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【百物語】 ワールド・ツクール
埃っぽい物置をひっくり返して、スーパーファミコンを掘り起こす。 それともう一つ。売り飛ばしてはいないはずだ。 あった。 『ワールド・ツクール』。 RPGの世界を作る事ができると、ヒットしたソフトだ。 急いでテレビにセット。 電源を入れた所で、右手に持っていたコントローラーを落とした。 見ると、右手はモザイク状になって、バグっていた。 つけっぱなしにしているリアルタイムのニュース動画のアナウンサーは、すでに全身がモザイク状にバグっていて、最後の力を振り絞って、自らの職を全うしようとしていた。 世界はバグりだした。 急に人々の体にモザイクが発生して、消えていく。 パニックになって大混乱を尻目に、僕は僕の事を残していく。 でも文章は書けない。動画なんてもっての外。 創作が苦手な僕が作れる唯一の物、それがこのドット絵の世界。 昔やり込んだ、世界を造れる物。 電気は表の電気自動車に配線を繋いでいる。 でもどこまで持つか。バッテリーも、僕や世界がバグるのも。 急げ、世界が壊れる前に世界を作れ。左手だけでも問題ない。 キャラを指定して、ありあわせの街を選択。 ここから作る、僕の人生。 幸せに生まれて(そんな事なかったけど)、ザコのいじめっ子やボスのガキ大将と戦闘(何もできなかった)、勉強を頑張ってレベルアップ(それもできなかった)、そうだ高校受験をボス戦闘にしよう。大学受験ももちろん、面接官と連戦させるのも悪くない。 (何も上手くいかなかった) アナウンサーの代わりに不慣れな男が涙声でニュースを伝えている。壊れたように同じニュースを。 もうこの裏方の制作の人間しか声を出せるのはいなくなった。 僕は寝転び、体で唯一まともな顔を使って世界をなおも作る。 鼻、舌、歯。 なんでも使って、ボタンを押す。 結婚イベントだ。誰とも付き合った事ないけど。 妄想頼りに家庭を作れ。 幸せだ。 何もかもなくなる世界に、幸せを残すんだ。 セーブにかろうじてカーソルを合わす。 押した瞬間、僕の口はバグりだす。 ニュースからはもう人の声は聞こえてこない。 額がボタンを押した。 RPGが始まる。 誰かが経験する訳でもない世界。 僕は、バグる。 経験していない幸せを、ここに残して。
【百物語】 ワールド・ツクール ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1755.9
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2021-09-23
コメント日時 2021-10-21
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
無力感と現実感の瓦解を上手に書いてらっしゃりますね。私はゲームは嫌いですが、失意に生きることほどつまらないことはないです。希望を灯すにも能力が要るのかもしれないですが、優劣や競争ばかりが人生でもないです。私は人生で最悪の経験をたくさんしていますが、良かった時に戻ったり、希望を灯すように夜のドキュメンタリーを見たりして心を清浄に保つ努力をします。現実感を取り戻すには散歩がいいかも。書いてらっしゃるように、退化した日常の喩えなのかもしれませんが、障害で手も足も無い人も、外に出られない人も現実にはどこかにたくさんいるでしょうね。その人たちの悲痛を思います。
0自らを整える事で最上の主を得る。 ダンマパダ 五蘊盛苦(ままならぬ人の心も苦しみである) 八苦 ではどうするのか。 この作品の主人公はせめて自分が経験できなかった幸せの形を残そうとしました。 モザイクに覆われたアナウンサーは自らの職務に殉じましたね。 「善い言葉のみ語れ」とは釈迦がスッタニパータに遺した言葉なのですが、この二つの行為もまた善い言葉と言える様に思います。 この作品もまた、善い言葉につながればと思います。
1この現実世界も、もしかしたら作られたRPGツクールみたいな世界なのかもしれない、私という存在も実は居ないのかもしれない、と不思議な気持ちになりました。 私はこの作品のデジタルな世界観が今という時代を象徴していると思いました。
0この世は泡沫のごとしと見よ。ダンマパダ 色即是空 空即是色 般若心経 哲学の領域に入ると、実は結構この世も自分自身もある意味存在していないのではないか、という話になっていきます。 科学の視点から見ても素粒子が組み合わさっているだけであると考えると、この世は存在しているのか怪しくなってきます。 昔から議論されている所ですが、ここでドット絵の、よりある意味デジタル的な世界に自分を残したというのは、今風かもしれませんね。
1「右手に持っていたコントローラーを落とした」ところからバグが始まっているので、これはなにかのメタファーなのかと考えましたが、わかりませんでした。 語り手がゲームを通じて人生をやり直そうと(作り直そうと)しているのが必死であればあるほど無常を感じました。
0メタファーではなく、ただ単にバグが語り手にも浸食が及んだということですね。 バグが広がっていって逃げようもないから、スーパーファミコンを掘り出したわけです。 虚構の人生を残そうとして、しかもそれが誰もプレイすることがないと言う。 それでも残したかったのかと思います。
0一読して面白い作一読してかなり込み入っている作品だと思いました。 まず、バグの発生源が書いてないんですね。それから、バグの発生している場所って、 言って仕舞えば、これがゲームの中だとしたら、その中で生きている存在っていうのは、 実際に生きている存在ではなく、繰り返し自分の求められたプログラム通りの行動をする存在だと思うんです。 でも、この作品に出てくる主人公は決められた行動は少なくとも起こしていないように思います。 (決められた人生の幸福みたいな部分をゲームに込めている部分が示唆的) ニュースキャスターの下りも、必死に自分の職務を全うしているという描写や、 不慣れな男が出てきて、涙声でニュースを伝えているという描写も、 単純に世界が制作者の手によって作られた世界で、その人達の手によって壊された訳ではないように 思われます。 そう思ったとき、この世界に起きているバグというのは世界の中にある理以外の 何か埒外な出来事、それは言って仕舞えば天災のような位置づけに思われます。 そういったおそらく突如訪れた世界の終末の中で主人公が起こした行動というのが、 ゲームを作る行為だった。その内容が言って仕舞えばRPGのような順番の組まれた道筋をクリアしている主人公の生を反転させた幸福であるというのが面白いです。それが言って仕舞えば強迫観念的な、使命感を帯びた行動につながっている。 >RPGが始まる。 >誰かが経験する訳でもない世界。 >僕は、バグる。 >経験していない幸せを、ここに残して。 バグが発生するような主人公にとっての現実世界はゲーム的だと思います。 何かの象徴かもしれないですが、ここでは自然災害のような事は一旦端に置きます。 そんな主人公が、自分が経験していない幸せをゲームの中に残るという構造。 その切実さを理解するための素材としては、 やはりゲーム的な現実が、現実を浸食して壊してしまうという所だと思います。 しかもその浸食具合が制作者を上回ってしまう程の浸食度。 ゲーム的な現実というのは難しいのですが、 主人公は作品の中の現実において、多分幸せではなかっただろうと思われるんですね。 >ここから作る、僕の人生。 > 幸せに生まれて(そんな事なかったけど)、ザコのいじめっ子やボスのガキ大将と戦闘(何もできなかった)、勉強を頑張ってレベルアップ(それもできなかった)、そうだ高校受験をボス戦闘にしよう。大学受験ももちろん、面接官と連戦させるのも悪くない。 >(何も上手くいかなかった) 自分の人生の反駁を、後悔をゲームの中に刻み込んでいく。 それは、ゲームの中に描いたストーリーをクリアしていけば、言って仕舞えば、主人公は今幸せにバグとして処理されただろう。このゲームを作らずに済んだだろうという事ですね。もしかしたら、アナウンサーみたいに、自分の生ではなく、誰かの為に最後まで職責を最後まで全うするような行動がとれたかもしれないという事です。 (更に言って仕舞えばそのストーリーはおそらくですがバグとして処理されるまでの過去に対して と言えます。よくよく見ると、就活が終わるまでしか書かれておらず、死に方までは書いてないのがミソです) ゲームをプレイヤーとして楽しんでいた時が一番楽しかった。 幸せだったのかもしれないとここまで思いました。 現実に絶望しゲームの中にしか感じられないリアルや、あるいはメタフィクション的にゲームからプレイヤーへメタ的に語られる演出や、他にも色々な要素があるのですが、それらをゲーム的リアリズムと東浩紀が言っていましたが、僕が感じたこの作品のゲーム的リアリズムはここになります。 ゲームを過去にしていた、ゲームを作ってその中に自分がしたい体験を込めていたという過去の記憶が主人公にとっての過去における幸せな行為だったから、ワールド・ツクールは残っていたのだと思います。その中に、自分が体験できなかったリアルをゲームの中に残すというよりは託すというのは、非常に切実な行為だと思います。 自分が、言って仕舞えばゲームをするという行為にのみ、生の実感を感じていた。 その感じていた全てに自分が想像しうる最高の現実を入れ込んだゲームを残すという行為は、ゲームの中でしか感じられなかった幸せをゲームそのものに送る行為であると同時に、しかし、ゲームはプレイヤーがいなければなれない訳で、このゲームの唯一のプレイヤーはバグとして世界から消失してしまう。だから、このゲームをプレイする人はいるかもしれないですが、それを楽しむ事はできないと思います。この作品を読んだ事によってそれは可能になるかもしれないですが、しかしそれを知った人がこのゲームをする可能性は低いからです。(逆にいうと、だからこの作品はホラーになるわけですね。言って仕舞えば呪いのゲームが作られる工程を書いてるから) 自分が絶対に経験できないゲームに、自分が体験できなかった/したかった過去を保存する。 という再現する事のできるゲームに、再現される事のない意図をぶち込むという執念を僕は言語化できないですね。 自分が果たすことのできなかった現実を、ゲームの中で現実化する事によって、言って仕舞えば主人公はみたされたのかもしれない。過去を幸せな物として書き換えたのかもしれない。自分が一番リアルとして感じていたゲームの中に自分を落とし込み、その中に現実を落とし込んだというよりは改変した。という意味で、落ちとしては成仏している気もします。ただ、そこまでさせたという強い動機ですね。ここに僕は震えました。 後はこの世界を浸食するバグという意味で、この作品における現実ってなんだろね?みたいな所はあんまり考え固まってないのですが、ただ、ここまで入り組んだ構造で、メタ的であり、メタ的な世界を更にメタ的に覆っていて、メタ的な世界とメタ的な世界に生きる存在の最後の日を描き切っているみたいなのは凄いなと思いますね。ぼくだったら間違いなく気がくるってしまう。 ここら辺の着想に至った背景はものすごく聞いてみたいなと思いました。 (コメントの中でちょっと触れられているとは思いますが) 以上になります。ありがとうございました。 品だと思いました。
0まさかここまで感想を書いて下さるとは思いませんでした。 百物語のお題にスーパーファミコンがあったわけですが、それで思い出したのがRPGツクールというソフト。兄の友人たちが自分自身や友達をキャラとして出して遊んでいました。 (受験をボスキャラにするのは兄の友人の発言を思い出してです) それで世界が壊れていくならどうするのだろう、これなら形になるんじゃないのかと思い、書き進めていきました。 それと20代の頃、意表をついた作品を書こうと考えて「バグったゲームの世界を舞台にする」というのを思いついたことがあります。 結局形にはならなかったのですが、それが出てきた面もあるかなと。 人によっては死が近づくのなら、誰が見る訳でもない遺書や物語を書くだろうと思います。 多少なりとも盛って。 それがこの主人公にとってはゲームを作る事だった。 アナウンサーのように自分ができる事をやったという事にもなります。 もしかしたらやりたいことをやるという単純な動機で最後にゲームを作ったに過ぎない気はしますね。 そしたらメタ的で複雑な事態を招いたようです。 >後はこの世界を浸食するバグという意味で、この作品における現実ってなんだろね?みたいな所はあんまり考え固まってないのですが、ただ、ここまで入り組んだ構造で、メタ的であり、メタ的な世界を更にメタ的に覆っていて、メタ的な世界とメタ的な世界に生きる存在の最後の日を描き切っているみたいなのは凄いなと思いますね。 そこまで考えていなかったのですが、相当な事態が発生してました。 思いかけずとんでもない事が起こる、この作品自体がある意味バグです。
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