亀裂の入った空の下を飛ぶ
セグロカモメを見上げながら
僕の眸は
砂と共に海へと流れ込む空想を
ぼんやりと観ていた
誰もいない灰色の浜辺では
はぐれ雲が力なく打ち上げられて
半ば砂にうずもれて
流れ出る遭難者の苦悩に溺れる
目論見に膨らんだ風船の頭となって
自由に飛べなくなった悲しみに
しくしくと泪を流して泣いていた
亀裂の入った空からは
まだ何も贈与されていない枯渇が滴り
打ち寄せる波の音の灌頂にも
つつかれぬ卵はいまだ覚醒せずに
冷たい砂の中に埋まったままで
孵る機を見出だせぬ悲しみに
しくしくと泪を流して泣いていた
海へと流れ込む幾多もの空想の莢膜は
互いに擦れあって剥がれ落ち
溢れ出るあえかな空想の胚は
混じり合いながら拡散してゆく
それでも孤独なセグロカモメは
飛び続ける
こんな世界でもまだ飛べる
何故なら
生まれ落ちた卵の殆んどは死んでも
他の夢に形を換えたのであって
決して消滅したのではないから
亀裂の入った空の下
打ち上げられたはぐれ雲はまだ
しくしくと泣いていたけれど
僕はもう一度セグロカモメを見上げて
また歩きだした
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 1354.6
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作成日時 2020-11-21
コメント日時 2020-12-01
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:1354.6
2024/11/21 22時48分32秒現在
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これとても良いですね。 まずもって出だしの >亀裂の入った空 がとても示唆的で、その後も読者の感性を刺激する比喩がポンポンと出てくる 通常ならひらがなに開くべきところが漢字になっていて読みづらいのが難点ではあるが
0コメントをありがとうございます。 漢字とひらがなの選択、今後考慮します。 ご指摘ありがとうございました。
0tasakiさん、こんにちは。 文章語の語彙を使って書くと言うことには、スノッブであること以上の、別の意義があります。 日常語でももちろん詩は書けますし、文章語のそれに劣ることもないのだけれど、やはり語の持つ文脈の質が違うので、大袈裟に言えば日常の感覚を異化する気持ちの良さが僕には感じられます。言い古されたことですが、今のネットの表現では多少難解な語を使うとマウンティングだとのみ捉えてしまう困った風潮があるように思われます。 そういう観点から、「灌頂」「莢膜」という言葉から、セグロカモメの死にゆく卵の魂を取り巻く背景が描き出されていくのを好ましく受けました。平家物語の灌頂の巻などを思い出すと、語の本義とは別に何か悲劇的感情がつきまとってきますね。 それを見て記述している主体との関係については、記述そのものが関係性を表しているからかあまり触れられていません。でもセンチメンタルな記述が、「孤独なセグロカモメ」であるとか、「他の夢に形を換えた」とか、「しくしくと泣いていた」とかが、意図的なものかもしれませんが、主体の立ち位置を無反省な上位視点に押し上げてしまうように思えます。これは僕の読み方の癖ですね。非常に自我の成り立ちに関する疑念が根深いのです。人やことの表出を無慈悲にさらっていく既成の文脈のパッケージが言葉に隠されていることにはより身長になりたいと僕は考えています。そこが作者と僕の(優劣ではなく)違う部分かな。 卵の魂の「成仏」を書こうと考えると、身も蓋もない剥き出しの天国に触れたくなりませんか?いや、もう触れられているのか、或いはそれが表現の前提としてあるのかも知れませんが。僕はいつも天国は生きもののシステムが解体された先のまったく窺い知れない場所にあって、生きているものにとっては「窺い知れない」ということが救いになるのだと考えています。これも妄執ですけど。 長々とつまらないことを書きました。お気に障ったらご寛恕下さい。好きな作品なので、つい。
0右肩ヒサシさん コメントをありがとうございます。 大変申し訳ありませんが、コメントの内容の半分くらいがあまりよく理解できませんでした。 これは皮肉ではなく、私は詩論的なことはあまりよくわからず、直感的あるいは感覚的に詩を書いてしまうからです。 ただ、私が詩を書くようになったその入口が、近代の叙情詩だったので、その影響がいまだに残ってしまい、ご指摘のような言葉使いになってしまったのかもしれません。 まだまだ精進が必要なようです。 (これも古くさい表現ですか・・・)
0こんな世界でもまだ飛べる 希望はあるってことですね。
0田中宏輔さん コメントをありがとうございます。 そうですね。 僅かばかりかもしれませんが、希望はあると思いたいです。 また、希望を持ちたいと思うことが、希望の種なのかもしれません。
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