鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



批評対象
作品を読む

鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例    

<批評対象作品>
紙、ふぶき。


詩情を集約する者は幸いである。かれには与えられるであろう。たとえばテトリスの積みに積んだミノが、いよいよ詰むというすんでで大連鎖を起こしたときの、あの快楽。あの達成が集約だ。これほど気持ちいい読解はないが、まあめったにキマるものではない。 作者が「読者に集約をキメさせやすい作品づくり」を目指すのは、ほぼ無駄な努力だ。被集約に特化した異才もいるにはいるが、そんな化け物には再現性がない。多くの集約は、作者の意図せぬところで勝手にキマる、とはいえ「読者が集約をキメやすい作風」はおそらくある。わたしの場合は、この詩『紙、ふぶき。』のような「酔える筆致」と「長い余韻」が不可欠だ。 ではまず、今回比較的うまくキマった集約の快楽を記録する。 * 「やけに 緑の看板のコンビニエンスストアの  多い街でした 人でいるのが いやになれば  紙飛行機に なれる街でした」 (作品冒頭) 『紙、ふぶき。』も「紙飛行機」もふつう、だれかに飛ばされない限り飛ばない。これがこの読解の核心だ。目に映るすべてをこの一点に集約し、詩境を脱自動化する。 「緑の看板のコンビニエンスストア」といえば、まっさきに思いつくのはファミリーマート、次いで駅なかのニューデイズ。家庭と新生活だ、この読解をもって「紙飛行機」を婚姻/離婚届の寓喩と暫定しよう。紙切れ一枚の関係である婚姻は、切っても切れない血縁と比べればコンビニエンスにみえるかもしれないが、もちろん実際そうはいかない。家庭を捨てて逃げる者は、相手が血族でも姻族でも同じように、人でなしと呼ばれて当然だ。 家庭は社会の最小単位であり、ヒトは社会からの学習なしには繁殖できない(現に性交の方法と目的を先天的に知っているヒトはいない)。ゆえに婚姻は人間社会に不可欠で、その形態は男性優位のほうが都合がよい。考えてもみろ。もし男性の生態がクマのオスと同様に無責任だったら、女性は強姦によって生んだ子を別の強姦犯に殺され続けるような、悲惨な人生をまぬがれない。ヒトはそのような生きざまに耐えられる動物ではないので、家庭という檻を構え、男の甲斐性なるくびきで男性を飼いならしてきた。真に束縛され搾取されてきたのは男性だが、名目上の男性優位を死守するために、女性が大きな犠牲を払ってきたのも事実だ。 「ヨネさんは 紙飛行機に なりたくはないのかい?  そりゃ 紙飛行機になったさ  人間やっとるし こういう街だしな」 (3-4聯) 「人でいるのがいやになれば紙飛行機になれる街」に住む「タバコ屋のヨネさん」も、おそらく「爺様」に大きな犠牲を払ってきた。多くの庶民がヨネやらトラやら名付けられていた時代、日本女性の社会的地位は、21世紀では考えられないほど低かった。 男に座敷で食事をさせたあと女は土間で余り物を食うといった生活を、だれも疑っていなかった。父の決めた相手と黙って結婚し、夫の妾も隠し子もすべて黙って世話するのが、当世に当然の婦徳だった。そのころ小金持ち以上の男は、みな見栄を張って妾を囲っていたという。女に自立を許さない社会では、多くの男が重すぎる期待につぶされてもいる。 ヨネさんが「紙飛行機になった」のが、おそらくそんな時代であることを踏まえれば、以下の述懐を自動思考ではとても読めない。 「紙飛行機 なったんだけどさ  どこまでも 飛んでいけたけど 爺様がな  追いかけてくるんだ あれは 情けない顔だ  った 連敗続きで もう明日にでも 力士を  やめようとしているガリガリの相撲取りくら  い 頼りない顔しててな いかんでえ いか  んでえ って 十二指腸震わせて その声  出しとるんか って言いたくなるくらい 細  い声で言うんじゃ」 (5聯) 自立できなかったかつての女と同じように、紙飛行機は自力では飛べない。ヨネさんを飛ばしたのは、もちろん爺様だろう。捨てた妻を追いかけてきたばかばかしい夫の、「いかんでえ」という絶え絶えの声に、「だめだ」と「行かないで」の二義が掛かっている。夫に捨てられた妻と同じように、妻を捨ててしまった夫のほうも、きっとまともには生きていけない。そういうただの世間体だったとは、この述懐からはもちろん読めない。 「どこまでも飛んでいけた」と回顧するヨネさんは、きっとそのとき解放の喜びに満たされていた。まともな人生を捨ててでも逃げたいと願う程度には、爺様とかれに逆らえない自身を厭っていたのだろう。父から押し付けられた好きでもない夫に、もう縋りたくなかったのだろうに、いざ逃げれば縋ってきたのは「連敗続き」の爺様のほうで。 「とてつもなく ばかばかしくなってな  紙飛行機になって 飛んでるのも どこか  ばかばかしくなってな  くしゃくしゃくしゃー って やめたんじゃ」 (同上) 「くしゃくしゃくしゃー って」握りつぶされた離婚届とともに、ヨネさんの婦徳もきっと潰滅した。不幸に酔うのがばかばかしくなったヨネさんは、自分の意志で離婚をやめたので、爺様の言いつけに従ったのではない。みずから選んだ以上、もうその責任を、夫にも父にも転嫁できない。 そうしていよいよ精神的に自立したヨネさんが、あらためて爺様と築いた関係を、名状するのは難しい。すなわちこれを詩情という。 「そんな爺様も 死ぬ間際は ところ  どころ 紙飛行機になっとったなあ  まあ 飛んでいく って気持ちええもんなあ  飛んでいってしまいたいもんなあ」 (6聯) かつてヨネさんを捨てた爺様が、死ぬ間際になって、ヨネさんに捨てられようと紙飛行機になった。ヨネさんは述懐する。かつて自分が夫から逃げたとき味わったあの幸福を、爺様も内心では欲していたことに気づく。 だからヨネさんは爺様を、逃してやれなかった。死ぬ間際の、もう送り出してやるしかない夫に、言ってもしかたないのにきっと「いかんでえ」と縋りついた。 「紙、ふぶいた    紙飛行機が うかんでいた」 (7聯) * 上記の集約一例は、最終聯とその関聯の修辞を扱っていない。この集約にはハマらなかったので、今回わたしには言及する必要がなかった。最終2聯はコメント欄でも不評だったから、より洗練された別の表現があるのかもしれないし、再考が作者の課題になるのかもしれない。 だがこの詩に、その2聯が必要なのは確かだ。それらはヨネさんの話を聞いた語り手の感興、いわば余韻の可視化に当たる。共振した読者に再読を促すのに有用な演出で、欠かすことは構成上考えられない。 余韻とは保留である。その詩境に留まりつづけ、思いを巡らせつづけていたいという衝動。つまり、泥酔だ。余韻に酣酔した読者は、その他の無粋を失念する。どこの鯖缶ともしれぬ作者の意図、優劣やら巧拙やらどうでもよすぎる批評、そんなものに囚われていたら達成できないのが集約である。


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鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 12
P V 数 : 1537.0
お気に入り数: 0
投票数   : 3


作成日時 2024-10-10
コメント日時 2024-10-21

鯖詰缶太郎『紙、ふぶき。』集約一例 コメントセクション

コメント数(12)
澤あづさ
作品へ
(2024-10-10)

●予告とお詫び● 本当はここで、前回推薦文改訂正書版の公開をお知らせし宣伝したかった(※代表に相談のうえご快諾をいただきました)のですが。 ●前回推薦文批評対象『葉舟』 https://www.breview.org/keijiban/?id=13059 ●拙文「投射、複合(complex)。田邊容『葉舟』」(準備中) https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-78.html きのう唐突に新解を思いついてしまい、本文を全文書き直すことにしたので、記事はいまだ準備中です。三連休明けには脱稿する予定で、その際にお知らせのため再びこの記事を上げることを、どうかお許しください。批評対象コメ欄に寄せられたみなさまの読解をたくさん引用しているため、この記事だけは宣伝したいのです。計画性がなくてほんとごめんなさい。

2
おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-10-10)

ネタの仕入れ、本当に外さないですね。 「紙、ふぶいた    紙飛行機が うかんでいた」 ...の〆の仕方で週8日労働社畜奴隷の心も揺れに揺れました。 >そうしていよいよ精神的に自立したヨネさんが、 >あらためて爺様と築いた関係を、名状するのは難しい。 >すなわちこれを詩情という。 大連鎖...で、 鯖缶さんの方に彗星ぷよが大殺到しそうなディープ・リーディング。 鯖缶さんもまっさお(サバだけに) 「紙飛行機」っていっても、現実のそれは、ぜんぜん空を飛ばず、坂道を高速で転げ落ちるでかいタイヤみたいなもので、 もはやどこまで飛ぶか云々よりも、どうやって止めるかに目がいってしまいがちですね。 そこをあくまで「紙飛行機」「紙ふぶき」でいくところが、肝なんだろうし、アルコール度数なんだろうし、面目なんだろうなって思いました。 爺婆ポエムって理由もなく論外にされがちな気がしますが、鯖缶さんの感性はSNS以降のもので、本質的には可能性の作品でしょう。 いいものを読みました。ありがとうございます。

1
澤あづさ
おまるたろうさんへ
(2024-10-11)

ご高覧ありがとうございます。拙評は基本、小ネタのすし詰めですが、今回は批評対象の余韻を全力で訴えましたので、肝腎なところにあやまたず立ち止まっていただけて重畳です。ところで、週8日労働とは、なんの幻覚かな??? >爺婆ポエムって理由もなく論外にされがちな気がしますが、鯖缶さんの感性はSNS以降のもので、本質的には可能性の作品でしょう。 そうですね。作者様はたびたび話題をさらってきた書き手で、すでに抜群の安定感ですが、この作品に限っては玄人の目に留まりにくいと思います。スタイルが玄人目には陳腐ですからね。第一印象の悪さは、詩の訴求においては、ほとんど致命傷です。 そういう看過されやすい作品の真価を掘り当てるのが、テクスト論の醍醐味ですから、今回はわたしも自分の読解に満足しています。 【私信】上で予告している前回推薦文改訂に、おまるたろうさんのコメントも引用しております。助かったぜ中上健次。被引用感謝。

1
スパムーチョ
スパムーチョ
作品へ
(2024-10-14)

この作品の紙飛行機の立ち位置や意味が場面によって、本質的には変わらせないように、けれど、変な言い方だけど、場面ごとの紙飛行機は非なるものだけど似てるものという風に印象を受けました。 ヨネさんの紙飛行機はずいぶん尖っている雰囲気を感じますね。 それから澤さんの余韻を読んだおかげで 下の文章が味がでてきました。 「紙、ふぶいた    紙飛行機が うかんでいた」 ヨネさんも爺さんも老齢期でしょうから 多分ですけど、そんなに相手のことをだんだん思い出せなくなった来る頃に差し掛かっているかもしれません。 ふたりの人生のなかでお互いにいいこともあれば、許さないこともあったでしょうが お互いにそういうことは、けっこうくしゃくしゃにしてやって、半分忘れてやったことがあるんじゃないでしょうか。それは我が身にも覚えのあることですし、みんなそうなんじゃないかしら。 紙飛行機をくしゃくしゃにする。 そうして、その紙飛行機だった紙を開くと 紙飛行機の折ったときについた深い折り目目の線とくしゃくしゃの細かい線がたくさん入っていて、紙も手も顔もそれは老齢期のしわの入った皮膚に似たものに見えてきます。ヨネさんの顔や手がすこしみえてくるようですね。笑 たくさんのしわが入った折り紙はちぎれやすく、紙ふぶきになりやすい。 爺さんの顔も半分忘れてるかもしれないが 紙飛行機という共通した気持ちでつながっています。しかし、その気持ちも半分忘れてる。紙ふぶきになってゆく。 「紙ふぶき。」じゃなくて、「紙、ふぶき。」っていいですよね。 私にはこの言葉は「紙飛行機」と言おうとした人物がいい直したセリフのようにも読めました。「紙、(いや、あれは飛行機じゃなくて)ふぶき。」 という躊躇も感じさせます。 それは紙飛行機と紙ふぶきになる爺さまを思い起こします。 紙ふぶきに、なるとは記憶が曖昧になることでもあり、どこかへ落ち葉のように降り積もることを意味しているようです。今まで木になっていた葉が枯れて、ひらひらと落ちてゆく それをまどろむ。と呼ぶならば 人を眠らせない記憶にたいして優しくお眠りよと声をかけているようにも見えてきましたね。 面白い作品のご紹介ありがとうございます。

1
澤あづさ
スパムーチョさんへ
(2024-10-14)

ご高覧ありがとうございます。高作(そのコメはもはや評ではない、詩だ!)拝見して猛省しましたが、今回は集約をキメるより、余韻のなんたるかを本気で熱弁したうえで、ここぞとばかりに散種(デリダ)を説明するべきでした。散種とはなにかって、そうこれですよ。 >場面ごとの紙飛行機は非なるものだけど似てるもの 拙評はこれがわかるように書けてないから失格だ。いずれ例によって書き直さんといけませんね。またもコメ欄大量引用で。 そのように再読と再考を繰り返すことで「長い余韻」を実証できるのだから、苦でも恥でもあるわけがない。 * はたして批評対象コメ欄ですが、 https://www.breview.org/keijiban/index.php?id=13500 タバコ屋豆知識は、小ネタすし詰め系評者として見過ごせない開陳ですね。現代詩評の急務はなにをおいても「鑑賞資料」だと、わたしは確信している。 それにしても、今回いらん集約キメたせいでわたしが失念したコンビニの混雑とか時間帯とか、スーさんはA・O・Iさんとまたも着眼の気が合ってるなあと感服しました。 * 【私信】上で予告した『葉舟』評改訂に、スーさんとA・O・Iさんしか入っていない項目を設け、その独創性を絶賛しております。お返詩万歳。被引用感謝。 今週中に必ず脱稿する『葉舟』評改訂を、このコメ欄で宣伝しますことを、ふたたび先立ってお詫び申し上げます。

1
スパムーチョ
スパムーチョ
作品へ
(2024-10-16)

結局、今回は澤さんの推薦文に引き寄せられてこの詩の余韻からでたくなくなってしまう。素晴らしいReviewでございます。 私は作品のコメントの方でいろいろいつものスパム感想もらしたましたが、おおよそ澤さんの余韻に対する洞察力に帰属するような気がいたしますし、ヨネさんの紙飛行機に対しての観察力にはかなわんな。といったころです。 例えばヨネさんの紙飛行機に対して澤さんは爺さんによって飛ばされたのだという風におっしゃっていたと思います。 「真に束縛され搾取されてきたのは男性だが、名目上の男性優位を死守するために、女性が大きな犠牲を払ってきたのも事実だ。」 まさにこの文章にやられた気がします。笑 私はヨネさんの紙飛行機はとがっている感じがしますね。とテキトーに書きましたが、深堀りしてゆけば澤さんのたどり着くところなのだろうと確信します。 紙飛行機の種類について考えるとき。 澤さんの解釈も含めヨネさんの紙飛行機は「抵抗」とも言えるかもしれません。 一番最初に登場した紙飛行機は、A・O・I様がコメントで言及していたように、窮屈な街における紙飛行機。それは「逃避」かもしれませんね。 最後の爺さんの紙飛行機は別れというより「旅立ち」ととらえることが私には余韻を味わうヒントになっているようです。 「逃避」「抵抗」「旅立ち」 これらを違うものだけど似ている紙飛行機って言いたかったんだと付しておきます。ね。笑

1
鯖詰缶太郎
鯖詰缶太郎
作品へ
(2024-10-18)

こんにちは。 この度は私の作品を取りあげていただきましてありがとうございます。 自分以上に読み込んで、考察している文章を読みますと、自分が書いている時の視点というのはだいぶ近すぎているのだろうか、なんて考えたりしました。 中間あたりの老夫婦の件は寓話的に書いたようなところもあるので、ここに書かれました「解釈」など、面白く拝読いたしました。 御高察、次回の詩作の糧になります。 ありがとうございます。

2
鯖詰缶太郎
鯖詰缶太郎
おまるたろうさんへ
(2024-10-18)

こんにちは。 鯖缶さんも、まっさお(さばだけに) 僕が先に言いたかったなあ、、、 そのフレーズ、、、 僕が先に言ってしまえば、いい持ちギャグになったのになあ、、、

3
澤あづさ
スパムーチョさんへ
(2024-10-20)

スーさんふたたびようこそ。 ( ・∀・)つ目 とりあえず、前レスの不足部分を詳述しますが、 >紙飛行機をくしゃくしゃにする。 >そうして、その紙飛行機だった紙を開くと >紙飛行機の折ったときについた深い折り目目の線とくしゃくしゃの細かい線がたくさん入っていて、紙も手も顔もそれは老齢期のしわの入った皮膚に似たものに見えてきます。ヨネさんの顔や手がすこしみえてくるようですね。笑 >たくさんのしわが入った折り紙はちぎれやすく、紙ふぶきになりやすい。 まじなんだよこの着眼…………。わたしは非詩人なので「なるほどこれが詩才なるもの」くらいしか言えることがない。これがもはや評でなく、詩であることはあきらかである。 ↓以下、茶飲み話↓ >「真に束縛され搾取されてきたのは男性だが、名目上の男性優位を死守するために、女性が大きな犠牲を払ってきたのも事実だ。」 >まさにこの文章にやられた気がします。 わたしは父も祖父も自殺で失っているので、家父長制の真の家畜が男性である件について、熱弁してたら日が暮れてしまう。やむなく割愛するとして、 >「逃避」「抵抗」「旅立ち」 そういや拙評「紙飛行機の紙ふぶきは、門出と追放の両義的な象徴」と、どこかに書いたつもりでいたが。どうやら書いて消して書き足すのを失念したまま投稿してしまったもよう。 この文脈のこの流れにその説明は(作者本人の執筆の)興を削ぐので、よほど書きたくなかったんでしょう。これが集約という読解法の陥穽ですが、陥穽おおいにけっこうですわ。スーさんが書くことを、わたしが書く必要はないからね、これは本当に大事なことですよ。 ↓以下、愚痴↓ 詩は多義だ決定不可能だとほざくばかりで、一読者の一読解を示そうとしないテクスト論が、わたしは大嫌いだ。たとえば「この詩は世界の懐胎を描いている」とか、意味がよくわからないからほかの詩にも使いまわせそうな、どうでもよすぎる構造や、詩は頭でなく知性でなく魂から腸から云々の、それこそ頭でっかちきわまりない詭弁にばかりたわけていて、その詩の多義性や決定不可能性を、実証できるわけねーだろうよ。 ひとつの詩を多くの読者が自分の視座からおおいに語る。これ以外に、その詩の多義複線を実証する手段はなく、ネット詩はその最適な実験場であるはずだった。はずだった! ↓以下、急に深刻に↓ 批評というのは、どれほど妥当な読解に基づく客観的な作品評であっても、評者の主張が先に立ちます。語弊を恐れず言えば、評者にとって批評対象は「持論を説明するための話材」でしかない。もちろん、論評に足る作品でなければ、採りようがないのは大前提としてね。 だからネット詩は、批評の場でなくてもいい、作者と評者でなく詩人同志が語り合ったっていいと思うんだな。スーさんのコメや、わたしの大好物の返詩カルチャーのような、「批評でない読解」がもっと盛り上がってもいいんじゃないかなあ、ひとまず以上!

1
澤あづさ
鯖詰缶太郎さんへ
(2024-10-20)

作者様ごきげんよう、お目に留まって幸甚です。拙評が作者様の向上の足しになれば、それに越したことはもちろんありません。本当に。 いつのだったか運営のツイキャスで、鯖詰さん推しのあやめさんが、かわいいお声で鯖詰さんの魅力を熱弁なさってまして。即刻全作拝見し「なるほどこれがあやめさんの推し……!」と感服しいまに至ります。わたしはテクスト至上主義の暴徒で、ふだん「作品だけ残して作者は消えろ」となかば本気で呪っている関係上、作者様には塩対応ですがそういう次第です。ぜひ以後もご躍進くださいませ!

2
澤あづさ
作品へ
(2024-10-20)

●6月分推薦文改訂(といっても完全新作)公開のお知らせ 拙文「投射、複合(complex)。田邊容『葉舟』」 https://adzwsa.blog.fc2.com/blog-entry-78.html ・上記批評対象『葉舟』  https://www.breview.org/keijiban/?id=13059 ・上記初稿(6月分推薦文)  https://www.breview.org/keijiban/?id=13139 ここでこの難産を、もろもろ派手に語る予定だったが。作者様がお越しのコメ欄で、ぜんぜん関係ない話をべらべら開陳するのは、さすがに(作者様がたのお気持ちの問題でなく)わたしの美学に反する。ちょいと運営に問い合わせてまいりますね。

3
澤あづさ
作品へ
(2024-10-21)

●報告と予告● 上記『葉舟』評の件を運営に問い合わせた結果、「改訂報告のために2本めの推薦文を出してよい」とのご回答を得ました。記事の誤記などを修正したうえで、あさって水曜日に投稿する予定です。

2
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