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これは詩だ
加藤万結子として最近生まれた 出生名でもなく、婚姻後のファミリーネームでもなく 加藤万結子として生まれた 物書き、詩人、歌人の加藤万結子 自分自身が名づけた自分である 歌人である加藤治郎によれば 歌人は職業ではない、概念だという 実際に文筆だけでメシを食っている人以外も 歌人にも詩人にもなれるんだ それは実に力強い言葉ではないだろうか 雑多な小文を投稿しているときに 主婦のお遊びなんて辛辣なことを書かれたことがある 結社にも俗さず年齢的に遅いと ほっといてくれ 煮物を煮ながら本を読むわたし 洗濯をする間に文を編むわたし 自転車で大根と切手を買いに行くわたし 静かな夜に詩を書くわたし それはわたしが物書きだからだ 物書きには国家資格も学歴も必要ない 当然、免許もいらない 年齢制限もないし体重制限もない 容姿や振る舞いなどなど面接もない 自分で今日から名乗ることができる わたしは加藤万結子として第二の人生を歩む 母でも妻でも嫁でもそれは一瞬置いておく 書いている時は加藤万結子なのだ スマホからパソコンから万年筆から 加藤万結子は放たれていく はじめまして どうかよろしく
これは詩だ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1859.7
お気に入り数: 2
投票数 : 2
ポイント数 : 27
作成日時 2021-12-09
コメント日時 2021-12-15
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 13 | 13 |
エンタメ | 6 | 6 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 2 | 2 |
構成 | 6 | 6 |
総合ポイント | 27 | 27 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 6.5 | 6.5 |
エンタメ | 3 | 3 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 3 | 3 |
総合 | 13.5 | 13.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは。はじめまして。詩を読ませていただきました。以下は感想です。 >煮物を煮ながら本を読むわたし >洗濯をする間に文を編むわたし >自転車で大根と切手を買いに行くわたし >静かな夜に詩を書くわたし >それはわたしが物書きだからだ 昔、詩は椅子に座り、ペンを握って考えることでは無く、むしろそこから立ち上がり、生活の中で見出していく、生活そのものが作品を作ることなんだよ、と教えられたことがあります。 最近になってきて、物分かりの悪いわたしですが、そのことがようやくわかってきたと思います。朧げにですが。分かるようになったきっかけというのは、特段ないのですが、何かトリガーがあったのでしょうか。 この作品は上記のことを改めて考えさせてくれる作品でした。ありがとうございました。また、投稿楽しみにしてますね。
2うろたん様 ありがとうございます。 あなたは甘い(主婦のお遊び)ということがわたしの胸に棘のように刺さっていました。 一時は筆を折ることまで考えました。 しかし、認められるためだけに詩や歌を書いているのではなく、いつしかわたしなりの自己表現の手法として詩や歌の様式をかり、リビドーのように突き動かされて買いていることに気付きました。 ネット投稿というのもわたしに合っていたのかも知れません。 万年筆は息子からのプレゼント。安価なものですが、彼もまた高校生歌人でわたしより先を走っています。 いつもはげまされています。 コメントありがとうございます。
0ストロング&シンプルなメッセージです。とても素敵です。私の脳に加藤万結子さんの名、刻印されました。
1長谷川哲士様 ありがとうございます。 わたし、あまり技巧的でないシンプルなタイプかも知れませんね。
1タイトル通りと思いました。加藤の姓は歌人の方から取られたお名前でしょうか。並でない意思が感じられます 。
1湯煙様 ありがとうございます。 姓は内緒ですが…旧姓です! 結婚後の姓はオット実家付近に多い姓で、わりと珍しめな姓(シャチハタだと発注する程度に少ない)なので、もともと創作では旧姓を使用していました。 今、住んでいる名古屋は「日本一加藤姓が多い自治体」らしいので擬態しています。 意地で書いていたのを意思に変えたいわたしです。
1結社にも俗さずの所が意図的なミスなのかが興味深く思いました。「属さず」との比較で。あと、矢張り「これは詩だ」と言うタイトルは、この詩を読んだ印象と言う事では、宣言文と勘違いされてしまうと言う危惧から、そのようなタイトルにしたのだろうかと思いました。
2エイクピアさま 俗さず…ただのミスです。意図しないミスです!ありがとうございます。 タイトルに込めた気持ちは 詩という定義が曖昧なものに対して「これは作者(つまりわたし)が詩だと言っているんだから詩なんだよ」という割とエゴイスティックな意味です。 短歌も詩も「こんなの歌じゃない」「こんなの詩じゃない、散文だ」という批評…批判もありますよね。 もちろん正当な批評、評論はアリですが、そうじゃない場外乱闘的な批判もたまにネットで見つけます。 創作はもっと自由であっていい。自分がよければ(他人を意図的に傷つけなければ)いいじゃないか。 キャリアや組織に縛られるばかりじゃなくて自己流でもいいじゃないか、という解放とほんの少しのアンチテーゼです。 あれ、こんなに解説したら詩じゃないかしら?いや、これは詩だ…
0主張としてもっともなのだけれど、詩としてはやはり欠落している。それは詩情であり、概念だ。自己紹介ならだれにもできる。
2中田満歩さま コメントありがとうございます。 そうかもしれませんね。でもわたしはあえてこれを詩と定義してみました。 詩とは自由ではないか、と。
1読みながら、あ、詩人だ、と思いました。 どう詩人と思ったか、というと 言葉と詩がとても密接しているというのか、 端的にいうと、吐く言葉がすなわち詩になる人だ、と思ったんです。 たとえば、野球でいうと、 “野球選手”と”野球人”って違うと思うんです。 野球選手は職業であったり部活動に所属している人をさしますが、 野球人はやっぱり生き様だと思うんです。 朝なにを食べるかとか、どうして本を読むかとか、なぜ道具を大切にするかとか、 そういう行動のひとつひとつが野球を中心に構築されている人は 野球人だと感じます。いまだと大谷選手がまさにそうですね。 それを本作の下記の連から同じようなことを感じました。 >煮物を煮ながら本を読むわたし >洗濯をする間に文を編むわたし >自転車で大根と切手を買いに行くわたし >静かな夜に詩を書くわたし >それはわたしが物書きだからだ 行動のひとつひとつが物を書くことを中心に構築されていて、 生きていることと言葉がとても密接していることが、 この作品から感じ取ることができました。
1まささま ありがとうございます。 わたしは技巧的ではないのですが、それを持ち味に自分の言葉で語っていこう、そんな気持ちで今はおります。 表現者として生きていきたいです。 嬉しいお言葉に励まされました。
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