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世界
あした、逆上がりが出来たら褒めてくれるかな。 きっと誰かが、わたしの事を見てくれるはずだと 淡い期待を抱きながら、夕暮れの公園で 鉄棒とエッチしている 私はなんのために 何を、どのようにして、空を駆け上がる必要があるのだろうか みたいな漠然とした不安にさいなまれてしまうのは 私の頭が悪いからだと思う 毎日を生きる事に対して 本当に疲れてもないくせに なんで私はこの坂道を上って毎日学校に通ったり 家に帰らなければならないのかとか 世の中の複雑な仕組みについて誰かの生活に纏わる 刺激や便利さを支える為に勉強しなければならないのかとか そういうったむずかしい事ばかり考えながら わたしは、 クラスの中で一人だけ、 二十とびと逆上がりが出来なかった 欲しい物も特にないし、 貯金箱にお金がたまるばかりで 旅行という経験や人形のような物じゃ満たされないと思ったので 何もない、わたしの部屋の棚の中には何もなかった 机の引き出しに入った物差しで わたしの心の長さをはかると 一ミリも満たない ああ、 つまらないね そういうわたしが、 今を、なんとなく生きられる世の中が 幸福である事。 そういう事だけは、なぜか知ってる わたしの生まれた世界が もう少し不幸だったり にぎやかだったりしたら もう少し幸せに感じられのだろうか みたいな事、 考えてしまうと それは本当に不謹慎なんだ みたいな感じで、頭がおかしくなる 普通に、ただ、毎日、朝起きて学校に行くこと、勉強すること、出来ない運動をする事、そのまま一人で家に帰ってテレビを見ること、そのたびに身長が大きくなる事、髪が伸びる事、服がしわくちゃになること、ランドセルが恥ずかしくなる事、人形がボロボロになって、捨ててしまいたくなること そういうが、ふつうである事、の、隣で、私の弟が、いじめられている事。 わたし、怖くて何もしてげられない だって、ふつうだから、 って、言い訳にしてしまいたかった そういうの、だから、 今、ここで逆上がりが出来ない事で、 わたしは、それだけが、後できればよかった、 そうすれば、多分、本当のふつうになれるから、 わたしが、 今生きている理由は、逆上がりが出来るようになるまで、家に帰らなくていいから だった、 初めて、まめができてボロボロになった右手、とか、沈みかけそうな太陽とか、私を探しにきたお母さんとか、あざだらけの弟の顔とか、何にもできない私わたしとか、そういうわたしが生きている事、みたいな事、みたいな事、 一か月くらい、一人で、校庭で、闇雲に登ろうとしていた、 あの鉄棒の向こうの空、 世界が、 反転する場所に向かって、足や手を動かした事、 初めてひたむきになった事、 色々な思い、 鉛筆が転がるくらいの軽さしか ないかもしれないけれど、 ふつうって何? みたいな所で、わたしの頭はおかしくなる 姉としてのふつうって何? みたいな事も全て忘れてしまいたかった それから、 なんとなく大人になるまで生きていると、 仕事している時にふと、思い出す事がある、 それは、人生の無意味さと、結局逆上がりが出来なかった事、その後迎えに来た母親と弟に挟まれて、家族三人で、初めて手を繋いで帰ったあの日の事、 そして 一生で一度きり 本当に最後の一度きり、 あの日、 あの場所で、 あの時に、唐突に、 姉として、弟に謝った日の事を、
世界 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1248.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-08-20
コメント日時 2017-12-28
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
青春の気分が伝わってきました。好きな詩です。自分とは何か、を真剣に考える作中女性の姿勢が魅力的に浮かんできます。 推敲が足りない、という花緒さんのご意見はその通りだと思います。誤字脱字が数カ所あることと、第一聯がその後の展開の中で完全にズレてしまっているところが気になりました。それから、作中女性の視点が少女時代にあるのか、成人後にあるのか、が不明確です。意識的に不明確にしているのかもしれませんが、そうするという意図もはっきり伝わらないのです。これは文の書き方ひとつでどうにでもなるところではないでしょうか。
0花緒さんの〈一連目から、鉄棒とエッチしている、など、不必要にリスクのある表現〉ここに同感。逆上がりとあるから、当然、いわゆる「鉄棒」のはずなのですが、この一行だけ見て連想するのは、上り棒と少女のエロティックな関係性ですね・・・でも、いわゆる前回りや逆上がりをする鉄棒、何ですよね。空を駆けあがる、というイメージと、何度も何度も密に取り組んで挑戦して・・・という、鉄棒との感応・・・を、このような砕けた口語で(しかも、小学生らしい女児の言葉として)表現することの不自然さを感じてしまいました。 普通、ってなんだろう。普通、でないから、弾かれる、虐められる、仲間外れになる、浮いてしまう、のか・・・ということは、「普通、そんなことしないよ」「普通、そんなこと考えない」と言われ続けた、私自身の子供時代に重なります。私はトイレに一緒に行く「おトイレ友達」のような不必要な「つるみ方」群れ方が嫌で、意図的に同級生の群れから外れていた、ようなところもありますが・・・本が友達、という、それだけでも「普通」ではない生き方を選択した時点で、クラスの大多数から浮いてしまうのも、仕方なかったのかもしれません。高校に入って、そんなタイプの子たちが同じクラスに沢山いる、という情況に初めて接し・・・まともに本の話をしても、煙たがられたり嫌がられたりしない、そのことがとても新鮮で嬉しくて・・・詩の投稿掲示板って、実社会で「まともに詩の話や本の話をしても、なんだか良くわからない、難しい、ジャンルが違う、と敬遠されてしまう」そんな人たちが、気楽に、気安く本や詩の話ができる場所、なんじゃないかな、と思うと・・・高校に入った時の解放感と似たような気持ちを思い出します。 全然、内容や文章に触れていないですね、批評になっていないですね・・・私も、誤字にはずっこけました。一気呵成に繰り出す新鮮さを保持しつつも、それを推敲していく過程が、絶対に必要だと思います。もちろん、いくら推敲しても、完成、には至らない、としても。 姉の目線で語る、のは・・・弟(語り手?)が謝られてしまった時の、その衝撃を思い出しながら、姉の心の中を辿り直す、そんな「他者に成り切ってその時を回想する」意識が働いているから、なのかな、と思いつつ・・・鉄棒ができるようになっても、弟が「いじめ」から解放されるはずはない、その無力感を知りながら、それでも、自分にできることを、なんとか・・・祈りのような気持ちで、やらざるを得ない、没頭せざるを得ない。でも、出来ない。できないから、君が苦しんでしまう、助けてあげられない・・・から、そこから絞り出された「ごめんね」なのだ、と思うのだけれど。〈鉛筆が転がるくらいの軽さ〉しかないのではないか。そんな想いが、弟の側にはしっかり深く刻まれている。そのことだけでも、〈姉〉には救いなのではないか・・・という気もします。
0推敲不足は置いておくとして、百均さんの最高傑作だと思う。ここ1年間の間で読んだ作品の中では。皮肉ではないよ。百均さんはグジグジしたテーマで作品を書かれるととても魅力的な作品になる。大凡、グジグジ的なセンチメンタルな内容の作品というのは、失敗すると沼になる。読むものとすれば、そんな沼には入りたくないと拒否感が先にくる。なぜだろうか百均さんの作品は沼で溺れる感でなく、雨に少し濡れたぐらい的な印象になる。具体的な文言を拾うと、 ・出来なかった ・何もなかった ・満たない ・なぜか知ってる ・しまいたかった と残念な気持ちで終わるそれぞれの一節一節。 極め付けは、「だった、」と改行してまで置いてる。 これらの言い回しの作用が独特な濡れ性を出しているのかもしれない。参考までに私の持論を云えば、失敗して沼になってしまう作品というのは、こういった残念な吐露が続くことに併せて、飛ばし過ぎな暗喩が込められたケース。今作にはそれが無い。唯一、 『机の引き出しに入った物差しで わたしの心の長さをはかると 一ミリも満たない』 というメタファーがあるけれども、この一つだけの効果が大きい。 素晴らしい作品ではないか。いや、かもしれない。
0女子ならどの世代も共感できるような、誰もが口に出したかったけどうまく言えない感情をこまかく表現していると思いました。 読んだあと、悔しくなりました。嫉妬しました。
0花緒さん 色々頂いたレス読んで考えたのですが、やっぱり書き手の都合みたいな物の方が勝りすぎてしまったのかなぁと思いました。ここら辺、多分プロみたいに文章を売るみたいなところで考えていったときの親切さみたいな所が大切なのだろうと思いました。なんというか、無駄な所で破綻したって誰も得しないし読まないよみたいな所ですよね。 最終的にそういう所に行き着けたらいいなぁと思いました。そういう意味で本作が僕にとっての過程の詩であるという再認識が取れたように思います。率直な感想ありがとうございました。
0Migikataさん 花緒さんの指摘して下さった事で、ある意味対面的な拙さみたいな所については僕はあまり返せる言葉を持たないのですが、なんというか、やっぱり本作は実験みたいな所もあったのかなと思います。例えば「エッチ」っていう部分については女の子が自然とエッチっていう言葉をどういう時に使うのかなみたいな所で、試しにやった部分もあります。勿論それだけではないのですが、そういう新しい事を試す代償として作品が拙くなってしまう…みたいな所が一応の言い訳になっちまう所ではありますね。 今回女の子の部分については、エッチの所はともかくとして、半分くらいは成功して半分くらいは失敗しちゃったのかなぁという感じがします。次回以降の作品で上手く調整出来たらと思いました。
0まりもさん 性的な物のモチーフをネタにするという時に、やっぱり連想に力が非常に強く働いてしまうのだなぁと、思いました。要はセックスってなんというか万能であるし、その分使う時にはどうしても引っかかってしまう連想の糸を意識するか断ち切る形で使ってやらないといけない諸刃の剣なのだと思いました。 普通の部分については、色々な見方があると思います。そこらへんについても、多分未成熟な所で出してしまったのかなぁと思います。推敲の部分にも絡んでくる所ではあるのですが。僕は推敲が一人じゃやっぱり出来ないんですね。物を書いている時に10作品位のうち9作品くらいは過程で終わってしまっている。その最終点を模索するための作品を公開し、アドバイスをもらうことによって一作何かしら納得するものができる。それができる度にまた最初から何かを作り始める、という所で本作は多分僕にとっての過渡期に当たる作品。そういう意味で今回頂いたレスの多くが未熟であるという指摘は、自分で自作をそう思ったり、たかをくくってみる以上に、ガツンと大分心に来ましたね。なんだかんだいって落ち込みました。 そこら辺も含めて、女の子を主人公になぜ僕は据えたのかについても、姉と弟が登場するのかとか、普通みたいな概念について、明確な回答を作品の中で提示できるように、やってみようと思います。といいつつ、中々狙って書けるものではないのですけれども。
0三浦果実さん >大凡、グジグジ的なセンチメンタルな内容の作品というのは、失敗すると沼になる。読むものとすれば、そんな沼には入りたくないと拒否感が先にくる。 b-reviewを始めて、色々作品を読んできましたが、多分評価を下さねばならなかった時に一番辛かったのは、多分三浦さんの言葉を借りれば「沼」をもつ作品。僕は一貫して「辛い」という言葉で表現してきた作品だと思います。それは僕自身もそういうものを題材にして書いてきた事が、大きく背景にあります。なぜなら、そういった作品がどこに行っても大体評価されなかったからです。でもそういった事を例えばレスとして託して批評できるかという時に、それはやっぱり僕の個人的な都合であるという風にも強く思っていたので、だから自分が書いてきた事に対してダメ出しを無理やりつけていくみたいで、本当に辛かったですね。僕はやっぱり自分に近いと思ってしまう作品のスタンスが本当に苦手だ、という時に僕にできる事を考えた時に、もう一度僕なりに沼を書いていく事が、ある意味有用かなという所で、模索し始めた所があります。 何も伝わっていないような気もしますが、僕が女の子を主人公にしている理由はつまるところそこにしかありません。どうやったら皆読んでくれるだろうかっていうのとどうやったら僕にとって書きやすいだろうか。その結果として何が伝わるだろうか。という事。現実は本当に甘くないですね。でも頂けたレスは本当にどれも貴重な情報で溢れている。僕には見えなかった景色ばかりです。三浦さんから指摘してくださった所を読むまで、本当に嫌いでしたが、効果的だといって下さって本当に嬉しかったです。次の作品を書くための道筋や、頂いたコメントを客観視するきっかけもいただけました。ありがとうございます。
0sonetiraさん >女子ならどの世代も共感できるような、誰もが口に出したかったけどうまく言えない感情をこまかく表現していると思いました。 >読んだあと、悔しくなりました。嫉妬しました。 女の子になりきれているか、本当に毎回書く度に怖いのですが、それが本当に達成できていたのであれば、こんなに嬉しい事はないように思います。読んでくださり、本当にありがとうございました。頑張ります。
0おはようございます。 はじめに ことわりますが、なんども読み返しました。私の大切な記憶を喚起させる力がこの詩にはあります。 わたしは、今まさに自身の現在の不安と格闘していた時に、 この詩を拝読しました。わたし自身には 小学校の低学年時に 鉄棒の課題が出され、私の場合は成功体験としてのこっているところがこの詩と違うのですが、ク私はクラスで 最後に さかあがりができたので、たいして違わないです。私の中に いまもなお内在する心が煮える思いが さかあがりというワードに感じます。 煮え心情が蘇ったのは、この詩と 同じように私にも弟がいて 私も 弟に謝ったことなどがあるからです。。また鉄棒にたして、エッチという表現があったので 小学生低学年というより 思春期を思うことで、わたしにとって身近に感じました。 わたしは エッチという言葉がリアルな二十代にもさかあがりにチャレンジしたことがあります。 おさないときに さかあがりができなかった人も 艱難に出会ったとき、さかあがりをしようとするかもしれないです。多くの人が 普通にできる簡単なことができるという 成功体験獲得のために、エッチという言葉が思いつくような精神年齢のときに、さかあがりに かける。 そんなことは きっと あると 思いました。それができたら 世界は変わるに違いないです。 さかあがりによって獲得したい心情が おなじルーティーンの訓練の先には あるのだと思いました。わたしの場合は 弟を亡くしているので あのとき 謝罪できたことすら 宝なのです。ですが、こんな私は 普通ではないなー。とも、思いました。 駄文になりましたこと、謝りたい気分です。うなだれている詩は そうでない詩より 地面が近くて いいなあと 思いました。こんな うなだれぎみの詩がかける方は 共感力の高い方、よりそう気持ちのあるかたような気がしました。
0るるりらさん 返事遅くなってしまい、申し訳ありません。見返していたら気がつきましたので、遅くなりましたが返信させてください。 >うなだれている詩は そうでない詩より >地面が近くて いいなあと 思いました。こんな うなだれぎみの詩がかける方は 共感力の高い方、よりそう気持ちのあるかたような気がしました。 こういう風に言って下さって、嬉しいです。うなだれ気味の詩は、多分大体ダメだダメだと言われ気味じゃないのかと僕はなんとなく思っているし、自分でも良く思ってしまいます。でも、そういう詩なら寄り添えるだろうと言う所もあるのかなと思いながら、これを書いていた時期は特にそう思っていたかもしれません(今もそうかもしれません)。そう、地面に近くありたかった。もしくは、地面に近くあらざるを得なかったというのか。逆上がり、僕も出来ない人間だったので、出来ない人の詩というか、才能のない場所から書ける物を書いたつもりです。そういう物が、何かしらの感慨を生んだのであれば、本当に嬉しいです。 ありがとうございました。
0鉄棒とエッチしている。 この詩情を切なく表現したらキュンとするかな。 逆上がりのひっくり返った世界。 一人きりの革命ですね。
05or6(ゴロちゃん。)さん >鉄棒とエッチしている。 > >この詩情を切なく表現したらキュンとするかな。 >逆上がりのひっくり返った世界。 >一人きりの革命ですね。 色々レス頂いてから考えたのですが、最近思うのは直接的な言葉はやっぱり面白くないですね。無駄に高級である必要はないのですが、使うべきタイミングや場所は考える必要があると思いました。やってる事は逆上がりなのですが、それが大きく描けていたのなら本望です。端的で且つ嬉しいレスを、ありがとうございます。
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