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自由律俳句 202008-1
自由律俳句 202008-1 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1715.2
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 5
作成日時 2020-08-11
コメント日時 2020-08-16
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 2 | 2 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 5 | 5 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 0.5 | 0.5 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2.5 | 2.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
酷く考えさせられました。ひとくちに夜といっても何から何までありますし、自由は何が主語でも成り立つものですから。個人的には、皆が寝静まった時間を自らが使ってしまうことへの罪悪感と自由の謳歌の背反を両立させた句だと思いました。
1夜、盗む、自由という言葉をみると、安直ですが尾崎豊さんの「十五の夜」が頭に浮かびます。 そんな背景から、私は、この詩を読んだとき、社会の閉塞感に我慢できず、思うままに駆けてゆくような印象を受けました。
1夜を盗んで自由。自由という言葉には縛られていない解放感があります。その解放感は夜を盗む、という行為から得られるわけですが、夜を盗まなければ自由がないとも読めます。さらに盗む、という動詞の動きが全体に波及して律動?を生んでいるように感じます。そこに含まれる背徳感。寝静まった夜の町を誰にも咎められずに歩く、或いは自分を縛る特定の誰かの眼を盗んで得る自由。しかし、何度も読むうちに夜、を昼が盗んで夜と昼という決め事から昼が解放される、などという戯言も浮かびました。短いだけにそこに書かれたものと、書かれていないものへのイメージの拡がりが様々に波及して膨らむようで面白く読ませていただきました。
1言葉というのは不思議ですね。いろいろな心象を仮託して読むことができます。決して自由なわけではないのだけれど、今この時は自分の時間だ。そんな雰囲気を楽しませていただきました。
1自由が重いと思いました。盗んだことが来る重さ、重要さが有ると思いました。
1不思議な作品です。 作中の一文から 無限に開かれた可能性が 提示されているかのようです。
1コメントありがとうございます♪ ひどく考えこませて恐縮です(^_^;) おっしゃるように、自由という観念とも事物ともとれる鵺のような"ことば"に直面できる《(生きた)問い》をたてることが目的でした。ある一定の成果はあったようで嬉しい限りです。
1コメントありがとうございます♪ バレたか〜(^_^;) こんな短詩でも想いというか感情が滲んでしまうのですね。。。! 確かに(あの大嫌いな)尾崎豊を意識してました。ただし「太陽の破片」に徹底的に抵抗するものとしてです。決してリスペクトではありません(^_^;) 強いてあげるならコトヤマ氏の「よふかしのうた」ですが、あまり影響はない気もします。 これは直接的にはコロナ騒動以降「おうち時間」に抗した「おそと時間」という運動に独り身体を動かしていたなかでようやっと形になったモノです。 同じ自由をテーマに掲げたコンテンツでも、深まってはいくものの問い詰めて自分も追い込むもの(たとえば尾崎)と、自由をどんどん創っていくもの(仮面ライダー?)があるように感じます。後者は往々にして何らかの制約とともに自己を拓きます。 思うままな動きを感じてもらえたなら一定の成果であったと嬉しく思います。
0コメントありがとうございます♪ 精読していただき自分をより振り返ることができるのも、こういった場ならではのことで、投稿することの意義と場が開かれていることへの感謝をしみじみと感じています。 動詞が律動に与える影響については正直、そこまで踏み込んでいなかったので、その着眼にとても学ぶもとがありました。盗む、以外の"ことば"であった時に拓かれる可能性は、今一度別の機会、句作で探ってみたいと思います。
0返詩です。 僕自身を清く愛すのは 僕が僕であるためで 僕が壊れそうなのは 街が悲しいからで 自分を奪われたくはない を盗まれたくはない お前をもっと知りたかった 未だお前を乗りこなせない お前をこんな夜から守りたい お前のコロナに包まれたい
1売り飛ばすには八月も過ぎ
1コメントありがとうございます♪ いろいろな心象を仮託できるのも俳句の魅力であり、また俳句は発句であるべき理由だと考えます。 かずやさんが「今この時間は自分の時間だ」と感じられたのも、このともに創っていく《座の文学》にもたらされた新たな詩情、その"厚み"だと思うと、とても嬉しい気持ちでいっぱいです。
1コメントありがとうございます♪ 自由は。僕は"重い"もの(むしろ噛みごたえのある、といえるでしょうか)と考えています。単に束縛から解き放たれたり、開放的な空間に安らぐといったものではなく、ちょうど自由律俳句の"自由"が、単に季語や五七五といった形式からの"自由"に限られないように。 ここはとても重要な点であることは、エイクピアさんのおっしゃるとおりです。
0コメントありがとうございます♪ ことばをミニマルに研ぎ澄ますとき、文脈からより"自由"になり、言語そのものの不可思議と魅力も浮き上がってきます。 無限=限りない、とまでいうと仰々しい気がしますが、ヒトの数だけの可能性なら拓きうるかもしれません。 それがこの一句で実現できていたとしたら望外の喜びです。 余談ですが、ドイツの若い哲学者マルクス・ガブリエルが語る《Geist》はそういったヒトの創造的躍動を定式化したものとも読めそうな気がしてきました。
1返詩ありがとうございます♪ こんなことは初めてでどう応えてよいものやら。。。(^_^;) 尾崎の「太陽の破片」にからめての想いと「お前のコロナ」を受け止めたいです。
0しょう人もお盆休暇でまた自由
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