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ワイエルシュトラス関数
頭の中の片隅に 中絶された言葉たちが転がっている 語り得ぬものについては沈黙しなくてはならないと言う しかし私という連続体はこれらの言葉を沈黙で上塗りすることを拒んだのだ それゆえここにそれらを引っ張り出して来て もう一度だけ眺めてみることにした 布団に溶けてゆく部屋の中 37度の熱が冷めていった 1センチにも満たない厚さのガラス窓で隔てられたこの場所に降る局地的な雪は とっくのとうに止んでいるが 積もった雪がこのまま消えていくとは思えない 古い絨毯のような残り香の煙草 空へ煙が溶けて消えていった 19歳のコロンブス同位体(あるいは、「僕」)は こうしてみっともない姿で六畳間に沈んでおりました しかしある日とうとうあるべき物(と言っても、それが何かは私も知らない)が欠けてしまった日常に倦んであてもなく街を彷徨うことにしたのです 肌寒い風の中で夜は僕を撃つ/討つ/射つ/鬱 (配点:5点) 病んでしまえたらどれだけ楽なことか しかし私のみすぼらしい脳は正常性を謳うのだ 捨ててしまえたらどれだけ軽くなるか しかし私の捻くれた腕は掴んで離そうとしないのだ 倦んでしまえたらどれだけ良かったか しかし私の疲れ果てたはずの心は諦めようとしないのだ 死んでしまえたらどれだけ良かったか しかし私の相反する体は生に醜くしがみ付くのだ どうでしょう ここにあるものたちの最後のかがやきは 私はなんだか 救われたような気がしました
ワイエルシュトラス関数 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2045.6
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 9
作成日時 2020-04-05
コメント日時 2020-04-17
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 3 | 0 |
総合ポイント | 9 | 1 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0.3 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0.7 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 0 |
総合 | 3 | 1 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
どこか書生の日記のような雰囲気が印象に残りました。口調のバリエーションにも関わらず確固とした統一感があり、言葉の説得力とテンポが絶妙で、読んでいて面白かったです。
0紅枝 渓依 様 コメントありがとうございます。そう言って頂くと非常に嬉しいです。
0数学苦手なので関数という言葉を見るだけで「難しい~」と思ってしまうのですが、「中絶された言葉たち」「語り得ぬもの」というのが〈微分できないもの〉を意味していて、それをグラフにして音声化した時に生まれる聞き心地の(やや〈病的な〉ともとれる)変化が語り口の変化として表されているのかな、と考えました。であるとしたら、そのような試みは私にとってはできなかろうと思い、新鮮さを覚えると同時に感心しました。
1藤 一紀様 コメントありがとうございます。まさに仰る通りで、私という連続体の中の、微分できない、まさに病的な部分としての要素が表されています。
0語り得ぬものについては沈黙しなくてはならない、ウィトゲンシュタインでしたか。と、いっても中学レベルの数学でも間違える僕にはその深淵などみえない。しかし、語り得ぬものは確かにあって僕を悩ませる。学生時代よく聴いていた洋楽のロック、ロックンロールと何が違うのかと聞かれても知識としてはあっても、或いは生き様、とか語る人をみても何か違う。なんでそんなに美味い珈琲を煎れることに拘るのか、とか話しだすと逃げていく真実。 それでも言葉にしようとしては諦めるたびに思うのは沈黙はしていても僕の身体は頭はなんらかの反応をしている。作中の中絶された言葉たちが、ふいに何か像を結び詩や随筆になると僕はまた沈黙に戻る。 なんだかぐちゃぐちゃと書きましたが素晴らしい思いをさせていただきました。ありがとうございます。
0ライトレスで恐縮ですがコレできればワイエルシュトラス関数の参考画像もあった方が良かった気がします。ちょっと読者がしぼられすぎてしまうんじゃないかな、そうだとするともったいないという印象です。僕も検索しましたが、式がわからなくても意味はわかりやすいので、もちろん極限で定義されているので厳密な表示はできないですが、どこか有限なところで止めたやつでいいので、是非もし画像があったら一層面白くなると思います。 (どうでもいいですが、僕は「厳密には描けないから描かない。」と言う中高の教師は、生徒から指摘されたくないだけの、腰抜け教師だと思います。森毅先生は「ドンドン」などと気楽な言葉を使っている。) ワイエルシュトラス関数は「19歳のコロンブス同位体(あるいは、「僕」)」の肖像のようです。また、各連ごとの分断も、いかにも微分不可能です。それから、現在の筆者と「僕」の断絶の情にもまた気を配る必要がありそうです。時間的な分断もまた、そこかしこに描かれているはずだからです。「19歳」と明記されているからかはわかりませんが、そう訴えてくるものを感じました。この歪な結合をもつ文章に対して、最終連で一挙にまとめが試みられている、それもまた連続と微分不可能性のシンボルです。
1帆場 蔵人様 コメントありがとうございます。完全な、思考までもの沈黙というのは無いように思うのです。言葉で表されなくても、産み落とされなかった、それこそ「中絶された」言葉が思考の中にあるのだと思います。
0いすき 様 コメントありがとうございます。じつは、今の私は「僕」とはそこまで相違ない存在ではあります。ただ仰る通り、何らかの関数についての説明はあって然るべきでしたね。
0最終連の「どうでしょう」「私はなんだか」というのが、 「おそらく本書は、ここに表されている思想をすでに自ら考えたことのある人だけに理解されるだろう。」というのと同じに、 絶対読んでやる!という気持ちにさせるので、引っ張り出して来て読んでます。
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