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正方形の生活
四角いアパートが立ち並び 空にはまあるくタバコの煙が流れてく 荷物になった気持ちを白くしようと 魂と一緒に吐きだせば 私から何グラムの重さが減るのだろう 向こうにはテンポ正しく 正方形の生活が保温され 錆付いた鉄柵に体を預けると夜が近い 吐き出た魂/何個分 生まれた隙間に冷たさだけが写るんです 群生するアパートの窓から 明滅するフラッシュの光束が しろとびするわたしのかおと ほこりのようなわたしのたましいと けむりのようなわたしのからだを 写すんです そんなわたしから たしからしさを 共有することは むずかしいから だから今日もみんな カメラロールには食事の写真が増えていく ただいまおかえり おなかがへったねおいしいね シルエットだけを残した逆光の中で タバコの先がそっと落ち 夜をむかえる温かさを教えてくれよ
正方形の生活 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 895.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-08-23
コメント日時 2017-08-27
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
趣味がカメラなので、私的にはとてもイメージが膨らんだ。幸せの風景を撮りたいのであれば、食事の写真を撮ることがよいのかもしれない。だけど、もしかしたら、幸せになりたい風景になるかも。撮れるか否か、正確にそこにある幸福を共有するのであれば、何を撮るかではないのだ。写真とはおそらく、しろとびや、色合いよりも構図が全てではなかろうか。何を入れて、何を捨てるか。そんなソウル・ライターの言葉を思い出した。読んで良かった。
0〈まあるく・・・流れてく〉ものと、〈四角いアパート〉〈正方形の生活〉との対比。まる、は、正方形に内接しているのか?収まり切れずに抜け出していくもの、そこに自身の意識が乗って行くのであれは、〈正方形〉の内側には空虚が残る。都市生活者の、漠然と捉え難い疲弊、杓子定規のルーティンワークからの離脱願望のようなものを、幾何学的なイメージでとらえているところが面白いと思いました。 魂は何グラムか、という「実験」について、しばしば言及されますが・・・〈吐き出た魂/何個分〉という、いわば〈魂〉の軽さ(実際にあるかないかわからない、というような意識を、ユーモアで置換していく筆触の軽さも含めて)について言及しているところに、むしろリアリティーを感じます。 無数の大衆、無数の群衆の中に埋没しているような自分自身の捉え方と見ればよいのでしょうか。〈ほこりのようなわたしのたましいと/けむりのようなわたしのからだ〉埃のような/誇りのような 両方に読める部分ですが、そのすぐ後に〈けむり〉と続くので、〈ほこり〉は埃にしか読めなくなってしまう・・・意味が限定されていくことで見えて来るもの、せっかくひらがなで表記しているのだから、詩のテクスチャーとしての柔らかさだけではなく、音の響きが引き出す意味のズラシ、といった効果を、もっと上手く使うことができたら、面白さが増したようにも思いました。 吐き出す煙のように頼り無くて存在感が希薄で、でも、まあるい、やわらかい、直線や角を持った生活に規定されない、ゆらぎたつもの。そのものが収まっていた肉体を養う〈食事〉の写真で、日々の記録を重ねていく意識。 〈荷物になった気持ち〉とは、体を侵食していく気持ち、肉体を煙のように希薄にしていく気持ち、なのではないか。そんな煩わしさを吐き出して、〈食事〉で日々を埋めていく。仮の充実かもしれないけれど、都市生活で侵蝕されてしまった肉体を補っていく行為なのかもしれない・・・そんなことを思わせる作品でした。
0僕が最初に詩らしい詩を書いたもので、丸が少しでも書けたら丸でなくなって…、というようなフレーズを使っており、つまり、図形というのは概念上のものでしかなく、現実や「私」というのは、そんな完璧なものなどないのだ、というものを書いたことを思い出しました。それがタイトルの「正方形の生活」に結びつくのだろう、と。 四角いアパートや正方形の生活は、きっちりとしたルールを思わされ、それに対比するものとしてタバコの煙が生まれ、というより、「私」から生み出されていく、不完全なものとして現れています。 そのタバコの煙からイメージは飛躍し、気持ちや魂が白くて丸い煙として何個も生み出され、それが「私」自身を吐き出しているということ。そして、それは空に溜まっていくというイメージ。 「向こう」とは、私が今いるここからは遠い世界のことであり、そこには「テンポ正しく/正方形の生活が保温され」があると。ここで、保温という言葉が使われているのがミソなのでしょう。生み出されたものを少しでも長く、その形を維持しようとする行為。 「生まれた隙間に冷たさだけが写るんです」というのも何気ない表現で、隙間があるからこそ、吐き出された「私」の魂が外気の中に入る余地があるのでしょう。正方形の生活=保温、「私」の魂=冷たい、という対比もされています。 その後の詩行は風刺であるかのような。「そんなあたしから/たしからしさを」という「たしから」の音で鮮やかに展開されています。光があるからこそ、わたしのたましいとからだが写るのであり、その光の源は、向こうにあるというアパートの窓=正方形の生活にあります。「インスタばえ」なんていう言葉が流行っているように、また、「共有することは/むずかしいから」スマホか何かに食事の写真が増えていくという、逆説。 「ただいまおかえり/おなかがへったねおいしいね」という何気ない二行は少しパンチがありました。おそらく、これは正方形の生活の中にある言葉なのでしょう。当たり前の会話こそが、正方形というきっちりした形を保つための生活に必要な言葉だととらえました。 最後、「夜をむかえる温かさを教えてくれよ」と終わるのは、「私」の魂は外気に触れて冷たくなっているわけですから、暖を求めているのでしょう。そして、その暖があるのは、保温されている正方形の生活の中にあると、この語り手は気づいているのであり、正方形の生活を少々揶揄しながらも、その温かい生活に入れない「私」の魂、しいては、「私」の体もまた、正方形の生活にある温かさを知りたいのではないかととらえました。
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