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音楽
いますぐしんじゃいそうな わたしのうつを 癒しておくれ (( )) 水たまりに浮かんだ わたしのかお 君が言った ひかる、 ひかった みたいな感動 すりきずしてる そこらじゅうで 火花散らしてる ゆめの中で聞こえた音楽 あした、 きゅうすいとうに穴があいて、 せかいに虹が落ちるから、 「小さな虹がかかるかな」 じゃなくて、 もっとすごい想像 して、 みて、 よ・ ねぇ、 水びだしになったら、 引き出しを 引いて 溢れてきだしたら 両手を広げても 押さえきれなかったら そんな とうめいなもの 目にみえない まぶたで 抑えてた ためこんでた わたしの欠片が かけてしまった 記憶の隅っこに残ってる 何か。 何か みたいな傷音 うまくいえない ずっと、 スネアドラムを ゆっくりたたくよ 流れていく風景やドラマがある ただのダジャレじゃない 生真面目な韻が踏みたい 鉄琴の音 コンクリートのビル郡 スケボーで街を駆ける そして耳を澄ます うっすらあけた車窓から 聞こえてくるよ 音楽、
音楽 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1192.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-09-27
コメント日時 2017-12-22
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
なんだか、笑いながら読んでしまった。失礼。素朴に当時の気持ちを詩にする。まさに詩人的な。まったく話は別だが、うちの家内は人間失格を学生時代に読んで爆笑したというのだ。あれは自虐風コメディーだと思っていたらしい。音楽は哀しく切ないものもあるが、小躍りしたくなる音楽もあるのだ。私には本作から愛と哀しみのボレロが聴こえてきた。読み手の琴線は無尽蔵にある。百均さんの想いを私が笑いとして受け取ったとして、それは、宇宙が素晴らしいという詩の証明だ。
0百均さん、こちらでははじめまして。アーカイブから見るとコメント欄がスクロールできない問題が解決すると気づいたので、参加してみましたよっと。 読んでいて、「音楽」というタイトルに反して静寂、無音状態を感じました。あるいは、どこか遠くの空の下では賑やかに奏でられているのかもしれないという感じ。 それと、ダジャレ好きでときどき韻まで踏んでしまう人間といたしましては、不真面目でどうもすみませんという気持ちです。笑。
0キュレーターさんの作品だけにどう読んでいいのか悩んでしまう部分があります。冒頭の「いますぐしんじゃいそうな/わたしのうつを/癒しておくれ」からしてかなりのインパクトで、こういう表現をあえて確信犯的に使うことで、難しい言葉や隠喩を使いたがる「お偉い」感受性を逆に揶揄していると取るべきなのか、あるいは揶揄というより三浦さんがコメントしておられるように単に自虐風コメディーとして読むべきなのか、あるいはものすごいメタな構造が仕掛けられていて、よっぽどの予備知識がないと掴めないなにかがあるのか、あるいは普通に素直に読むべきなのか...。全体的にもゆるっとしていて全然締まりが感じや、言葉のリズム感がグダグダな感じなど、自分としては自虐風コメディーとして読んでみたいところなんですが、だとしたら少し物足りないです。笑いのツボが少しずれていたというだけなのかもしれません。個人的にはこういう「ポエムな」言葉選びは決して嫌いではないので、もう少し引き締まった形でまとまっていれば、普通に素直に読んで楽しめたかもしれません。すべては好みの問題なのかもしれませんね。
0三浦果実さん こうだたけみさん survof ずっと返信考えていたのですが、やっぱり答えでないですね。三人から頂いた言葉ずっと僕の中の宿題です。今思うと、これは朗読と書き物の中間くらいのイメージで書いていました。多分このテキストは僕が声に出して読むべきのものであるし、そういった文脈が必要なのかなと思いました。ただ、思ったはいいのですが、最近舞台に立つまで確かな事も言えませんでした。最近思うのは僕に取っての詩はやはり音楽に近いという事です。言葉なのですが、言葉じゃ無い物それは音楽の音が日常に溢れていない事と同義であると思いました。そこに何かあるのではないかと信仰してしまっているのかな。この作品はその途上にあるような気がしました。 これから僕は生きるたびに色々な文脈を身につけながら、それらをそぎ落としながら、それでもまた身に付けなたら最後はシンプルな比喩に連なる何かを手に入れたいと思っているのかなぁとは思っていますが、回答は見えません。かなり遅くなってしまったのですが、多分答えられる時が来たら作品やレスで徐々に還元させて頂く事になると思います。 素敵なレスをありがとうございました。
0蛾兆ボルカさん レスありがとうございます。 多分、B-REVIEWの影響とか色々水に纏わる話を沢山聞く影響が大きいのかなと思うのですが、水のモチーフは本当に色々な所に出てくる一方、なんで水をここまで使うのかみたいな事をよく考えます。その中で、色々な物にもまれながらこの詩を書いたと思うのですが、僕は物を書く時に多分そこに描くモチーフをメタ化したい欲求があるのではないかと蛾兆さんのレスを読んで思いました。 >波紋のような図を鉤括弧で示し、少しづつ、水を語ってゆく。音楽も波紋であることが、腑に落ちました。 また、給水塔の穴からの小さな虹と水を視覚や触覚に感じ、それが展開して、無限定の巨大な水への感覚を呼び起こされます。 なんで括弧書きを頭に置いたのか、給水塔のイメージを持ちだして、音楽というタイトルを付けたのか、虹を出したのか、自分で気がついていない所を気づかされました。前に、kaz.さんから、誰かの書物を通じて「水という思想」という言葉をもらったのですが、僕なりの回答がこれなのかなぁと思いました。
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