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黙すること
光のように眠い 迫撃砲という言葉を あなたは軽々しくもルビに塗る 彼方から 過ぎ去っていった記憶を眺める ときのようなコントラストで 時間という人生を巻き戻す かたつむりのように目を瞑り 世界からアンテナを引っ込めて アカウントに鍵をかけるときのような 静かな音がした その耳元で
黙すること ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1025.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-08-14
コメント日時 2017-09-08
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「かたつむりのように目を瞑り」「アカウントに鍵をかけるときのような」など、面白い直喩があるにもかかわらず、そのような面白い直喩が活かしきれていないと感じました。感想でしかありませんが。
0「光のように眠い」という表現はとてもよい このワンフレーズから世界観を拡げていくこともできそうなぐらいのポテンシャルを感じる ただ、これは私も言われていることだが、明喩表現が少し多い気がする
0完備さま、どうもありがとうございます。これはユリイカで三角さんに佳作に選んでいただいた作品でして、今ブログに写真と一緒に公開しようと考えています。というか、この詩はほとんど丸ごと比喩だけでできているようなタイプの詩だと思っています。もちろん読みを強要する気はさらさらないのですが。 祝儀敷様、お読みくださりありがとうございます。多分、今までの私の作品の傾向からいうとかなり外れたものだったのではないかと想像しますが、明喩表現の使い方をもう少し極めていれば掲載されていたかもしれないなと思います。これからも精進します。
0花緒様、お読みくださりありがとうございます。わたしの他の作品と比べると、かなり静かな作品だと思います。(タイトルも「黙すること」ですし。)ある種の追悼のようなものとして読んでもらえたらと思います。
0「あなた」という人物の魅力が思う存分一連に書かれています。 それをひらいて見せたやや重複感のある2、3連は 一連にまとめて言葉少なにする方が、 タイトルに呼応するかと。 黙するという行為の現代版、積極果敢さを思いました。
0fiorina様、お読みくださり、ありがとうございます。黙するという行為の現代版が、かたつむりが目を引っ込めるようにアンテナを引っ込めることであったり、アカウントに鍵をかけることであったりすることを、しっかりと汲み取ってくださって嬉しく思います。もっとも、わたしのこの詩にはそれ以上はないような気もしますが。(謙遜ではなく、本当に)
0kaz. さま こんばんは。 昨日も確か読ませていただいたのですが、さっき再読して、目が留まったのが。 「軽々しくもルビに塗る」でした。 コントラスト、という言葉にも反応してしまいましたが(個人的な興味関心から) ルビに、塗る、これは。 う~ん。 素敵だしカッコいいし、せつない(?)。 子供っぽい感想ですみません。
0黙すること、という言葉が、8月に投稿されると、黙祷を思います。 そこに「光のように」と言われた時に、思い出す8月の光、原爆の光、そこに「眠い」光を忘れて眠り込む人々を思い起こしました。(作者がそれを意図していたかどうか、そこまでは分かりませんが・・・) 迫撃砲、という言葉で、現代の戦場に引き寄せられる。「軽々しくもルビに塗る」文法としては実に不思議な用法ですが、ルビを振る、ではなく・・・ルビに塗る。読み替えを強制する。黒塗り。言葉を削っているがゆえに、様々なことを想起させますね。 〈かたつむりのように目を瞑り/世界からアンテナを引っ込めて〉唐突な組み合わせのように見えて、「つの」のような目をひっこめるカタツムリのイメージと、世界を感受するアンテナをひっこめるイメージが重なりますね。 〈アカウントに鍵をかけるときのような〉この比喩も、ネットを遮断することによって自分に都合のよい情報を与えてもらえる世界にのみ閉じこもっていく、そんなイメージを喚起する。 ・・・ここまで読んでくると、最初の「黙すること」が(黙祷などではなく)ネット社会で黙ること、にも思われてきます。様々な読み方ができる、と共に・・・現代、という世相の一端を描いている、寡黙な良品だと思いました。
0Sari Dote様、ありがとうございます。こどもっぽいと仰っていますが、そんなことはないと思います。逆に谷川俊太郎の作品に「この表現がいいね」なんて感想つけられるのはあまりいませんから。 まりもさま、どうもありがとうございます。私自身、これは予見的な作品であったように思います。八月に入って、これを投稿するにあたり、黙祷の意志があったのかもしれないと、ふと思い直しました。どうもありがとうございます。
0「アカウントに鍵をかけるときのような静かな音」すごいですねぇ~!! 実際に耳にする音ではないはずなのに、何かこう、心がシャッと閉じる音が聞こえてくるような。 ゲンダイノワカモノ(と言われるのが私は昔は非常に嫌だったんですが)、しかし、ゲンダイノワカモノにしかできない斬新な表現のような気がします。
0田中修子様、お読みくださりありがとうございます。実際、ご指摘の箇所は使ってみたかった表現の一つでして、思い付いてから作品になるまで少し歳月がかかっています。
0この詩はいいですね。とても繊細だと思います。kaz.さんの批評を読んでいると、ちょっと抜けてる(失礼)ところが あるような気がするんですが、この詩は、言葉と映像の結び付け方という点で、ほかにないような詩、新しいと思い ました。kaz.さんの詩は、僕には、とても長くて、奇抜でといった感想を持つ程度で、あまりしっかりとは読んで 来なかったのですが、真摯な方で、まだかなり若い方なんだと思うと、これから大きな可能性を持っていらっしゃる だろうな、と思います(もちろん比較的の話で、僕だって老境ではないんですが)。僕がこの詩に思い浮かべたのは、砂漠の中、 爆撃に怯える人々だったのですが、それで合っているでしょうか。光の描き方が、素晴らしいと思います。 僕は、最近、絵画を鑑賞し始めたので、kaz.さんがお好きな画家とかいれば、教えてください。まだほんの少し 見ただけなので、どれがいいとかしっかりとはしていませんが、僕はゴーギャン、セザンヌ、村山槐多とかが好きです。 とにかく、この詩には結構感動しました。 先行き明るい方へ、色んなものが変わっていっている気がします。それは錯覚ではなく、何かの超越的存在、 超能力が、美しくも心地よくも、収支がとんとんになるように、働きかけている気がします。
0黒髪様、お読みくださりありがとうございます。読む手つきがとても丁寧ですね。好感がもてます。 絵画の範疇に限っていうならば、だいたいのメジャーどころは網羅的に本で見ていると思います。ただ、友人に誘われて院展に行ったり、KAIKAIKIKIギャラリーに行ったこともありますし、梅ラボの作品も見ていますし、かと思うと横浜でやってた小規模な絵画教室の展示会みたいなのも行ってるのですよね。 好きな画家は、とりあえずピカソやジョルジュ・ブラックを挙げておこうかな。パウル・クレーやクリムト、草間彌生も好みではある。
0ちなみに、今挙げたのはメジャーどころだけど、カラバッジョ、川端龍子やレオナール・フジタなんかも好きだし、でも、わたしは絵画よりも写真の方が好きで、マンレイの写真にはほとんど一通り目を通してます。
0>光のように眠い >迫撃砲という言葉を >あなたは軽々しくもルビに塗る この三行が素晴らしい、っていうよりは、なんでしょうね。こういう表現の仕方があったのだなぁと思いました。 軽々しくルビに塗るのか、迫撃砲という言葉を、というこの実感を他に言葉にする手段を持ちませんね。僕が多分、僕が認識している範疇のニュアンスで、同じ事を表現せよ、と言われたら無理だと思ってしまいます。多分説教とか、若気の至りみたいな所で終わってしまうと思います。 その点本作はある種のハードルを越えている感じがします。僕は、ここまで比喩を使えないですね。直喩に近い程意味が明確に伝わる飛躍する距離は小さいのかもしれないですが、重量のある比喩だと思いました。なんというかニュアンスを正確に伝える為に選び直した語のずらし方が非常に良いです。 これは僕自身がこういった言葉の使い方そのものが好きだからと言ってしまえばそれまでなのですが。 そういう意味で僕は本作そのものが好きですね。いい意味でコメント書きたくない作品です。僕が何か物を書けば書くほど作品に余計な贅肉がついてしまう事だけは避けたいなぁ。
0こんにちは。初めまして。 僕は、独善的に読んでみます。 「光のように眠い」というふり幅のある、暗喩が、 冒頭にあり、眩暈のように、戸惑ってしまいますが、 寝床で、思い巡らせているとして、 括弧( )に入れて、後を読めば、 あとは、直喩と暗喩を取り混ぜて、 大多数の国民の常識的な考え方が ごく普通に書いてある、事が分かります。 「迫撃砲という言葉を あなたは軽々しくもルビに塗る」 は、法律の条文を右寄りの法律解釈学で、好戦的に解釈することと、読める。 つまり、短絡的な改憲にたいする風潮の批判であるようです。 「時間という人生を巻き戻す かたつむりのように目を瞑り 世界からアンテナを引っ込めて」 は、憲法の発足当時に遡って、そういう風潮から、一歩引いて、考えれば、 「アカウントに鍵をかけるときのような 静かな音がした」 軍国主義を封じた、平和主義の精神の静かな声が聞こえると、 こんな風に独善的に読んでみました。 おもしろいように、僕の独善解釈と詩句が当てはまります。 比喩が巧みで、とても上手だと思いましたが、 僕は、もう少し、長めの詩が読みたいです。 北川透氏がご著書でいった 「詩的レトリックの本質は違反である」というように、 この詩のなかで、読み手をあっと驚かす、魅力的な裏切るような比喩が あれば、と思いました。 短いから,なお更だと思いました。そうすれば、多分、某誌で入選していたと 思いました。 でも、丁寧な作りで、良い詩だおもいます。
0百均様、お読みくださりありがとう。 なんというかニュアンスを正確に伝える為に選び直した語のずらし方が非常に良いです。 これほど的確かつ正鵠を射た評はなかったように思います。ありがとうございます。 前田ふむふむ様、お読みくださりありがとうございます。 北川透氏がご著書でいった 「詩的レトリックの本質は違反である」というように、 この詩のなかで、読み手をあっと驚かす、魅力的な裏切るような比喩が あれば、と思いました。 この、詩的レトリックの本質とは違反である、というのはどこからの引用でしょうか。差し支えなければお答えくだされば幸いです。 読解について、これは、少々驚きましたが、そんな読みもあったのだと感じました。
0Kazさま、こんにちは。 北川透氏著書「詩的レトリック入門」(思潮社) 第一章「レトリックの誘惑」の29ページから30ページに最初に出てきます。 その後、この著書の全文327ページの重要な部分で出てきます。 この本は、詩の入門書であり、同時に詩論書です。 多くの方の見解では、この著書以後、この本をこえる、入門書、詩論書は出ていないという事です。詩を志すには、絶対外せない本だと思います。 内容は、1.レトリックの誘惑、2.余白論の試み、3.詩と散文の間で、4.詩作品の語り手とは、5.詩的意味論の試み、6.未知の像―詩的比喩論の試み、7.反喩の構造、 8.詩的境界について 9、詩型論の試み、からなってます。 紙誌でもネットでも、ある程度、名のある方は、全員読んでいると思います。 絶対読んだほうがいいです。 ただ皆、自分は読んでると、あえて、言わないだけです。 それから、もうひとつ入沢康夫氏著書「詩の構造についての覚書」(思潮社) これも、北川氏と違う考えも含まれる、必読書です。 このふたりを読んでないと、詩人の方と、対等に詩の話ができないです。 僕が、こういうところで、感想を述べるのは、 殆ど、この二人と、野村喜和夫氏著書「現代詩作マニュアル」(詩の森文庫) からの受け売りです。 もし、ここに挙げた本を最初に読んで、その後、もし必要と思われるのであれば、 良い本は、いくらでもありますので、お教えいたします。 最初の二冊は絶対読んでください。 それから、僕の読み方は、僕の目線で解読を試みたので、あくまでも、 一つの読みでしかありません。書き手から見たら、誤読かもしれません。 当然、別の読み方がたくさん在る訳です。 北川透や入沢康夫の本にも、書き手の<私>、語り手の<私>。読み手の<私> が別物であり、なぜそうなのか、が書いてあります。 そして、多様な読みがあることも。その多様はどこから来るのかも。 そして、誤読というもの正体も。 今後の、ご健闘を、と、思っております。
0前田ふむふむ様、どうもありがとうございます。 ご案内された著者の二つとも(実は前者は読んだことがある気がするのですが)記憶になかったので、機会があれば読んでみようと思います。ただ、最後の『現代詩作マニュアル』は読んだことがありました。色々思うところもありますが、前田様にアドバイスいただいたことを参考に、これからも前進したいと思います。
0かたつむりのように ゆっくりと よみふかめたいです。 光のように眠い すごい表現だと思いました。 光はどちらかというと覚醒を意味するのに 眠いのですから 題名と次行とのかねあいで 死者の視点のように感じました。 軽々しくもルビに塗る はくげきほう だろうか ことばにたいする 躊躇となにか アナログな所作を感じました。 いまどき 様々な 表記物は 活字なのに 「塗る」という表現。 過ぎ去っていった記憶 昭和の時代に 話者が存在しているような気がします。 ルビが塗られているのは レタリングという作業を意味しているような 気もするからです。 世界からアンテナを引っ込めて かたつむりの動作 生きもののゆるやかな速度と 世界の情勢は あまりに ちがうのかもしれません。 アカウントに鍵をかけるときのような 昭和だと勝手に思っていた私は、 昭和なんかじゃあないよん。と 話手に告白されてしまいました。 でも 黙するとき すべては 無になり 自在となるとも 思いました。 その耳元で おもわず、黙しました。 全体を通しての読後感は、おかげさまで しずかな時間を得ました。 ありがとうございました。
0るるりら様、お読みくださりありがとう。過ぎ去ってしまったものを追い求める人の気持ちは、ひょっとすると一転して自分そのものを追いかけているのかも知れませんね。
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