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結縁
結縁 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1523.4
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2021-11-14
コメント日時 2021-11-16
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
敬虔。敬虔な詩。ただその敬虔さは既存の宗教の神仏に捧げられているのではなく、まだ未知なる領域、未知なる世界に向けられている。涙が痕にもならず、下着に蛾が揺らぎ。までのフレーズは喪失の一週間、体もろくに動かない一週間の、筆者の固着した永遠性を感じる。それは筆者がひた隠しにしてきた常世への軽蔑、愛着のなさから来ているのかもしれない。ラストの在るだけの無始無終。この一節により一層の決して動かない何ものかを感じる。良作でした。
0コメントありがとうございます。善人になりたいと、そう願うほどに共同体から離れてゆく。絶対的善人があるとすれば悪人の化身。その善悪は生死に相通じ、そのようなことを書く機会になりました。
0余白がすべてだと思いました。
0余白のあざとさを見抜かれる眼力に感服です。中途半端でなくスクロールが一周するまでやればよかったように思います。
0なにもかも移ろって残らないね。無常を見つめる語り手の虚ろな目を感じます。 とはいっても俗世に生きてる間は煩悩と無縁ではいられないというか、むしろそれにまみれて四苦八苦しなくちゃいけないんだけどね。笑 多くを語らないことによって、語り手の語りたいことの語りがたさ(伝えにくさ)が表れているように感じました。
1コメントありがとうございます。らしくない言葉遣いと私の息遣いは成立します。なぜならば言語に意味が付随するのは絶対ではないからです。伝わるか否かは言葉の意味によってではない。表現者の人柄でも気持ちによってでもない。縁としか言いようがなく、またその縁には意味の担保はなく、つまりは空なるもの、虚ろなるもの、すべては幻。禅。
0蝶と蛾は似ているものの、蝶は幻のようでもあり蛾は妖精のイメージに近いものがあり。そのあたりの飛躍の仕方を興味深く感じました。川、涙、下着のつながりもこちらへ接近するような感覚がありました。蛾を挿入する意味まではわかりませんが。
0何か落ち着いた中に失意が座り、大人のリアリズムこそが枯淡なのか、嘆息なのか、解りませんが、(笑)、そんな、楽しくないんだけど、ストン、と馴染む、印象的な作品ですね。表現として成功してらっしゃると思います。
0コメントありがとうございます。蛾は夜に飛ぶ習性があります。夜の空気には、もしかしたら飛んでもよい赦しのようなものがあるのかも、しれません。コメントいただけましたこと、重ねて御礼申し上げます。
1コメントありがとうございます。秋には人を穏やかにさせる空気感がありますが、どこかしら、失意の雨が降る季節なようにもおもえます。降り止んだ後に、馴染ませてしまうものは、もしかしたら、諦念なのか、或いは、覚悟なのか。
1こんにちは。 「結縁」って仏道に帰依する事を指すんですね。初めて知りました。という所から始めるんですが、僕はあんまり仏道に親しくないので、語りての思いみたいなのは、あんまりよく分からないといえばわからないので、ピンと来ていない部分の方が多いですね。その点、あまりあった読み手じゃないかもという所はご容赦ください。 >百日草 気になったのははなの名前で、開花時期が結構長い花みたいですね。なので。季節をまたいでも割いている花という意味だと、この詩にあった花なのかなと思います。とは言え、蝶が飛んでいるので、最初の詩の始まりは、夏なんですかね。 >夜毎半かな情愛 >最中に涙が >痕にもならず 単純にセックスの描写なんですかね。最中で出た涙が痕にもならないという事は、単純に激しい涙を流した訳ではないのか、出た涙に何も思わなかったのか、とか考えると、涙は行ってしまえば感情を発露する装置な訳で、涙を流すという事はそこに情感が乗っかるのかなとおもうんだけど、「痕にもならず」という言い方は、自分の涙を卑下した言い方だよなと思います。 確かに涙を流したが、そこには痕に残るような、言って仕舞えば記憶に残るような涙ではなかった。悲恋とか感動でもないんだろうなと、そういう意味で情愛の意味をほどいて行くと、毎晩言って仕舞えば寵愛を受けているけど、多分語り手の心はそこまで動いてないんでしょうね。涙は流しているから、相手はそれを誤解して受け取っているかもしれないですけど。 >下着に >蛾が揺らぎ なので、この描写ってとても不思議なんですが、これは干してある下着に蛾が付くのか、それとも、脱ぎ捨てた下着に蛾が付くのかな。あんまりわからんのですが、蛾に集まるのは、光とかの印象があって、言って仕舞えば下着へ本能的に興味を持った蛾が集まってくる感じって意味だと、なんかむなしい感じもしますが、下着に興味のある蛾が毎夜自分の元にやってきてセックスをする。そこに愛情はないよねみたいな感じなのかなとか思いました。 そのうちに季節が過ぎて、ただ、あるだけの語り手がいる「無始無終」って話が、タイトルにどういう風につながっていくのかは正直ピンときてないですね。 関係ない話ですが、瀬戸内寂聴の詩を思い出しますね。っても俺自身あんまり彼女の作品は読んでないですけど、最近お亡くなりになったのも思い出しますね。(ってかこれだけレスすればよかったかも)という訳で、語り手を女性で読んでみました。 ありがとうございました。
0私の本質を突くコメントに感服いたします。少し驚きを覚えます。百均さんの直観に。 自己の本質など、もちろん仮説の域を出ることはありませんが、私の本質は瀬戸内寂聴氏と重なるところがあります。これももちろん私の思い込みの含有量はかなり高い。瀬戸内寂聴の書は一回も開いたこともありませんが、彼女の相をみれば、みえてしまうのです。その重なってしまうもの、百均さんが指し示した批評、三浦果実の本質とは何か。 勿体ぶる物言いで恐縮ですが、明かせません。明かせないのです。 しかしながら、一点だけ申せば、流通する「結縁」の意味も、定められた百日草の花言葉も、書き終わった後に知りました。書いている時の私の思念に、それらの言語の意味はなかったという事実を自説を嫌う私ですが、打ち明けます。 私がいう本質とは言い換えれば、「業」、でしょうか。
1すいません、一回だけ返レスを失礼します。 なるほど「業」ですか。実際にそれがどれくらいのものであるか、というのは分かりませんけど、それを安易に言語化できるのであれば、言語化して対処してしまえばいいのであって、そんなものは業でもなんでもないですよね。っていう所で、自然と出てきた言葉が、正に自分の中の業と向き合う為の言葉として吐き出されたのであれば、それは、とてもいいことなのではないかと思っちゃいましたね。言っちゃえばそれは正に祈りの言葉だと思いますし、例えばこの作中に出てくる涙に感情はこもってないかもしれませんが、業はぎちぎちに詰まっているんでしょうね。 救われるか救いようがないのかは俺には分からないのですけど、 幸せならいいですね。 レスありがとうございました。
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