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The Morning of the Neon Demon(序)
記憶は残酷 記憶は あいまい ついこないだのことも もう遠い日の出来事 低い声の鳥が枯木の上で囀っている あんなに立派な樹木でも さいごは枯死してしまう むなしく心を費やして些事にこだわるな かえりみるに及ばない 空は雲ひとつなく 太陽がアスファルトに照りつけていた 足元に干からびた虫...... 土に還ることもできないでいる どこへ行こうとも その行き先の向こうにある デオドラントされた都会の不自然なしるし 了見が狭いことだけが取りえで 何もかも棄ててきた 不満なんて何もないけれど 幾月 幾年も まるで子供のように いつも小さなことにこだわっている 若いっていいよな お前みたいなバカが 赦されるのだからと 先生に言われた さすが年よりは人を見る目があるね...... 思い出はいつも 燃えるような あるいは凍えるような 気持ちに充ちている 心に残る言葉や表情 虚構の街 思い出の街
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The Morning of the Neon Demon(序) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 798.4
お気に入り数: 0
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2025-01-03
コメント日時 2025-01-14
項目 | 全期間(2025/01/18現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
若い頃は未熟でも許される、若者の人生は鬼のようでも詩になるような青春の煌めきのような痛みとセットで見られる。老いは残酷です。正月に人生を追想する人の後ろ姿に自分を重ねました。
3ど、どうしたのだ、こっちが素なのかい主戦場なのかいな、、いあいあこんなに共感させてどうすんのさ、 >了見が狭いことだけが取りえで 取り柄かどーかわからんが器はこまいのよね…融通きかん、僕のことよ 「詩」で「私」を描くのは正攻法であり諸刃の剣よねー私生活切り売りしてたら無料じゃ割に合わなくなるけんね! >思い出はいつも ここからのくだりすごくいいよね!切なくて情けなくて堪らなくなったよ。そう!そのとおりなのよねーヴァーヴァーヴァーヴァー地団駄、おまるさんだから書けるものなんですよねー
0サルトル的な視線を感じます。あえて詳述はしません。私はその視線を評価します。
0「了見が狭いことだけが取りえで」とか、 「いつも小さなことにこだわっている」とか、 いちいちおまるたろうさんのイメージとは正反対のように思えます。 でも、(序)とあるので、まだまだこの続きがあるのでしょうね……。
0湖湖さん、ありがとうございます。 小学生の頃が私の黄金時代で、あとはオマケな人生です。 私は生まれながらの脇役野郎である...!
1三明十種さん、ありがとうございます。 もはや私に明日はない。だからちょっと油断すると”昨日の世界”に目がいってしまう。歳くっちゃって、ニーチェの「神は死んだ」の言葉の意味がわかるようになりました。
0おまるたろうさんのこういう真剣でやわらかい作品が好きです。 > 思い出はいつも/燃えるような/あるいは凍えるような/気持ちに充ちている というところ、広がります。 凍えるような気持ち いいですね。
0都会の中の自然って、時折とても残酷に映りますよね。セミが道路で死んでいたりしますもんね。本当は土の上が良いだろうにと思います。 人は煙たがられて、何処に居場所を見つけたら良いのでしょうかね。 色々考える事が出来て良い作品だなと思いました。
0静かな部屋の中では電気製品の音が音楽に聞こえてきます。内容全体からその静かな部屋のざわめきのような音楽が聞こえてきました。 小さなことにこだわる子供のような自分を大人の視点で客観視して見ていますね。 以前字数を揃えた詩を読んだことがありますが、規則性にとても敏感な印象を受けます。裸の大将もそういう人だったそうです。 社会問題まで視野に入れるスケールも枠組みや社会システムといった規則性へのこだわりが視野の中に反映されていると思った。人間を愚かにするのに悪い人達は中の人間を直接いじるのではなく、仕組みや構造をいじると思うのです。そこで陰謀論の話まで出てきたこともある。 了見が狭いことだけが取り柄でなにもかも捨ててきた。や、些細なことにこだわるななどの美学はそれと相反しているように思え、本当は物凄く細かい人なんだと思うのです。視野が狭いということと了見が狭いということはもしかして違うのかも知れない。遠くを見ているからこそ、見ないようにするみたいな、瞬間と想像の世界の両方を見るバランス感覚があるのかも知れませんね。
0類さん、ありがとうございます。 サルトル。実存主義ですね。これを書いたの20代の頃なんで、実存に悶えてたんかもぉ、です。青かったんだなあ。
0紅井ケイさん、ありがとうございます。 これを書いた時はもちろん否定的ニュアンスでそういっているんですけど、としとってからは、了見狭いやつのほうが、かえって尖ってて魅力を感じるようになってきましたね。連作にするかどうかは気分次第というか、未定ですけど、まあ「書き出し」です。気長にお待ちいただければ。
0佐々木春さん、ありがとうございます。 こう、じぶんの若い頃の書いたものを眺めると、ポエムは、書こうとするものというよりも、漏れ出るような性質なんだろうなって。あらためて。そういう意味で、じぶんの感覚は、あてにならないみたいです。
0きょこちさん、ありがとうございます。 これを書いた頃、中野に住んでたんですけどね。ふわーっとした独特の感覚があって、それは関東平野の気候とか、何か所かある公園で一人で黙々と予行練習をしてたり、仕事でのヒリヒリするような体験とか、その他諸々のありえないショックとか、いろんな要素が混じりあって、言葉には出来ないけれど、もう二度と訪れることのない、なにか熱にうなされているような、それでいてかなしい感覚があったように思います。暗い気持ちで日々暮らしており、良いことは何もなかったっすね。
0まんたろうさん、ありがとうございます。 わたしは自身の作品を「ホワイト・アート」と定義しているのですけどね。ジョルジョ・モランディっていう画家が好きなんです(画像検索して頂ければ)、静寂さが良いんですよね。あと、坂本龍一がAlva Notoとコラボして制作していたアンビエントミュージック。ああいうのが念頭にあります。
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