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sense。
多分なにも考えていない手が文字を書き出した 多分ないも考えていない手の文字は なにも考えていないままの意味を むすんで ひらいて 蝶という長音の 結びに 朝露をこぼす ドリップされた コーヒーにかけられた魔法を解くために 難しい参考書から眼鏡を取り上げた たかいたかいとして立ち昇る 狼煙のような香りの中に たしかに盲たままの 羊は転がっている 笛の音が、遠くでお豆腐を売っている 多分なんにも考えていな足が 妹の性器に触れる 多分なにも考えていな足が 弟の性器に触れる 清浄な空気が空気清浄機から産まれ 産褥の苦しみに涙を流している 空という紛れもない名前 重いんだ、眼鏡 新しく作ったばかりだけれど 顔面の筋肉がひくひくと蠢いて 再生を謳う処女膜に触れるように こぼされる白に 手はなにも考えない文字を書く その襟に記された そのクチュールに誂えられた 蝶の抜け殻に吃音を詰めて 弔いのコーヒーを淹れよう たたかいたたかいとして立ち昇る 手紙のような湯気に 封蝋として もろもろと くずれていく なにも考えていない瞳が捉えたのは ただそこにあるだけの空 その、紛れもない名前
sense。 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 956.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-02-22
コメント日時 2017-03-04
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「多分なにも考えていない手が文字を書き出した」 この最初の一行だけで詩人の皆さんの頭の中には「自動書記」とか「アンドレ・ブルトン」といった言葉が頭に浮かぶことでしょう。それではこの詩も「なにも考えていない手」によって書かれたのか? ディスプレイに明滅するイマジネーションとしての言葉の羅列を見ていると、そうかも知れないと思えてくる。その一方で、自動書記とは対極にある、時間をかけて計算し尽くされた思考の産物であるようにも感じる。 なにも考えていない手が言葉を綴り、なにも考えていない瞳が空を見上げる。その時、なにも考えていない脳細胞は、どんな夢を見ているのだろうか。そんなことを考えながら読んでいたのですが、本当はなにも考えずに読むべきだったのかも知れません。
0もとこ様、花緒様、誤字脱字だらけの拙作にご感想ありがとうございました。 なんだか申し訳なく思ってしまいます。 1連2行目「ないも」→「なにも」 2連最終行「盲たままの」→「盲たまま」 4連1行目「なんにも」→「なにも」 4連1行目「考えていな」→「考えていない」 4連3行目「考えていな」→「考えていない」 編集できない仕様のようですので、お詫びして訂正させて頂ければと思います。
0もとこさんのレスにほぼ同感です。 自動筆記的に詩を生み出す、その行為の空無性にとらわれつつ、詩を書きたいという「産褥の苦しみに涙を流している」主体の在り処を訪ねる、といったところでしょうか。 「蝶という長音の 結びに 朝露をこぼす」 このあたりに、文字(形骸化したイマージュ、氷結している詩想)に「朝露」のような美しい契機をあたえて、形骸を「音」へ・・・読者の心の中で生きて動き出すイマージュに変換させる、そのような詩を書きたい、そこに「sense」を感じますが、他方、「たかいたかいとして立ち昇る」「たたかいたたかいとして立ち昇る」など、立ち昇る、を引き出すために措定されたような(つまり、詩的必然性に乏しい印象を受ける)音の連鎖、音による語の誘引がある。感情や意志による誘引があって、そこに音が伴っている時、読者により強いインパクトを与えることができるのではないか、と思いました。 「再生を謳う処女膜に触れるように こぼされる白に」 受胎することなく流された「白」のイメージ、着想が文字として、詩として定着・生育しないまま霧散していくことへの感傷が、ここには歌われているように思います。 「空」の中にある、あるいはあるはずの「紛れもない名前」それを見出し、受胎させ、作品として生み出すこと、それが、私にとっての「詩作」である、という、まっすぐなメッセージが伝わって来るような、真摯で静かな情熱を秘めた作品だと思います。参考書を見ていて、それで詩が書けるか!・・・という、自己批評的な側面も感じられる。この先、どのように展開していくのか、楽しみな詩人だと思いました。
0グエン・グエンさん、こんにちは。 >多分なんにも考えていない足が >妹の性器に触れる >多分なにも考えていない足が >弟の性器に触れる ここが好きです。何も考えていない胎児の時、羊水の中で三つ子四つ子の弟や妹の体に足が当たるような、そんな感覚。自意識以前の自分が自意識の中にいるのですね。子どもの頃、時々小学校の帰り道、死というものについて考えました。父に「死んだらどうなるの?」と聞いたら、「何にも感じていないし、考えていないな。寝ているときと同じだな。」と答えて貰ったことがあって、じゃあ死んだときと同じように何にも考えるのをやめよう、と何回も実験してみました。当時から僕は頭の中のラジオが他愛もないことを隙間無くしゃべり続けている人間なのだけど、一所懸命に意識をカラにしてみると確かに「あ、今何も考えていなかった!」と思えることがあるのです。でもすぐに「あ、今何も考えていなかった!」と考えていたことに気づいて、そのたびガッカリしていました。なんだったんだろうな。当時はまだ言葉のない胎児の時のことを覚えていて、実はそれを懐かしんでこんな実験をしていたのかもしれない、とこの部分を読んで思いました。 >なにも考えていない瞳が捉えたのは >ただそこにあるだけの空 >その、紛れもない名前 このまとめ、結論に当たる部分はちょっと違和感があります。「ただそこにあるだけの空」は「ただそこにあるだけだ」と思った瞬間に、「ただそこにあるだけだと自分に思われた空」になってしまうし、「その、紛れもない名前」がひとつでも頭に浮かんだら、必然的に「何かの文脈に紛れた、関係性の中の名前」になってしまうからです。 ものの本質は結局ノスタルジーか、鏡像として意識の中で予感されるものでしかないと思います。 言葉という鏡の中の世界であるにせよ、ものがものとして放り出されるスタイルの俳句にはある種の凄味があるのですが、僕の知る現代の詩はどうしてもものを文脈や論理の中で変形させてしまうのですね。
0第六感を持っているかもしれない私は、人の話を聞いていないことがよくあります。その第六感の始まりは、小学五年生のときに体験したことがきっかけで。他の人々には認識されていないものが、自分にはみえているという気持ちは、自意識過剰を高めるもので。migikataさんが触れられた自意識を無くしたいという気持ちを私は、大人になっても強く持ち続けており、社会不適合な時期が長く続いておりましたが、今は適度な感じで生きる術を手にした感はあります。その術とは、自分を殺すこと。 『弔いのコーヒーを淹れよう』とは、今日も一日、自分を殺す儀式として、迫ってきました。タイトルに『。』が付いているからなのか、作品『sense。』は改めて、自分とは何者だろうかという、私が詩作品と対面するテーマを突き付けてくるものです。 グエン・グエンさん、投稿ありがとうございます
0まずは、誤字・脱字に塗れた拙作にご評価をいただけたことに御礼申し上げます。 まりも様 「感情や意志による誘引があって、そこに音が伴っている時、読者により強いインパクトを与えることができるのではないか」 とのご提案、ありがとうございました。特に音に注目してお読み下さり、とても嬉しく感じました。 Migikata様 「結論に当たる部分はちょっと違和感があ」るとのご指摘、ありがとうございます。 引用: 「ただそこにあるだけの空」は「ただそこにあるだけだ」と思った瞬間に、「ただそこにあるだけだと自分に思われた空」になってしまうし、「その、紛れもない名前」がひとつでも頭に浮かんだら、必然的に「何かの文脈に紛れた、関係性の中の名前」 :引用終わり そうですね。おっしゃる通りにも、読めると思います。 ですが、本当にそれだけでしょうか。 とても、興味深いことをご指摘いただきましたこと、そして、このご指摘はこの先の課題となることを踏まえて感謝申し上げます。 三浦様 「タイトルに『。』」という部分に気づきを持って頂きましてありがとうございます。 「投稿ありがとうございます
0グエン・グエンさん 彷徨う意識の端々で、何も考えていない、が連呼され、わたしはまるで、じぶんのことのように、読みすすめてしまいました。時間の感覚を正確にとらえることは、いつだってむつかしい。記憶も、願望も、むねのうちでは絡まっているものなのかもしれません。ゆえ、いま、みている、この景色そのものを、わたしは信じることが、どうしてもできないのです。作中の方の精神の状態が気になるところです。なぜなら、詩におさまりきらないほどの、内容が、この作品のそとへも繋がっていっているような、感覚をグエン・グエンさんの詩からわたしは得てしまったのです。生きている詩、これからもつづいてゆく詩。これは、きっと、グエン・グエンさんの詩への姿勢にちかいのかもしれませんね。死はふりかえることをしらない、ゆえ、いま、生きている詩に、わたしはすがってしまう。詩の言葉に生命力をかんじました。
0>なにも考えていない瞳が捉えたのは >ただそこにあるだけの空 >その、紛れもない名前 右肩さんとあるいみ同じ感想になってしまうのかなと思いつつ、やっぱり最後のオチが謎なんですよね。「空」っていう名前についてですね。 >清浄な空気が空気清浄機から産まれ >産褥の苦しみに涙を流している >空という紛れもない名前 「空」という名前というのは生まれてきた子の名前なんだろうかね…ここについて、ちょっと他の人の読みが聞いてみたい所。他の箇所は本当になめらかだし、おそらくもっと言葉尽くせる感じもするんですけど、それ以上に「空」っていうのが不思議で。他の箇所に触れる前にどうしても気になります。この詩の特異点とも言えるという感覚だけがむくむくと湧いてくる。なんで空なんだろうなぁ…sence。ってそういう事なんだろうか? 結局の所名前決める時ってなんなんだろうなと思う。子持ちの方とかに話を聞いてみたいなぁと思いました。この作品は凄く気になるなぁ…
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