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あの夜の街で
どくどくと 流れていく、血 血脈 赤い色をした水が流れていく、街 生まれていく そして、 死んでいく 歩いて、歩いて、肉刺を作って、歩いては、つぶして、 血を流していく、足 曲線を描く、水 混じり気を知りたくて買った、顕微鏡 (鏡に付き物のパラドックス、常に抱えた孤独という命題) わたしが見える場所は エンディングになければ、はじまりにもなく、 ましてや、 夜のショーウィンドウは、孤独だった 「その言葉が聞きたかった」 医者が告げる、言葉 権威をもって告げる、声 すとおりいてらあ、だ 絵本はいらなかった ましてや、ナレーションはなおさら 欲しいのは、乾いた音 物としての音だ 濡れた声はいらない どれだけ囁かれても煩わしい そのあとで 乾いた跡を追うのはいま いまにしかない、いま かえってくることはない声 どくどくと 生まれつづける、声 そして 死につづけていく、跡 もとの水には、かえれない水 どくどくと どくどくと 街で流れる血があるから まだ生きている、いま からだの中で 脈打って流れているのは、声 たとえ、 からだの外に出たとしても すぐ、あとになってしまう、あの声、だ
あの夜の街で ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1001.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-03-12
コメント日時 2017-03-19
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
コメントいただきありがとうございます。 「イメージを結び付けながら読む」ということがありましたが、文字そのものの連環と声に出した時の語感を重視した作品でありまして、イメージ=映像としての連環もあるといえばあるのですが、まさに歩くようにお読みいただければ幸いです。
0血は人のからだを伝う。道は街を伝い、人は道を伝う。人のからだには血が伝う。どくどくと、どくどくと。あの音、声がきこえる。すぐ、あとになってしまう。生まれ続け、死に続けるようだ。エンディングにも、はじまりにもならない。どくどくと、あの声がする。歩く。歩く。歩く。夜のショーウィンドウは鏡のように孤独を証明してみせる。ストーリーテラーの医者が権威をもって告げた、その言葉が聞きたかった。そんなものよりも乾いた音が欲しかった。乾いた跡をいま、声が追っていく。からだにはどくどくと、血が流れる。道を流れる血があるから、まだ生きている。からだの中で脈打っている声があるから、まだ生きている。からだの外にでたとしても、すぐ、あとになってしまう、声。
0朗読に向いている詩だな、と思いました。「血」、「血脈」、「赤い色をした水」と言葉を変えて繰り返される血のイメージ。生まれる。生きていく。足から血を流して歩き続ける。病を得る。そして終わりにたどり着く。人は、自分の始まりも終わりも明確には認識できない。 血に濡れた街と、乾いた声。街が肉体となり、自らの肉体は乾いた声を発する。誰に向けて、何のために。筆力のある方の作品なので、好き勝手に想像しながら読むことができました。
0kolyaさん 作品をリメイクしてお返事をいただきありがとうございます。 今になって、詩を書いた時の心境を思い出しましたね。 今は明かしませんが、これの続編ではないですけれども、着想を頂いたので、気が向いたら作品を書きます。 もとこさん 朗読については常に考えています、元々Ustで自作の詩を読んでいたりしていました。 言葉の連関をイメージだけに頼らず、音の連鎖で繋がりを持たせるということも大事だと思っています。 というのも、僕は詩を「声」「語り」によるものだと考えているからです。 「誰に向けて、何のために」というお言葉がありますが、きっと目的などないのでしょう。トートロジーのようで申し訳ないのですが、そうなったからそうなったのでしょう。 好き勝手に想像しながらお読みいただけたのなら幸いです。
0都会というスタイリッシュでドライな場所に、人間の生々しさと血脈が投じられる冒頭から驚きつつ読んでいるのですが。 「欲しいのは、乾いた音 物としての音だ 濡れた声はいらない」 ここに、優れた肉声を感じました。自分自身を確認できない、したくもない、させられたくもない・・・あるいは、物そのものになり切ってしまいたい、そんな主人公の思いが、どこから生まれるのか・・・死を、医師に宣告されたのか。いや、自分ではなく、親族、血族が、死を告げられたのではないか。そんな印象を受けました。臨場感のある作品だと思います。
0医師の問診にウソで回答して、その医師の能力を確認する、という意地悪なことをよく、やっているのですが、一番、困るのは嘘つきな先生に出くわした時で。嘘つき者は他人の嘘を見抜けるんですよ。B-REVIEWの読者諸氏は、三浦くんって凄い嘘つき者だと、そろそろ気付けれてるかと思いますが。その嘘つき者の私、音が持つ感覚には敏感なんです。音には、物事やその人が持つ本質がよく現れてるんです。嘘をつく時、大事なことは、ばれない様に話をすることよりも、本質を見抜いて、嘘をつくかつかないかを見極めることだと、思ってるんです。本作『あの夜の街で』は、前半部で装飾語が多く展開される。そして後半部。音について。声について。 そこには、生死の本質を見出そうとする、作者の音がする。
0まりもさん 「都会というスタイリッシュでドライな場所」という表現はしていないつもりで、場所を想定して書いたわけではないのですが、おそらく何かがまりもさんにそのような場所を思わせたのでしょう。 「自分自身を確認できない、したくもない、させられたくもない」というのは核心をつかれたような思いでいます、多くは語りませんがあまり僕から述べる必要がないように読んでいただけて幸いです。 三浦果実さん 結果的に嘘をついてしまったのか、故意に嘘をついているのかで、嘘の捉え方も異なるように思えます。 どちらにしても、「じゃあ、本当は何?」という疑問が湧くわけですが、嘘が嘘であるためには、その本当を知っている必要があります。 つまり、嘘だとわからない嘘は、聞いた人にとっては、本当でしかないのではないでしょうか。 事象そのものを描き、それを受け入れるしかないとは思いながらも、この詩には欲望が出てしまっているのかと考えさせられました。
0繰り返される読点の生むリズムが、血を流す瀕死者の息切れをイメージさせます。 >街で流れる血があるから まだ生きている、いま 逆説ともとれる一言に、ぎりぎりの所で生を噛み締める無名の存在の強さを感じました。
0追伸 「都会というスタイリッシュでドライな場所」というイメージは、題名、その言葉の荷重から得たものです。新宿や六本木などの、ネオンが瞬く夜の町、そのイメージから入って、一行目との落差、幅の取り方に「うわ、やられた」という感じでした。
0繰原秀平さん 僕にとっては、歩くことと息をすることの二つの無意識的な行動を意識的な言語に置き換えただけなような気がします。皆様の感想とも重なる部分があるのですが、死との兼ね合いで捉えられることが自分では驚きでした。 ただ、無名の存在の強さを認めていただけることは、僕に限らず日常においてとても喜ばしいことだと思います。 まりもさん おそらく何も考えていなかったような気がしていて申し訳ないです。 これはあまり関係ないですが、僕は町と街の使い分けについてはかなり意識的に用いているつもりです。
0初めまして。僕は、基本的にはおおらかな性格のはずなんですが、不安に取り囲まれ、やや認知の不調があるので、そのへんの 失礼は、勘弁ください。 どくどく、と流れる血という面白い描き方をされています。 >わたしが見える場所は >エンディングになければ、はじまりにもなく、 >ましてや、 >夜のショーウィンドウは、孤独だった ここは、ぜひ、具体的な光景を描くといいと思います。夜のショーウィンドウの向こうにあったものとか。狐のはく製、何かだったら 面白いと思います。 あと、血の流れを、流出していく血液の処理法まで書くと、おさまりがいいかな、と思います。スティーブンキングだったら、 「側溝の中へ流れていった」なんて書くでしょう。 あと、やっぱり、萩原朔太郎の伝説の「竹」なみの作品になると、素晴らしいと思います。 引用初め-------------------------- 光る地面に竹が生え、 青竹が生え、 地下には竹の根が生え、 --------------------------引用終わり
0リズムがよく、またしりとりかのように次へ次へつながっていくのが心地よい作品でした。少し変化があって、躓かせるところをわざと作っても面白いのではないかと感じました。
0黒髪さん ご助言いただきありがとうございます。 ただ、ショーウインドウの中身も流出していく血液の流れも、無責任を承知で言えば、皆様にお委ねしたいと思います。 強いて言うならば、街が血管であって、そこを歩く人そのものが血であるような。 僕は朔太郎でないので、「竹」なみの作品をつくることはできないですが、「竹」のどのような部分が必要なのでしょうか。 葛西佑也さん コメントいただきありがとうございます。 僕は詩に対してストーリーが伴うことを全くもって否定していないのですが、この作品に限って言えば、内容的にも形式的にも躓かせてはいけないような気もしていて、無意識的に歩くように。あと、同じ道でも躓くか躓かないかは歩く人次第だと思います。
0なかたつさん そうですね、引用が短すぎて意図が不明になってしまったかもしれません。 引用開始-------------------------------------------- 光る地面に竹が生え、 青竹が生え、 地下には竹の根が生え、 根がしだいにほそらみ、 根の先より繊毛が生え、 かすかにけぶる繊毛が生え、 かすかにふるえ。 かたき地面に竹が生え、 地上にするどく竹が生え、 まつしぐらに竹が生え、 凍れる節節りんりんと、 青空のもとに竹が生え、 竹、竹、竹が生え。 ------------------------引用終わり 「血」と「竹」、「どくどく」の繰り返し、などが似ていると思いました。 街が血管であるということは、考えませんでした。歩く人が血なんですね。 明確な批評をできず、何度も申し訳ありません。
0血と街が繋がった所で街中を巡る水路のイメージが重なり合い、街がまるで人間みたいに思えてくる、所で、その上を歩き出す肉刺のイメージから出血のイメージ、水路から漏れ出した水、みたいなイメージ。みたいに、どんどん言葉に色々な物が重なりあっていく、それは形を似せていたり、語を置くポイントを調整していたりで、そういう意味でちょい狙っている感じはあるのですけれども、その狙いが上手く体内に取り込めると面白くなってくる。上手くこの詩に組み込まれたリズム通りにイメージを楽しんでいくと、 >わたしが見える場所は >エンディングになければ、はじまりにもなく、 >ましてや、 >夜のショーウィンドウは、孤独だった こういう所が凄く面白く読めるのかなと思いました。「夜のショーウィンドウは、孤独だった」というオチに向かっていく。それまでに沢山蒔いてきた種がここに上手く吹き出しているような感じがします。と思う一方で、なんとなく足を引っ張っているフレーズもあるのかなと思ってしまったりするのも事実です。 >生まれていく >そして、 >死んでいく 一連でピンとこなかったのはここです。 >(鏡に付き物のパラドックス、常に抱えた孤独という命題) ここは一連の最後と呼応しているのがわかりますし、これがないと例えばショーウィンドウのガラスに反射する自分と、その向こう側の服を着たマネキンみたいな物、みたいな感じから出てくる孤独みたいな物が浮き出てこないのかなぁとおもったりするのですが、ある種説明ではあるし、僕は自分でこういうことを言っててわがままだなぁと思いつつも。つまらなさというか惜しい感じがめちゃくちゃしました。丁寧な作りだとはおもうのですが、一連の最後のフレーズが必殺すぎて前段が蛇足に感じたという事でしょうか。 二連目の医者の声から始まる所の印象的です。ただの声じゃない所に、こういうと語弊がある事は覚悟してオリジナリティというかいい意味で表現のひねくれを感じました。血や生や死、声、みたいな結構扱うのが大変な語を纏め上げた手腕みたいな物を感じる詩だなあとおもいました。
0黒髪さん 実はちょいと昔ですが、朔太郎研究をやっておりました…。 処女詩集『月に吠える』に収録されたこの作品は無論代表作で、伝説的な作品ではありますが、そのよさを語るのはなかなか難しいです。 ありふれた批評で言えば、文語定型詩→口語自由詩に移り変わる中で、竹の生命力をその自由詩の語感(音の連鎖)によって言い表しているのが当時斬新だったのでしょう。 (余談で、読んだこともないのにこんなことを言ってはいけないですが、口語自由詩の先駆=朔太郎と言われますが、川路柳虹の方が時代的に先だったのに、あまり注目されないのは、形式的な問題だけではなく、朔太郎の詩に人を引き付けるものがあったからでしょう) これだけ「生え」とくどいぐらいに繰り返されると、確かにあの鬱蒼とした竹林のイメージ、止まった時間=点的な時間ではなく、成長していく変化=線的な時間を想わされます。 あと、朔太郎は一つの事物に対しての執念が人一倍強いように思えます。この竹に対する執念。それはまるでぬめっとした執念であって、僕の作品は逆にからっとしたものであり、また、事物が交差している点が朔太郎の竹と異なっているのだろうと思います。 街が血管で、歩く人が血というのは、書いている時には思ってもおらず、今読者となって読み返した時に思いついた後付けです、申し訳ありません。
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