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中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様
中宮寺 弥勒菩薩あるいは如意輪観音 様 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2029.4
お気に入り数: 0
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2022-07-01
コメント日時 2022-07-18
項目 | 全期間(2025/04/06現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
どなたの作品だったかタイトルはなんだったのか忘れてしまいましたが何年も前に現代詩フォーラムにて友だちに後光が差してるみたいな作品があったのを思い出しました。帰宅した際に鍵穴が見えずらいからちょっと後光貸してという感じの作品だった気がします。とりあえずは先祖みんなを内包したようなあなたの姿、この言葉もなんだか忘れづらい言葉になりそうです。
1落ち着く詩ですね。 宗教に支配されていた時代にまで後退すれば、それはそれでまた大変そうですが。 それにしても世界はこの袋小路をいつ抜けられるのでしょう。
1私にとって過分なお言葉ありがとうございます。 詩と呼んでいただけるのかも難しい文章ですが嬉しいです。 個人的に宗教いわゆる神秘主義や合理主義などは、タカ派とハト派と同じく振り子のように行ったり来たりしながら、らせん状に高次に移っていくような印象を持っています。 時間が経てば必ず「次元が高くなるわけではない」というのがまたつらい所ですが、そうは思わないと人間もたまったもんではないという笑うしかない状態とでも言うのでしょうか。 色々なことを身に着けて世の禍福を軽やかに乗り越えたいなあといつも思います。
0コメントいただきありがとうございます。 いわゆる「日本人」は種々の信仰を先祖につなげているのではないかなあというのが私の持論です。 なんとなくマリア様もお母さん、神様もお父さん、おじいちゃんと同じ天国に行けなければ嫌だなあというような。 そう考えたり説明すると諸々スッキリする気がするから不思議です。 中宮寺の弥勒菩薩が安置されている本堂は3面が外に向かって開いており、初めて見た時に何故か後の壁の存在もそれ以外の事物も全て消し飛んで、広い野原が見えた気がしたのです。
0あなたのその姿を見に 私はいつかあなたのいる町に伺おうと思います あなたのいらっしゃるあの場所こそが好きなのです ぼくもその場所に行ってみたい。
1ありがとうございます。 奈良の斑鳩。 別にそこに行かなくてもいいと思うのです。 でもそこに行かなくてはならないのです。 建物は1968年の現代建築。 本尊はかつて打ち捨てられかけていたそうです。 そんなことを思いながら目にした途端の衝撃が今も忘れられません。
0今、伊勢に一人でいるんですけど気持ち良いですよ。綺麗な詩ですね。
1ここで言いたいのは、文章を得る時、ノリがまおしてしまうが、 あ〜お。 まで五字書くのに、私はノート半ページくらい何かを書いている。 こんな文章が書けたら良いですね。こう続いて純粋な心について語れる女の人がいたんですが、 要は、あれが嫌、これが嫌、段差がある。だから対峙するのをやめる。 「要は、気の持ちようで何だってなれるの。」 自分が何かしていて自分が足りないものを持った人に抜かれる気持ちなんて、何度でも感じて良いものなのですよ。
1コメントありがとうございます。 何と言うのでしょうね。 誰か精神的にでも傍にいてくれる人がいればそれが幻想でも一時、人は救われるのかも知れません。 早い話が誰かに好かれていると勘違いできれば、まあ悩みなんかどうでもよくなるのですよね。 言葉の流れ、結構大事にしておるという自負があったりいたします。 しかし、みなさんきっとそうして書かれている。 ということは私にとって心地いい流れが、心地よくないという人もいるのだろうなと。 面白い。 そして伊勢はよい。 初夏に車で海岸線をぐるっとまわった記憶があります。 気持ちよかったなあと。
0もう一度コメント失礼します。 縄文時代の方が、 同じ傷をもつのだよ。と教えて頂きました。 私たちは多い人の中、 相手の仕草の形を見分けて、心を開いている感じだ。つまり私は、心を開きたい。 やっぱり納得なんかいかないのです。 とても好きな人がいて、それがどんな好きの形か、あなたは凡そ検討が付いているのでしょうか。 もちもちの傷なのです。
1>辻説法みたいに世の仕組みに関する寝言をのたまって >語彙力が足りずに周囲を辟易させています ここ良いですね。何の告白やねん!と思わず突っ込みたくなる。 世の中には仏像といわず、ペットやフィギュアにまで語りかけちゃう人達なんかもいますが、彼らも合理主義の限界にきてるんでしょうか。 手首落としても、千手観音だったら腕の一本ぐらいもらえたかもですね。笑
1手紙と言う体裁、清新だと思いました。「あなた」とはだれなのか、そんな謎もこの詩を緊迫感有るものにしているのかもしれません。
1室町さんのコメントはいつも面白いです。 何か自分自身や世の中と対峙して、これが真実なのだというものを確立しようと、ただ毅然としてそこにありたいと、そうされていらっしゃる様子を想像しています。 いわゆる「作家さん」の評価が世相によって、世代によって大きく変わるように時代や宗教もその把握のされ方は変わるわけです。 確かに火の鳥に出てくる盧舎那仏が悲しそうに、ある種邪悪に書かれました。 私はそれでもあの廬舎那仏が案外嫌いではありません。 茜丸さんが個人的に女性を掘った場面や我王の作が表現された場面にももちろん震えました。 権力者の我欲によって建立されたものであっても、それを見る人が何をどう感じるかは誰にも規定はできないのだろうなと思います。 京都の平等院鳳凰堂に入った際にかなりなひなび方に、「日本一の権力者が『天国』を志して作ったものがこれでは案外この世で幸せになろうとしてもそんなものというか、切りがないというか限界があるなあ。」などと勝手に思いましたし、そうした意味での切なさが込められていて私は案外好きです。 東北の方でお化けのことを「ゴンゴジ」と言ったりしますがこれはきっと「元興寺」から来ているのではないかなと思っています。 室町さんが書かれたように大衆を離れた何か知らないけれど恐ろしいものとして、そうしたものがお化けも含めて「がんごうじ」と呼ばれ、「ゴンゴジ」に変化したのではないかなあと。 私は親鸞さん嫌いじゃあないです。むしろ好きです。 法然さんもいい。思想的にはカトリック的なキリスト教に依存しています。 偶像崇拝するなとあれほど皆が言っているのにこぞって仏像を欲しがる人間も、自分も愚かでかわいいなあと思う。 中宮寺の半跏思唯像について考えていたら、どうしても小さなレプリカが欲しくなってインターネットを彷徨った結果、我が家に届いたのはみうらじゅんさんのベアブリックとテングーという天狗の顔をしたピングーに似たペンギンのソフトビニール人形でした。 私は潜水艦も好きです。 あんなもの戦いが無くては生み出されるはずがないもので、その愚かな姿をたまらなく愛おしく思います。 人は沼です。 時に狂います。 まあ、それでも生きざるをえない。 だからこそいいのではないでしょうか。
0書かれていることを少し真剣に考えてみています。 縄文時代の方が同じ傷を持つ というのはコミュニケーションを取る相手が同じ共同体にいるから互いの前提条件が近い ということでしょうか。 心を開きたい というのは分かってもらえる人が欲しいということ 生の前提条件が大きく異なる中で分かり合えることなど少ないよ そういうことでしょうか。 まあできれば好きな方とは球体になりたいです。 ベターハーフなんて幻想で、ダイバーシティなんて世迷言。 自分が全く及びもつかない人とどうしても一緒にいたい。 そんなこともあるでしょう。 ただ、人に優しくありたいなあと思います。 ちょっと反省。
0いや~、手首は落とせないですよ。 あくまで追い込まれた自分や周囲の人に対して、私追い込まれてるから許してねという気持ちの表出です。 実際、やろうと思った瞬間に血の気が引いていきます。 立ち上がってしまったらそれはそれで怖いです。 私としては「●●主義」は「皆でこれを信じて幸せになろう」という時代ごとの思考の枠組みだという認識です。 古代哲学、神秘主義、合理主義ときてまあ近代合理主義は限界に来ているのじゃあないかなと勝手に思っています。 個人は幸せだと思っていてもその幸せに皆が共感するかどうか、そうでなくてはその人からは幸せに見えても周囲からはそうは見えない。 いや、周囲なんかよくはないけれど、どうでもいいだろうと。 結局、認識なんかは空だよと。 まあ皆さん多かれ少なかれ迷っているなあと思います。 そういう時に人間の愚かさと願いの集大成みたいな事物を見るのは、結構考えさせられるものがあって私は好きです。
0過分なコメント恐縮です。 手紙は少し作為的にやってしまったかも知れません。 でもこうした方が何を言っているかが少しは分かりやすくなるかなと思いました。 仰る通り「あなた」にはいろいろなものを仮託してしまっているなあと思いました。 あらゆる意味での想い人ですかね。 きっと。
0難しいですね。 悲しいですね。 私は遠藤周作さんが好きで大学時代かなり読みました。 彼が入院し、痛くて堪らず看護師にそれを訴えたら「先日、〇〇先生が入院されましたが、あなたより酷い病状で一言も痛いとは言わず黙って耐えていらっしゃいましたよ。」と言われ、「〇〇がどうしていたかなんて知るか。痛いものは痛いんだ。」と思ったか、言ったかというエピソードが大好きです。 私は亀井さんというかたの著作を寡聞にして存じませんが、そうした気持ちを奥様が抱いていなかったとも言えません。 日本における初期キリスト教信仰は許しの象徴とも言えるマリア信仰に偏っていたのではないかというのも遠藤周作さんの見解です。 あながち嫌いではありません。
0やくざな感性と超越性への願望 良い言葉ですね。 参考にさせていただきます。
0癒やされるため、歌いながらコメントしますな。 何か精神剥離していていつの間にかそう述べてしまったんですが、例えば自分の祖の方が感性が洗練されている様な感動と、声をひとくくりに書きました。前提条件は全く別で、このことによる納得の出来なさと、 とにかくそういう意味ではないです。 球体とはどのようなものなんですか?朱色をばら撒いてドットマーク弾かせるテントウ虫が、ありゃ、球は、形が先の人のものなのかな。 球かぁ。呪いを行う玉だとしたら、なぜどうしてそんな才能がその我を越えないと自我って言えないのですよ。 あるからって許し間違えてしまう物のひとつ。 ハヤブサ2のように、聞こえなんですが、美しい呪いを考える龍の、覆う、「今日ドロロが来てる、ズック靴をなんばでめちゃくちゃ正しい距離から放り投げ、帰った、の合図」今日ドロロ来てる。 赤は、性の喜びとして、そこの客観性を私は捨てて来たのでした。 自分が全く及びもつかない人とどうしても一緒にいたい。 そんなことは私に有りませんな。一緒にいたいって、人が一人一人でしか一緒って成り立たない。 私も、人に優しくありたいなあと思います。何かそんな公式あるなら教えて頂きたい。
0お答えできる範囲で。 球体は限りなく球体です。 直径43mm、誤差1/1,000mmという類の外観。 質感としてはゾル状のものがいいでしょう。 きっと。
0こんにちは。 以前、うちの妹が舞妓になりたいと言い出しまして、まあかなり合理的な母が突如 当たると有名な占い師に一応、見ていただいてからですね、その 妹の夢というか舞妓になるという進路を決定することがありました。 さて、本作ですが、まあ合理的でもそこに限界を感じたので 宗教というか仏像に行ってみよう、というのも似たもんで その発想自体、合理からの外れ方も別段、飛躍にはならない まあ人間性というもんを持ち出せば、非常にそれは合理的な発想だと 私には思えるのですね。 仏像を観に行く、そこまではとおいかも知れないけれど 今、世は断捨離にはじまり、医療が仏教に急接近したりと 言っちゃえばみうらじゅんからはじまって仏像ブームはずっと続いているわけで 何か、詩的飛躍が、のぞめそうなタイトルにして、無かったかな、 と思います。
1何というんですかね。 皆様迷っていらっしゃるなあと。 心配なもんで自信満々に人をこき下ろしてみるのですけれど不安は消えないと。 そろそろ何か新しい幸せになる方法が出そうだなあと思いながらかれこれ15年近く経ちます。 何かいいことおまへんかとそんな気分です。
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