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私の鳥
扉をあけるとカーテンがあって 引きあけると箱が一つ置いてあった 鍵を持っていたはずなのに見当たらない 外では嵐が吹き荒れていて この風雪に耐えてこそ生きる資格がある・・・ 教官のダミ声が切れ切れに聞こえてくる 落伍者と自らに告げるだけでよいのに 私の口はいやがってどこかに行ってしまった 幸い目と鼻と耳はまだそばに居てくれる 手で何かに触れようとしても 部屋の中に手がかりはない ただ箱だけがひんやりとそこにある となりの部屋で物音がする カーテンをあけると 男がひとり机の上に口を並べている ――君も口を探しにきたの? 男がほほえんで私を招く 私は箱を抱いて男の前にすすみでた ――君の鳥がその箱の中にいる 初めて聞いた歌を習い覚えてその人の鳥になる 男は身ぶりで口を探せと促すが 机の上に私の求める口はない 男は静かに空の箱を開いて見せた ――君のものにならないうちは 鳥を放ってはいけないよ もう二度と見つけられなくなるからね 風が壁をゆすり雨が屋根をたたく 机の上には無数の口が うごめきながら持ち主を待ちわびている
私の鳥 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1362.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-02-10
コメント日時 2017-03-09
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「私の鳥」という主題を与えられたなら、私なら先ほど投稿した「映画
0ーなぜ、女子は詩を作り、投稿するのだろうかー 最近ずっと思索している私のテーマだ。なぜ、女子が書く詩には魔法が宿るのか。ヘンテコリンな私のアンテナはいつも、かけられた魔法をキャッチしてしまう。性別を決めつけすることもよくないし、非合理なことだ。 その合理性なき私の断定で、「魔法」を解説する。 「物語への依存を突破する宗教的な感覚」これが、私が定義する魔法である。 前半部で登場するダミ声の教官と『ただそこにある箱』。独断な言い方だけれども、この前半部の流れだけでエンディングとなってしまっていたら、それは物語への依存の域を出ないのだ。後半部に、突然登場する男、謎かけの言葉をかけてくる。そして、『待ちわびている机の上の無数の口』その口は、「うごめきながら」待っているというのだ。そこに私は霊的なものを感じる。 魔法はある。
0先ほどは攻撃的な文章を書いてしまいすみませんでした。とは言っても私自身の詩がネット詩をはじめ他のあらゆる現代詩に対して攻撃的なので、いくらか仕方ない部分もあるのですが。 「風が壁をゆすり雨が屋根をたたく 机の上には無数の口が うごめきながら持ち主を待ちわびている」 口、と、その持ち主が分離した状態、というのを、私は想像します。失語。ヘイトスピーチ。PKO。色々なものが思い浮かびます。あるいはこれは、ただ浮遊するシニフィアンの表象なのかもしれない。などと思うわけです。 つまり、、鳥の口、というのは、存在するのか? という話です。嘴と書かず、口と書いたからには、そこに、何らかの意味を、見出すことができるでしょう。 ここで思い起こされるのは、アクティビストとしてのアーティストと、パフォーマーとしてのアーティストです。
0三浦さんへ 女子視線・・・意識していなかったけれど、なるほど、です。ネタバレかもしれないですが、蠢いている唇、のイメージソースは、口紅の色見本写真。これ、男子はあまり見ないのかも(すみません、果実さんが女子だったら、すごく失礼なこと、言ってますね(;^ω^) kaz.さんへ >浮遊するシニフィアンの表象なのかもしれない。 まさに、その通りです。ある種の失語状態、私にとっての、それが真実である・・・という状態を、散文なら何十枚も原稿用紙が必要だけれど、詩ならイメージで言えるな、という・・・。そこが伝わって、よかった。鳥は、歌をさえずるもの、独自の「うた」を持っているもの、という憧憬のイメージですね。 kaz.さんの鳥は、飛翔するもの、のイメージが強いのかな・・・。 スカッとする感があるかどうか、という部分は、停滞感(まったり感)が好きかどうか、という好みの問題になってくると思うので、突破感を目指している!はずの詩が停滞していたりすれば、そこに改善の余地があるでしょう。 この詩は、停滞感、を目指しているというか、どこにも行けない感、そこを言いたい、でもどこかに抜け出す道があるはず・・・みたいな、もたもたした感じ、ねっちょりした感じ、を言いたかったので、むしろ成功したのかな、と。 嘴と口、このイメージの齟齬は、指摘されるまで気づかなかった。詩的ロジックというのか、言葉の喚起するイメージとズレすぎますね。問題点は、どこにあるんだろう・・・題名で「鳥」を喚起しながら、「人」が登場人物として動いていて、なおかつ、途中で魂の鳥というのか、具体的に姿を現さない、イメージだけの「とり」が出て来るあたりのズレ、なのかな・・・ネタバレ題名なのは、少し考え直す必要があるかもしれません。 登場人物は、「ひと」の姿をしていることは、伝わっています、よね?
0三浦さんへ コメントへのレスが、途中でした・・・。ありがとうございます。教官、のイメージは、外部者の声、外界からの侵入者、というか、私が拒否したいのに、私を教導とする誰か、あるいは何か、のイメージ、なのだと思います(たぶん。)途中で現れる男、は、ユング的な言い方をすれば、アニマ、なのかな・・・私を、本来、正しく導いてくれるはずの、他者としての内在者、的な。
0こんにちは。僕も鳥が好きで、よく鳥のこと、書きます。 年がバレるようでいやなんですが、最初の「教官」、風間杜夫を思い出しました。「どじでのろまな亀」の堀ちえみ。いや、そうじゃなくて、問題は鳥なんですけど。 ここでは最後まで鳥の実体が登場しませんね。箱の中の消えた鳥、僕はそれを実体だと思いたいのですが、いかがでしょうか? 教官も男も、机上に並べられた口もすべて実体。幻視であっても、幻視としての実体。そう考えるのは、詩の内容に作者が制御する喩というものが不要ではないかと考えているからです。 言葉が語るものは、すべて実体に由来する幻視であって、言葉が実体そのものを語るなんて荒唐無稽な矛盾に過ぎない、と僕は常々思っています。 その荒唐無稽な矛盾に取り組むのが「詩」なのだ、といつの頃からか考えるようになりました。これは極個人的な着想であり、他の誰かにとっての詩に言及するものではありませんが。 しかし、そう考えてみると詩世界は個人が発したものながら、発せられた瞬間に個人から独立する幻想であり、そんな幻想に対する言葉の取り組みであるように思えるのです。 最初、箱の中からばたばたと鳥の翼が壁を打つ音が聞こえ、鶏小屋と同じにおいが隙間から漏れてきます。開かれた箱には鳥はいませんが、点々と糞のあとが残っているし、男の上着には味噌汁のシミがついている。どうしようもない実存在があって、それが幻想に転化していくのです。鳥は放つまでもなく不在で、最初から「君のもの」ではなく、決して見つからない次元で血流を巡らせているわけです。口の「唇」はどれもやや荒れていて、口紅の下に糊塗された皺や罅、不均一な色素の沈着があり、非常に微かに生臭い。確かに誰かのものでありながら、持ち主は永遠の謎でしかないようです。 こんな読み方は作者には失礼なのかな。
0はじめまして。 書かれた詩を分析するということがとにかく苦手なのですが、コメント自由ということであれば、ちょっと感想を寄せさせていただきたいなとおもいます。 見た夢をそのまま言葉にすると、このような感じに近くなるのかなと感じるような世界観だとおもいました。 私の口がいやがってどこかに行ってしまったところで、あ、夢とは違うのかな、と感じましたが、どこにも書いてないのに汚い小さな小屋が私の想像の中に浮かんでくるのです。こういうものが、想像力を掻き立てる詩というものなのかもしれませんね。。
0花緒 さんへ 寓喩の詩、ですね、無理やり分類すると・・・。このモチーフは、作者にとって何を意味するのか?と、謎ときのように読み解いて頂く読み方もあるでしょうし(そうすると、作者自身が気づいていない、無意識層の何か、に出会えるかもしれない)自由に読んでいただければ、と思います。最後のところ・・・自分でもどうなるのかわからないまま放り出している感もあり・・・そうですね、ここから展開させたいですね。連作とか。 Migikataさんへ 幻視としての実体、なるほど、簡潔かつ実感のある表現ですね。花緒さんの「手触り」という言葉にもつながると思うのですが、私にとっての真実、アナザーディメンション・リアリティー(河合隼雄さんの言葉を借りれば)あるいは・・・最近はやりの、オルタナティブ・ファクトとしての実体、事実、なのかな、という・・・。 世界の「現実」はひとつ、でも、それをどう解釈するか、で、読み解く者の数だけ、「真実」がある。実社会がそうなっては困りますが、詩の世界は、むしろそうした多義性、多様性、多層性が生かされて欲しい、その自由が守られる場所であってほしい、と思います。 Ichigo Tsukamotoさんへ コメントありがとうございます。夢を見ているかのように描いている、自分でもとらえどころのない実感、と言えばいいでしょうか・・・。一枚の写真を、蛍光灯の下で、皆で囲んで討議する、それがコメント欄の言葉(批評的散文、論理の言葉、説明の言葉)だとすると一枚の写真を暗がりに置き、それぞれが自前の光源で照らして「見た」ものを、持ち帰る。それが、詩の読み方かな、という気がしていて・・・一人一人の光源が、多様であればあるほど、作者にとっても予想外のことが「見えて」くる(きっと)。だからこそ、自分の「見た」ものを、それぞれ「説明の言葉」で並置して、お互いに交換しあう、交流し合う・・・そこに、多様な豊かさが生まれるのではないか。そんな気がしています。 kaz.さんへ 題名が、少し安易だったかな、と思い・・・「密室」に変えようと思います。カーテンで仕切られた密室、なんて変なので、そうなると「カーテン」は「ひだ」とかになるのかな・・・。肉感的で、非現実的なのに実体感があって、その方がいいかもしれない、という気がしてきました。
0天才詩人さんへ 鋭いコメント、ありがとうございます。そもそも、口語自由詩って、なんじゃいな、というところにも関わるのだけれど・・・私にとっての「真実」を、比喩を用いて表明する、これが、私の目指している「詩」の内容です、と、先に言いますね。「詩」と言われる(称される)文芸の中の、ごく狭い領域である、ということになります。(そうではない「詩」を書く方も、たくさんいらっしゃるわけです。)ただ、その領域における代表作を、常に目指していきたい(今は、まだ麓あたり)とは思っています(思い続けたい、と自分で自分に喝を入れる。) 〈「部屋」それから鳥が入っている「箱」この2つの空間醸成装置をアーキテクチャーとしてシュルレアリスト絵画みたいなストーリーの場面が、読者に謎解きのように提示されている〉異界を設定して、その中で、できるだけクリアーに、輪郭線をはっきり辿ることができるような緩い動きの中で、論理的にうまく説明できないけれども感じていること、を伝えるための、アニメーションのようなものを作ろうとしている、それが、伝わっているか、どうか、が、とりあえず、ここでの問題でした。 私は、「綺麗な感じ」「美的な心地よさ」「古典的な均整美」の方向にまとめて行ってしまう、傾向があり・・・優等生的とか、感情の強度が弱い、とか、破綻が少ない、という批判を受けたりもする、わけだけれど・・・表現主義的、野獣派的な手法を目指すのか、新古典主義的な映像美を目指すのか、という事に関しては、作者の美観とか感性による部分が多いでしょう。前衛を目指す方にとっては、未知の美を開拓して、提示する作品にしか、存在価値はない、過去に「美」と認知されたものの枠内に居て、なにが楽しい、という意見もある、でしょうし・・・・。 なんでもかんでもマルチに挑戦していたら、人間の一生は本当に短いので、全部中途半端で終わる。どれだけの選択肢を捨てることができるか、ということでもあるのかな、と・・・。考えていたら、よくわからなくなってきた。続きは、また後で。
0今取りかかっている仕事が、ひとまず二月末で一段落つくので、三月以降に考えさせてください。とはいえ・・・たとえば、阿部嘉昭さんという詩人/批評家の『換喩詩学』という本があるのですが、そのあたりを、読書会的に読んでみる、とか・・・。スカイプの使い方とかイマイチよくわかっていないので、テキストデータの交換の方がいいのかもしれませんが・・・とりいそぎ。
0天才詩人さんへ 非常に面白い問題提起です。スレッドが上がってしまうので、続きはフォーラムでやりましょう。トピックを立てます。他の方にも、自由に参入していただけると嬉しい。 「私の鳥」に関して、「まり」と「りも」の対話、として、辛レスをつけておきます。 まり:平板で、盛り上がりにかけると思います。最後の「落し」が、生理的に嫌い。もぞもぞ動く唇(動くタラコみたいな)のを持ってくる意図が、よくわらかない。生理的嫌悪感に訴えて、衝撃を与える、という目論見なら、表現としてあざといと思います。 りも:冒頭から、現実には「ありえねーだろ」設定を持ち込んで、ひとつの空間を作りだしているわけですが・・・空間の作成には成功している、ように思うけれども(わりと映像や音声が具体的だし)わざわざ異時空間を設定する意図って、なんなんだろう・・・面白い空間を作ってみたい、ということなのかな まり:もし、そういうエンタメ系を目指すなら、もっとドラマ性とか、盛り上がりが必要だよね りも:平板さは、形式へのこだわりとか、表現のテンションを一定のリズムで刻むというのか、抑制していく「張り」感みたいなものへの志向があるんじゃないか、と思うんだけれど・・・。バロック音楽が好きか、ロマン派音楽が好きか、みたいな、好みの問題にもなりそう。 まり:落伍者、ということへの自己認識というか、それを認める事への抵抗感とか、そこから抜け出したいという欲望とか、そういう葛藤が根底にあるんだと思うんだけれど、その感情的な表出というか、噴出の度合いが、弱い気がする。綺麗にまとめている、とは思うけどね りも:そこなんだよね。綺麗さ、整った感じ・・・小作りになるよね。せっかく異時空間を設定しているのに、壮大な展開というのか、そういう広がりが感じられない。すごく、閉塞している。 まり:だからさ、本人のその、閉塞感というか、そこに押し込められている感がテーマなのかもしれないけど、その切実さが、ズシンと響いて来ないんだよな・・・書かざるを得なくて書いた、という感じではなくて、作品を書いてみたくて、書いてみた、的な。自分のための「箱庭」を作成している、というか。 りも:切実さが前面に出過ぎると、押し付けられ感も強まってくるかも、というのはあるけど。自分の葛藤を激白してます、的なやつだと、単なる感情の垂れ流しじゃん、とか思っちゃうし。作品を作ります、という意図があっても、いいんじゃないの? まり:自分の「箱庭」を作品として並べて、展覧会みたいにみんなで品評する、的な・・・それもアリかもしんないけど、「私の鳥」に関していえば、露骨っていうか・・・あざとい感じが気になるんだよね。好き嫌いに還元しちゃっていいのかな・・・この方向で進めて行ったら、すごく奇形的な、「キモかわ」的なものとかホラー的なおどろおどろしさとか、そういうものばっかりが「新奇で面白い」ということになるんじゃないの?それってどうなのよ、と思う。 りも:設定の無茶さ加減とか、唇が独立して動くという奇異感とか驚きとか・・・「口唇」機能の社会的意味ってなによ、的な問いかけはあるのかもしんないけど・・・そういう理智的な感じが、いやっみっぽい。非現実的な景を「比喩」として使って、意味とか理念に対応させようとしているっていうか・・・花緒さんが、ひとつひとつ読み解こうとしているけど、そういう謎解き的な遊びに落とし込んでいくところが、すごく閉鎖的だよね。 まりも:要するに、ダメ感が強い、小作りな作品、ということですね(笑) こういう「対話」みたいなものがあっても、面白いと思いました。
0投稿掲示板には入れるのに、フォーラムには入れませんでした・・・なので、トピックスを立てられなかった。新しく登録し直すんでしょうか。
0まりもさんこんにちは。百均です。 申し訳ないのですが、今B-REVIEWのフォーラムは色々と問題があって、使えない状態です。 ですので、僕の権限で一個、掲示板に議論スレッドを立ち上げておきたいと思います。(雑談スレと分けなくてもいいのかなと思ったりもしますが、一応念のため) そこで続きの議論をして頂ければと思います。 今後共よろしくお願いいたします。
0教官、落伍者という言葉から、この詩にも一般社会と同じくピラミッド構造の片隅の物語なんだよという入り方が アプローチとして成功していると思いました。 外圧を感じつつ、二重三重と内向し閉塞的に内向させておいて、最後の最後には読者に羽ばたきのような希望を発露への呼び水を 促している。そんな感じがしたからです。 ロールプレイングゲームのようでもあります。 男も話者は 鍵である口をゲットし、口がゲットできたら歌を歌う権利がゲットできて、鳥に歌を教え込むことができるようになる。 マトリョーシカのようでもあります。 口という名のマトリョーシカを あけると 鳥という名の歌う権利という意味のマトリョーシカがでてくる。 最後の最後は とても大切な吟醸のマトリョーシカがあると予測させている詩の運びが にくいなあと、感じました。 わたしもこのサイトという箱の中に きっと居てくれるだろう私の鳥にわたしの歌を歌わせたいです。すぐに、にげていってしまうのが言葉なのですから。 素敵なサイトの開設に わくわくしています。どうぞ、これから よろしくお願いします
0るるりらさんへ はじめまして(まりも、としては)はるりら、さんと一時的に名のっておられた時に、初めて出会ったと思います。るるりらファンとしては、ここで出会えてうれしい。今後ともよろしくお願いします。
0まりもさん いつか、素敵な歌をうたうことのできる口が見つかったとしたならば、鳥も、「わたし」も、自分のものになるのでしょうか。箱のなかの箱、わたしたちのえいえんの時は、ちいさな柱時計のなかの、地球のオブジェ。オブジェのうえを羽ばたく鳥。わたしの歌を覚えた鳥は、いつだって、わたしのもの。けれども、手の届かぬたかさまで、飛んでいってしまう、鳥は、ほんとうに、わたしのもの……? ふしぎな人生観をまりもさんの詩から、かんじとりました。詩も、ある意味、人生の縮図だとおもうのです。ふんわりとした、羽の音で、耳をくすぐられるような、心地よい読感があります。やわらかく、自然と、たのしく、フ、とこころが軽くなりました。素敵ですね。
0追記:まりもさんの詩の描写はうつくしく、確かに読後、こころが軽くなったのですが、なんども読み返してしまう、ふしぎ風味もあり、チョコレートのなかのいちごグミのように、絶妙な美味しさとすこしの異質感、飽きのこない味わい深い詩です。↑のわたしのコメント、書き切れていませんでした。とはいえ、いくら言葉にあらわそうとしましても、すこしむつかしいのです。まりもさんの詩をよんでいると、何枚も重なった夢の風景画をみているような気持ちで、まりもさん美術館(イメージのセカイ)へと入館できる、切符を読者は得ることができ、何度も、わたしは詩のなかの絵画作品を確かめに観にきてしまうのでありました。
0きらるびさんへ 心の中の美術館、そんなイメージもありました。ありがとうございました。 クヮン・アイ・ユウさんへ 成長過程、まだ未生の詩の世界、なのかもしれません。多面的な分析、ありがとうございます。
0まりもさん、こんばんは。拝読させて頂きました。 ひんやりとした読後感のある素敵な詩だと思いました。 嘘をつきたくない「私」の口は、ともすれば流されて嘘をついてしまう自分から逃げ出したのでしょうか。落伍者なんて言いたくないと。 自分に正直に生きる(それの象徴が発する言葉だとして)ことが出来るようになるまで、口は戻って来ないし、鳥は姿を見せない。 裏を返せば、自分を愛し正直に生きることが出来るようになれば、人は大きく飛翔し、どんな困難に遭遇したときでも、希望を歌い続けることが出来るのではないかと感じました。 また、 君のものにならないうちは、鳥を放ってはならない、 の下りは、少しでも自分を疑った時、鳥は逃げていってしまう、そんな意味合いがあるのかな、と思いました。 自分を信じきる、というのは、とても難しいことだから。 さて、私ユーカラの口は、きっとまだ机の上でうごめいてるだろうな、(なかなか自分を認めてやれないので)と思いました。 そこで待ってくれているといいのですが。。 最後に、タイトルのことですが、矢張り勿体ない気がしました。また、リライトされたこの作品を読んでみたいと思いました。 素敵な作品をありがとうございました。
0ユーカラさんへ 「君のものにならないうちは、鳥を放ってはならない、 の下りは、少しでも自分を疑った時、鳥は逃げていってしまう、そんな意味合いがあるのかな、と思いました。 自分を信じきる、というのは、とても難しいことだから。」なるほど、自身をどこまで信じ切れるか。言葉を、どこまで信じられるか・・・そんな隠れテーマが、あったのかもしれない。そんな気がしてきました。「ユーカラ」は北方の歌と同じ響きですね。ユーカラさんの歌も、聴かせてください。
0口とは何か。これが多分この作品の一つの肝なんだろうと思います。 >外では嵐が吹き荒れていて >この風雪に耐えてこそ生きる資格がある・・・ >教官のダミ声が切れ切れに聞こえてくる > >落伍者と自らに告げるだけでよいのに >私の口はいやがってどこかに行ってしまった >幸い目と鼻と耳はまだそばに居てくれる 目も鼻も耳は側に居てくれるっていうのは多分こいつらは受動的な器官だから、口っていうのは多分感情とか意思を発信出来る最も能動的な器官という意味で、多分特別であって、その「人」を表すんだと思います。 という所で、だから「鳥」っていうのはやっぱり「鳴き声」であって、そこからどれだけの感情を読み取れるかというと微妙なんですよね。そういう意味で鳥の口と人間の口は異なるんでしょう。だから、そういう意味でkazさんの嘴という批評はクリティカルなんでしょうね。そこが読んでて僕は今一掴めなかったのですが、ここでは鳥の鳴き声を「歌声」として読み替えていきます。 「私の鳥」とは多分私の口であると同時に嘴であり、そして籠の中の鳥であって、それは箱入り娘、みたいな感じで口≒四角≒箱のイメージ。 そして、だから口というのは自分の個性みたいな物、教官という大人的な存在に封じ込められる「私」という存在が個を発する事の出来る、唯一の器官であるという風に最後の並んでいる口というのをみました。口の数だけ人がいて、歌の歌い方はあるんだよという風に。
0hyakkinnさんへ そうか、口は発信する器官、ですよね・・・「手」もよく詩に登場するのですが・・・これもまあ、発信側、の器官かもしれない。視覚や聴覚は、受容を旨とする。そこに・・・特に情報過多の現代社会では・・・押しつけがましさや圧迫感や強制感を感じてしまって、逃げ出したくなるのかもしれない、と(レスを拝見して)思いました。とりいそぎ、御礼まで。
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