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ハンガー(ーー「主」・「客」をこえて)
ハンガー(ーー「主」・「客」をこえて) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 888.3
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 15
作成日時 2024-04-28
コメント日時 2024-05-04
項目 | 全期間(2024/12/26現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 5 | 5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 5 | 5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 15 | 15 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 5 | 5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 5 | 5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 5 | 5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 15 | 15 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ハンガーとわたしの関係がわからなくなる時、無心に揺れているだけになる。おもしろいですね。ただ因果無人の意味が(調べてみたけど)飲み込めないな。このタイトルの「ーー「主」・「客」をこえて」の部分だが、哲学的な文法的な、書き手が伝えたい意図みたいなものを。タイトルとして()ではなくがっつりと置いてしまったほうがなんだろうと覗けるかな。ハンガーであることは詩の内容を見ればわかるのだからそちらがいらないかなと思った。
2こんにちは。素敵な作品だと思いますので、一票入れます!こういう感覚になるときあります。一瞬で人間に戻りますけど。わたしはA・O・Iさんとは逆に、( )内がある必要あるかな?と考えてしまいました。主客が曖昧になって、最後は「主語」を欠いた「何か」が揺れて、「揺れる」が揺れているに至る。主客を超えているのは >そのうち わたしが ハンガーか ハンガーが わたしか まるで 分からなくなりました そして あとは 「主語」を欠いた「何か」が で書かれているので、題にまで書かなくても分かるかも……と個人的には思います。わたしとハンガーの境界が曖昧になるから、題のハンガーは、わたしという意味も含んでいて、とてもいいと思います。因果無人は、人間が人間に生まれる因果はあるが、人間という実体はないという、まさにこの作品で書かれている人間という名前の存在が、主客が曖昧になって、見つめていたハンガーになってしまって、しかしそのハンガーさえも「揺れる」になってしまうという瞬間にふと気づかされる、人間に実体がないという本質のことかな?と。観念的ですが、いい詩だと思いました。見当違いならすみません。
1最初わたしもね、このタイトルの()いらないかなと思ったんです、んでもそうすると直球になっちゃうし、んで因果無人でも良いかなと思うぐらいでした。あとは詩の見た目として雰囲気としてこの因果無人が有効に働いてるのかということを思いました、それで飲み込めないと書いたのもあります。どちらにせよ、意図的ものが書き手の主張として出ちゃってる、そこは控えてもじゅうぶん詩としての強度はあると思いました
2>あとは詩の見た目として雰囲気としてこの因果無人が有効に働いてるのかということを思いました、 たしかにそうかも!と思いました。なるほど〜。私は視覚的要素やそこに置く必然性まで頭がなかなか回らなくて、そこをいつもA・O・Iさんから頂くコメントで勉強させてもらっているんですが、今回客観的に自作以外で見られてちょっと解像度上がったかもしれません。ありがとうございます。 浅川さん、コメント欄に個人的な書き込み失礼しました!
1「ただ「揺れる」が揺れているのです」はいいですね。 ハンガーか「わたし」かわからないけれど、とにかく揺れてるものに視点が移って、そうなったらもう「わたし」なのか「ハンガー」なのかも関係なくなりますね。みんな「わたし」は「わたし」という強い直感を持っているのですけれど、そこは実は案外脆いものですね。
1「ただ「揺れる」が 揺れているのです」 この最後のフレーズが単なる悟りの境地とは違うと思いました。「揺れる」が揺れていると言うのは何を意味して居るのかとふと立ち止まりました。
1親鸞的ポエジーが発露しています。
0主張が強いのは本文のカッコもですね。いらないと思います。で、たいとるに〝「主」・「客」〟とのせるぐらいでいいかな。それでなんだろうと引き込む。それで充分締まる。詩は答えを導くためのクイズではないので、気付いた人が面白いなと思える程度でよい。作者の思うコレ大事とかコレ読み取れみたいな意識は本文には必要ないですね。うまいなとおもうので惜しい。というのがわたしの勝手な見解でした。ぜひ作者さんの意見が聞きたいけどなあ
1「普通に」批評的な思考を働かせれば、通常、紋切り型を多用するのは、他者とのコミュニケーションを引き出すことを目的とした種類の作品である(可能性がある)、ということですよね。本人にしか分からない部分がありますが、意図によってはむしろ「」は必要ということも、ぜんぜんありうるということです。そのような作品のまさにコアの部分をもっと深堀できれば、より議論が深まると思ったな。 >そして あとは >「主語」を欠いた「何か」が >風を受けて >無心に 揺れています >因果無人ーー >ただ「揺れる」が 揺れているのです >そして あとは >主語を欠いた何かが >風を受けて >無心に 揺れています >因果無人ーー >ただ揺れるが 揺れているのです 仰るような”締まる”、というような効果はなく、紋切り型を陳列しているだけの寒々しい印象を持ちますね... >ぜひ作者さんの意見が聞きたいけどなあ 自作についてペラペラ解説的に喋る必要なんてゼロでしょ。
1それをどう思うかは作者が決めることだよね
0そう思います。作者がどう思うか自由、批評も自由ですから。いろいろな意見があって構わないですね。
0むろん、へんなこといっている人には「へんなこといってるね?」と指摘する自由もある。言論の自由。
0ぜんもんどーにこーゆーのありましたね
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