これは届かない手紙だ
切なさを捩らせておなかが痛いから
こんなところにそっと吐露する
あなたは私に生きることの熱意と愛を教えてくれましたね
あなたの作った理想の花園を覚えています
あそこに戻ろうと思う希望の灯火よ
高潔な努力家の指導者が作る世界は美しい
それは滅多に存在しない地上の楽園だ
人びとは嬉しそうに
その素晴らしい人の存在に酔いしれていた
宗教がたまに見せる聖人がそのいい例だろう
めったにいない素晴らしい人よ
あなたから貰った人道と理想の
ビジョンの悦びを私はいつまでも抱いている
私は弱いけれどその卵を捨てられない
気が付けばいつもその卵を暖める鳥となっている
私は理想主義の実現を、その花園の成功を
人生に三度、見た事がある
1人は部活の恩師、もう一人は女性恩師、
あと、マザーテレサの家で見た
人道や友愛が多様性を弱者やマイノリティを卵として温める、
博愛主義の世界の扉は光り満ちて開き
人格者という親鳥よ
あなたと離れて何十年もたった
しかし優れた光の苑の記憶は朽ちることが無い
青空という看板に白い雲で書かれた文字だ
愛に満ちて、1人は色紙に、瞬間に全力で生きよ、と
1人はすれからしにはなるな、と自分の指から金の指輪を外して、
インド旅への餞にくれた
そしてマザーテレサは愛の実践を世界中の旅人たちに見せていた
あなたが生きている間に
故郷に錦を飾る欲望と苦しみよ
そんな私を優しい顔をして笑うあなたが欲しい
それはリレーのバトンだったのだから
バトンバトン、抱きしめた石の卵にならないで
私は涙を手毬して歯を食いしばる
作品データ
コメント数 : 4
P V 数 : 1058.9
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2021-11-15
コメント日時 2021-11-16
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:1058.9
2024/11/21 23時30分53秒現在
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この語り、即興なように読まさせてしまう。壇上からのスピーチ感がはんぱねえって思いました。 作品評から逸れますが、格が低いなんてことをネット詩は言われちゃいますが、こんな場末の物書き遊戯の方が、レベル高いっすけど我々に何か?みたいなの標榜したいっすよね。 私もすげえの書いてやりたくなる作品でした。
0三浦さん、おはようございます。 激賞、ありがとうございます。即興に近いのですが、壇上からのスピーチですか、場末でそっと真実を語る、その通りだと思います。嘆きや葛藤で詩の技巧を競う作品ではないので、ここにそっと吐露してみました。すべて事実であることが私の慰めです。
0こんにちは 先生に向けて書いた手紙ではないという所で、ある意味自分に当てた手紙でもあるし、でもそれが公開された事を見ると、宛先のない手紙をこの作品を読んだ人に向けて公開している作品という感じもしますね。そういう意味で最初の宣言っていうのは、この作品を書かれた動機みたいな部分を公開されていて面白いなと思いました。 先生は「高潔な努力家の指導者」であって、「地上の楽園」を作る存在として定義されていると思います。聖地は色々な所にあって、宗教だと総本山だったりメッカみたいな言われ方をするのかなと思うけど、そこが聖地になるには、場所が重要ではなくて、先生の存在が必要で、そこに集まる人達は先生を求めてくるみたいな発想の在り方が面白いなと思いました。そこから先の話として、先生から受け継いだバトンをどうするのかみたいな所に主題が移っていくので、先生に対しての手紙ではなくて、言って仕舞えば残された人達は先生の「教え」をどう引き継ぐのか、言って仕舞えば我々は先生になりうるのかみたいな所の話が展開されていると思いました。 >あなたから貰った人道と理想の >ビジョンの悦びを私はいつまでも抱いている >私は弱いけれどその卵を捨てられない >気が付けばいつもその卵を暖める鳥となっている 先生から教えてもらった教えを孵化させるわけではなく、大切に温める存在としての私がいて、でも、 >そんな私を優しい顔をして笑うあなたが欲しい >それはリレーのバトンだったのだから >バトンバトン、抱きしめた石の卵にならないで >私は涙を手毬して歯を食いしばる 手マリをしながら、石の卵で言って仕舞えば遊ぶ事しかできない私が最後に描かれています。 私は先生を求めている訳ですが、マザーテレサが代表的なように、その先生はもう死んでいたり、もしくは会えない存在な訳ですよね。先生とずっと同じ時間を生きる事はできない訳で、僕も高校時代や大学時代の恩師がいますが、今住んでいる所からその先生に会いに行くことはできません。先生と一緒に入れる時間というのは限られていて、限られているからこそ、その時間は地上の楽園の中に生きている時みたいに楽しい訳ですが、先生の元から離れている時間の方が実際に生きている間は長い訳で、そっちの方が問題になるよなと。 >あなたが生きている間に >故郷に錦を飾る欲望と苦しみよ 鳥の比喩と絡めて読んだ時に思うのは、親鳥は子供を温めて孵化させて育てる存在ですよね。先生は私の事を育ててくれた訳ですが、しかし、子供の鳥は親元(巣)を離れて自分の巣を持つ必要があります。私の故郷で巣を作って、そこで卵を孵化させ育てる事。私は先生のひな鳥になれないし、というかいつか親鳥になって、子供を育てなければいけない。という楽園から出て行って別の楽園を作らないといけないというのを欲望と苦しみとして見ている部分がおもしろいなと思いました。 語りてが湖湖さんと同化しているのかはわかりませんが、なんとなく個人的に思う所もあり、ここには書きませんが面白いなと思いました。楽園ってやっぱり、楽園を支える人がいなければ楽園にならないし、楽園を作るのであれば、自分が親鳥にならないといけない。たとえ自分がその楽園を求めてたとしてもみたいな所。でも簡単に楽園なんか作れないよねっていう葛藤みたいな部分に、こういってしまうとあれですが、共感を覚えました。 ありがとうございました。
0長くて丁寧なご感想をくださりありがとうございます。私は自分は先生になるタイプではないのですが、恩師の見せてくれた思想性の実現を信じていて、それがこの世界の未来になるといいな、と信じているんですね。世界を解決する方法として、ですけど。信じることを伝えるのが人間のバトンだと思うので、それが伝わった時が、友情の結実で、愛だと思うので、そういう充実した喜びの人生へのリバイバルを夢想しているのです。ただ、己の弱小で、難しいんですけどね。ありがとうございました!
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