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すみれ
あ、 今日は風が強いな もう一枚 なにか着てくればよかったな うんっ 残念なことに 僕が知っている眺めは その辺りまでだよ 向こうまでは とてもわからないな コンクリートに耳をあてると なつかしい歌がきこえるんだ この景色の中で 君のために咲く花があるだろうか あるとして その花のために降る雨はどうだ 君に名前がなかったとして 誰が君の名前を呼べる 詩なんてものがあるから 君と僕は隣りにいてもひとつになれない それは本当だろうか 本当ならば とても気持ち悪い いっ 線路沿い ただ咲いている花になって 風にはならない 君の隣りで 雨にうたれて死にたいと 誰が言うのか 優劣のついた風が強く吹き抜ける そんな午後を すべて笑いとばすアプリがあるとして いらねっ 猫にアプリ 君にサプリメント 世界をコンプリート わおっ その辺りの世界 メメントッ うっ、 心臓麻痺しそう 誰よりも深く傷つく才能がない 芸術なんて口にするから 浅い川のほとりで 意味もなく 石を数えてしまう その石を並べるように 誰よりも正確に 感傷的になってろよ あほんだらっ 共感なんてされたら そこは地獄になる 反感なら それはアクセサリー ひかり 耳鳴り 寒っ 夕暮れ 深くなってしまう夕暮れっ 本当にそうなのか 闇って そんなに単純なのか 優しい言葉って どんな言葉なんだろう 優しさのかけらもない そんな言葉も必要だとして いつ使うんだ だっ 何を読んでも理解できない 見ても聞いても信じられない すべての直感は 見事っ 的を外す いったい何をしたら 経験したことになる 君を見ても 君ではない気がする なんじゃこりゃっ 悩んだ順に みんな きれいに終わる みんなみんな 主人公 脇役 お姉さん 社長 雑魚キャラ ラスボス みんなみんなみんな いつか死ぬよ それは本当らしいよ この胸の景色 最初から自分のいない景色 いないから 死ねない いない人は 死なない 七色の 狂気っ 玄関開けたら 無知っ 誰もが一度は使う 比喩っ すぐ潰されるメンタル 弱っ そんな君にホイミ 間違って メガンテ きれいな悲しみに 汚れなかった とってもきれいな悲しみに ぶつからない 君と僕 あちゃー(棒読み じゃ何っ いったい何にぶつかって倒れたのか わっからない わっ 頭が悪いわけではないのです 頭がないのです なっ 心臓の上を電車が通る ガタンゴトンッ 孤独という名のもとに 君の痛みがすりかえられて 一瞬だけでも 世界中の詩が全滅する そんな日がいつかくると信じているのか 君よ 確かにいるはずの君よ そこからの眺めはどうだ 何が見える 言葉で叩き 叩かれ 風のない日に揺れる花を見たか すみれ アスファルトのヒビを行間として そこから何を感じたらいい こんにゃろっ 背景のない夜に 置き去りにされた未来 詩っ だまらっしゃい うっ、 心臓が痛い朝 春を告げる雨が ただ降っている 誰のためでもなく その辺り一面に降っているよ。
すみれ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1082.5
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 6
作成日時 2017-02-25
コメント日時 2017-03-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3 | 0 |
エンタメ | 2 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 6 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 3 | 3 |
エンタメ | 2 | 2 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 6 | 6 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
今、 文極へも出しました。 終わり。
0現代詩ど素人な私は、昨年9月に初めて目にしました「奇異な言葉の羅列」。それは、多くの好評を得ている作者の方々の作品にも感じておりました。そのなかの御一人が、じつは、泥棒さんでした。何度読み返しても、どうしても、受入れることが出来ず、ある時には「これ、どう考えても、読者をバカにしているのではないだろうか」と、思ったこともありました。 その受けかたというか、私のシナプスが繋がったのは、じつはここ一ヶ月ぐらいのことです。それは、吉増剛造さんの作品を知ったことによって。それはなぜなのかと云われると、少し開陳することが難しいことです。もしかしたら、よくある、「有名人の一言による変化」だったのかもしれません。 泥棒さんの初投稿作『すみれ』。これは、泥棒さんの作品のなかでも読みやすさー現代詩を初めて目にする方でも、それとなく読めてしまうーがある作品です。では、読めるけれども、ポエジーを解説して欲しいと望まれる読者の方もいらっしゃるのではないかと勝手に推測してしまうもので。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 孤独という名のもとに 君の痛みがすりかえられて 一瞬だけでも 世界中の詩が全滅する そんな日がいつかくると信じているのか 君よ 確かにいるはずの君よ そこからの眺めはどうだ 何が見える 言葉で叩き 叩かれ 風のない日に揺れる花を見たか すみれ アスファルトのヒビを行間として そこから何を感じたらいい ・・・・・・・・・・・・・・・ 現代詩ど素人が解説する『感じるポエジーの読み方』を云いますと 簡単に申しますと、抜粋するといいのです。(すみません、これは三浦の勝手な考えです!) 抜粋した箇所だけを何度も読み返すと、何かみえてこないでしょうか? この抜粋した箇所の前後の言葉、『ガタンゴトンッ』と『こんにゃろっ』の二つが置かれている意味も表に出てきませんか? と、いうようなところにポエジーがみえるわけなのですが。が、しかし、このように解説されてしまう程度のポエジーはポエジー度5%程度なのではないでしょうか。。泥棒さんはもしかしたら、すこし、ポエジー度を抑えられたのかもしれません。 泥棒さん 投稿有難う御座います。わたし、文学極道とB-REVIEWの二つに同じ作品を同時投稿する方をお待ちしておりました。 臨むところです。是非、文学極道の学術的高級コメントと勝負したいところです。
0自分で自分の生み出す言葉に「ツッコミ」を入れていくあたりに、 伝達不能性という・・・詩なんて、本来、絶対に、「ほんとう」には伝わらねーんだよ、という、深い絶望というのか、諦念のようなものを感じました。絶望といっても、真にどん底に落ちているわけではなく、だって、そういうもんなんだから、仕方ねーじゃん、という明るい受容とセットになった、絶望。 それでも書く意味って、なんだろう、ということ、ですよね・・・ 正直、中盤が長いように思いました。作品としては、もっと刈り込んだ方がいいのではないか、というのが・・・意識の流れのままに書き流された(ように見える、あるいはそのように振る舞っている)全体をスクロールしながら読んだ時の印象です。 「優劣のついた風が強く吹き抜ける」詩に、優劣をつける意味なんてあるのかよ、という批評性を感じます。その直後に、自分で自分を茶化すような、言葉遊びの軽さも含めた数行のセンスに惹かれつつ、「わおっ」からの数行は、横一列にガーッと並べて、先へと進んでほしい、と思ってしまう(もっとも、作者にはそれだけの長さ、読ませるための時間、が必要なのでしょうけれど・・・。)ビデオインタヴューのところどころを、編集の際に早回しするような、そういう処理をあえてやらない、長回しのままの映像を視聴している感じ、と言えば伝わるかな・・・。 「誰よりも深く傷つく才能がない」から「感傷的になってろよ」までの行も、詩作を求めずにはいられない自己と、その自己を突き放すように視る批評性とを強く感じる部分です。「共感なんてされたら/そこは地獄になる/反感なら/それはアクセサリー」このあたりも、単なる同調や同情を求めているんじゃない、傷を舐めあう様な詩の読み合いなんて、糞くらえだ、反発くらいが心地いーんだよ、という反発心や自恃の心が出ていていいなあ、と思う。その間をつなぐ「あほんだらっ」というツッコミの入れ方も、複数だけれど単数の自己同志の自問自答、その小気味よい「つなぎ」になっていて・・・こうやって細かく見ていくと、全部の行が結局必要になってくる、のだけれど・・・でも、長いよなぁ、という印象がぬぐえない・・・。 「夕暮れ」から「頭がないのです/なっ」までの「間」が、惰性的に(言葉が出て来るのを、抑えたりせずに)そのまま出している感覚があって・・・詩の朗読会とか、ある程度の尺があって、その間にラジオドラマを聞いている時に受けるような、盛り上がりや停滞や沈黙、緊張、焦燥・・・といった音楽的な情感の流れ、を聴きたい、と思うけれども・・・全部が同じような一行アケの形式で淡々と続いていくから、単調な感覚を受けてしまうのかな、と思い・・・ じっくり間を取りたいところは、一行アケ、少しスピードを速めたいところは横一行にズラッとつなげる、言葉を塊としてぶつけたいところでは、文字を塊のように配置してみる、ツッコミ部分を空間的にずらして配置する、など・・・そうした視覚面(しづら、というのでしょうか、詩面)を工夫することによって、全体にドラマティックな緊張感が出るのではないか、と思ったのですが・・・ まったり、ソファーに引っくり返ったまま、スマホをスクロールして読むときには、こういう形式の方がいいんだよ、という意見もありそうだな、と思ったり・・・ アスファルトを突き破って咲く「すみれ」のイメージと、言葉やイメージの層を突き破って「咲く」ポエジーのイメージが重なりました。君、は詩でもありそうな・・・。メメント・モリは、死を想え、だけれども。詩を想え、とも重なりそうですね(日本語の場合。)
0訂正:引っくりかえる→ひっくりかえる。 「編集」って、まだ出来ないのかな、この、掲示板・・・。
0この詩は一昨日まで本当に心えぐられた。という個人的な感傷もりもりで、コメントなんて絶対書いてやらねぇみたいな事は思ったけど、でもまぁ、一番読んでて心地いいなぁとも思った。すみれ、ってずるいよなぁと。 泥棒さんの詩は詩人とかが前に出てくると、なんか自分がいつも考えてる事を綺麗にトレースされたみたいな気分になって凄く嫌だ。福沢諭吉の詩は多分詩人っていうかお金がモチーフだから、小説家や詩人がモチーフの作品よりも多分読まれるんだろうなと思う。多分泥棒さんの作品に出てくる人間達っていうのは、あれなんだなちゃんとキャラクターになってるんだろうな。 で、この詩には詩人しか出てこない。だからこれが詩人がメインキャラクターのキャラクター詩なんだよ。(という事を誰か言ってましたという事をまた聞きで聞いたののアンサーとして僕が間接的に理解したコトバをここで返しておきたい) だからこの詩読んでると自分読んでるみたいで気持ち悪いんだ。肝心な所で誤魔化したり、適当に話空したり、薄っぺらいのを隠すために一行あけていい感じの軽さ演出して逃げようとしてる感じとかね。ドラクエの呪文とかもそうだなぁ。アスファルトの行間に生えるすみれになれれば、詩人は詩になれるんじゃないかなぁ。とかね。絶対なれないけど。なってもそれは詩じゃないしね。いや、しかし、こいつは常に何アホな事思ってるんだろうな。と、いう視線も分かってるから全方位にバカ野郎! な訳ですがね。 >闇って >そんなに単純なのか >優しい言葉って >どんな言葉なんだろう >優しさのかけらもない >そんな言葉も必要だとして >いつ使うんだ >だっ >何を読んでも理解できない >見ても聞いても信じられない >すべての直感は >見事っ >的を外す >いったい何をしたら >経験したことになる >君を見ても >君ではない気がする こういう所とか一昨日まで僕はどう頑張ってもコメント打てなくて、死んでたんだけど、今はちょっと違う考え方で動けるようになったからコメントこうして打ってるんですが、あれだよね。泥棒さんが詩集作ったら多分世の中の人の心がぶっつぶれんじゃないかな。その詩篇だけキャラクターの異なる詩集みたいなのね。どこまでバラエティのある物になるかは、しらないけれども。
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