別枠表示
ダグマ Ⅲ
彼女が住んでいるのは、ドレスデンという街で、ドイツ人が余生を送りたい都市の第3位だ。街をてらす一瞬一瞬の光が、時が、踊りながら輝いている。これが第3位なら、1位や2位はどんなだろう。しかし、現在のドレスデンは第2次大戦後再建されたものだ。 『第二次大戦中のドレスデンは平和のオアシスであった。店は商売を続けていたし、都市生活はますます盛んであったし、文化的な催し物はほとんど中断することなく行われていた。1945年の初め、市には避難民が溢れ、学校は野戦病院に様変わりし、中央駅は散り散りになった兵士たちの野営場と化した。市にはほとんど軍事的防衛がなされていなかった。連合軍はこの芸術の都には手をつけないだろう、とナチスの将校達が楽観していたからである。しかしこれは大きな間違いだった。2月13日を市の年譜は史上最悪の日として記録している。慎重に計画され、実行された大規模な爆撃により、数時間にしてバロック芸術都市は徹底的に破壊し尽くされた。終戦の僅か3ヶ月前のことである。三万五千人が戦火で亡くなった。市の中心部は八五パーセント破壊され、ただ聖母教会のドームだけがそれに反抗するかのようにそそり立っていた。しかしそれさえも翌日市を襲い、なめ尽くした火災を免れなかった。灼熱のため砂岩は分解し、教会は瓦礫の山と化した。』(写真集『ドレスデンとエルベ渓谷』) 皮肉にも、ドレスデンは、(そして京都は、)最も歴史的に尊ばれ美しいからこそ、攻撃の標的になり得たかもしれないという。戦争とは、私などが思うより遙かに様々な要因の絡んだ、冷酷で緻密な瞬間の積み重ねなのだ。その瞬間をとり逃すと、歴史は戦争に突き進む歯車と化して、もはや一人一人の人間の力では引き戻すことの出来ないものとなっていく。 第二次大戦当時の米国で、京都に残る歴史遺産を憂えての発言は、(最早、歯車と化した中枢に届いたか否かわからないが、)少なからずあったはずだ。先のイラク攻撃でも、イラクの歴史遺産を護ろう、と言う米国の学者の痛切な叫びを読んだことがある。メソポタミアの遺跡を愛する日本の人々の必死の声も聞いた。彼らのねがいは、長い時をかけ育んだ美の喪失を人類の痛みとする米国の想像力に訴えることはできなかったのだろうか。 それでも風景がそういう力を持つと私は信じたい。 すなわち、攻撃することに躊躇う人間の心を育てるのも、美しい風景ではないかと。 そしてまた、そういうなかで育った人間がさらなる美しい風景を、夢そのもの、人間の営みそのものとして作っていくのだと思う。 「市にはほとんど軍事的防衛がなされていなかった。連合軍はこの芸術の都には手をつけないだろう、とナチスの将校達が楽観していたからである。」(『ドレスデンとエルベ渓谷』からの引用) ナチスを擁護するつもりも全くないが、このナチスの将校達の「楽観」に密かに心を寄せる。その楽観を裏切った連合軍の爆撃の指令を、楽観したことよりもさびしいと感じる。世界中が美しい街や村になって、(朝の、そして人生の)目覚めから眠りの時まで、目にとびこんでくる歓びを誰もが知っていて、風景の美やそこに暮らす人々が最大の防衛である、とばかり無防備に楽観する世界であって欲しい。
ダグマ Ⅲ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1154.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-07-29
コメント日時 2017-08-08
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
花緒さん、ありがとうございました。 先日、近隣国の若い指導者が都市づくりに力を入れているという映像を見ました。過剰な軍備ばかりが伝わってきますが、街をつくるこころは破壊的な未来を描いてはできないと感じ、少し安心しました。 私達の国にあっても荒んだ風景に生い育ち、破壊的な衝動の強いひとびとにとって、美しい風景が抑止力になるなど、到底信じられないことだと思います。 でも、第二次大戦下のパリは、ドイツの司令官のもとでドイツ軍による報復的なパリ壊滅を最後の最後に免れたそうです。単純ではないストーリーがあったとは思いますが、パリという街の姿が大きな役割を担っていたことは確かです。 (私も先日はじめて映画を観て知りました。有名な映画でしたが、題名を失念。) ただ漫然とでなく、確かな意思を持って音楽のように刻々訪れてくる風景をわがまちに育てれば、そしてその価値をより多くの人が熟知すれば、風景はやがて不思議な力を持って人々を護ると思います。
0文化遺産や歴史遺産を「人質」にとって、自分たちの短期的、短絡的な欲望を満たそうとする・・・この不毛性と・・・文化遺産を守るために、失われる命の問題と・・・。 ドレスデンの再建に関する、詳細なドキュメントと人々の情熱を見て、圧倒された想いがあります。 〈皮肉にも、ドレスデンは、(そして京都は、)最も歴史的に尊ばれ美しいからこそ、攻撃の標的になり得たかもしれないという。〉この一節から、私はなぜか『金閣寺』を思い出したのですが・・・ 〈連合軍はこの芸術の都には手をつけないだろう、とナチスの将校達が楽観していたから〉この一節から思い出したのは、ヴェルコールの『海の沈黙』でした。ナチスの将校ですら、芸術の価値を理解し、愛することが出来た・・・それなのに、戦場で「やむを得ず」行う非道ではなく、極めて冷静に、緻密に、論理的に、ユダヤ人撲滅という非道を実行したのは、なにゆえか・・・ハンナ・アーレントの映画がしばらく前に話題になりましたが・・・集団心理の謎について(そして、その謎が解けない限り、また再び、起きるとも限らない)考えざるを得ません。南京の虐殺にせよ、ルワンダの虐殺にせよ、ISの虐殺にせよ・・・ナチスほど組織立って、論理的かつ周到に行われた例は、未だかつてなかったように思いますが、一度はあった、ということは、これからもまた、あり得る、ということでもある。 その時に、文化遺産や、文化遺産を愛する気持ちが、人間性の最後の砦、となり得るのか。なり得てほしい、と強く、願いつつ。
0まりもさん、ありがとうございます。ダクマは今回でおしまいですので、 少し脱線的におしゃべりをしてもいいですか? (読み流してくださいね。) 私には風景が、朝目覚めてから夜目を閉じるまで、絶え間なく目が食している食べ物だという気がします。 その栄養は脳だけでなく、全身にゆきわたり、明日の生きる糧となっている。 その目から食べる栄養を、ありあわせの食材をぞんざいに盛り付けて、美味しいかどうか考えもせず食べているのが 私達の現状だとしたら、どうして目には、心を込めて作ったごちそうを日々食べさせたいと思わないのだろうと。 「別に美しい街でなくても、私の街は故郷は人々が日常を精一杯生きているというだけで無限の価値がある!」 という声を聞くことがあります。 それはそうなのですが、食べ物が栄養価だけでなく美味しいほうがいいように、風景もきっとそのはずです。 「ほんとうに美味しいものを作りたいとねがって心をこめれば、 誰でも美味しい料理が作れますよ」料理研究家の栗原はるみさんが言っていました。 もし故郷の今が、自分自身の心が嵐なら、いつか落ち着いた日常が取りも出せたときに、 心を込めて美味しい風景を。 それがどんな素敵なことかは、いつの間にかそういう街や村の真ん中に生きていたときに感じるのだと思います。 その時、周囲を駆け回っている子どもたちは、わがまちの美しさを隅々まで味わい尽くし、 こんな素敵な場所を作る大人ってすごいな、と思うかもしれません。 >文化遺産や、文化遺産を愛する気持ちが、人間性の最後の砦、となり得るのか。 (まりもさん) 一人の人間も集団もどんな酷いこともなし得る、と歴史は教えています。 それだから最低のルールとして、法があるのだと思いますが、その法をかいくぐって悪事は行われ、戦争は起きました。 為す術のないかに見える破壊・殺戮に対して、たとえば現在の核が恐怖の抑止力だとしたら、 人間が生きる場所の美しさを熟知した人々自身が、その生きる場所とともに、 最後の砦、歓びの抑止力になると思っています。
0悲劇的な歴史を少しでも垣間見ることができる詩ですね。佇む美しい風景が戦火から市民を守ることにつながる、という信仰がドレスデンを無差別空爆の惨劇に導ていたとして。とてつもない悲痛が残ります。たとえ、隠れて小さな武器工場があっても。多くの犠牲は無垢の民草だったのですよね。ユダヤ人強制収容所跡地が祈祷のための聖地でもあるとしたら、ドレスデンの爆心地もやはり、ドイツの大量無差別爆撃被爆地として祈りを捧げる聖地でもあるでしょうね。
0おはようございます。 ヒットラーが 描いた絵画をネットで見たことがあることを思い出しました。ヒットラーの絵は、美しい都市を描いた風景画でした。 そして、ナチスの将校達も攻撃されることはないと楽観するほどの 美しさを誇った場所は攻撃された。 私は、広島に育ち 古地図なんかも持っているもっていますが、美は立場によって違うと思います。 例えば、いまの広島は平和をテーマとし、美が世界の防衛となることを夢みた建造物や公園もある場所なのですが、廃墟と化した廣嶋にも 美は あったはずなのです。寺町でしたし人々の大切にしたい美が廣嶋にも あったと思います。 すべての人々が無防備に楽観できる世界であるためには、美の多様性を想像できる人々が多い必要があると思いました。ナチスが醜いと判断し 撲滅しようとした人や物にも、美は あったに違いないのですから。
0竜野欠伸さん、ありがとうございます。 >ユダヤ人強制収容所跡地が祈祷のための聖地でもあるとしたら、ドレスデンの爆心地もやはり、ドイツの大量無差別爆撃被爆地として祈りを捧げる聖地でもあるでしょうね。(竜野さん) そうですね。日本に置き換えてみればわかりやすいかと思います。 悲惨な歴史も(後世、それが統計になろうと、歴史の解釈を交え政治的に宣伝されようと、) 目を凝らせばひとりひとりの人間の上に降り掛かった苦難であり、運命ですね。 そこに流された血が聖地を作るのかもしれません。 私は、歴史の善悪を知らないかのように、ただその光景に目を凝らしてみたいと思いました。 >佇む美しい風景が戦火から市民を守ることにつながる、という信仰がドレスデンを無差別空爆の惨劇に導ていたとして。(竜野さん) ドレスデンは人間の歓びを追求して築かれ、(戦争がなくても、)美しく芸術を謳歌する街だったのではないでしょうか。 無垢の民という表現には、(仏教的な実感からは)戸惑うものがありますが、いつか誰しもに訪れる死の瞬間なら、 ドレスデンが死の場所だったことを、「ここでなら、いい」と思った人もいたかもしれませんね。 * るるりらさん、ありがとうございます。 たとえば、ヒトラーも原爆投下の米軍も、パンを食べ、ぶどう酒を嗜んでいたと思いますが、 るるりらさんは美味しいパンや芳醇なぶどう酒をヒトラーゆえに遠ざけていますか? 洋服や靴を履かずに生きておられますか? ヒトラーが美しい風景を愛したことは美しい風景の罪ではありません。 むしろ美しい風景のもつ意味を、熟知していなかったからこその蹂躙だと思います。 熟知というのは、本で読んだ知識や想像のことではなく、 その中で生い育ち、街を流れる雲や木漏れ日にさえ宿る神秘の響きを浴び続け、心の中から湧き上がる感謝に包まれる、 ということです。 そういう熟知こそが、他の国の他の街や村を破壊することも、人類全体の喪失であり自分自身の痛みだという想像力の源だと思います。 子どもたちにまず、そのような街をつくってあげなければ、その歓びが長い時をかけて得られたものだと心から感じさせなければ、 熟知には至らないのです。
0こんにちは。 カート・ヴォネガットをご存知でしょうか?彼はドイツ軍の捕虜としてドレスデンに抑留中、連合軍の無差別爆撃を受けています。その体験から『スローターハウス5』という小説を書いています。その小説に描かれている、混沌とした、しかし比類のない美しさを思い出しました。街の美しさ以上に、破壊し尽くされてなお失われない、人の生きる営みの核のような部分が切なく迫ってきました。 この作品の作者も恐らくタグマさんを通してそれを感じたんだと思いました。
0Migikataさん、ありがとうございます。 カート・ヴォネガットも作品も知りませんでした。 >破壊し尽くされてなお失われない、人の生きる営みの核のような部分(Migikataさん) そうですね。私も風景て何なのか、と思うとそこにたどり着くような気がします。 住人が存在せず、廃墟となっている美しい街を思うと、人の営みこそが血流だと感じます。 そのうえで、私は無い物ねだりをしているのかもしれませんね。 生き生きとした暮らしをしている日本には、あえて今以上の美しい街は必要ないとも思われてきました。 明日から、『スローターハウス5』を読みます。 感想がかけたらどこかに書いてみますね。
0再レス失礼します。 わたしも、子どもたちには 喜びの多い美しい環境があってほしいと思いますし、世界中に 美しい場所があると良いと思います。 ただ、私の人格をテストするかのような荒唐無稽な ご質問は やめてください。 「るるりらさんは美味しいパンや芳醇なぶどう酒をヒトラーゆえに遠ざけていますか?」と、いう質問は、荒唐無稽であると思います。 ヒットラーさんがご存命の頃に わたしが彼の眼前にいたら、わたしに なにかをあげるとかいう選択 を私の側にあたえてくれるとは 私には思えません。 もしも、私が美味しいパンや芳醇なぶどう酒をもっていて、彼が それらを欲しいと思ったなら 彼は私から それらを取るだろうし、私も さしあげます。 それから、わたしは ヒットラーが描いた絵を、美しいと思いました。 また、現代の日本に住んでる私が 洋服や靴を履かずに生きているはずは ないではありませんか?わかりきったことを おたずねにならないでいただけませんか? もしも私が当時のユダヤ人であり ヒットラーと対峙したならば 彼は私の洋服や靴だけを残して私の身体を 石鹸にもできます。 それでも、わたしは ヒットラーが描いた絵を、美しいと思いました。うつくしい都市に罪はないことには同意します。 どうか美しい都市が世界中にありますように。そして、破壊されませ
0んように。 送信ボタンに触れてしまいました。失礼いたしました。
0わたしは、わたしなりに この作品が好きだから、レスをさせていただきました。 わたしのほうに誤解を産むような 表現があったからでしたのなら、もうしわけありませんでした。
0るるりらさん、ありがとうございます。 美はあったけど攻撃された、とか、ヒトラーも美しい風景を愛する人だったが破壊をした、という表現に、 美しい風景があっても意味はない、それどころか、ヒトラーゆえに美しい風景までニクイと思われているのかと。 それで、パンもぶどう酒も洋服も靴も美しい風景も、いつも悲惨な歴史とともにあったが、 皆それぞれ独自の価値を持つと言いたくて、質問というより、 「るるりらさん、そんなことはありませんよね!?」という確認の、あえて反語的な使い方をしました。 再レスを受け、勘違いと表現のまずさをお詫びします。 ところで、食いしん坊精神、もったいない種族から言えば、パン一切れのためにだって爆撃を思いとどまってほしいですよね。 美味しいパン、丹精されたぶどう酒、素敵な洋服、かっこいい靴、 そしてそれらを作った人々、を暖かく包み込む素晴らしい場所、 日々の営みそのものが防衛となりますよう。それを甘いと言わないで(→ その他の方)、てかんじかな?
0>誤解を産むような表現が 互いに異なった言葉の歴史を持つので誤解はつきものですが、それを解く過程には快感がありますよね。 私自身、風景のことになると何故か戦闘モードに入るようです。気をつけなくては…。 再々レス、ありがとうございました~!
0fiorinaさんの文章は、文章が、美味しい豊かな風景のようです。 私は、都心に近いところに住んでいて、とても便利で、わりとおしゃれで、かなりなんでもありますけれど、北の友人が遊びに来た時に「楽しい地獄」と言っていて、そんなところです。 とても、合理的にできた都市で、息がしづらいです。 家の中は少しずつ素敵なものをそろえつつあるんですが、外に出ると、目に入るすべてが憎たらしくて憎たらしくて、たまりません。 「世界中が美しい街や村になって、(朝の、そして人生の)目覚めから眠りの時まで、目にとびこんでくる歓びを誰もが知っていて、風景の美やそこに暮らす人々が最大の防衛である、とばかり無防備に楽観する世界であって欲しい。」 理想的であるな、と思ってしまうと同時に、こんな理想なら、叶ったらいいなぁ。 私はいくつかの理想主義を学ばされまして、どれも滅んでいく道しか見えずに悲観的になりましたが、風景至上というのかな、これが実現した場合には、既存の理想主義よりわかりづらく、遠回りでのんびりしているかもしれませんが、ずっと、豊かになっていく道だなぁ、と思うのです。 ふっと、ジャン・ジオノの「木を植える男」を思い出しました。
0田中修子さん、ありがとうございます。 >とても便利で、わりとおしゃれで、かなりなんでもありますけれど、北の友人が遊びに来た時に「楽しい地獄」と そんな場所がありますよね。若い頃は、そういう経験も良かったかな、と自分を振り返って思いました。 「楽しい地獄」といった北の人は、海や山をふんだんに浴びた人なのでは? その人の存在も含め、修子さんの人生の風景に転機が訪れているのかもしれませんね。 自分の部屋は風景の最初のページですので、そこが変わればおのずとドアを開けた世界も変わっていくと思います。 街自体が変わるか、修子さんが翔び立つかはわかりませんが。 修子さんの言葉には不思議な力を感じますが、もう一方にその風景を携えて生きていけば、 怖い、という感覚よりも、自分に訪れるものをひたすら楽しめると思います。 そんな一人の理想は世の中の理想とリンクしているので、「風景至上」は幻想ではないと思うんですよ。 >ジャン・ジオノの「木を植える男」 ご存知かもしれませんが、日本にもそれを実践し続けて人が存在します。 日本ばかりでなく、世界中に独自の理論で木を植えてゆき、幾つもの砂漠をみどりの森に変えました。 私は彼の方式をyoutubeで学んで我家の庭でやってみましたが、 数年前に植えた苗木が、今は二メートル近くなってやがて林をなす勢いです。 日本には他に枯れない苔を生み出した人もいて、どんな砂漠でもまた雨が降れば、 活き活きをした緑が復活するさまを見たことがあります。 私はビルばかりが乱立する大阪の都市の壁面にこの苔を貼り付けて、 サボテンの森のような愛らしい街となっているのをよく夢に描きます。 現代の技術と古の知恵で、風景は育てていくものという方向性だけが行政、個人ともに一致できれば、 都会の砂漠も、寂れていく過疎の村も、確実に変わっていくかもしれませんね。
0fiorinaさん もう書かないでいようと思ったのですが、やはり もう一度だけ書き込みをします。 どうも 私の最初からの気持ちについて お気づきではない気がするのです。 わたしの意見は、はじめから 違う文化同士が お互いの多様性を認めることが 大切なのではないかという意見でした。 私は今では過去となった廣嶋の町の古地図を持っていることを紹介しました。その意味なのですが、私は fiorinaさんの過去のドレスデンの美しい風景を尊ぶ お気持ちが 分かるという意味なのです。 また軍人の美意識について言わせていただきます。実は私の祖父は将校でした。日本の軍人さんにも美意識ってあります。ドイツの将校さんたちにも美意識があったことでしょう。それは私にも 私にも理解できますよ。同じように、ヒットラーにも美意識はあったことでしょう。彼は風景を愛したが破壊も行った。それは、事実です。 わたしは事実を事実のままに発言しただけです。それを恨みという感情があると考えるのは早計だと思います。 そんなことより、建造物や風土への美意識をもっていても、戦争相手に破壊を行えるのは どうしてか?です。 それは、相手の自分たちとは違う多様性を尊ぶ気持ちが持てない状況だったからです。それを戦争と呼ぶのだと思います。 わたしのもともとの意見は、多様性が大切だという意見だったのです。 だから、服を着てないのかパンを食べないのかとかを尋ねられても困惑しました。 極端な話ですが、わたしが服を着てなくとも 例えば裸族だったとしても、もしくは着物しか着ないで お米しか食べない人だとしても、お互いの多様性さえ認められる状況であるなら 喧噪状態には ならないです。 つまり、わたしが言いたかったのは、多様性に私は あこがれているということなのです。
0るるりらさん、ありがとうございます。 私は自由を大切にしているつもりですので、多様性をというるるりらさんのお気持ちはわかります。 「美しい街や村を、明確な意思を持って住人が育てると、やがてそれは不思議な力で彼等を潤し、護るだろう」という思いから私は発言しました。 この点に関して、「いや、風景など育てる必要も、美しくある必要もない上に、日本の現状は最高に美しい。」という意見は明確に否定します。この点で私は多様性を認めていません。という、一つの立場を取ります。 >そんなことより、建造物や風土への美意識をもっていても、戦争相手に破壊を行えるのは どうしてか?です。 >それは、相手の自分たちとは違う多様性を尊ぶ気持ちが持てない状況だったからです。それを戦争と呼ぶのだと思います。 (るるりらさん) 繰り返しになりますが、そのことを私は『熟知』という言葉で書きました。 理解はしないが人は人、という、どこか投げやりに聞こえる多様性の尊重よりも、 日々の暮らしの中で大切なものを深く味わい知る(熟知する)ことで、他者の暮らしも自然に大切に思う、 そういう心を小さいときから育てる環境を、と書いたつもりです。 ところで、これは議論の場にふさわしくないかもしれませんが、本音のところを少し書いてみます。 「より美しい風景を」という意見は思いがけず多くの方が反感を示しますので、こどものころ「部屋を掃除しなさい!」と言われたときのような鬱陶しいものがあるのかな、と想像しています。 多くの方が反感を示す、という意味で、るるりらさんは圧倒的に多数派なのですよ。 どちらかというと孤軍奮闘している私に向かって多様性をいうよりも、るるりらさんは多様性を尊重して、私の荒唐無稽?な思いつきを放任あるいは保留して時に委ねるか、多様性を尊重して真意を汲み、みまもるという態度を示してくださればいいのではありませんか? あくまで違いを浮き彫りにし、寄り添うか戦うかしたいとおっしゃるなら、私と一緒にこの本を読んで下さいませんか? 『美しい都市をつくる権利』 五十嵐 敬喜 2冊ありますので、一冊お送りできますよ。
0昔コイン収集に興味を持ったことがありまして文献に目を通していましたら、ある頁にドイツ発行という硬貨の一枚が小さな正方形の白黒写真で紹介されていました。ドナウ川を抱く街と空を一望する風景を硬貨の片面全体に写実的に刻み込んだという、そうしたものでして、あくまで写真を通してですが美しいなあ凄いなあ、是非手に取って見たいなあと。そんな風に感じたことがありました。硬貨の実寸はどれほどかはわかりませんが、こうしたものを通してでも自国民だけでなく他国の人々をも惹き付けて風景や人や国といったものに対する興味関心を持つきっかけとなって、またお互いに理解を深めていければよいですね。
0湯煙さん、ありがとうございます。 >ドナウ川を抱く街と空を一望する風景を硬貨の片面全体に写実的に刻み込んだという うわあ、想像するだにすごいですね! (あとでじっくり検索してみます。) ドイツは壮大なものへの取り組みを厭わず、それをまた精巧な技術で小さいものにも籠めていったのですね。 そういう点で日本と気質が本当に似ているなあ、と思います。 そういえば、日本の10円玉にも、平等院鳳凰堂が描かれていますね。 親戚の小さい男の子が、10円玉のところに行きたいんだ、というので、 一緒に宇治に行ったことがありました。 私は2003年頃からこうしたことを書くたびに、他の人も自分も傷つけているのを感じます。 今はテレビや映画で、他国の美しい風景を見る機会も増えていますので、 お詫びするとともに、どうか少し傷ついた目で、それらを見てほしいと願っています。 かつての自分がそうだったように、見てはいるが視えていない、ということがあるかもしれませんので。 湯けむりさんのコメントは、ダグマに捧げる素敵な贈り物になります。 ありがとうございました。/
0推薦図書ありがとうございます。図書はいずれ読みます。 本音もうかがいました。わたしの本音は 現フォの私信にしました。失礼します。
0