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左利きの男
ターザンの横に敬称の要らない男が 召喚されてヤシの木の周りで踊っている 焼死して居るロバにとどめの弓を放つと 男は踊り止めて タラの新鮮さが恣意的なように思い 不審の念に駆られる 愛して居るのは生徒の時間ではなくて ブレて居る蟻だし 適切なのは老人が湯に浸かる事だから 鹿を狙撃するのは間違って居る 枕に刺さった弓を抜くとにじむ血 左利きの男が死んで居た
左利きの男 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1039.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2021-10-08
コメント日時 2021-10-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは。 本作を読んだ時に感じるのは、名詞の変化に伴う場面変換(ニュアンスの変化)の違和感が正に、キュビズム的な結合を感じる所ですかね。 一番わかりやすいのは、弓が刺さっている対象の変化ですよね。 「男が焼死しているロバにとどめの弓を指す⇒タラの新鮮さに不審の念⇒鹿を狙撃するのは間違っている⇒枕にささった弓を抜くと左利きの男が死んでいた」 中のタラと鹿の使い方は滅茶苦茶気持ち悪い感じがしてすごいなと思います。これは無理矢理繋げた妄想ともいえちゃうかもしれないんですが、ロバ刺さった弓が、男の枕に刺さった弓につながる中に置かれるだけで、滅茶苦茶不気味になんですよね。 この一連の動きの中から名詞を外すと多分話が通じてしまうんですけど、その連想を名詞によって惑わされている訳ですね。 焼死したロバに弓を放つ⇒弓がささった対象Aは新鮮に見えて不審⇒対象Aを狙撃したのは間違っていた⇒対象Bへ弓を放ってしまった⇒対象Bを射殺してしまった。(実は死んでいたかもしれないけど) 勿論名詞だけではなくて、色々と不気味な部分がある。 【不気味ポイント】 ・「焼死しているロバ」に「とどめの弓」 ⇒死んでいる存在にとどめはさせないが最終的な落ちでは左利きの男が死んでいる ・「枕に刺さった弓を抜くとにじむ血」=枕の裏側に左利きの男がいる ⇒枕の色を白と幻視してしまうのは、ロバの肌とタラの肌の色、それを見間違えて打ったみたい ・「ターザン」と「敬称のいらない男」と「左ききの男」 ⇒この三人の関係性が全然見えないが、区別は出来る感じがするのが凄い ⇒弓を使うという所から、原始的な生活?みたいな感じを連想させるターザンを置く事で弓を使う場面を出してる? あと気持ち悪いなと自分で思ったのが、ターザンは男だってなってた。固有名詞が喚起する具体的な人物像ってえぐいなと 「敬称のいらない男」と考えると、ターザンは敬称付かないが、男と何が違うんだろう。と思うと、ターザンは弓を使わなさそうだなと。 という所で、語り手の目線がちょっと見えますね。 ⇒左利きの男っていう、これは言って仕舞えばターザンや敬称の要らない男みたいな男の特徴とは全然違うから別の存在に見える感じ。 明確な他者に見えるところ(ターザンや敬称のいらない男が左利きの男の場合もあるけど、それを示せる証拠はないの …etc みたいなぶらしているけど、でもそれがどこかで接続しているように思わずにはいられない。だか、その像がしっかり結ばれない。 色々な名詞が結合して繋がっているように見える境界をいじられるようなあり方は、なんか言葉でキュビズムやってます?みたいな感じですね。 って所と、語り手の見ている世界のいびつさっていうのが多分それを成立させている。 もしかしたら、語りてが見ている世界ってもっと単純かもしれないんですよね。 例えば「ターザン」と固有名詞で「敬称のいらない男」と敬称をいらないと判断しているのは語りてですよね。 もっというと語りての見えている世界。それが当然であると判断した結果だけが置いてある。 その過程において、これはターザンだ!とか敬称のいらない男だ!みたいな判断の結果をもたらした過程はどこにもかいてないんですよね。 判断の成果物がおいてある。 でも読むときに、ターザンはターザンだなと読み手の中で想像したターザンがでてきて、その判断が正しい物というかそこにある物として受領してしまうから、混乱がおきるのかなと思いました。 この作品に書かれている状況っていうのは、ここに書かれている名詞や判断状況からくみ取っていく必要があるのですが、 それをこの作品は拒否していると言ってもいいと思います。結果しか書いてないから。 ただ、結果を出した回路については多分エイクピアさんに聞けばわかるかもしれないんですが、それを多分開示されるのかはわからないんですけど、見せてくれるのか語りての見えている世界の光景であって。 それを当然ように見せてくるその感覚だけという所が意識的なのか無意識的なのかわかりませんが、ストイックだなと思います。 逆に言うと、その見えている世界の解説みたいなのは一度がっつりみてみたい気もしますし、聞いてみたい気もしますね。 それはこの作品をどう見ていて、どう作っているのか、みたいな話になるのかもしれないですが。 ありがとうございました。
2拝読しました。 初見から理解というものを求められていないような、自らの世界を築き上げていますね。 言葉の巨石を揃えてどんどん高く積んだ壁のようです。文字に意味があるというより、 そこに手づから無二の城を築き上げることに意味がありそうです。石の組み方に個性が出ますね。
1百均さんコメントを有難う御座います。そうですね、弓が刺さっている対象の鹿と枕。タラの新鮮さ。弓を放つ行為などは深刻な行為なので意図的に主語を省略した、文脈からも推測し辛くした側面は否めず、混乱と言うほどではないとしても、不可思議な感じは与えたのかも知れません。ターザンは創作されたキャラクターとは言え、父はイギリス貴族で、養母は類人猿だそうで、父も母も養母も既に故人で、いろいろな意味で、虚構性の高さ以上に虚構性を覆いつくすほどのぶっとんだビジュアルや設定に惹かれて用いて見ました。隠れている語り手。この語り手の判断。確かに詩人である私とイコールで有らざるを得ないのですが、そうですね、キュビスムだとか、コメントを受けて詩の風景も変わると思うのですが、判断の基準、語り手の見ている光景を少しでも、読者の納得の行く開示が出来れば、これからの詩作に有益な気がするのは確実であると思います。この詩の読解の為にも。
2yatukaさんコメントを有難う御座います。理解はそうですね、理解に対する隔絶間、聳える峡谷?渓谷よりも深い谷だそうで、その峡谷が聳えるのは可笑しいのかもしれませんが、そう言いたくなるほどに、自らの世界を築きたいと思っているのは事実です。壁と言うとどうしてもユダヤの嘆きの壁を思い出しますが、私自身巨石が積み重なるように詩作できればと思っています。
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