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詩論とまではいかないけど作詩におけるあれこれの備忘録的なもの
極めて個人的なものとして記する。思考整理のためといつか振り返ったときに読むため。 アイデアこそが全てである。少なくとも僕にとって詩情とはアイデアのことである。叙情的であろうとなかろうと、何よりもまずそこにアイデアが宿っているかどうかが肝心である。 即興はやるべきではない。僕が1発で書けるものは、他の人も1発で書けるものだからである。しかし、苦労して書いたものであれば、同等の筆力を備えた書き手であっても、同等の苦労を味わわなければ書けないはずで、その分読み応えが出てくる。それも僕は下手な方だから、手抜きをしてはならない。 創作において大切なことは、納得することである。自分が納得していないものを、他の人が納得するだろうか。自分が好きなフレーズの中でも分かりやすい例として、“ 笑い出した街燈たち/きっと蛾に全身をくすぐられたせいだろう”というのがあるが、状況が不条理でありながらどこか納得してしまう合理性なるものが潜んでいるのも、モノとコトの関係性に気を配った結果であると信じている。“笑い出した”は“くすぐられた”に掛かっているし、“街燈”は“蛾”に関係している。もしも、これが、“街燈”ではなく“時計”だったとして、“蛾”ではなく“星”だったとすれば、“笑い出した時計たち/きっと星に全身をくすぐられたせいだろう”になってしまって、あっという間に納得性が失われるだろう。“笑い出した”と“くすぐられた”の関係性があったとしても説得力が弱くなってしまう。そこから考えられることは、ある程度の納得性を備えさせるためには、最低でも2つ以上の自然な関係性が必要となってくるのではないか。“時計”はそのままに、“星”を“蛾”に戻してみると、“笑い出した時計たち/きっと蛾に全身をくすぐられたせいだろう”となって、“星”の時よりは良いが、まだ弱い。何故なら、“時計”に“蛾”が寄ってくる理由が不明で、納得できないからである。“樹液に塗れた時計”であれば、“蛾”が寄る理由として分かるものがあるが、そこでは、“樹液に塗れた時計”が、その場しのぎに作られた感があって、何よりも自然ではない。“街燈”であれば、普通にある物だし、蛾が寄る理由として成立する。“街燈”を“光”にしてみれば、今度は、第一に“くすぐられた”の説得力が損なわれる。光をくすぐる、という新説が発生してしまう(笑い出した光もそうだが)からで、その不可能性を支えるためには、別の関係性をもう1つか2つほど持ってこなくてはならなくなる。そうなると、余計に長くなってしまって、分かりにくいものとなり、納得性に不可欠なシンプルさが損なわれる。ここはシンプルに、“街燈”と“蛾”、“笑い出した”と“くすぐられた”を選択した。“笑い出した街燈”の方が、不条理ながらも響きは伝わってくると思う。完璧なフレーズではないが、気に入っているフレーズである。 書きまくるしかない。マシーンのように手を動かし続けることである。量産する中で、良いと思えるものが出てくる。そして、なぜそれを良いと思ったのか、納得するまで分析すること。分析する中で発見するものがあれば、その発見でもって、対象のフレーズをブラッシュアップすること。人の作品でも同様で、なぜ良いと思ったのか、深く掘り下げることで、感動に納得することができる。納得したら、そこまでだけど、もうこれ以上はないくらいに納得してしまえば、新しい見方が身について、これまでに見えなかったものが見えてくるようになる。自身の表現力にも繋がるし、いい事づくめ。 さて、僕が書いたこの備忘録的なものに説得力はあったのか怪しいのだが、ここで筆を置きたい。極めて個人的なものなので、どこぞの自己啓発本にも書かれてありそうなものばかりかもしれないが、そんなことは関係なくて、僕個人の記録として残す。ここに列挙した記録は、僕が納得しているものであって、仮に納得していない時に自己啓発本などで同様の内容を読んだとしても実感することはなかっただろう。
詩論とまではいかないけど作詩におけるあれこれの備忘録的なもの ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 990.9
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 6
作成日時 2021-04-15
コメント日時 2021-04-16
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 5 | 5 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 6 | 6 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 5 | 5 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 6 | 6 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
小林素顔さん、ありがとうございます。 本当に備忘録的なものです。3年後とか10年後とかに読み返すための“原点”なるものを記しました。これから先、創作の道に迷った時に、原点回帰しようというものです。自分のノートにでも書いておけばいいのだが、紛失する可能性が僕の性格上、高いです。スマホのメモ帳でもスマホを紛失する可能性が(ryということで、預金ではないのですけれど、この場を借りて冷凍保存させていただきました。僕にとっては全部必要な連です。結構あれこれ考えてしまって取り留めがなくなる気質の人間なので、1度“要点”を整理しておきたかったのです。blogにでも書けばいいのですが、blogの在り処を忘れる可能性が高くて、現に昔書いたblogが未だに見つからないのです。ここなら忘れないだろうと期待して投稿させていただきました。作品として面白みに欠けてしまったことは残念に思います。しかし、第4連は好評とのことで嬉しく思います。自分の作品を分析したことは殆ど無いのですが、実際にちょっとだけでもこうして言語化してみると、発見するものがあって良かったです。最低でも2つ以上の自然な関係性が必要となってくる、は自分でも、“あっ、そっかぁ…そういえばそんなことをやってるな”と思いました。無意識にやっていたことを意識的にまで具現化させることで学ぶものがありました。と言いつつも、結局は、無意識にやってしまう方が創作の可能性は広いんですよね。あんまり枠組みの中に意識を閉じ込めて書いていると新しいやり方を見逃してしまうと思います。新しいやり方というやつは大抵、意識の外側を漂っているもので、外側の方が遥かに広い世界があります。そして、何より僕は偶然信奉者です。ただ偶然をそのままにするのではなく、意識的に偶然を利用する力を身につけたいと常々考えています。1度は出来上がったフレーズに、わざと関係ないものをぶち込んでみて、繋ぎ止めるための“グラデーション”としての関係性を発見すること、自動記述の手法で出鱈目に書きまくった後に意外性のある組み合わせを発見していくこととか、普通の感覚を維持しながら書き、そして書いた言葉の意味をひっくり返してみる等、良いものが出来るためにはどんな手を使ってでもやろうということです。
0〈修正〉 自分の作品を分析したことは殆ど無いのですが、↓ 自分の作品に対する分析を頭の中ではやっても言語化して纏めたことは殆ど無いのですが、
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