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ある雨の日、君の弟は。
雨が止みはじめた頃に、 傘を差しはじめてみた。 びしょ濡れになって傘の下、 僕は何かに守られていると強く感じる。 道の向こう側から、 少年が歩いてくる。 あの懐かしい長靴の黄色が、 僕の目に焼き付いて離れない。 僕がまだ長靴をはいていた頃、 水溜りに自分から足を突っ込んで、 びしょ濡れになりながら遊んだっけ。 カエルを触った手で、眼を擦ってしまって 真っ赤になった眼のことだって 全然気にならなかった。 なのに、あの日 幼い子どもの 少し汚れた黄色い長靴が 宙に舞った。 宙に舞って、地面に落ちて あんなにたくましかった長靴は、 中までびしょ濡れになって あの勇ましい姿は見る影もなく。 きっと 彼はなにがなんだか分からなかった。 自分の置かれている状況も、 これからどうなってしまうのかも。 それでも雨は、止まない。 雨は身勝手で。 その黄色い長靴が、 今、僕に向かって歩いてきて 何か言いたそうにしている。 なのに、耳を傾けても 傘に落ちる雨の音が 響くだけなんだ。
ある雨の日、君の弟は。 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 929.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-08-07
コメント日時 2017-08-27
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
昔はきっと、そういうもので。 今もきっと、そういうもので。 かなしいな、と感じました。
0はじめまして。よろしくお願いします。 私はドラマ性のある作品は好きな方ですし、そういった作品ほど、誤魔化しが効きにくい分、見た目より実際に書くのは難しく高度だと考えています。ドラマ性を持った作品には完成度が求められるからです。 そこで、本作品も、完成度という視点から鑑賞しました。 一見よく書けていそうなこの作品が、どうして読者には腑に落ちないのか、 私が感じた所を以下述べてみます。 それは、作品冒頭にあって、本作を理解する上で重要である >僕は何かに守られていると強く感じる。 という語り手の感覚が、読者にうまく伝わらないところが原因です。 子供が長靴を穿いた時に感じる、鎧を着たような無敵感、そして傘により語り手が雨から守られると感じた防御できる筈という感覚。それが、「弟」には至極あっけないものでしかなかった。という、この感覚がむしろ作者が伝えたい感覚だと思うけれど、それが、読者には、わたしが解説したようには伝わらないだろうと思います。 なぜ、それが伝わらないか、といえば、第一聯の書き方が不味いからです。 >雨が止みはじめた頃に、 >傘を差しはじめてみた。 これだと、かなり変わった感受性の持主が語り手だと読者は思います。(面白いつかみにも思える) そういうコンテクストで、 >びしょ濡れになって傘の下、 >僕は何かに守られていると強く感じる。 と続く二行も同じ流れで読める。だから、重要なはずの(作者は共感してほしいはずの) 「僕は何かに守られていると強く感じる」もまた、冒頭の流れのまま、一般人の感覚を離れた特異な感受性なんだろーな、と、誤読される方がむしろ当然と思える そういう書き方をしています。 で、特異な感覚の人の詩なんだろうな、と期待したら、次からはずっと >道の向こう側から、 >少年が歩いてくる。 >あの懐かしい長靴の黄色が、 >僕の目に焼き付いて離れない。 と、極めて紋切り型がならぶわけです。(以下最後まで) それはそのはずで、全体は、淡々とした、フツーの人のモノローグが味わいになっているドラマですから。 なので、面白い掴みのように書かれた、第一聯の前半部分が、 全体のドラマの雰囲気と整合しておらず、私から見れば残念な出来栄えになってしまっていると感じました。全体が淡々と平板な叙述で構成されている以上、第一聯前半部分も、もう少し丁寧に工夫する必要があったと思います。 以上です。
0行替え(改行)が生み出す歩行のリズムに加えて、句読点の生み出す、息継ぎのリズム・・・作者の肉声が伝わってくるように思いました。 はじめた/はじめて と二度重ねる冒頭。~し始めた、という通常の意味が、なぜか「初めて観た」と思われて来るのは、なぜでしょう。傘を差し始めた、というような表現を、通常は使わないから、でしょうね、きっと。その、微妙な用法のずらしが、意図的なものなのか、偶然生まれた産物なのか・・・ 雨、が降っている間中、雨を受けていた語り手。雨が実際のものであれ、比喩としてのものであれ、体の芯まで冷え切って、濡れるがままに任せていた、ことになります。雨が土砂降りの間、むしろ、為す術がなく濡れていたのではなかろうか。その雨が少し小降りになって、もうすぐ止む、という確信を持てたころ・・・希望を感じられたとき、ようやく、自らの身を濡れないように守る傘、を差す気持ちになった。その気持ちになって、初めて見る光景・・・が、その次の行から続いていくような気がします。 今、ようやく自分は、自分で傘を差す気力を得た、それなのに・・・かつての自分と重なる、黄色い長靴の少年が歩いてきているのに。すってんころりん、びしょぬれになって、それでも何か、私に言おう、語りかけようとしているのに。自分は今度は、自分の身を守るための傘がある、ゆえに・・・その傘に当たる雨音に消されて、少年の心の声が、聞こえない・・・かつての自分の声を、聴くことができなくなりつつある、ということでもあるでしょう。同じような想いを抱いている人の声を、自分は本当に聴くことができているのか?ということでもあるでしょう。 ・・・ということを感じたのは、以前に投稿された作品を既に読んでいた、から、でもありますが・・・傘となって、不運や苦悩の雨から、家族を守りたい、という思いをつづった作品、ですね・・・この作品だけを読んだ読者にとっては、ハアモニィベルさんが感じたような、釈然としない感じ?を受けるかもしれません。もちろん、そうした前後がなくても、作品そのものに秘められた余情、のようなものが、ほわっと伝わればよい、のでしょうけれど・・・。 ベルさんの〈>雨が止みはじめた頃に、/>傘を差しはじめてみた。/これだと、かなり変わった感受性の持主が語り手だと読者は思います。(面白いつかみにも思える)〉という部分、私も特徴的だと感じました(コメント冒頭に書いた通りです) 〈懐かしい長靴の黄色〉na の音によって導かれる響きと、黄色い長靴という、小学生時代を彷彿とさせる、ある種の記号の用い方・・・一般読者に寄り添い過ぎている、と観るか。いや、あえて、誰もが知っている表象を持ってくることで、少年時代の自身の換喩を成立させている、と観るか・・・ここは、他の読者の意見も聞きたいところです。
0貢さま ありがとうございます。悲しみを感じ取っていただけたとのこと、誠に嬉しく存じます。 仲程さま ありがとうございます。かなり昔に書いたものですので、自分でもどう書いたか忘れてしまいました。十五年くらい前だったかもしれません。なのでテクニックうんぬんは、まったく意識はしていませんでした、おそらく。 ハァモニィベルさま ありがとうございます。貴重なご意見ですね。すでに十五年前の作品のため、当時どのように書いたのか、記憶は曖昧なのですが、これは実はでして、フィクションが一つもないといつまでも過言ではなく、そのままを切り取りたかったのだと記憶しております。読ませるにはもっと工夫が必要であっただろうなあと、今読み返せば思いますね。ありがとうございます。
0静かな視界 さまへ ご感想ありがとうございます。かなり昔の作品であるため、違った作風に感じられたのかと思います。今読み返しますと、拙い部分ばかりですけれども、大切な詩のひとつです。ありがとうございました。 花緒さまへ 当時の目標は、ものに語らせることだったような気もします。ただ、ほぼ実話でして、あまりいじりようのない事実だった気もします。ありがとうございます。
0こんにちは。 確かに、取り出せる記憶というものは、脈絡なく始まるものが多くて、その前後関係が曖昧としているものだ、とは、私も常々不思議に思います。 その分岐分岐に置かれた重要なパーツは、思い出そうとしても、見事に切り落とされてしまっているために、余計にやっかいです。 すると、どこどこに焦点をあてればいいのかと。つまり脱落した前後の記憶は飛ばして、もっと昔の一点と、その後に起きた一点を繋ぐための休憩所として、この記憶はあるのでは、ないのだろうか。などと思いました。 (迷子になってやっぱりここへ帰ってきてしまうんだな。) そんな声が聞こえてくるような作品でした。
0まりもさま 貴重なご意見誠にありがとうございます。示唆に富む解釈の数々、作者冥利に尽きます。読者に寄せたという意識はこの作品について、あまりありません。出来事としては、共感を呼び覚ますような類の出来事であっただろうとは思いますけれども、それを作品にした目的は、決して共感を求めたからではなく、一つの出来事として結晶化したかったが故でした。と、記憶しております。 渚鳥 s さま ありがとうございます。いつであっても、我々は迷子なのかもしれませんね。無理矢理に何かと何かと繋げることでなんとか保っている。それは、実は単なるこじつけでしかなく。そんなことを考えてました。
0葛西さん、こんにちは。 君の弟が私なら、幼い頃の私は君=お姉さんに護られていて、そのお姉さんが今、大人としての苦難に晒されている。それは大人になった僕も同じで、今はお姉さんには連帯感を持っているのでしょうか? 僕の読み方では、これは姉への思慕を詠った詩ですね。
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