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アトピーと冬の雨上がり
アトピーと冬の雨上がり ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2163.0
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 8
作成日時 2021-12-03
コメント日時 2021-12-10
項目 | 全期間(2025/04/06現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 4 | 4 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 8 | 8 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1.5 | 1.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 0.5 | 0.5 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 4 | 4 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
コメントありがとうございます(軽い気持ちでコメントされたのであれば、無視して下さって構いません。以下、真剣な手直しの意味での指摘をされた場合を想定して、コメント致します)。 沙一さんのような感想は、このビーレビューでも度々コメントされてきました。「もう一捻りほしい」、「踏み込んだ何かが欲しい」など。そもそも、この詩は僕が実際に見た風景に少し僕の想像を足して作られたもので、元から掘り下げるものもないですし、僕はそのような詩を作ることが多いです。なので、確かに他の素敵な作品に比べれば、僕の詩はあまり深いテーマがありません(深いテーマを題材にした詩も作ってはいますが、僕にはとても難しくてなかなか完成に至りません)。 ですが、それがなぜ悪いのでしょうか。何度も言われる度に思うのですが、それは貴方が個人的に読みたいもので、その詩の内容の考察をあまりしていないのではないかと思ってしまうのです。実際僕がこのような詩を作るとき、テーマというより一つ一つの表現にとても重点を置いて、悩みに悩んで完成させます。なので、工夫もしているし、一捻りも二捻りもしているつもりです。この詩でいうと例えば、風に擬人法を使ったり、「包む」から「包まる」と登場人物の気持ちに伴って表現を変えたり、独白の途中に首を振る動作を加えたりなどなど。 もし、考察をした上で、足りないというのであれば話は別です。上記の表現やその他を使ってもなお、文章がよわいと感じたり、表現がふさわしくないと感じたり、あと僕のこのコメント全体に対する反論などあれば、是非返信を下さい。お互い、建設的に意見を交換したいです。
1コメントありがとうございます。少し熱くなって、根本的な解釈の違いがあることに気づかず、口走ってしまったこと、大変申し訳ございませんでした。 僕は、恥ずかしながら詩の定義なるものを深く考えたことがありません。人の感動や叙情が言葉で伝わるのであれば、それは詩であると、曖昧にしか思っていませんでした。正直、小説も短くしてしまえば詩と捉えられるのではと思う程にです。だから、僕がこの作品は詩でると思っても、沙一さんからはそもそも詩としてはよわいと思われたのですね。 ここからはただの興味で、聞き返す形になりますが、沙一さんにとって詩と作文、小説の違いって何でしょうか。それを知れば、沙一さんの指摘も納得できるかも知れませんし、今後の僕の作品の糧にもなり得ます。あと、答えづらかったら答えなくてもいいですが、沙一さんだったらどんな工夫をするか、具体的におしえてほしいです。 お手数でしたら、返信しなくても構いませんが、良ければよろしくお願いします。
1くるまっていたい。雨上がりの風が意味ありげです。やわらかい風。乾いた冷気とはまるで違うと言う主張。風には期待しない。自分で自分を褒めると聞けば、ホイットマンを思い出すのですが、あまり関係がないのかもしれません。グリスウォルドなどアンチも多いのですね、ホイットマンともなると。雨雲の遠ざかり。雨後の道路は松本圭二の詩を思い出すような感じも抱きました。
1うーん、詩って難しいですね。「他にできないことをする」って、抽象的すぎて、僕の感性ではピンと来ませんでした。恐らく、まだまだ僕が未熟だからでしょう。今後しばらくは詩の鑑賞に重点を置きたいと思います。 過去に同じようなコメントをしたひとたちも、沙一さんのような意見を持っていたのかも知れません。これまでサラッと流してしまっていましたが、今回掘り下げるように沙一さんに質問をして、モヤモヤが解けました。返信に時間を割いてくださり、本当にありがとうございました。
1コメントありがとうございます。詩人についてはあまり詳しくなくて、意識すらしていなかったのですが…詩人の面影を見れるような表現ができて光栄?です。
0"アトピー"やその辛さをわかってほしい、あるいは、解放されたと感じた瞬間の気持ち。どっちつかずの印象ですね。散文詩、物語詩と形式上はなるかと。時制に沿ってト書きのように並べられた詩文以上のものが感じられませんでした。
1コメントありがとうございます。ええと、皆さんが物足りないと思う、「詩文以上のもの」とか、「他にできないこと」というのが、よくわからないんですよね、かなり抽象的で。具体的な指摘をされれば改善できるのに、「臨機応変に対応して下さい」と言われているような感覚です。僕の感性がおかしいのでしょうか。
1つららさんの感性がおかしいわけでもありませんし、つらさもあることはわかります。ただこの作品は一瞬間感じ取った解放の感覚、喜びのようなものの説明文以上のものが感じられない、詩的表現としての工夫なりが読み取れないといったことかと。 おそらく作品はその一瞬間に受け取った感覚感情をめぐる、理屈では説明が難しいもののたしかにわたしは感じたのだと、そうしたこと綴られたものかと。ですのでその解放なり喜びなりをまるごとそのまま定着させる必要がある、そのための表現上の工夫なりが不足している、そうしたものとなるように思います。比喩などの修辞があるのはそのためかと。平易な詩文だから駄目ではなく、説明文以上のものが全体からは感じ取れない、詩情が立ち上ってこない、そうしたところとなるかと。 つららさんが詩の体裁を用いて伝えたい、書きたいものがあることがあるならその伝えたい感覚感情そのものをそのままに詩文に定着させる必要があるということですね。理屈ではそうなりますが。アトピーのつらさがあるようだとはわかるのですが、読み手はアトピーなるものを患う人だけではありませんし、また、アトピーの人も症状は様々と思いますから、症状や日常生活を送る上での大変さ、つらさや解放感などをめぐる感想のようなものでは詩としては弱い、そういう指摘がなされているよ うに思いますね。
1コメントありがとうございます。具体的に指摘されて、少しはっきりしました。 まずこの詩は、そもそも、読み手にアトピーの辛さをわかって欲しくて書いたわけでは微塵もありませんし、感想をただ書き連ねたつもりも微塵もありません。むしろ、詩的だと自分が思って使った表現の方が多いです。この錯誤は、僕の感性が人と違うか、あるいは僕の技術不足であるから生まれたものだと思いました。 例えば僕はこの詩を作る上で、雨上がりの風を彼女の気持ちに寄り添って理解してくれる妖精のようなものに見立てました。それは擬人法を使って表現し、少しでも読み手にも伝わるようにしたつもりです。そして、「顔を上げて〜」から、彼女が現実的に物事を考え、自分で克服した途端、役目を終えるように彼女から離れる、という小さなストーリーを考えました。 僕はこれを思い付いて、詩的でなかなか良い発想の展開だなと思ったのです。しかし、それは皆さんにとって詩的ではない、あるいは僕の表現の仕方が悪く伝わらなかった、という二つの可能性が考えられます。 もし前者だけなら仕方のないことですが、後者であればそれは改善できる余地があるので、湯煙さんに限らず、指摘してくださると助かります。
1アトピーをめぐる様々な事柄についてはつららさんがわかっていればそれでよいのだと思います。ですので作品としては後半以降はいらないかなと。やや冗長な印象が全体として詩情を削いでしまっている感じがあります。 五連を抜いて次の連で締めれば印象もまた違ってくるように思うのですが。
1自分もアトピーなので言葉に出来ない共感がありました。
1沙一さんが指摘されていますように、全体的に飛躍が足りない、つららさん自身の感動なり感覚が散漫になってしまった印象があり自分語りが強い作品といったことかなと。つららさん御自身がつららさん自身の周りを飛び回りレポートをしているように感じてしまうようです。たとえばですが、作品冒頭から妖精なら妖精が前髪を撫でて…などから一気に進めてしまう、そして風のようにさっと切り上げる。そうした表現も必要になるのかなと。
1自分語りというのは恐らく「思えば〜報酬もない」のところですかね。確かに、今思えば詩のテンポを崩している原因になっていますね。当時の僕は、風が寄り添う動機が読み手にわかりづらいかなと思って付け加えてしまいましたが、はたから見れば同情を誘うような、説明的で陳腐な表現になっていたのですね。気づきませんでした。ここを省くだけで、良くなるかも知れませんね。 こうやって具体的に指摘されると、凄くスッキリしました。湯煙さん、貴重なご意見、ありがとうございました。
1私は、単純に直感的にこの詩が好きです。そして私にとってこの作品は詩以外のものではありません。
1コメントありがとうございます。アトピーに限らず乾燥肌の人は、乾燥する季節に肌に気を使わなくちゃいけないですよね。僕は今手の甲がひび割れまくって大変です笑。
0コメントありがとうございます。好きと言ってもらえるだけで、かなり嬉しいです。精神衛生上とても助かりました。
1ここでのコメント欄でのやりにも出ていますが、 以前「まちのかげ」のコメントで「もう一歩踏み込んだなにかが欲しい」と書きましたが、 たしかに漠然としていたので、改めて頭を整理してコメントしたいと思いました。 もしここでのコメントを求めていなかったら、スルーしていただいてかまいません。 また「まちのかげ」のコメント欄がすでに閉じているので、こちらに書きますが、 もし問題でしたら注意やカードなどいただければと思います。 個人的な話ですが、二十年くらい前、詩を書き始めたころ、 私もよく風景を描写する詩を書いていました。 しかしだんだん、風景描写は詩を書くうえで、 書きたいテーマを表現するための手段であって、目的ではないんじゃないか、 と思うようになり、それ以降、風景描写を目的とする詩はあまり書かなくなりました。 「まちのかげ」でのコメントを書いたときは、 恐らくそのような自分の内的な経験が元になって、 「もう一歩踏み込んだなにかが欲しい」と思ったのだと思います。 そういう意味では、 「それは貴方が個人的に読みたいもので、その詩の内容の考察をあまりしていないのではないか」というのは、その通りだと思います。 できるだけ相手の目線や視野に立って詩を読めるようになれるといいんですが、 まだまだ力不足でした。
1コメントありがとうございます。僕は詩に限らず、あらゆる芸術的作品には一つ一つの表現全てに作者の意図や感情、伝えたいものがあるはずで、それを尊重すべきだと思っています。 例えば、「風が気持ちいい」と伝えたい詩と、「人生の価値」を伝えたい詩であれば、明らかに後者の方が深く掘り下げられますし、工夫の仕方も広がるはずです。しかし、それは詩の特徴の差であって、「風が気持ちいい」ことも立派な作者の伝えたいことですし、伝えたいものを基準に評価を落とすのはおかしいです。 しかし、作者の意図を考察して、読み手に伝わりづらいような、いい加減な表現の仕方があれば、評価を落とすに値します。 以上が、僕の個人的な意見です。僕は相当短気な性格で、何かが欲しいと抽象的に言われ続けてきた僕は、「具体的な表現に対する指摘をしないということは、僕の伝えたいことが足りないなどと思っているのか?」と思ってしまったのです。ですが、今回沙一さんとのやり取りで、そういうことではないと分かりましたし、まささんの場合も、経験による反射的な意見のようなので、少し見当違いだったようです。 今回、僕は風景と自分の発想を無理矢理両立させようとして失敗したので、ちょうどまささんの言う通り、風景は控えめにして、自分の発想やテーマを重視して詩を作ろうと思いました。そうすれば、沙一さんの言う様な作文や小説ではできないことが見えてくるかもしれません。
1つららさん、返信をいただきありがとうございました。 つららさんの真剣な訴えのおかげで、 自分でも無意識に落とし込んでいた価値観に気づくことができましたし、 風景描写は手段、という考え方は、昔の自分の考え方であって、 今の自分に当てはまるのだろうか、と考えを見つめなおすいい機会になりました。 つららさんも、詩作に対するさまざまな葛藤があおりかと思いますが、 どうかよい方向にいかれるよう、期待しております。
1気持ちいいくらいわかりやすく、形がハッキリしてる作品ですき
1こんばんは。楽しく読ませていただきました。面白かったところを以下に書いてみますね。 >なにより、暖かい タイトルには冬の雨上がりとありました。寒いはずです。なのに、語り手は今の状況とは逆のことを言い出しているのです。となると、ここには気候だけの暖かさ以外にも読み取れそうです。アトピーが治ってきた故の心のぬくもりなのでしょうか。それなら【なにより、あたたかい】と書いても良いと思います。しかし、つららさんはそうはしなかった。ここに苦しむものの矜持があると、わたしは思いました。 苦しいことって、確かに共感してしてほしいですかれど、簡単にはしてほしくないものだと思います。だからこそ、ここは【暖かい】としておき、読み手がどこまで"真摯に"書き手に寄り添ってくれるかを、つまりそれは気候のことだけじゃないんだよ、心もあたたかくなってきたということなんだよ、ということを読み取ることができるか待っている、そんな気がしました。深く読み取って、心からの共感を待っているのでしょうか。 これはわたしが個人的に考えすぎな気もしますし、つららさんが全く意図していなかったことかもしれません。しかし、わたしにはそういう風に受け取ることができました。詩の全体を見渡してみてもそう感じます。 最後にこれは詩か詩じゃないか問題ですが、わたしにはわかりません。ただ、思うところは、本人が詩であるといっているのなら、詩なのでしょう。それを受け止めてあげたいです。正論や真実は愛がなければ耐え難いものです。詩ではないんだと主張するにしても、そこに相手を慮ることが必要であると、わたしは個人的に日々思っています(といっても、ここの誰かが配慮に欠けているわけでもないです)。 こういう風に書きましたが、真実の詩、すなわち、これが詩であるというのは決まっているのだと思います。それは絶対にないなどと妥協してはならないのでしょう。けれども、それを目指すものとして、どの詩書きも同じ地平にあると思いませんか?みんな"本当の詩"なんかの前ではちっぽけだと思います。そんなわたしたちが、どうして何かを誰かに押し付けることができましょうか。 とても楽しませていただきました。書いてくださってありがとうございました。わたしも肌荒れに悩んでいるので、共感できました。ありがとうございました。
1コメントありがとうございます。詩作の励みになりました。一言だけでも嬉しいです。
0コメントありがとうございます。 本人がそう言えば詩である、という考えは僕も同じです。ただ、その考えは間違いだ、と言う人も勿論いるでしょう。 ですが、それでもいいのだと、弦響さんのコメントを読んで思いました。個人個人で自分の詩作のあり方を研究しているからこそ、他の詩を読んだ時に、今まで気づかなかった何かに気づくのだと思いました。インスピレーションを感じないのは面白くないですしね。
0コメントありがとうございます。 本人がそう言えば詩である、という考えは僕も同じです。ただ、その考えは間違いだ、と言う人も勿論いるでしょう。 ですが、それでもいいのだと、うろたんさんのコメントを読んで思いました。個人個人で自分の詩作のあり方を研究しているからこそ、他の詩を読んだ時に、今まで気づかなかった何かに気づくのだと思いました。インスピレーションを感じないのは面白くないですしね。
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