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井
水の張られた 区切られた 領域の界面に 一筋が浮かび上がる 一瞬を契機として 偏在してきた可能性が 境界線を形成する 水そのものに沈殿する水が 微かな循環をはじめる しかし風の痕跡はなおも水面に届かず 不在の影に覆い隠されている 傾く内部均衡が 石の壁を削っていく 次第に水底が空を映す 音が滴り落ち 荒縄が空を切る 潮が生まれ ほぐれ 断ち切れた 翻り続ける喧噪の中で たった一瞬の発散と 別離が訪れる だろう 残るものは 凪とそよぎと 境界線 そして点滅 --- ねえ、君は、なにが、欲しい --- うん、それじゃあ、怒りが、欲しいかな それぞれの産声の残響が互いの足元を 濡らす
井 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1587.3
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 2
作成日時 2021-01-21
コメント日時 2021-02-06
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 2 | 2 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 2 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
そういえば井戸とはよく聞くけれど、「井」という一文字がどんな意味を持つかはあまり考えたことがありませんでした。調べてみると、まさに「井戸」を意味することもあるみたいですが、区切られた領域とか、時にはまちを意味することもあるみたいですね。 この作品に目を向けた理由は、会話調の二行があったからです。「怒りが、欲しいかな」という欲とこの語り方が僕に重なり、このような会話をしたことがあったのです。 さて、作品に目を向けられると「井」が指し示すように、区切られた領域にある水の変化が語られています。「一瞬を契機として/偏在してきた可能性が/境界線を形成する」という変化。この「偏在してきた可能性」という表現が何気なくて肝になっているなあと。「境界線」は外部から与えられるものではなく、その内部にあった「偏在してきた可能性」が浮き彫りになったようなイメージを覚えました。だからこそ、「水そのものに沈殿する水が/静かな循環をはじめる」と続くことができるのであり、やはり、「境界線」が内部から生まれ出たことを示唆しており、「風の痕跡はなおも水面に届か」ないこともそれを補足しているように思えます。 「傾く内部均衡」や「静かな循環」という言葉から思い起こされるのは、「波」です。水が運動するということは、波が発生することとほぼ同義に思えます。そういえば「波」は横に向かって動いているように見えますが、あれは水自体が縦に運動しているんでしたっけ。この「波」は「音」にも結び付きます。というのも、「音」そのものが空気の震えによる「波」であるからです。 この「波」は、「井」の中にあり、外部の運動を拒むものであり、外部から力を与えられ続ければ、「波」は「波」であり続けられるのですが、一時的なもので「たった一瞬の発散と/別離が訪れる」ことで、「凪とそよぎ」をもたらすのですが、「境界線/そして点滅」だけは残り続けています。 そして、会話。今までの流れとは無関係にある会話を無理やり置き換えるとするならば、「怒り」は「波」です。言わば、この後者の人物の中に起きる内部の運動です。この時の「怒り」なのですが、この「怒り」は、他者の怒りが欲しいのか、自己の怒りが欲しいのか、つまり、「誰の怒り」が欲しいのか、というところに興味がわきます。「欲しい」という欲望は、多くの場合、自分ではない誰かから与えられるものです。それゆえに、「怒りが、欲しい」というのも、「誰かの怒りが、欲しい」と機械的に読めるのですが、今まで述べてきたように、「怒り」そのものは内部の運動であり、「誰かの怒り」もまた「誰か」の内部の運動です。これは勝手な読みで、希望なのですが、この「怒りが、欲しい」と述べた主体は、「誰かの怒り」を受け取りたいと願う存在なのではないかと考えます。「誰かの怒り」という「誰か」の運動を受け止めることにより、「自分の怒り」となり、「誰か」の内部運動を受け止めて共に「波」になることができる、もしくは、共に「波」になりたいと願う存在なのではないかと。このようにして勝手ながら読むと、前段とこの会話が結びついてくるなあと思った次第であります。 そして、最後は「互いの足元を/濡ら」しており、これもまた「産声の残響」という「波」を共有している描写に見えてきました。
1詩の中の怒りとは人間に勝手に命のおわりを決められた怒りのように感じます
1興味深いご感想ありがとうございます。 詩作のスタートが命の始まりのつもりだったので、そこに命の終わりの匂いを感じ取って下さった福まるさんの感性をとても素敵に感じます。
0なかたつさん、精読頂き誠にありがとうございます。 会話調の二行は作品にフックを持たせたいという思いで挿入しました。 メッセージ性が強すぎるので最後まで迷いましたが、目を向けていただけたということは挿入して良かったということにしておきます。 また少ないヒントからそこまで深く掘って頂けて嬉しいです。 >> 勝手な読み を提供する部分と素直な描写のバランスを磨いていきたいと感じました。
1白川ロイヨさん こんにちは。百均です。 なかたつさんに読み込まれてしまった後なので、 ちょっとしょぼい感じになってしまうのですが、基本的には好みですって言っておきます。 描かれているシーンというか舞台のイメージの立ち上がりがいいですね。 単純に井戸の中を覗き込んだ時のイメージが一連目で浮かび上がってきます。 行ってしまえばきちんとデッサンしている作品だなと思います。 というのと、少し概念的な書き方って感じですかね。 >水の張られた >区切られた >領域の界面に >一筋が浮かび上がる 最初の三行から、「一筋」につながる所は難しいですね。 個人的にはここで躓く人と考えて読める人で多分別れると思います。 読み進めて行くとそれはそれで解決するとは思うんですが、 「一筋の光」みたいに対象が書いてある訳ではないので、難しいですね。 (界面を水槽のように横から見た時の線のイメージで捉えるならありですが、 僕は井戸を覗き込むイメージからスタートしたので上から見た時の情景で最初考えています つまり、4行目を見た時の目線が急に移動するので混乱する訳だ) 水の境界線を見る時のイメージは水平線のように、 可視化された場所で提示される事はよくあると思うんですが、 敢えて「井戸」と言ってしまいますがみたいに横から見る事のできない 水の境界線に対して、視線をフォーカスするのは単純に面白いですし、なのでなかたつさんの「井」といいタイトルの意味から 探っていく読みをすると多分この一行の違和感って超えられるのかなと思います。 僕だったら素直にたとえをねじ込んでしまいますが、ここは最初の連なので勝負かけてますよね。 >一瞬を契機として >偏在してきた可能性が >境界線を形成する ここは難しいな。ちょっと観念よりなので、考えて読まないといけないと思います。 >「一瞬を契機として/偏在してきた可能性が/境界線を形成する」という変化。この「偏在してきた可能性」という表現が何気なくて肝になっているなあと。「境界線」は外部から与えられるものではなく、その内部にあった「偏在してきた可能性」が浮き彫りになったようなイメージを覚えました。だからこそ、「水そのものに沈殿する水が/静かな循環をはじめる」と続くことができるのであり、やはり、「境界線」が内部から生まれ出たことを示唆しており、「風の痕跡はなおも水面に届か」ないこともそれを補足しているように思えます。 なかたつさんの読みはここら辺援用して読むと具体的なイメージとして映ってきます、 って所で、描写のバランスの部分みたいな所で言うと僕はもうちょっとあった方が好みですね。 やっぱり全体的な好みみたいな所で言うと面白いなとは思います。 最終的に僕が思ったのは透明なメスシリンダーの井戸を言葉のイメージと観念で抜き出してきて、 その中で生じる温度変化による水の動きですね。理科の実験である様子です。それを井戸に見立てた上で、 人間の感情と接続する。 >--- ねえ、君は、なにが、欲しい >--- うん、それじゃあ、怒りが、欲しいかな 行ってしまえば井戸を心の入れ物みたいに捉えていて、その中に渦巻いている感情の動きを喩えているというのは、 面白いですよね。みたいに僕は思っちゃうんですけど、どうでしょうか。 書き方として解きほぐしていく読み方との相性はとてもいいと思います。 ここら辺は書き手がどこに向かいたいかが全てであるし、僕は白川さんの書きぶりはどっちかっていうと好きな方で、 実直に書いている人だなっていうのは本作からもうかがえます。 1つのモチーフを使って描こうとしているゴールがあって、 そのためのイメージとして「井」という概念をスタートにしているのもおしゃれですね。 なので、最初の入り口の部分を優しく書いてあげたらもっと読まれるだろうなとは思います。 >水そのものに沈殿する水が >微かな循環をはじめる >しかし風の痕跡はなおも水面に届かず >不在の影に覆い隠されている 水そにものに沈殿する水っていうのは、 行ってしまえば水の中にも層があってそれらは分離しているけれども、 絶えず入れ替わっているという状態なのかなと思うけれど、 言い方としては少し不親切かなとは思います。 最後の会話の二行まですんなり読めると多分繋がって来るけど、 そこの前でこけるとこの作品は読めなくなるかなと思うので、間口を広げるのであればもう少し描写を入れた方が読まれはするかな。 総評としては、2作白川さんの作品を読んで思うのは、 書こうとしている事や、そのために使用するモチーフへのアプローチは面白いです。 精読の内容としてはなかたつさんの読み筋で書かれている事の面白さについては提示されていると思うんで、これはこれで全然ありな作品ですね。 (決して適当には書いていないと思うし、それは書かれている言葉一つ一つに対してある程度コントロールが効いていて自覚的なんだろうなという印象でしかないもだけど) ただ、多分それを伝える描写という意味では少し距離感が遠い作品だと思います。 が、突き詰めていくのもありだし、読まれる方向にもっていくのであれば描写を増やした方がいいかなと思います。 以上、よろしくお願いいたします。 ちょっと他の方の読みも聞いてみたい作品だな。
1いつも精読およびコメントありがとうございます。 ある程度描写を省いて読者に委ねている部分があるのは確かに自覚的ではあります。 また、書き方としてどんどん削っていってしまう手癖があるのでそれをコントロールといえばそうかも知れません。 ただ、この作品は過度に観念的にならないようにきちんと描写しているつもりで書いた作品でしたので 百均さんの把え方にはハッとさせられた部分がありました。 敢えてこの時代に詩を公表すること、投稿することってなんだろうなと考えたときにやはり読者を見た方がいいのかなと思った次第です。
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