、に自ら気づきながら、なおもそれを〈小さい生き物のように手の中に匿おうとして〉生きている、生きて行く、ということ。遠い過去の出来事であるように描かれているけれども、すぐ身近にあること、なのかもしれません。打ち寄せる波音が、時間の波のように思われました。
0レスが遅くなり、すみません。 ◇田中修子さん、ありがとうございます。 >自分の中にあった感覚や風景を、掘り返されたような。 人生は一瞬だと思いますが、 直線的なエネルギーで、自分も周囲も容赦なく傷つけた若さの記憶は、 夏の夕暮れの心地よさですョ・・。 ◇沼尾奎介さん、ありがとうございます。 >純粋の残酷性について、あれこれ考えさせられました。 純粋の残酷と残酷でない純粋がともにあった時間は、 得がたいものだったと、時々ふり返ります。 ◇はねひつじさん、ありがとうございました。 諍いになった後に、どういうきっかけでそうなったのかを、寄せる波のようにくり返し考えますね。 この詩が始まる前に、「あなた」によって語られていた純粋は、 たとえば、「ベートーヴェンの皇帝の第二楽章がね」、というようなものだったのかもしれず。 残酷な純粋などが登場する場面では、全然なかったので、 「私」はよほど背伸びして、聞きかじりのような台詞を言ったのでしょうね。 真に残酷な純粋が、ここに描けているかは我ながら疑問ですが、 若さの愚かさが書けていればよしとしたいと思います。 ◇夏生さん、ありがとうございました。 >傷つきながら、傷つけたものを匿ってしまう純粋さが憐れのような 今もあらゆる父や母、師なるひとが、身をもって行っていることでしょうね。 自身傷つきながらも匿おうとしてくれた人を、やがて悔恨とともに思い出すとき、 その人はすでになく、「純粋」や「やさしさ」の意味ばかりが残されています。 >純粋が何か考えるより先に動けたことへの羨望と憧憬 若さ愚かさが、苦しくともキラキラする所以でしょうか・・。 ◇まりもさん、ありがとうございます。 >硬質な思惟の言葉が織り込まれているのに、全体にとても柔らかい。 >詩行の飛躍が適度で心地よかったです。 詩行の飛躍も柔らかさも目指すところですが、難しいですね。 この詩では、主語をいくつか省いたので、私の詩が持っている「わかりやす過ぎる」欠点が軽減されたとしたら、よかったです。 「匿う」は「あなた」の行為として書いたのですが、 「わたし」自身の行為として読んでくださった方と、「あなた」の行為として読んだくださった方がいて、 まりもさんは前者だと思いますが、 >恥ずかしさ、に自ら気づきながら、なおもそれを〈小さい生き物のように手の中に匿おうとして〉生きている、生きて行く ととらえた場合の「小さい生き物」の生々しさが、とても新鮮でした。
0「純粋って 残酷よね」という言葉は、誰に向けて投げかけたのでしょうか。ここは部屋でしょうか。何となく部屋の中を想像します。そして、さきほどの言葉は、ふと口から漏れ出た独り言というか、文字通り空を切るような言葉だったのではないかと思いました。いや、目の前に相手がいたのかもしれないですが、それでも、相手に届かない言葉であるように思えました。 というのも、読み進めると、「ガラス戸に跳ね返った私の声が届いたとき」とあるので、どこか空に飛ばした言葉が、最終的には自らに「かえってきて」いるのです。そして、かなしみは怒りへと変容する。 「純粋」という言葉と、幼い頃の私の映像が結びつきます。おそらく、故郷でのお話。尖った葉をあなたに斬りつけていたあの日々。それに伴う、恥ずかしいという若いからこその感情。そうしたものを手の中に収めることで、自らの所有物として抱き続けるのでしょう。 そして、かなしさでも怒りでもなく、海を隔てた、誰かの、いや、誰かのものであったのか、やさしさが打ち寄せてくるという。これもまた、やさしさが「かえって」くるということ。 私の声がかえってきて、やさしさがかえってきて、そして何より、幼い頃の記憶にかえっていくとうことがタイトルにある望郷という意を示しているのでしょう。
0なかたつさん、ありがとうございました。レスが遅くなってすみません。 以前私は二つの物語によって、望郷について知っていたつもりでした。 ひとつは『サンダカン八番娼館』という、お金のために異国に渡った若い娘たちが、 多くは死ぬまで日本に帰ることをゆるされず、海沿いに建てられた墓がすべて日本の方向を向いていたという記述によってでした。 もう一つは、『ビルマの竪琴』の若い日本兵が、戦争による彼我の死者の霊を弔うために、 僧となって現地に永久にとどまる決心をし、望郷を振り切って帰国船に乗ることを拒んだときでした。 私の詩の望郷も大きな海を隔てたものでした。 彼らに比べるとまったく自由な帰国がゆるされていましたが、それでも、望郷は知識で想像していたものとは違い、飢餓に等しい感覚だと言うことを経験しました。 いただいたコメントとずっと対話していたような気がします。 「純粋って 残酷よね」と言うことばは、たしかに 「あなた」にも届かず、「私」からも疎まれて、迷子になっていたのかと気づきました。 長い時を経て、あの言葉が過去の情景を引き連れて戻ってきたんですね。 詩に書けたのは、迷子になっていた間に、あの言葉自体が少し大人になったのかも知れません。
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