常識的に安定した殺人ウイルス - B-REVIEW
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花骸

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常識的に安定した殺人ウイルス    

爽やかを迎え、光粒子の波が「プラットフォームに飛び込もう」 そして、ベーコンエッグが「今日も生きるんだね」と責められた 事実は小説よりも奇がない歴=私達の映画は28日後、狭まる常識のペストを題材にしている マネキンと机と憧れよ、ブリキになる前になりそうです くるみ割り人形の頃、殻を奪われ成長し、 ポークソテーが「馬鹿だ」と鯵フライが「騙せた」とキャベツの千切りが「こっちに来るかい」と お腹いっぱいになったよ数学的絶望、いつか流れ星で独裁者 楽して、殺して、無視をして 世紀末のテーマパークにクワガタ、嚙み潰す それにもかかわらず、夕焼けのハンバーグ「明日もベーコンエッグに会えるといいね」 私の頭は奴のお花畑になりたい ーつまりーつまりーつまりー 朝起きて、死にたくなるほど 生きているって悲しいもんだ 反吐を吐いたサーカスとパノラマ 子供騙しに踊らない普通に 血液流して中指立ち上がる


常識的に安定した殺人ウイルス ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 8
P V 数 : 1085.4
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2017-03-01
コメント日時 2017-03-22
項目全期間(2025/04/06現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧00
音韻00
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閲覧指数:1085.4
2025/04/06 07時05分56秒現在
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    作品に書かれた推薦文

常識的に安定した殺人ウイルス コメントセクション

コメント数(8)
三浦果実
(2017-03-02)

作者:奏熊とととさんが持つ作風の幅広さ。それを今回の作品で開示された。 別の作品にも書かせていただいたが、先日のVer更新工事により、作者名をクリックいただければ、その作者の過去作の閲覧が簡単に出来る。是非、とととさんの過去作も、読者の方には読んでいただきたいと思う。 投稿一作目。私が選ぶ、奏熊ととと作品としては一推しである。そして、今作。 現代詩・ネット詩に触れられたことが無き一般読者は、前半部で頭を抱えてしまったかもしれない。「一般」と呼称される方々は、である。私は園子温監督作品の映画が大好きであり、タランティーノのえげつない血みどろ映画を観ながら興奮して勃起するタイプなので(失礼)、今作『常識的に安定した殺人ウイルス』の前半部はとても、たまらなくてワクワクした。 では、一般読者以外の所謂、現代詩玄人達はどう感じるだろう?私はワクワクはしないのではないかと思う。なぜならば、「メタ読み」されることに、当作品は、「前半部と後半部を対象化し、読者へメタファーを開示する」という意図が判りやすいのである。しかし、それは、逆に言えば、一般読者も、後半部まで読めば、納得いただけると思う。それこそが、『―つまり―つまりーつまり―』なのだ。 解説者である私の、次作への期待を云えば、次がエロティックな作品であれば、もしかしたら一読して気絶するかもしれない。

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もとこ
(2017-03-02)

私が「殺人ウイルス」という言葉から連想するものといえば映画「アウトブレイク」や清水玲子の「秘密」、それに「ブギーポップ」のシリーズに登場するキトあたりでしょうか。殺人ウイルスが常識的に安定した時、それは世界の終わりを意味します。 それぞれの単語や文節の連なりを拒絶する文章は、一歩間違えば赤塚不二夫のマンガに出てくる頭のおかしいキャラクターの発言に等しくなり、それはそれでゲージツ的ではあります。ベーコンエッグにポークソテーに鰺フライにキャベツの千切りにハンバーグ。そして再びのベーコンエッグ。筆者はベーコンエッグ大好きなんだね。そしてテーマパークにクワガタと、この解読を拒絶する詩の中には幼い子どもの影が見え隠れします。それはサーカスとパノラマという言葉によって証明され、やがて生きることが悲しいと知った子どもは血を流しながら世界に中指を立てるのでありましょう。とまあこんな感じで自分勝手に読んだけど、こういう解釈があってもええじゃないかええじゃないかよいよいよいよい。

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奏熊ととと@所詮詩書き
(2017-03-03)

コメントありがとうございます。 内容の確認から返信まで少々お待ちください。 しかし、一筆、今回私が書いていて気に入ったフレーズは {ポークソテーが「馬鹿だ」と鯵フライが「騙せた」とキャベツの千切りが「こっちに来るかい」と} の部分です これは ポークソテー=豚=家畜 鯵フライ=魚=海に住む 千切りキャベツ=野菜=植物 ということで それぞれの鍵かっこ「」 馬鹿だ=君たちが社会の家畜になってどうする 騙せた=地上にいなければこういうことにならなかったのに こっちに来るかい=植物みたいに日を浴びて栄養をとる存在になれよ と、「」の役割は料理が話しかけています。 が、実際は話しているのではなく「」はそう料理が言っているように私が感じたという意味になります 今回の作品は私が昔、小説で「チーズサンドを見た」という地の文のところから始まりました 事実と情報が味気がないと感じた私は「チーズサンドがこちらを見ていた」という部分に変更したことが原因です このようにモノが喋ったり、見たり、聞いたりするのはおかしいと思いますが、個人的な私の反論としては蝶がヒラヒラと舞っているというのもおかしいことになると思いました。だって、ヒラヒラに舞うことができるのは蝶の方なので蝶はヒラヒラと舞っていないかもしれない それを今回は逆手にとり、私が感じたモノの感情や動作を詩で表現しました アブノーマルな発想ですが、是非そのような私のくだらないに付き合ってください

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百均
(2017-03-05)

この作品は感覚がむき出しになっていて面白いですね。凄くぶっ飛んでて面白いパーツが転がっているし、 >ポークソテーが「馬鹿だ」と鯵フライが「騙せた」とキャベツの千切りが「こっちに来るかい」と こういう表現がいい。テンポが良くてちょっとした群像劇を魅せられてるみたいだし、そのカメラを向ける速度も程よい。ただ、その分情報量がもっと欲しい。色々と飛び火していく展開は心地いいのですが、その内実を読み取ろうとするとせっかくいいテンポで詩が流れているのに、一々立ち止まって読み込まないといけないという所で、雑味を多く感じます。  この詩は多分一見ナンセンスだけど、明確なメッセージや伝えたい発見みたいな物が多く詰まっている。だから文章の順接がこじれたりとかもしているんだろうと思うんですが、そういう意味で今一芸に欠ける。もっと作品が整っていったらよりユーモアに溢れたいい詩になる萌芽がある作品だなと思いました。

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奏熊ととと@所詮詩書き
(2017-03-13)

三浦果実さんへ ありがとうございます。今回の詩はコメントを反映してのことです。技巧が欲しいと感じたため、では、私の技巧とはどういうものなのか??その答えが今回の詩になります。 意外と難しかったのは、私の表現力を活かしてかつ、技巧を組み合わせるとなると、「」を使う手段でした。ですが、それでは面白くないと感じ今回のモノ(静止物)に命の息を吹き込んでやろうと思い。書きました。 もとこさんへ 今回の「常識的に安定した殺人ウイルス」とはこの世の中の「当たり前」や「常識」や「社会」と呼ばれる一定した世の中が安定し、そして、それが殺人ウイルスとなって人々を苦しめているという意味があります。 しかし、今回はそれを日常の一見として、さらに静止物にもお話させる。 「筆者はベーコンエッグ大好きなんだね」>はい、大好きです。また、ベーコンエッグな朝も大好きです。 百均さんへ 「この詩は多分一見ナンセンスだけど、明確なメッセージや伝えたい発見みたいな物が多く詰まっている。だから文章の順接がこじれたりとかもしているんだろうと思うんですが、そういう意味で今一芸に欠ける。もっと作品が整っていったらよりユーモアに溢れたいい詩になる萌芽がある作品だなと思いました。」 >そうなんです。昔、誰かに同じことを言われました。しかし、私が思うにその意見を鵜呑みにすればいいのか、悪いのか判断がつかず、いや、した方がいいのかもしれない。ですが、自分の詩がなくなってしまうようで、何でも受け答えをすればよいってもんじゃない自分がいて。。。。。 考えた結果、意見を受け入れることにしました。そして、今月まだもう一作を推敲中ですので、その双方と比べてどちらが良いのか見ていただこうと思います。 批評と感想ありがとうございます。

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なかたつ
(2017-03-13)

 実際に多く食べられているかは置いといて、ベーコンエッグは朝食の象徴として用いられているのでしょう。ただ、この詩においてテーマとなっているのは「朝」と「生」であり、直接的には語られていませんが、ベーコンエッグが「今日も生きるんだね」と責められながらも、ベーコンエッグ自体はそれこそ朝の象徴でありつつも、死の象徴でもあります。卵と肉は、それこそ生命の死そのものです。それも有機物の死。食べるということは、何かの死を抱いて生を続けるということ。逆に、反吐を吐くということは、何かの死を一度は抱きながらも、それを拒むということ。つまり、無理やりではありますが、死に近づくことだとも言え、同時に、生きることでもある。  マネキンもブリキもくるみ割り人形も、何かを食べずとも存在できるものたち。彼らがいつまでたっても生きることができないのは、食べるということを知らないから。タイトルや本題から逸れている気もしますが、そんなことを考えてみました。

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奏熊ととと@所詮詩書き
(2017-03-22)

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奏熊ととと@所詮詩書き
(2017-03-22)

すみません。コメントミスをしました。 なかたつさんへ ーーーーーーーーーー {実際に多く食べられているかは置いといて、ベーコンエッグは朝食の象徴として用いられているのでしょう。ただ、この詩においてテーマとなっているのは「朝」と「生」であり、直接的には語られていませんが、ベーコンエッグが「今日も生きるんだね」と責められながらも、ベーコンエッグ自体はそれこそ朝の象徴でありつつも、死の象徴でもあります。卵と肉は、それこそ生命の死そのものです。それも有機物の死。食べるということは、何かの死を抱いて生を続けるということ。逆に、反吐を吐くということは、何かの死を一度は抱きながらも、それを拒むということ。つまり、無理やりではありますが、死に近づくことだとも言え、同時に、生きることでもある。  マネキンもブリキもくるみ割り人形も、何かを食べずとも存在できるものたち。彼らがいつまでたっても生きることができないのは、食べるということを知らないから。タイトルや本題から逸れている気もしますが、そんなことを考えてみました。} この題目ではベーコンエッグや食べ物で日常の朝、昼、夜を表現し、マネキンやブリキ、くるみ割り人形で人間を表現しています。 しかし、貴殿の解釈もあり、逆に私は感銘を受けました。ベーコンエッグというのも自分では「朝食べるモノ」としか認識がなかったため、改めて認識してみようと思います。 最近、「生」と「食べ物」は密接な関係だとドラマで知り、深く探求してみようかなと思います。

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