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風化
髪の上を吹いていく風 映像の中にある風景を歩く 目をつぶって、 身体は歌声に透ける 目を伏せる、 駆け上がる音を潰して 鳥たちのかっこうで手放す 雪が水をねだり 遅くなってきた朝にかける たったひとつの、 たったふたつの、 命が歩いてゆく先 見上げて笑う 手を振った まだ飛行機の車輪が回り 続けているとは知らずに 空中でこぼれた 雪と雪たちの タペストリーを小説に挟み 濡れてゆく知らせ 引き出しの窪みに見つけた 浅葱色の詩文 雨どいを伝う音をくべ たったそれだけのためにくだかれる歌と くだかれた文字と 歌われたあの 震えて吸い込んだ空を閉ざして 歌は、 全ての行をあの日から、遠くで待つ喉笛を噛み 名前にかざす たった今こと切れた 小さな夢 つむいだ声の影にちらばせて 雨と雨の声間でささやく キャンパスノートは基準を罫線の7mmにして 野を貫くように駆け抜ける文字 本当に、 本当に、 好きだよと、調べを書く 朝の船の匂い 航行沿いに (地へ耳をつけ、枯れた川の流れを時間に結ぶ (いんちきな体温で花を咲かせた、かなしんで、ささやいて (川下で早送りと遊ぶ君は、熱の先を見ただろうか、君には (でも、きえていて欲しくはないよ、と命をめくる あらゆる鳥を見てきた 土を蹴り 煙立つ砂ぼこりを教えた ふと、いかなる者も知る術を捨て たやすく声を摘む 咳込み続ける喉を打たれて 青く空の爪先で泣く 垂れたにぎわいが 明けた日の時間を印す まだ見えるこの目では 見えないとばかり爪を削り ただ抗っていくことだけに、祈った 知りたい、 さらに遠くの風は掴めない だまれ、と不器用な手が光り 探している 探している間は、光るから 探してもいいのだと 噤みながら 終わりゆく全身の音階が 五線譜に輪郭を打ちつける 黒鍵を震わせて 心臓を押さえて ここが座る椅子になる 今、空を仰げば 何もかもがあっていい つぶさな習作が 氷の気泡に当てはまる その不自然さに変えられる 見向きもされなくなった押し花の栞 そう言った 言葉がたった今存在したはずの ただ、 歩くための歩行 ただ、 雪草を揺らす風の、 ただ、 少し寂しい眠りの中で、 ただ、 行われた、 花祭りの光
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風化 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 947.9
お気に入り数: 0
投票数 : 7
ポイント数 : 0
作成日時 2024-12-26
コメント日時 2025-01-05
項目 | 全期間(2025/01/18現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
心象風景を描き出し、「意味」に定着する前に次々と変化していく。 その鮮やかな展開が、まずひとつの特長として挙げられると思います。 もう一つは、オブジェクトを効果的に見せる映画のショットのような手法。 静止画のように切り取られた一瞬一瞬が、詩に映画的な美しさをもたらす。 (Bレビに似た作風の人もいるが、1.5Aさんがやるとスタイリッシュさと心地よさがある。 このような詩風は、田舎もんがやっても様になりませんねえ) 1-2連で(通常の読みとしては)完結してもよいと思われます。以降は、その内容に シニフィエを足して言って、抽象化を進めている。 例えば「キャンパスノートは基準を罫線の7mmにして 野を貫くように駆け抜ける文字...」と 「終わりゆく全身の音階が 五線譜に輪郭を打ちつける 黒鍵を震わせて...」は重なる。 音にもいろいろな表情があっていいはずだが、この作品では悲しい音色をしている。 音がそのまま空虚の調べとなって、 つよい想いをのせた声がついぞ対象には届かず、空にはかなくきえていくように感じられる。 全体に「対比」が置かれているようです。 一例をあげると、 「見上げて笑う 手を振った」と「だまれ、と不器用な手が光り」は 対比として読みたい。 対応する箇所は「航行沿いに」と「花祭りの光」であろうか。 すなわち「別れ/喪失」と「ぬくもり/ノスタルジー」... 丁寧に読んでいけば、もっとあると思われます。 これらの対比が意味の輪郭を際立たせるかといえば、 むしろ、あいまいで掴みどころのない世界から確たる何かを見出そうとする、 作者の祈りにも似た心の動きを感じさせます。 ...ざっくりの所感ですが、できるのなら、じっくり読み解いてみたい作品です。 読者に深い読解力を求める点でマニア向け。 お見事な作品でした。
0時間の経過が、潜在的に感じられると思いました。詩を読み終えて、「光」が背後に感じられます。「あらゆる鳥」と言う表現に惹かれたり、タペストリーには何か編み込まれているのだろうかと思いました。
0こういう詩が書けたら素敵だなと(わたしには今のところ書けそうにないので)心から思いました。 言い過ぎず過剰に走り過ぎずそれでいて新しくて。とてもよい詩だと思いました。
0【風化】岩石が長いあいだ空気にさらされてくずれ、土になる現象。 ですがこれから感じられる印象は風そのものが五感を行き記す事柄に思えます。それは最終連にあるような 花祭りのひかり という言葉の意味をあえて抜いても。どこか行きなにか生き過ぎる時のようなもので、寂しいけど決して消えやしない、いつかのカゼノオト
0この作品を読ませて頂いた感想として(読解ではなく余談的なものになりますが)、人は〝何を携えて生きていくか〟ということを考えました。そして1.5Aさんは詩を携えて生きて行かれる方なんだろうな、と。作品タイトルは『風化』ですが、タイトルとは反して、風化してゆく全てのものを詩という美しい器、例えるなら陶器の焼き物のような重厚な造形美として、風化に抗うように残そうとされているように感じました。とてもやさしい文字群なのに強い力を持っている作品だと感じます。そういった様々な相反するものが入り混じった美しさを想いました。 本当に、本当に、好きでたまらないものを携えて生きられたら幸せだと思います。私にとってそれは詩を書くことや詩を残すことではないのですが、たったひとつの、 たったふたつの、 命が歩いてゆく先を見上げて生きる生き方、まだ見えないものへ祈るように、光を探し続けたい、その日々に心を震わせ、ただ歩くために歩き汗を流す、そんな生き方をしたいと思っています。 一年の終わりに本当に良い作品を読ませて頂きました。(姿勢を正される思いです。) 来年もまた読ませて下さい。良いお年を。
0昔読んでいた本の解説かどこかに、シニフィエやシニフィアンという単語があったことを今でも覚えていて、ときどきその本のことと一緒に思い返します。シニフィエやシニフィアンに定義があるように、詩に定義があるとすれば、それは常識の先にある感覚の選び方かなと感じます。あるいは言葉を発しイメージが解体されるときのひらめきのような体験。僕たちはいずれ死んでしまいますが、言葉は時代を超えて何度でもよみがえる、その一端に詩という表現が生き続けて欲しいと期待するので、詩を読み、また書きつなげていくのだと思います。とても面白い考察でした。読むことができて良かったです、ありがとうございます。ちなみに僕は目茶苦茶田舎に住んでいます。生粋の田舎っこです。
0夜、山道をとおって帰路についているときに、季節や時間帯によっては霧があたりに立ちこめて視界が遮られることがあるのですが、そのときになってはじめてわくわくした気持ちと、どこか心細い気持ちが自分のなかに存在していることに気がつきます。やがて山を下るとまた視界が開けてくるのですが、書きたかったのはそうした気持ちの凹凸(?)だったのかなと、そんなことをふと考えさせられました。コメントを頂き、ありがとうございました。
0>ちなみに僕は目茶苦茶田舎に住んでいます。生粋の田舎っこです。 ₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎...!
1こうして読まれるということを意識させられる所に投稿するときに考えているのは、変化することであって、それは積み重なっていく自分をかなぐり捨てていくことでもあるのかなと考えます。しかし実際には自分の根底は容易に変えられるものではなく、なかなか難しい部分ではありますが、何度も読み返したくなるような、そんな作品を目指してこれからも脱皮していきたいなと思います。お読み頂き、ありがとうございます。
1恋愛詩ですか?
0たとえば、鴨川を見下ろせるベンチに座りながらゆっくりこの詩を読みたい。 心地よく肌を撫でる風を感じながら静かな時間を過ごす。 穏やかで何もない母だからこそ必要な、心の拠り所となるような詩ですね。
0コメントを頂き、ありがとうございます。風化という言葉の意味。その辞書につづられている文字と、自分のなかの風化というイメージがそれほど遠くないことを知りました。物質は朽ちてしまいますが、存在自体が消えてなくなってしまう、というよりも、きっと最後に残った残滓。そういった物に生きていれば出会えたり、すれ違ったり、澄ましたり、感じたりできるのだと思います。順番に、順番に。
0文字は文字の良さがありますし、歌には歌の良さがありますね。それを作る想像力にとても興味があります。良い作品には書き手の想像力だけではなく、そこに読み手の想像力が入り込める余地が残されているのだと、最近思うようになりました。しかしそういったところへ過度に注意を向け過ぎず、ありのままであることをゆっくりと考えていきたいと思います。 コメントを頂きありがとうございました。何度も読ませて頂きました。
1じゃないですと書くとちょっともったいない気がしました。じゃないですじゃないですと書かせて下さい。
0ありがとうございます。鴨川、良いですね。常に人がいる川のイメージを持っています。そこにはまだ行ったことがないのですが、たとえば傍らで川の流れる音をきくだけで、しだいに胸のなかに(持って帰れそうなくらいの)小さな小さな川ができているじゃないかなと空想をしてしまいます。やがてその流れがついえたら、また川を補充しに人が集まってくるのかなと、そんなことを。
1身近な川を想像してしまいました。 鴨川良いですよ。 暖かくなったらぜひ一度お越しください。
1>タペストリーを小説に挟み 濡れてゆく知らせ >ただ、 行われた、 花祭りの光 淡い光みたいな作品ですね。内側から照らされているような……。引用は、好きなワードを挙げてみました。今年もよろしくお願いします。
0ありがとうございます。二歩下がって、一回スキップしてもとの場所に戻るみたいな一年にしたいです。普通に歩いている蟻に気付ける生活ができればいいと、そんなふうに思います。それから、魚住陽子さんの『雪の絵』という本を読みました。すごく面白かったので、お伝えしておかねばと年末に思ったことを今ごろになって書いています。
1雪が水をねだりと言う表現に惹かれました。詩的と言うよりは、何か本然に基づいたものがあるような気がしたからです。あらゆる鳥を見て来たと言う宣言?言明が齎すもの。終わり行く全身の音階とは何か。解釈に躓くわけにはいきません。詩は続き、比喩を醸し出しているからです。
0風の吹く日があれば、それを書いたように思います。風のなかで降るものがあり、風のなかを飛ぶものもいる。そのなかを歩くこと、言葉を見つけて歩くこと、冬眠してしまう前に、血を巡らせて、歌っているものがあれば振り向いて、静かに耳を傾けたいと思いました。再びコメントを頂き、ありがとうございました。
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